自らに向けられた
「──これは何のつもりですか? まさか、また私に歯向かうつもりですか?」
「何の罪もない民を殺してはいけない。もしあなたがそうした行動に踏み切るならば、僕は迷う事なくこの引き金を引く」
パトリシアやロック卿、ホルスト卿、他騎士達、兵達、みな
「あの
マリアベルは下馬し、静かにリアンに寄る。
「今に正教軍はマール伯爵領軍との戦いを終え、輝聖の部隊に攻撃を仕掛ける。その後、大白亜に詰める禁軍との
ついに銃口はマリアベルの胸に当たった。
「──命は平等なんかじゃないッ‼︎ 輝聖はこの世界を救うッ‼︎ 決して失ってはいけない存在だッ‼︎ あんな民なんかのせいで、あんな騎士なんかのせいで、世界は滅びてしまうんだッ‼︎ であれば、あれは輝聖の敵ッ‼︎ であれば、あれは人に
リアンは青い瞳でマリアベルをじっと見ている。
「なんだその目はッ‼︎ 無礼なッ‼︎ これ以上、軍の動きを鈍らせるならば、お前をここで斬り捨てるッ‼︎」
マリアベルは帯刀していた聖ノックス市の
周囲の騎士達は目を
「そこ退けッ‼︎ そして詫びろッ‼︎ お前に意見する権利はないッ‼︎ 私の指示は最適解だッ‼︎ 今すぐに突撃を──」
「最適解ならば何故。──何故、あなたは涙を流しているのです」
マリアベルは言葉に詰まった。
「何故、その涙は止まらないのです。僕に怒りをぶつけながら、押さえつけようとしながらも、決して涙は止まらない。さらさらと、止めどなく出ている」
「う、うるさいッ! 黙れッ!」
肩で息をしていた。
「あの日も今日のような朝だった。朝日が東の空を染めていた。僕は……、あなたの涙の理由を聞いていない。だから、あなたについて来たんだ」
「今は関係ない。やめて! やめないと、本当に斬る……!」
そうは言いながらも、マリアベルは剣を振り上げない。ぎゅうと力強く
「何で退かないの? リアンは私に殺されてもいいの? 何とか言いなさい。ねぇ、言って……」
だからリアンは銃を下ろした。
「もうやめましょうよ。あなたは、どうして泣いているのですか?」
風が吹いて、2人の髪がふわりと舞った。マリアベルの涙で濡れた顔に青い髪が
「わからない。わからないの。涙に理由なんかない……。感情の
鼻を
「私の前に立ち
ロック卿はハッと顔をあげて、民の前に出た騎士の姿をもう1度見た。確かに、髪の色が海聖と似ているようだった。
「そうか、あれは貴殿の父上であったか……!」
遠く、どうどうと地響きが聞こえる。三の城から出撃した騎馬隊が徐々に近づいて来ているようだった。もう間もなく、彼らはローズバレーに現れるだろう。
時間がない事はこの場にいる全員が理解していた。だが今は静かな時が流れていて、誰も彼と彼女の間を侵略する事は出来なかった。
「リアン。胸を貸しなさい」
マリアベルは
「どうしてあなたは、私に殺されるかも知れなくとも、私の暴走を止めるの?」
「理由が必要ですか?」
「出来るなら」
「胸の中に納まったあなたの香りも、温もりも、息遣いも、全てが忘れ難いものだから。狂気に囚われてしまって、その全てが消え失せてしまうくらいなら、僕はあなたを殺してしまうつもりです。世界を敵に回したって良い」
マリアベルはリアンの腰に手を回し、ぎゅうと締め付けた。
「私ね、キャロルちゃんのことが大好き。助けたい。リアンのことも、クララのことも好き。公爵領のみんなのことも好き。本当は手駒として利用するだけだったはずなのに、
続ける。
「でも、どうしたらいい? あの民らとお父様を殺さずに、あなた達も護って、輝聖を助けたい。どうしたら、私のやりたい事が全て達成できるの?」
「もう1度、落ち着いて考えるんです。あなたになら、この窮地を脱するやり方が見つかるはず」
マリアベルは小さく首を横に振った。
「今、僕の胸の中で
ぎゅうと目を瞑った。そして、
そういう時は、どうしたら良いのだっけ。何度も焦りの瞬間は訪れてきて、その度に何かをして、私は変わり続けた。
ふと、
──私は、迷う
星座の物語に勇気を貰い、星々の
少女はゆっくりとマリアベルに顔を向ける。
──あなたは何者?
『あなたの願いでもあるし、私の願いでもある』
──それは、私の敵? それとも味方?
