聖暦1663年、秋。
交戦勢力は以下とされる。
まず、輝聖を
対するは、王座を
教皇領内ローズバレーでの戦闘で
マール伯爵領軍は大将をマール伯爵ノア・バトラーとし、輝聖と共に大白亜を目指した。順調に進軍を進めていたが正教軍の奇襲があって、山林に一時撤退。その後は地の利を活かした防衛戦を展開し、輝聖を逃して大白亜に入れることに成功した。この戦いを後に『
鶺鴒一揆の核となったピピン公爵領軍はローズバレーで勝利を収めた。かつて
輝聖は大白亜に入り、まずは前教皇クリストフ五世を救出したとされる。その後、大白亜から輝聖
リューデン公爵領軍は第一王子エリックに呼応し、ほぼ全軍を今回の戦に投入したが敗北、大将リューデン公爵ワイリー・ダーフも討ち取られた。被害は
また、輝聖方に捕えられた禁軍の将が第一王子エリックこそが王殺しであることを
禁軍は言うまでもなく大きな打撃を受けた。輝聖が大白亜に入り、第一王子エリックが消息を絶った事が分かると、各地で戦っていた兵が士気を失い敗走した。
──なお正教軍は
まず、教皇代理ヴィルヘルム・マーシャルは亡き王アルベルト二世の命により、南方にあるオヴェット子爵領にて
ヴィルヘルムは王が大白亜に座した事はもちろん、
焔聖が睨みを利かせていれば、エリックも王を刺すことは難しい。また焔聖が側にいれば、王は聖女が味方してくれていると思い、自信を持って大白亜に座すだろう。そして王も第一王子も、禁軍を連れて王都を空にする。ヴィルヘルムとしては、焔聖が大白亜に居てくれるだけで良かった。結果として焔聖が大白亜を離れたことにより王が暗殺されたが、ヴィルヘルムにとっては
王の死後、ヴィルヘルムは大白亜から離れた事を上手く利用して沈黙、事が荒れるのを待った。そして『海聖誅戮』が起きると、王城を占拠する動機ができたとし、オヴェット子爵領軍と協力の上、自身を見張る禁軍を
なお、ヴィルヘルムはピピン公爵領軍の動きからそこに海聖がいると勘づき、念の為に教皇旗と教皇の
その間、王都では元第五聖女隊の正教軍中佐アリス・ミルズが二師(5000人)の兵を率いて王城を
ローズバレー及び各領から敗走した禁軍は、王都を奪還するべく軍備を整えたが、諸侯からの協力も得られず、さらに内輪揉めまで発生して王都に攻撃を仕掛ける事が出来なかった。
正教軍は禁軍の中でも特に信仰が
最終的に禁軍は大きく衰退。満足に残るのは戦に参加しなかった
※※※
デュダの聖フォーク城、
倒れて8日と経つが、未だ意識は戻らない。マリアベルの
もう1つの寝台には第三王子リアンが寝ていた。
リアンは雨の中、
──ニスモが竜に乗って飛び立った後、マリアベルはピピン公爵領軍にクララを預け、キャロルとリアンを探した。周囲が止めるのも構わず、怪我を押して大白亜へと登った。必死だった。キャロルの姿は無かったが、庭園でリアンを見つけた。
見つけた時、全身が凍りつくようであった。
その後は必死に処置を施したが、クララ同様に意識が戻らない。息はしているが、肉体に魂が入っていないかのよう。
「大丈夫。きっとすぐに良くなるわ。2人とも頑張って。私がついてる」
パトリシアも寝ずに看病していた。領主の身であっても、自ら役目を買って、丁寧に体を拭いたり水を飲ませてやったりしている。絶えず香を炊いているのも彼女だった。戦場の悪霊が現れて、彼ら2人を連れて行かないように、常に気を張っている。
マリアベルは静かな瞳で、クララとリアンを交互に見る。そして蘇るのは、焔聖ニスモ・フランベルジュの声。
『聖女の運命は多くの人を巻き込んで不幸にしていく』
確かにそうなのかも知れない、と思った。
『私たち聖女がいるから無関係な人間が死んでいく』
もし本当に、自分のせいで2人が冷たくなってしまったら、どうすれば良いのだろう。どう
──この子がクララやリアンのように傷ついたら。
マリアベルは暗い顔で
「どこに行くの……?」
パトリシアはマリアベルの背中に、何か重い決意のようなものを感じて、焦った。──まさか、ここからいなくなるつもりじゃないのか。
「ダメよ、マリアンヌ……」
マリアベルは黙って扉に手をかける。
「マリアンヌ、行かないでっ!」
彼女の悲痛な叫びを無視する事が出来ず、マリアベルは振り向いた。
「いいえ。私の本当の名前はマリアベルです」
「マリアベル……?」
「そう。海聖マリアベル。水の聖女です」
パトリシアは目を見開く。それと同時に、今まで彼女に感じてきた
「私はあなたたちを利用していたんです」
冷たい目で続ける。
「輝聖を助けるために挙兵を
パトリシアは
「使えなくなれば切り捨てるつもりでした。あなた達の事など、どうでも良いとさえ考えていた。でも、もう終わりです。既に輝聖は大白亜に入り、目的は達成された」
