暗い昼。南からの風が吹く日は決まって空が黒く塗りつぶされる。西ハドリー山の吐き出す灰が、天と
マーシア公爵領北部を流れるライブル川は
わあわあと蝿が飛び交う中、死体の真っ黒な足の裏に針を刺していく者がいた。──随分と奇妙な格好をしている。黒い
針を刺すのは、確実に死んだかどうかを確認するため。ここに寝かされているのは
最後の1人に針を刺した時、びくりと体が動いて、それが
「光の鳥。光の鳥が……」
「巨大な鳥が来て、世界を破壊してしまう……。光る、鳥が……」
針を抜いて言う。
「そんな鳥はいない。何かと見間違えたのよ。しっかりしなさい。今すぐ助けるから」
仮面の下、女の声だった。
「薬を。もうこれ以上苦しまないように、
傍の者が首を横に振った。もう
「もっと私に金と知識があれば。多くの人を救うことも、苦しませずに殺すことも出来るのに」
言って、十字を切り、祈る。南からの風が僅かに吹いて、
女は葦の声を聞きながら考えている。今日にでも丘の上の墓地を荒らして、硬貨を集めようか。いや、出てくる硬貨など、
「
群生した葦の中から、大男が現れた。余程急いで来たのだろう、肩を上下に動かし、鳥の仮面の下でふうふうと息を荒らげている。
「組合長、大変だ!」
女は振り向く。
「
「治った? どういうこと? 薬もないのに?」
「作ったんだよっ!」
組合長と呼ばれた女は仮面の下で顔を
「誰が」
「それがよく分からない。
□□
マーシア公爵領北東に位置するハルフォードという街は、ライブル川の
街の
ちらちらと黒い灰が降る中、鳥の仮面の一団が死の街を急ぎ行く。組合長は
「誰なの、その女っていうのは。何を目的に、どこから来たわけ? まさか勝手に治療して金を
組合長の弟でもある大男が答える。
「いやぁ、誰だか聞くのを忘れてしまった。テキパキと治療するから、ぼーっと見てしまって」
気が優しく力持ちであるが、あまり
「役立たずっ!」
組合長は
薄汚れた一室、
部屋の奥、暖炉の前に
男たちの中心にいたのは1人の女だった。
男達が注目しているのは、女が持つ鳥の仮面。そして彼女の足元には植物素材が広げられていて、何かを
「確かに
女は十字を切り、
「雑にしないで、層を作るように丁寧に詰めるのがコツだ」
その上から
「どうだ?」
「普段よりもスカッとするようだっ! 空気が澄み渡っていて、美味しい! 病魔なんかへっちゃらだぞっ!」
男達からおおと
「本当だったら
「ちょっと待ちなさい」
話を
「あなた、誰の許可があってそんなことをしてるの。余計なおせっかいをしないで!」
「それは申し訳ない。出過ぎた
組合長は仮面を取った。不機嫌な
「あなたどこから来たの? 冒険者?
「金なんていらないよ。ただ通りかかった時に目について、口を出してしまった。気分を害したなら謝る」
女があっさりと詫びを入れるので、組合長は
(なんだこの女。
じっと顔を見る。表情の読みにくい
(まさか、みんなが病で倒れているのを良いことに、街を漁って金品を盗む気か? だとしたら少し驚かせてやろうか)
組合長は咳払いをして、ぶっきらぼうに言う。
「私はこの街の冒険者
青い桟橋会はハルフォードを中心に活動する冒険者組合であり、正式名称を『王国南部地域冒険者組合 マーシア第8支部』と言う。彼らは自主的に病人たちの治療を行っていた。
「あなた、名前は」
「リトル・キャロル」
聞いて、ジジは顎に手をやる。どこかで聞いたことがある名だった。
キャロルと名乗った女は寝台の子供に目をやって言う。
「この子達はまだ症状が出たばかりだったから、
飲めば
ふと、閃く。
(──思い出した)
そうだ。
1節程前から冒険者組合で『
細かい依頼内容は思い出せないけれど『庶民を
(この女を金にすれば、良い薬が買える)
ジジは心に決めた。──隙を見つけてキャロルを捕えよう。
キャロルが他の冒険者の自己紹介を聞いている内に、
「今すぐ正教軍に文を出して」
「どうして?」
「この女は悪人よ。懸賞金が出ている」
