エリカ・フォルダンは大白亜を下山した。山を下るには巨大な銀の門、通称『
──エリカの下山をクリストフ五世が知らないわけがない。
キャロルは横殴りの雨の中、法衣の
キャロルが通った後は
「お、落ち着きくださりませ!」
異様な様子に焦って、兵がキャロルの腕を掴んだ。しかし
キャロルは大聖堂への階段を上り、巨大な扉を勢い良く蹴り破る。美しい
大祭壇に向かって
「もう少しのそっと入らんか、キャロル」
「エリカをどこにやった」
クリストフ五世は鼻でため息を吐いて、
「やれやれ、気づいたな? さては神になんぞ吹き込まれよったか、
聖堂に神官や
クリストフ五世にも魔力が満ち満ちて、それは
誰もが思った。──マズい。2人が衝突する。
「エリカをどこにやったと聞いている」
「自分でとことこと下山したわ」
「嘘を
クリストフ五世は小馬鹿にするように笑む。
「おーっ! おーおーおー! 何も
「喋るな
「
「尻の痛い玉座はもう
「どうやって天変地異を治める! 歌って踊うて山の怒りを
ずぶ濡れのジャック・ターナーが聖堂に入ってくる。神の姿を見て砕けた腰を支えながら、よろよろ駆けて来た。キャロルが巫女にクリストフ五世の居場所を聞き、並々ならぬ様子で
「さっきから口だけ達者だな、爺さん。美味しい
神官や巫女たちは『げっ』と顔を引き
「黙ってりゃあ付け上がりやがって。お前、ワシに勝てると思うておるな?」
キャロルは鼻で笑って
周囲の者達は全員『げげっ』とさらに顔を引き攣らせた。煽り過ぎである!
「
クリストフ五世も薄い笑みを浮かべてはいるものの、額には青筋が張っていて、明らかな怒りの色が
懐から水筒を取り出し、一口酒を飲む。そして舌打ちをして、
2人同時に十字を切る。魔力がさらに増加。聖堂内に
神官も巫女も、老いも若いも全ての者が、まだ倒れていない燭台や聖像に走り寄って、体で押さえた。もうこれ以上、装飾物を傷つけてはいけない。必死だった。
震える瞳でジャックが叫ぶ。
「ここには貴重な聖具が山ほどある! 喧嘩なら外で──」
しかしキャロルは右手を振るってそれらを弾いた。光弾の殆どは上に弾かれ
神官たちはあんぐりと口を開けた。言葉が出ない。600年前に描かれた『神リュカの
「無傷か。化け物め」
クリストフ五世は勢いよく床を蹴って、キャロルに迫る。とても老人とは思えない動き。
そして拳と蹴りを繰り出す。怒涛の攻撃。正拳突き、下突き、
だがキャロルは1歩も動くことなく、柔らかい
「卑怯者がッ!」
クリストフ五世はお返しにと言わんばかりに、腰に隠していた
額に向けてパンと弾が放たれたが、キャロルは首を傾けて避けた。そして弾は伸びやかに空を切り、聖堂入口にあった聖母カレーディア像、通称『
次いでクリストフ五世はキャロルの顔面目掛け、全身全霊で拳を叩きつける。同時、キャロルも拳を繰り出し、拳と拳が正面からぶつかった。衝撃波が広がる。それで天井から吊るされていた見事な
「生意気じゃ糞アマがッ! このワシに感謝せえッ!」
「何が」
2人の拳、メリメリと音が鳴る。
「
「そうなんだな、ありがとう」
しかし魔力を孕んだキャロルの拳の方が、固く、鋭い。クリストフ五世の中指を折り、人差し指を折り、拳を破壊して行く。
「ワシがおらねば、今頃お前は晒し首だッ!」
「体が軽くなって良さそうだ」
「軽口をやめんかッ!」
堪まらずクリストフ五世は拳を引っ込めて、左手でキャロルの腕を掴む。そしてへし折ろうと力を入れる。
「じゃあ私からも言わせて貰う。大白亜に入った途端、急に保護者ぶって気持ち悪いんだよッ! 私の行動を縛るなッ!」
「何ぃ!?」
「第五聖女隊を解散させて以降、一度も顔も見せなかった癖にッ!」
キャロルは鋭く息を吐いて、大きく腕を
巨体が長椅子を薙いで、
クリストフ五世は体を起こしてキャロルを睨みつけた。
「ど阿呆ッ! ディアボロなんぞに行くからじゃあッ!」
2年前。キャロルは第五聖女隊を率いて、第二王子アンドルーの外遊先であるファーレンロイズ侯爵領ベクレルに向かった。近辺で突如
その討伐任務の最中、
「お前が問題行動を起こす度にワシの立場は揺らぐッ! なんってワシは可哀想なんじゃあッ! ヴィルヘルムが
「まるで私のせいで正教会が乗っ取られたみたいな言い方じゃないか!」
「お前のせいだろうがッ! ワシが選んだお前じゃ! お前の評価はワシの評価じゃろがいッ!」
「実力不足を人のせいにするな!」
