聖都は真っ赤な空を映していた。擦った
マリアベルはぐったりと重い頭を上げ、空を見た。月を
「早速か……。急がないと……」
大白亜へと続く坂を登る。リアンは苦しいながらもよくマリアベルを支えたし、マリアベルは腹の痛みに耐えながらもよく歩みを進めた。励まし合うこともなく淡々と足を前に出した。
進めば進むほど、苦しい気がしていた。それは『予感の毒』と言うべきか、月毒とはまた別の性質を持つ苦しさであり、
だからリアンは妙に会話をしておかなくてはいけない気分になり、重い口を開いた。
「この戦が終わったら、どうしますか?」
まるで別れが来るのを防ぐようにして、未来の話を選んだ。この先、何が起こるかは誰にも分からないのに。何も起きないかも知れないのに。
「どうするか、とは?」
「忘れがちですが、僕たちは
「
「楽しいこと?」
稲妻、空が光る。5秒程遅れて、砲声に似た雷鳴が聞こえた。
「例えば、陽の出ている内は川で魚釣り」
「釣り? 聖女様、釣りがお好きなのですか?」
「ええ。まあ、遊びですが」
「意外です。そうしたものに興味がある印象がなかったから」
「よく女官のエスメラルダと一緒に、城の裏手にあった泉で
「へぇ。それはどのような?」
「
「それで、釣れるのですか?」
「面白いように」
ぽつり、と雨が落ちてきた。風も少しばかり強く吹く。まだ月は見えている。
「夜になれば、明かりを灯して
「
「貴方は真面目ですね。みな、隠れてやっているものです。こう見えて私、
大山門を潜ったあたりで、大きな雨粒がぽつりぽつりと降ってくる。遠い西の空、赤い月には限りなく薄い雲がかかり始めている。
「そうだ……。あと、よく晴れた日に茶会を開きましょう」
「それは良いですね」
「お嬢様──いや、閣下との約束を違えているから、今度は私が招待をしなくちゃ」
「覚えていたんですか」
「私はそこまで人でなしではありません。菓子を作るから、貴方も手伝いなさい」
「聖女様の
「ついて来て貰わねば困ります」
「ならば僕の好物を作ってください。であれば最後までついていける気がする」
「好物?」
「バタースコッチです」
「そんなものが? 仮にも王族が、貧乏臭い。
「それを口に放って、砂糖も牛乳も入れない熱い紅茶を口に含み、溶かしながら飲むのです。これがどんなに幸せか」
「
「僕は百姓に育てられたんです。貧乏臭くて良いんです」
「ご苦労様です」
言って、マリアベルは少し笑う。
「……やれやれ。こんな会話、したことなかった。私たちは知っているようで、知らないことが沢山ある。ずっと一緒にいたのに、変だね。まるでお互いのことを知るのを避けていたみたい」
「どうしてでしょう?」
「さあ。知り過ぎて傷つくのが怖いから、とか?」
2人は立ち止まる。気づけば既に山の頂上。
マリアベルは、西の空を見た。まだ月は見えているが、雨も本降りになり始めたことだし、月毒の効力も長くは保たないだろう。
「リアン」
「はい」
「あなたは行きなさい。簒奪者を討つのです」
「聖女様は」
「……私たちは輝聖を巡る衛星。その運命には忠実でありたいと、今はそう、思っている」
一瞬、リアンは彼女が何を言いたいのかを考えたが、すぐにその意味を理解出来た。足元の大理石が空を映していて、何かがふらふらと飛来しているのが見えたから。
リアンは空を
「焔聖ニスモ・フランベルジュ」
竜から強烈な殺気を感じた。それは明らかにこちらへと向いていて、
「聖女様、その傷では」
「私は大丈夫。あなたも自分の
その時、強い風が吹いた。リアンは風の向かう先を見た。
広場正面に
耳に蘇る。王の声、──『次なる王は必ず殺せ』。
「分かりました。ご無理はなさらず」
リアンは
マリアベルは彼の背中を見つめ、十字を切った。もう2度と会えないかも知れないという
炎と土煙でリアンが目視出来なくなったくらいで、頭に杭を刺した四足竜が、自然落下に近い形で広場に墜落した。赤い竜、頭に短い角があり、爪は黒い。地に叩きつけられた衝撃で真っ赤な鱗がぱんと弾けて散った。
竜はしばらくのたうちまわり、長い尾が跳ねたり薙いだりで、さらに広場を破壊した。そして月毒が回っているからだろう、金切り声を上げながら口から血と炎の混じったものをごぼごぼと漏らした。周囲は凄まじい程に鉄の臭いがしていた。
竜の頭から焔聖が降り立つ。彼女も月の毒に蝕まれているのだろう、顔は青く、苦しそうに息をしている。
「まさか、輝聖より先に海聖に会うとは……。あの月はあなたの仕業ね……」
「ごきげんよう。そういえば面と向かって話す事はありませんでしたね。互いに思うことはあるでしょうから、これを機にゆっくりと話し合いますか?」
「その必要はない。私はあなたを殺しに来た」
「私を殺しに? 何故?」
「聖女は人間の敵だから」
マリアベルが意味を
「私たちの運命は、私たちの大切な人を巻き込み、やがて壊してしまう。私たちはいない方がいいのよ、海聖マリアベル・デミ」
マリアベルはふっと息を漏らす。何を言い出すのかと思えば、全くもって
「
「あなたには心当たりはない? もし自分がいなければ、この人たちは全く別の幸せな人生を送れたかもしれない。そうやって自分を責めた経験はないかしら?」
ニスモは背負っていた弓を手にする。それは彼女が通常用いる事のない一般的な小弓であった。左手に持つのは
マリアベルはそれを見て、目を見開く。魔弾が聖具と同化していることを理解した。
「……本気?」
「ええ。まさか、冗談を言っているのだと思ったの? あなたも鈍感なのね」
マリアベル瞳だけを動かして辺りを見回した。何か
迷いながら、腰に下げた聖ノックス市の石剣に手を添えた時だった。
「──マリアベル」
懐かしい声がした。
その方を見ると、女が立っていた。女は紺色の美しい髪を雨風に
「キャロルちゃん……」
ぼそりと呟いたそれは、激しい雷鳴によりか掻き消された。
ニスモはキャロルを睨む。一番憎い、そして殺したい、殺さなくてはならないと考えている女がやって来た。簡単にはやらせてくれないだろうが、敗北する気もさらさらない。クララの為に必ずここで殺す。その並々ならぬ覚悟が、赤い瞳を激しく燃やしていた。
破壊された広場。3人の聖女は互いに同じ距離、美しい三角形を作っている。雨はいつの間にか大雨に変わり、周囲は薄青く
月は雲に隠れてもう見えない。
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