「そうなのか? 俺にはそんな風には見えないが……」
「うるさいっ。良いから、あなたは言うことだけ聞いてればいいのっ。早く正教軍を呼びなさい!」
弟はただ自分の所感を言っただけなのに
ジジは弟の背中を不機嫌な面で見送った後、思惑を
「リトル・キャロル、と言ったかしら。随分と
「私にできることなら」
心の中でよし、と喜ぶ。この調子で油断させて、隙を突くのだ。
「一緒に行って欲しい場所があるの。貿易事務所があって、そこに手遅れの病人を転がしている。彼らはもう助からないから、せめて安らかに
「やめようよ、幸せ薬なんて」
キャロルはケロリと言う。
「え?」
「まだ生きているんだろう? 何が何でも、なるべく助ける。その意気で事に当たらないと、自然と諦めが生じてしまって助かる命も助からない。
ジジは目をしばたたかせ、言う。
「でも、助からない人間に一生懸命になるより、助かる可能性のある人間を優先させた方が良いわ」
「その考えも理解できる。悲しいが、最適解だとも思う。……ただ私が思うのは、初めから選別するつもりでいるのではなく、苦しむ人たちの希望となるべく努力をしたいと言うことだ」
「そうと決まれば、行こうか。貿易事務所とやらに」
言って、キャロルは紐で髪を結く。曝け出された
「
そしてジジは自然な風に暖炉脇に立て掛けてあった
□□
貿易事務所は街の高台に位置する。部屋に
キャロルは肌を黒くした病人たちを恐れることなく直接触れ、丁寧に処置をしてゆく。治療は主に2通りで、
「もうだめだ、俺は死ぬんだ」
半泣きしながら言う男に、キャロルは言った。
「何を弱気な事を言っている。諦めてしまうと、
「だって、これから冬が来るんだ。もっと苦しくなる。川も汚れちまったし、魚が取れねえから食う飯もねえ。死んだ方がマシだ」
「冬は良い。暖炉の前で食べる
「
「買えなければ
「雑草じゃないか」
「個人的には
キャロルの横で、ジジは
確かリトル・キャロルは聖女候補だったと記憶している。詳しいことは分からないが、候補10人の内の1人なのか、100人の内の1人なのか、……各領の乙女たちの中から選ばれただけのことはあるのかも知れない。
しかし、このまま
「ジジ」
「──!」
突如呼ばれ、ジジは小さく身を跳ねた。
「床に置いてある瓶を取ってくれ。
(まるで襲おうとしたのを、
男が口を開く。
「凄いじゃないか、ジジ。お前がこの
「え?」
「立派な組合長になったな。お前らがいなかったら、とっくに街は滅んじまってる」
「……当然よ」
焦っていたので話を合わせてしまった。
「姉ちゃんもありがとう、丁寧に看病してくれて。少しくらいは生きる気力も湧いてきたよ……」
キャロルは仮面の下で
「礼を言うのは治ってからだな。無理をするなとは言わないぞ。何としてでも回復させるんだ」
「厳しいんだな……」
「その位の
□□
貿易事務所の屋根裏部屋には
「少し辛いだろうが、全部飲み干すんだ」
喋る気力もない病人に、
「聞いていいかしら。あなたはどうしてこんなに尽くすの? まさか、この街の出身?」
ここまで
「いや。私は東方の出身だ」
「なら、やっぱり金が目的なのね」
「金? 薬代を請求するつもりはない」
「じゃあ、何のつもり? 空き巣?」
キャロルは病人の喉に指を入れ、
「何のつもりもないさ。たまたま立ち寄った街で、病が流行っていた」
「それだけ?」
「それだけだよ。無視して立ち去って、その日に食う飯が美味いか?」
「本気で言っているの?」
「ああ」
そんなわけがない。そんな人間がいるわけない。自分も病に
医学者や修道士、神官に
つまり、人は
「なあ、ジジ」
「何?」
「お前はどうして、街に残っているんだ?」
問われて、言葉が出なかった。ジジが答え
「光る、巨大な鳥が……」
キャロルはひたと病人の目を見た。
「大きな鳥だ……。竜のような鳥だ……」
ジジは言う。
「何人かが似たような
「興味深いな。それはどの辺を飛んでいたんだろう」
「ど、どの辺を……?」
