「マリアベル・デミめ。殺したと思ったのに生きているとは、まるで
モラン卿は再び魔弾を
「いつから、そこにいた……?」
エリックの
「何ぃ? 誰に向かって口を
モラン卿はマリアベルの腹を全力で蹴り上げて、続ける。
「聖女などという迷信に乗じて、高貴なる私と婚約を無理矢理に取り付けた、下品で
再び腹を蹴り上げられ、マリアベルは
「父も父なら子も子なのだッ! 我が子爵領を救う事もせず、のうのうと生きている
顔を踏まれながらも、
「貴様、何故ピピン公爵領軍を率いたッ! 私の成功を
「せ、成功?」
「
エリックはリューデン公爵に挙兵させたモラン卿を高く評価していた。
「そんなに私の成功が
マリアベルはモラン卿の涙声を聞き、少し笑ってしまった。
ああ、この男は何一つとして変わっていない。自分可愛さにサウスダナンを滅ぼした
下品な考えでエリックの味方をし、媚び
「何を笑っているッ!」
モラン卿は再びマリアベルを蹴る。マリアベルは口からぼろぼろと真っ黒い血を吐き出した。
これを見て、エリックはついに剣を下ろした。これで戦いは終わりだという
「モラン卿。いつも助かる。お前だけが俺の味方だ」
エリックは続ける。
「海聖マリアベル。言ったはずだ。俺は諦めていない。必ず俺の
マリアベルは深く、ゆっくりと息をしている。エリックに言いたいことは山ほどあるが、口が開かない。その静かに上下するマリアベルの体を見て、エリックは笑い出した。
「ははは。これでもまだ死なぬのか。驚きだな」
額に手を当て、ゆっくりと
「この傷は人であれば死ぬ。だがお前は死なない。やはり聖女という生物は世の
そして怒りに満ちた顔つきになり、爆発したかのように叫んだ。
「貴様ら聖女という存在は、本当に、本っ当に、気持ちが悪いッ‼︎ 不愉快だッ‼︎ 吐き気を
マリアベルはその
「何が聖女だッ! 何が輝聖だッ! 何故、あんなものを有り
声が、ぐわんぐわんと反響して聞こえてきた。聴力がおかしくなり始めているらしい。まだ目は見えているが、すぐに目の前が暗くなるだろう。まだ多少力が入る今のうちにモラン卿を押し退けるべきだと思ったが、もう手遅れか、踏みつけられる足すら退かすことも出来ない。
ならば回復魔法は使えるか。いや、出来る気がしない。詠唱もとても出来ない。魔弾のせいか、喉が
このまま
「
話が上手く入ってこない。考えも
──このままじゃ、本当に不味い。
脳を働かせようと、必死に呼吸する。いや、そうしているつもりなだけで、息は浅い。
──もう、寝てしまう。
そう思った時だった。
「ああ、焔聖も気持ち悪いな。あの女はなんの
マリアベルの指が、ぴくりと動く。
「だからアイツの存在を完全に否定してやったよ。胸のすく思いだった。せいせいしたよ。あの汚い人間が真っ当になるなど許されるわけがないのに。何が『変わろうと思った』だ、気持ち悪い……ッ!」
徐々に息が深くなっていく。どくん、どくんと
焔聖は変わろうと
「そうだ、聖女の中で一番
出なかったはずの声が出る。ひどく震えた声であった。
「輝聖に、会ったのですか」
「そうとも。あの女は俺とモラン卿の前に立ちはだかった。それで、何と言ったと思う」
続ける。
「『逃げるな』『罪を
マリアベルの瞳が震える。
「だから俺は、手を取るふりをして斬ってやったよ。この剣でな。なあ、そしたらどうしたと思う?」
モラン卿は銃口をマリアベルの頭部に押し付けた。そして、にやにやと笑いながら、引き金に指をかける。
「──あの女、涙を流しやがった! 花だらけの魔物がッ! 人の真似をしたんだっ! 気持ち悪くてしようがないッ!」