『あなたの敵も味方も、あなた自身の中に。願いは神の姿をしていて、時に
そして、少女はうっすらと笑みを
『愛しい子。そしてあなた達もまた、人の夢。だから、神にも
マリアベルが瞬きをした瞬間、その少女は
「リアン」
「はい」
風が吹いて、マリアベルは問う。
「──月は出ていますか?」
リアンは西の空を見上げた。
「僕から見て11時の方向、大白亜より少し左に逸れる形で白い三日月が残っています」
「雲は」
「ありません」
残月は大白亜の後ろ、遠くの山々の上で白く輝く。
「ならば、月の
聞いていた騎士達の何人かが呟く。
「月の、
パトリシアもまた眉根を寄せた。
「
マリアベルはリアンから離れ、西の空を見上げた。
「私の体を使用します」
それを聞き、パトリシアは
「生贄なんて、ダメ! マリアンヌは死ぬべきではないわっ!」
「大丈夫です。生贄と言っても必要なのは処女の
「問題は大有りよ! だって、臓器なんか失ったら……」
「本当に大丈夫。私の場合は、また元に戻ります。まあ、かなり痛いでしょうけど。心配してくれてありがとう」
マリアベルはにこりと笑んで、パトリシアの頭を撫でる。
「私の、場合は……? どういう意味なの、マリアンヌ……」
呆気に取られる彼女を離し、転がっていた聖ノックス市の石剣を手にした。その切先を原に沿わせ、足元に魔法陣を描き始める。
その時、東の方角に多数の騎馬が出現。街道から
ロック卿が声を上げる。
「敵が来たぞ。我らはどうするべきか、マリアンヌ」
「私を守ってください。リアンは私を手伝って」
マリアベルは魔法陣の中央に正座をした。
「月の附子とは一体、何ぞ。その術が
「ええ。──天の毒にて、
次いで、マリアベルはこう説明する。
月の
なお、附子とは
「成程、我らも毒に苦しむと申すか!」
リアンは短剣を取り出し、銀の水差しに入った
「腹を割くのだな」
「はい。
「暗唱できる者は十字を切って『
ロック卿が叫ぶ。
「聞いたな! 熱心に、ひたすらに、唱えよ! 守備準備ッ!
そして兵も騎士も十字を切って、祈りの言葉を唱え始めた。アルジャンナの壁になる民達は未だ聖歌を歌っている。2つの祈りが調和し、マリアベルの儀式に力を持たせる。
敵騎馬は先発隊の旗を掲げながら迫る。彼らは騙されていた事に怒り狂い、どうも死なば
陣の中央、マリアベルは十字を切って、深く息を吸い込む。
「行きます」
マリアベルは自らの腹に短剣を深く、ずぶりと刺した。
「──ッ!」
そして、ゆっくりと横に割く。
リアンは十字を切り、他兵と同じく祈りの言葉を唱えながら、聖女に聖水を撒いた。これは洗礼を
「銃! 放てッ!」
パトリシアの号令で銃兵が発砲。敵騎馬の幾人かを倒す事に成功するが、勢いを止めるには至らず。
一方、マリアベルは顔を歪ませながら自らの腹に手を突っ込み、
敵兵が迫る緊迫感からか、兵達の祈りの声が大きくなる。応じるようにして、マリアベルの描いた魔法陣が赤黒く光り始めた。
マリアベルは十字を切って
「我
2つの臓器が赤く燃える。炎の中、子供達の影が輪になって踊っている。精霊は時に子供の姿で人の前に現れると古くから言われる。何人かの兵や騎士が不安げな表情で空を見上げた。魔法を学び、霊感を強めた者の耳には鐘の音と子供達の笑い声が降って聞こえるが、これは正しい現象である。パトリシアはこの場にいる全員の影が子供の影に変わり、互いに手を繋ぎ、輪になって踊っているのを見て青褪めた。
敵騎馬隊、残り5秒で到達。盾を構える兵らが『備え』と力一杯叫ぶ中、マリアベルは顔の脂汗も、鼻から垂れる水も拭う事もなく、痛みで震える手で再び十字を切って詠唱を続けた。
「──
そして聖ノックス市の石剣を握り、2つの臓器を陽炎の刃で、丁寧に、静かに、1度ずつ触れる。
術の発動である。月が
敵騎馬隊、その馬達が地を蹴り損ねてバタバタと転げる。そして滑り込むようにして盾を持つ兵らに衝突、倒れた騎士達はみな立ち上がることも出来ずに脚を
「うっ……!」
パトリシアは片膝をつく。凄まじい耳鳴りがした。鼓膜が張る感じがあって、目の奥が強烈に痛い。顔も痛い。頬骨の当たりが特に痛む。唾を飲み込めばみしりと耳の奥が鳴った。視界が左へとふわりと回転している。他の兵も騎士も立っていられない。各々武器を落としてしゃがみ、もしくは倒れ込んだ。
原は静寂に包まれた。馬が地を叩く音も無く、人の声も歌も祈りも聞こえない。見渡す限りの赤、音のない世界。風は死に、空は腐る。まるで、終末の光景であった。
マリアベルは裂いた腹を圧迫するために
「リアン、急ぎましょう。大白亜に行き、簒奪者を討つ」
リアンもまた、口から涎を垂れ流しながら何とか立ち上がる。
「簒奪者も苦しんでいて動けないはず。月が出ている内が好機です。正教軍の坊主どもに雨乞いでもされたら終わる」
マリアベルはふらふらと大白亜に向けて歩み始める。リアンはそれを追いかけて肩を貸した。2人、味方を踏まぬよう気をつけて越えてゆく。
アルジャンナの手前に構えた守備隊も、盾に利用された民達も、みな一様に倒れている。
エドワードだけは立ち上がって剣を握ろうとしたが、やはり
「馬鹿な……」
朧げな意識の中で、ふとエドワードは気がついた。そして我が目を疑った。
マリアベルも父の困惑を察する。だが、説明をしている暇もないし、その余裕もなかった。ただ静かに、父と娘がすれ違う。
「ご立派でした。今しばらくの休息を」
そして、2人は倒れた民と守備隊を乗り越えてゆく。マリアベルはモラン卿が倒れていないかと探した。しかし、あの下劣な男の姿は見当たらない。既にこの場所にはいないらしい。
☆3巻上の予約が開始されました。
応援していただけると嬉しいです。
【挿絵表示】
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ
☆ 1巻はこちら
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ
☆2巻はこちら
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