考えたことがなかった。高熱が出ると光に敏感になる時もあるから、空を覆う灰から漏れ出た
ジジは今一度考えてみる事にした。
この病人の名前はジョージ。
そういえば川辺に寝かせた病人から、今日も同じ
「西ね。街の西に住んでいる人たちが、光る鳥を見たと言っているのかも」
「西には何がある?」
「丘と農地よ。少し行けば
「一位?」
キャロルは北の街道から街に入ったから、その巨木の存在は知らなかった。
「『
キャロルは納得したように頷き、治療を再開した。
「ありがとう。行ってみようかな。後で案内してくれるか?」
「『祟りの森』に? 良いけど、何故……」
□□
西陽が灰の空を赤黒く染め上げている。まるで乾いた血のような、深い色をしていた。
キャロルとジジは
「確かに、巨大な木だ」
街の中央からでは確認出来なかったが、西の方へ歩みを進めれば
「あれだけ大きいと樹齢は1000年か、2000年か。
極端に樹齢の長い木は、強烈な魔力を宿す。
「しかも『祟りの森』なんて安直な名前をつけられた土地だ。
ジジは話の意図を
「つまりは?」
「魔物や亡霊の
それは封印の獣を封じる聖地であると言うこと。ジジは仮面の下で不安げな表情を浮かべた。
□□
2人は森へと足を踏み入れる。杉の木が
「魔物も病に侵されるのね……」
「珍しい。
張り出した根が蜘蛛の巣のように張っていて足場が悪く、ジジは
「聞いていいかしら。光る鳥の何が気になったの?」
「私の大切な友達が、
「意図って、どういうこと?」
「
意味深ではあるが、よく分からない。キャロルという女は聖女候補だったらしいから、やはり信心深いのだろうか。
やがて2人は開けた場所に出て、巨大な壁──のような
「これか。やはり強い魔力を
ジジは魔法が使えず霊感もないから、その感覚がわからない。
キャロルは木肌に手をやりながら、ゆっくりと、用心深く幹を一周する。何かを感じたのだろうか、途中でぴたりと止まって、しゃがみ、根上がりの部分にある
中には
「封だな」
「何が封じられて……」
「ご丁寧に石板に書いてある。こういうマメな仕事をする人間になりたいものだ」
横からジジが覗く限り、これは古代文字の類である。
「今から900年前の春の日、『
「騎士と言うことは、人? 人を封じたの?」
「人ではないだろうな。騎士のように見える何かなのだろう。とにかく、封印の獣だ」
キャロルは石板の裏側を見た。激しく焼けて
「強力な魔力で封が壊されている」
ジジは仮面の下で目を見開いた。では、封印の獣が解き放たれていると言うことか。
「こんな話を知っているか、ジジ」
「王国南部には『
「じゃあ、その『服わぬ騎士』が
「無関係では無さそうだな。死を呼ぶ存在だから」
キャロルは思う。石板に掛けられた力は
「魔物が解き放たれたなら早く対処しないと!」
ジジは封印の獣の恐ろしさを十分知っている。生まれ故郷は塔に眠っていた
故郷を守るはずだった自警団や冒険者
眠気に負けるものかと
封印の獣は恐ろしい。依頼で流れてくる魔物の討伐など比較にならないほど危険な相手である。『青い
マーシア公爵領軍は呼べば来てくれるのだろうか。でも、どこの街でも病が流行っていると聞く。軍も対応に追われているだろう。
肩で息をするジジを落ち着けるようにして、キャロルは優しい声色で言った。
「他に人もいないし、私たちだけで何とかしてみようか」
「馬鹿言わないでよ。そんなの出来るわけがない! 相手は封印の獣なのよ!?」
「大丈夫。病の街を支えてきたジジが味方なんだ。そう大した敵でもないさ」
「勝手なことばかり言わないで……!」
ジジは
「あなたには危機感がない。封印の獣がどんな敵なのか、分かってない」
続ける。
「──
キャロルは動じる事なく、じっとジジを見ていた。
「あなたが本心から街を救いたいと言うなら、大人しく軍に降りなさい……!」
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