マリアベルの脳裏にキャロルが涙を流す姿が過ぎる。そして、寄り添おうとして拒絶された悲しみが、心に
海聖の体を中心に青い光柱が生まれて、天を貫いた。それは稲妻を纏って、悲鳴のような金属音を上げた。
「……⁉︎」
激しい光と肌を焼くような熱、それから体を引き裂かれるくらいの強い衝撃に、エリックは身を低くして、目を細めた。
強烈な青い光が徐々に収まっていく。
光の中央に立っていたのは海聖マリアベルであった。不思議なことに、
モラン卿は瞬時に両腕を切断されて倒れ込んだらしい。びちびちと打ち上げられた魚のように跳ねて、声も出せない。
「なっ……」
エリックは再び剣を構えた。死にかけていた海聖が、復活したとでも言うのか。何の魔法だろう。分からない、分からないが、目の前の女から発せられる強烈な圧が、肌をびりびりと刺激している。全細胞が逃げろと指令を出して、足が震える。
「なんだ、その姿は。何のつもりだ……」
海を宿したマリアベルの青い瞳は、どこまでも
マリアベルの心に巣食っていた
愛する友人達を『気持ち悪い』の一言で否定し、激しく
魑魅魍魎が絶対にこの男を許すなと言う。マリアベルの魂も絶対にこの男を許さないと言っていた。それが全てだった。
「何のつもりだと聞いている、
マリアベルが再び
石剣を振るう。1撃、2撃、剣と剣がぶつかる。
「くっ……!」
エリックはマリアベルの力に圧倒される。3発目、4発目、5発目はなんとか凌ぐ。しかし、
だが、マリアベルは素早く間合いを詰めて、6発目、7発目を与える。エリックは攻勢に出れない。8発目、9発目は
「……なっ!」
ついに石剣はエリックの肩を裂いた。
「何なんだ、お前は! 何をしたっ! 何をしたッ!」
エリックは走って逃げ、
「学園からの報告では、お前には剣技の才覚がない! そうではないのか……ッ⁉︎」
海聖は剣術には長けない。それは自らも認めることであったし、他の聖女の共通認識でもある。だが今のマリアベルは違う。
学園で叩き込まれた剣の基礎、応用。盗もうと思ったキャロルの動き。その中で理解できなかった部分、実力が足りなくて飲み込めなかった部分が一気に体の底から
マリアベルは常々疑問に思っていた。神は何故、剣を己に与えたのか。答えは単純明快。神だけは見抜いていた。──海聖マリアベル・デミになら、聖ノックス市の石剣を使いこなす事が出来るのだと。
「何故、何故斬れんッ! 何故、剣が届かん……ッ!」
エリックは地を蹴り、
「何故反応できる……ッ!」
父である王に認められたくて鍛えた剣技、その全てを
「聖女如きがああああッ!」
エリックは高く跳び、宙で回転して、マリアベルの顔面に蹴りを入れる。ついに攻撃が当たった。勢いに任せて追撃、顔面に拳を振るう。しかしマリアベルは左手で払い、足をかけてエリックを倒した。
エリックは倒れた後、即座に後方転回を4度行い、マリアベルと距離を取る。が、知らぬ間に、首からしゅうと血が出ていた。斬られたのだろう。いつ、どの瞬間かは分からない。が、とにかく血が噴き出ている。
それに気を取られていると、既にマリアベルは目の前にいて、剣を振り上げていた。
「──ッ!」
「キャロルちゃんより遅い。あの子は休まない」
エリックはマリアベルに背を向けて、逃げながら応戦した。攻撃を
その時。マリアベルに鋭い閃きがあって、剣で空を斬った。すると剣圧が光となって、エリックの体を切り裂いた。胸から花が咲くようにして血が
「剣が、伸びるのか……ッ⁉︎」
実際に伸びているわけではない。真の剣士に握られた石剣は、奇妙にも光の筋を飛ばして離れた敵をも切り裂く。魔法ではなく、理外の力であった。
