ジジは声を張り上げた。
「あなたは封印の獣が何なのかを分かっていないっ! どれだけ強いか、どれだけ恐ろしいかっ! 私の故郷は封印の獣に滅ぼされたんだっ! 私たちに敵う相手じゃないっ!」
興奮して口の中が乾燥しているのか、唾を飲もうとして空気だけを飲み、激しく咳き込んだ。
「あ、あなたが正教軍に
震える瞳でキャロルを睨め付ける。そして軽く胸の前で十字を切り、ジジは神に勝利を願った。
相手は聖女候補だ。学園で特別な訓練を受けていたと噂に聞いたことがある。薬の腕を見るに、魔法に
地を蹴り込もうと脚に力を入れた、その時。キャロルはふいにそっぽを向いて
平然とした様子に間を外され、ジジは仮面の下で目を丸くする。
「ちょっと! む、無視するわけ!?」
「別に無視してないよ。でもそんな震えた手では戦えないだろう」
まさか、と
「な、なんで私、こんなに震えて……」
「ジジが興奮してるのと、私がちょっとだけ
キャロルは魔力を増幅させ、重心を僅かにジジに寄せて
ジジは剣を下ろすと疲れがどっと噴き出て、膝から崩れ落ちた。顔が汗に
「じっと見つめ合っているよりは『
「ば、馬鹿にしてっ‼︎」
「──私も封印の獣に故郷を滅ぼされたんだ」
意外な言葉が帰って来て、ジジはキャロルを見上げた。
「幻想を見せる竜がいてね。私は無様にも
はあはあと息を整えながら、5秒、10秒、ようやくジジが口を開く。
「並の人間には勝てないわ。冒険者が束になっても無理。領軍や宮廷魔術師がいたって……」
「そうだな。厳しい相手だと思う」
「……それでも戦うというの?」
「うん。私を信じて欲しい」
あまりに
頭を抱えるジジを
(どんな肝っ玉してんのよ……)
覚悟を決めて挑む、という様子ではない。キャロルの様子を例えるならば、翌日の朝食の準備を『やれるなら今やってしまおう』と言って、
「それで、何を手伝えばいいわけ?」
「信じてくれるのか」
「あなたを正教軍に引き渡しても、
つい、強がって適当な理由をつけてしまう。悪い癖だった。
「いいや、助かる。冷えた
古い牛乳に
「聞いていいか? ちなみに私は
ジジはのそりと立ち上がり、
「10
キャロルはややあって、
「そのくらい肩身を広くしたいものだな……」
どうやら思っていたより価値が低かったらしい。
□□
夜の
ジジは言われた通りに、
「これ、何しているの……?」
「
「古代人の食卓みたい」
「心が
そしてキャロルは、
「完成だな」
人形の前に、馳走が並ぶ形になった。
「
「本当にそんなので現れるの?」
「多くの人が信じている御伽話だ。
魔物を呼び寄せる方法は2通り。
1つは臭いや色で釣る『魔物寄せ』を用いる方法。魔物は血や酒、
もう1つは『召喚術』を使用する方法。魔術的な
キャロルは馳走と人形の周りに円を書き、円の外側には小枝で細かく呪文を記した。最後に馳走の周りだけに三角形を書く。そして
「少し、休もう」
ジジも
「吸うか?」
火の付いた煙草を一本貰う。口をつけてそっと吸った。
「!」
が、ゲホゲホと激しく
「そんなに強い葉っぱを巻いているつもりは無いんだけどな」
そう言って蒸した
ジジは目に溜まった涙を拭いながら焚き火のそばに座り込み、1つ
キャロルも火の前に座り、
「もう1回聞いても良いかな。ジジはどうして、この街に残っているんだ? 知り合いが多いとか?」
ジジは枯れ枝を火の中に放る。火の粉が舞う。
「別に。顔見知りは多いけど、そこまで深い関係でもない」
「怖くないのか?」
「怖いわよ。私もいつ病に
揺らめく炎を見ながら、ジジは膝を抱えた。
「私は故郷で見捨てられた。周りの優れた人間は、我が身大事に逃げてしまった。困っていても助けてくれない。……だから、自分の力で生きていけるように、腕を磨いて冒険者になった」
言って煙を吐き出す。鼻の奥に清涼感が残るから、
「今回だってそう。腕のある薬師も、回復魔法が使える貴族も、心の支えになる神官も逃げた。街は見捨てられた。私には医学の知識なんかないけど、でも、あいつらと一緒になってはいけないと思った。だから残った。それだけよ」
「強いんだ、ジジは。強い人は優しい」
「強いかどうかは関係ないわ。自分の
「金があれば薬が買えるからな。病人を思ってのことだ」