パトリシアはぎゅうと拳を握った。涙が出そうになるのを抑えているのか、ふう、と長い息をつく。
「で、でも。私はマリアンヌを尊敬しているわ。それに、ローズバレーでは私たちの事が好きだって──」
「やめて」
マリアベルは強く言う。パトリシアを拒絶する為に。
「──聖女は不幸を
不思議だった。
「私の運命は、あなたを巻き込んでしまう」
驚くほどにスラスラと、受け入れたくない言葉が出て来た。こんな事、言いたいわけでもないのに。何でだろう。どうしてだろう。
「2度と私に近寄らないでください。もう、私にとってあなた方に価値はないのです」
そう言ってマリアベルは扉を開けて部屋を出た。パトリシアは肩を震わせて、すんすんと
扉を閉めて、それに寄りかかる。そして窓から漏れる陽光を浴びながら、廊下の天井を見上げた。
──これで良いんだ。
私がいなければ、リアンもクララも傷つかない。パトリシアだって。
思えば確かに、私の周りは不幸で溢れている。愛する父は利用されるだけ利用され、領民は魔物に喰われ、女官のエスメラルダは今どこにいるのかさえ分からない。もしかしたら、死んだかも知れない。
クララを助けることが焔聖の救いになる。だから、精一杯やった。これ以上、出来ることもないくらいに。でも、目覚めない。私は、きっと焔聖の救いにはなれない。諦めたわけではないけど、だって、これ以上はどうしようもないのだ。
ああ。あの時はただ気が付いていなかっただけで、焔聖の言っている事は真っ当だったのかも知れない。聖女は不幸を齎すのだ。
そして、皮肉なものだ。聖女である事を隠していたのは、
煙を吐き出して、廊下の先から近寄ってきた男に目をやる。ロック卿だった。
「閣下を泣かせたのか」
ちらり、と扉に目をやる。そこから、小さく
「調べがついたぞ海聖。
マリアベルは鼻からため息を漏らす。1つ、不安が減った。
「それから、焔聖は行方知れず」
「第一王子は見つかりましたか?」
「うむ。何となくの足取りは掴めた。王室領・聖セドナに向かったのではないか、との事だ」
王室領・聖セドナとは、暗殺された王族ロブが統治していた領地である。大白亜の西に存在した。
「エリックに味方は?」
「おらぬだろう。彼の臣下の殆どが
マリアベルは扉から背を離す。
「行くのか、海聖マリアベル」
「だって、輝聖もエリックを探し始めているんでしょう? 急がないと」
「急がんでも良いのではないか。我が領もエリックを探している。聖セドナにいる事が掴めているから、もう少しすれば何か確実な情報も手に入ろう」
「いいえ。急ぐ必要があります」
マリアベルはロック卿をじっと見る。瞳の中の青い海は決意の色に凪いでいた。
「輝聖に殺させてはいけない。あの子、悪人には厳しくて怖いけど、実は人殺しとか嫌いなんですよ。出来るだけ殺さないように、いつも気をつけてる。でも
言って、手に持っている剣を見る。
「私が神から授かったのは聖ノックス市の石剣。この世に存在する全ての剣の中で、最も優れています。私はね、輝聖の剣なんです。輝聖の代わりに血を浴びる、そういう宿命らしいのです」
「……これ以上は言うまい。兵は連れて行かぬのか? 馬は?」
「いりません」
「領内の何処にいるかも分からぬのだぞ?」
「そのくらい自分の足で探します。それに聖セドナには聖地がある。少しくらいは聖女らしく
ロック卿は髭を
「興味本位で聞くが、輝聖とはどんな関係なのだ?」
「さあ。どうでしょう。結論を出すのが怖い」
意味深な事を言ったのに後悔して、マリアベルは毛先を
「その輝聖は、
「心配しなくても必ず布告しますよ、あの子なら」
「輝聖の心がわかるのだな」
「赤の他人よりは」
マリアベルはそう言って、ロック卿に背を向けて歩き出した。が、6歩ほど歩いて立ち止まり、少しばかり体を返して問う。青い瞳には、大粒の涙が溜まっていた。
「年長者の坊主として聞きます」
「どうした、突然。しおらしい顔をして」
「──いつか私は、理想の聖女になれるのですか?」
ロック卿は少しの間を置いて、口を開いた。
「海聖の思う理想の聖女とは?」
マリアベルは即答する。
「優しくて強い人」
「ならば、なれる」
「いつか、そんな日が来るのでしょうか」
「必ず来る」
「そうですか」
マリアベルは淡白に言って目線を落とすと、思い出したようにハッと顔を上げて、手に持っている
「ああ、そうだ。これ、本当に気に入っています。ありがとう」
「もう戻らぬつもりか?」
「ええ」
そして、再び背を向けて去ってゆく。ロック卿の目にも、その背中に重い覚悟が宿っているのを感じた。
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