マリアベルはその場で剣を振るう。何度も振るう。光の筋が放たれる。
それは質量があって剣で払うことが出来るようで、エリックは光を弾き続けるが、直接剣で打ち合っているかのように重かった。手が痺れる。このまま弾いていても、いずれは斬られる。もはや逃げる事は
「うおおあああッ!」
弾かれたように迫り、身を低くして、切り上げる。それはマリアベルの前髪をはらりと切った。
マリアベルは伸び切った腕を一閃。それで、エリックの右腕と剣が飛んだ。
腕を失ってもエリックは勝負を諦めなかった。残った左手で、マリアベルの顔を掴む。だが、瞬時に左腕の
そしてマリアベルは姿勢を低くし、その場で回転するようにしてエリックの
エリックは倒れる。足がないから立ち上がることは出来ない。はあはあと息をして、必死に肺を動かすだけだった。マリアベルも極力息を止めていたのだろう、ふうと深く息を吐いてから、はあはあと苦しげに酸素を体に取り込む。
エリックは目に涙を滲ませ、叫ぶ。
「ふざけるなッ! ふざけるなああああッ‼︎」
悲鳴に似ていた。
「何故、俺ばかりがこんな目に
マリアベルは
「聖女が全てを俺から奪っていく! リアンが全てを俺から奪っていく! 俺は王の子だ! 第一王子だ! 普通は俺が王になるはずなんだ! 違うか⁉︎ そうだろ、答えろマリアベル・デミッ!」
「アルベルト二世はリアンを王にしようとしていたっ!
民は
「聖セドナだってそうだっ! ロブは正教会に金を注ぎ込むから、この街は荒れていたっ!
秋風が吹いて、葉を降らせている。
「ロブが正教軍に暗殺されそうになった時だって、俺が助けてやったッ! なのにあの男は俺を裏切り、輝聖に
エリックを中心に、血が広がっていく。
「信じられるか⁉︎ 王は輝聖のために大白亜に入ったんだぞ⁉︎ 正教軍と
マリアベルはついに口を開く。
「あなたがどんな人生を歩んで、どんな思いを抱いて生きてきたか、それを事細かに察する想像力を、私は持ち合わせていない。……でも、身に覚えのある痛みではある」
エリックは青白い顔で、マリアベルを見た。
「なあ、助けてくれよ。俺はどうするべきだったんだ? 知ってるんだろ? 聖女なんだもんな。まさか、俺は間違えたのか? 俺は、悪だったのか? 違うだろう? だって俺は、正義の為に戦ったんだ。苦しみながら、救いの為に戦ったんだ」
「人って、願いを叶えようと努力して、理想に近づく程に、別の誰かにとっての悪になってしまう。だから何であろうと、私たちは本質的に誰かにとっての悪でしかない。あなたの目に、輝聖と聖女が悪として映ったように」
マリアベルは続ける。
「私にとってあなたは、命を賭して倒さなくてはならない悪だった。そして私は勝ち、私達の正義は証明された。辛いけど、これが全て」
「聖女の言葉は、それだけか? 俺を救ってはくれないのか……?」
「もう少し早く出会えていれば、あなたを理解してあげることが出来たかもしれない。それを心から悔います」
マリアベルは十字を切る。
「寒い、寒いよ。なあ、神は俺を助けてはくれないんだ。だから、誰かに助けてもらいたいだけだったんだ」
地に落ちていた
「助けて……。寒いんだ……。誰か、毛布をくれないか……」
エリックが救ったはずの民らは動けないでいる。彼らにとっては浮浪者が斬られたに過ぎず、助けてやりたくても、どうしたら良いのかわからない。何人かは回復魔法を使える者がいないか呼びかけたが、誰も何も口を開かなかった。
その数秒後だろうか。秋の陽光の下、すうと息を吐いて、エリックはぴくりとも動かなくなった。