「何だとこのガキゃあッ!」
クリストフ五世は掌に
爆風と衝撃でさらに天井ががらがらと崩れ落ちる。爆発は美しい石の床をも砕いた。
クリストフ五世は黒煙に
「分かってるだろう。お前は私には勝てない!」
「じゃかあしい! 大人しく玉座に座せい、キャロルッ‼︎」
──その時、背後からキャロルに寄る影があった。
「もう! もう、やめなさいっ!」
長老の1人、ジェフリー・ブライである。2人があまりに聖堂を破壊するので、老体に
「──!」
キャロルは
「あ! あ〜〜っ‼︎ お前、老人を突き飛ばしたな! いけないんだぞっ! 年寄りには優しくしなくちゃっ!」
言って、ジェフリーを指差す。
「見ろ、痛がってるッ‼︎」
ジェフリーは尻をさすって
「──隙ありッ‼︎」
クリストフ五世はキャロルの首根っこを掴み、勢いをつけて投げた。
「よっしゃああああああああああああああッ!!」
クリストフ五世は
砂埃で
ある程度砂埃が晴れて、崩れた大祭壇の上でキャロルが仰向けに寝ているのが
「何じゃ、戦意喪失か? ワシの勝ちだな。輝聖敗れたり」
「馬鹿言え。冷静になっただけだ。こんなどつき合いを続けてても何の意味もない」
キャロルは続ける。
「だから、もういい。もういいから、状況を。山の下の状況を、包み隠さず教えてくれ」
そして破れた
「私は嫌なんだ。何も出来ない自分に我慢できない。
ふう、と
「私が輝聖として立つ限りは、誰にも苦しい思いをさせたくない」
キャロルの見つめる先、崩れた天井画。小さな
「瘴気に囲まれたこの世界で、1人1人が懸命に生きているんだ。大切な友達がいて、親がいて、愛している人がいて、子供がいて……。天変地異が起きた今、そうした人たちが大勢死ぬかも知れない。残される人が大勢悲しむかも知れない。嫌だろう、そんなのは、誰だって。消えていく方も、残される方も嫌だよ」
聖堂にいる誰もがキャロルの言葉を聞いていた。
「私は光の聖女なんだ。必ず、何が何でも、世界を救わなきゃいけない。失敗は絶対に許されないし、勝負は1度きりだ。原典に書いてあるからって、必ずできるとは限らないと思ってるよ。でも、私はそれをやるしかないし、やりたいとも思っている」
キャロルは体を起こして、クリストフ五世をじろりと見た。
「できる全力をしたい。後悔はしたくない。だから、手伝え」
そして、太く、強く言う。
「クリストフ五世、いや、ジェイデン・ターナー。──原典の輝聖として
「な、何ぃ?」
「お前は大白亜派等の組織を
クリストフ五世は目をまん丸にした。
「なっ! なんったる勝手な物言い……!」
「私は光の聖女だ。私を信じろ。必ず救世を成す」
キャロルは白い体をそのままに、立ち上がる。体についた石の粉が、堂内の僅かな光をキラキラと跳ね返していた。見る者には、彼女の体が光を放っているようにも感じた。
「思うに、輝聖は玉座に座すことが役割ではない。全ての人間の上に
「だからこそ、この山の
「みんなが下を向いてたら輝きを感じてもらえないよ。前を向いて、そして、天を見上げてもらわなくちゃ。その為にはね、下を向いて苦しさに
「お前がそれをやるというのか」
「うん。やる。今、人類に必要なのは触れられる希望だと思う」
少しの沈黙があって、ぱらぱらと拍手が起きた。巫女や神官の多数が、小さく手を叩いていた。彼ら彼女らの中には、光の聖女を大白亜に縛り付けることに疑問を感じていた者も存在した。
アンもまた拍手をしていた。隣で巫女長が驚いているが、真っ直ぐな目をして手を叩いている。彼女には輝聖の選択の良し悪しは良くわからない。強い霊感があると言うだけで親に売られてしまったから、
「ええい、拍手などやめんか……! 下らん理想だ!」
クリストフ五世は振り返って言うが、手を叩く者達はやめる気配がない。
この状況には、ジャックもジェフリーも、目をぱちくりとさせるばかりだった。2人ともまさか下山することが最良の選択とは思っていなかったので、支持する者が存外多いことに驚いていた。それと同時に、確かに今必要なのは『触れられる希望』なのかも知れないと、新たな気づきを得ていた。
キャロルは煙草を
「これは輝聖の選択だ。お前に拒否する権限があるとは思えないが?」
「言うたな、キャロル……」
「大人しく輝聖の聖務を手伝え。そして私は、エリカに会いにいく」
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