□□
マリアベルは石剣を杖にして歩き続けた。怪我はそのままだった。意識が
聖女であるから体が自動的に修復されるかと思ったが、そうでも無い。魔弾は体を貫いて体内には無いはずだが、効果が体に残っているのか、聖セドナでの覚醒が負担になったのか。理由は何にせよ、とにかく苦しかった。
頭の中は
エリックは手負いのキャロルを斬ったと言っていた。無事だろうか。ピピン公爵領軍の調べでは、輝聖は生きて大白亜にいるらしい。確かに生きてはいるんだろうが、それでも今も私と同じように、怪我に苦しんでいるかもしれない。心配だ。どうしたら良いのだろう。どうしたらキャロルを救えるのだろう。
いや、キャロルだけじゃない。ニスモ・フランベルジュも救ってやりたい。クララも、リアンも、父も。救いたい人が山ほどいる。
なのに、聖女は不幸を
公爵領軍に挙兵を
クララも私に出会わなければ、ただの少女でいられた。だけれど私に出会ったから地下墓地で怪我をし、大白亜で私を
──私なんて、いなければ。
だめだ、体が弱っていると、心までとことん弱る。焔聖に偉そうなことを言った手前、しっかりしないと。
そう思い、夜空を見上げる。天に
リュカは
原を歩いた。荒野を歩いた。森を歩き、沼を歩いた。何処に向かっているかは自分でも分からない。朝も昴宿は輝き、雲が覆っても昴宿は輝いていた。奇妙であったが、あまりその事について考察する余裕はなかった。
どれだけ歩いたのだろう。気づくと、丘の
よく見れば、赤星の群れは揺らめいている。左右に動くものもあるようだ。これは、星ではない気がする。だとしたら、何だろう。
「……
そうだ。松明の炎だ。よく見れば兵達が、松明を片手に丘の上に並んでいる。
「ここはどこ?」
星空の下、辺りを見渡す。正面は丘。左手は原。そして右手は、海。違う。これは湖か。
「まさか、デュダ……」
丘から幾つかの赤い光が降りてくる。松明を持って、こちらへと向かってくる。
目を細めて、誰なのかを確かめる。見えたのは
彼女達に遅れて、
「クララ、リアン。目が覚めて……」
「どうして、私がここに辿り着くと分かったの……?」
天を見る。
「そんな馬鹿な」
見渡して、気がつく。昴宿は背後にあった。
「じゃあ私が道標にして来た昴宿は何……?」
気がついて、苦笑する。
「そうか、神か。偉そうにしゃしゃり出て」
それで、パトリシア達がマリアベルの接近に気がついた理由も
気配がして、隣に目を向ける。多指の少女がこちらを見て薄く笑っていた。
丘から、パトリシアの甲高い声が聞こえた。遠くて分かりづらいが、その顔は涙で濡れているように見えた。
「あなた、卑怯よマリアンヌッ! 本当に、本当に、卑怯者よッ! 勝手に1人で背負って、勝手に1人で苦しんでッ! 言いたいことも言わせてくれないまま、出て行ってしまうなんてッ!」
ふふっ、とマリアベルは笑う。観念したかのような笑いだった。心では白旗を上げている。そして煙管に口をつけ、煙を吐き出した。
「不幸や悲しみを
真っ直ぐな言葉で否定されて、涙が
星空がぼやけていくのを認めると、なんだか溢れる涙を抑えることが出来なくて、それがぽろぽろと頬を伝った。
そして膝を折って座り込み、あの朝焼けの日のように、わあわあと声をあげて泣いた。
南から穏やかな夜風が吹いて、
□□
輝聖リトル・キャロルは、今でも友人だという旨が書かれた差出人不明の文を受け取り、
□□ 孔雀は飛んだ 了 □□
☆3巻上の予約が開始されました。
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