「怒らないのね」
「怒ったってしょうがない。というか、何に対して怒るんだ? 勝手に首を突っ込んで、自分が危機に立たされた途端に『人でなし!』と怒り始めるのは下品だと思うなあ。『
「誰よそれ」
「知らんのか? 未婚の村娘に結婚を勧める婆さんだよ。その村娘に恋人がいることがわかった
ジジは想像する。まあ、言い
「変な人ね、リトル・キャロル」
「
キャロルは2本目の煙草に火をつけた。
「……私は『いい人』になりたいと思っているんだ。誰にでも優しくて、どんな苦難を前にしても人を想う余裕があって、決して自分を
「だめよ。苦労するわ、そんな生き方。あなたを利用する人が現れる」
「いいさ。その時は叩きのめしてやるから」
ジジは一瞬だけキャロルを見る。そして、何かを言い
「……じゃあ、そうなったら私が手伝ってあげても良いわ」
キャロルは、どうやらジジなりに仲良くしてくれようとしていることを察して、それが嬉しくて笑む。
「ありがとう。──ただ、思ったより早く
ジジの思考が一瞬止まった。
小動物のようにキョロキョロと辺りを見回す。だが異変は感じられない。耳を
一応警戒して、
これは汗ではない。ぬるりとして、生温かい。
嫌な予感がして、恐る恐る腕を見る。焚き火の灯りに照らされて、
(血……?)
ジジは
(どうして……!?)
気づけば周りに何も見えない。真っ暗闇だ。先まであった焚き火も、子供を
頭痛と耳鳴りがする。
体が
妙に体が軽くて、寒い。
血の気が引き、
息がしにくい。肺が痛い。
足や腕に力が入らない。
急に胃液が迫り上がってきて、ジジは吐き戻した。
ジジの目から止めどなく涙が流れ出てきて、瞳は飛び交う蝿のように移ろい、全く定まらなくなった。
──死を、宣告されたんだろう。
直感的に思った。数秒後に死ぬ。
死ぬって、こんなに怖いんだ。嫌だ、まだ生きたい。誰か、助けてほしい。
叫ぼうとしても、声が出ない。元々口など持たなかったかのように、発音の方法を忘れてしまっている。
「ジジ。『神の力が
キャロルの声がした。脳から直接語りかけて来るかのような、不思議な感覚だった。
「わ、私魔法が使えない、意味ない」
「目的は、恐怖から意識を
ジジは言われるがままに、震える手で十字を切る。
「神の力が
必死に唱え、何度も何度も十字を切る。
「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ」
耳鳴りが徐々に弱まる。暗闇が次第に晴れてきた。
「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ!」
火花が散っている。ちかちかと灯ったり消えたりしている。
カコン、カコンと金属を打つ音がする。重い音だ。なんだろう。とにかく、何かが激しくぶつかり合っているらしい。──
さらに十字を切ると、
前方に首のない
間違いない、
首無し騎士は剣を大振りで
劣勢だと判断したのか、首無し騎士は剣を炎の
「ひいっ!」
木の腹が溶けて、メキメキと音を立てて倒れる。鞭が風を切る音が絶えず聞こえている。鋭い風圧を感じる。ジジは動けない。少しでも動けば、鞭の先が体に当たって、溶けて弾け飛びそうだった。
──怖い。
やはり、封印の獣など相手にするべきではなかったのだ。
恐怖が
故郷。真夏の暑い日。
しんとした街。
奇妙に動く
砂を掻く音。
照りつける光。
南からの熱風、木々の騒めき。
黒々とした己の影。
弟と、世界にたった2人だけ取り残されたような。
永遠とも思える時の中、絶望を味わった。
だめだ、怖い。勝てるわけがない。どうせ、リトル・キャロルも死ぬ。だって、学園の
──見捨ててしまおう。背を向いて一気に走って逃げれば、奇跡が起きて逃げ切れるかもしれない。
そう思った時。己を見捨てて行った者達の、妙な
笑顔なんか嫌いだ。反吐が出る。だからだろうか、自分が最後に心から笑ったのはいつか、覚えていない。
あんな顔は作らないって、心に決めたから。あいつらと同じようにはならないって、心に決めたから。
『強いんだ、ジジは。強い人は優しい』
キャロルの言葉を
ジジは身を低くしたまま地を蹴り、ぎゅんと間を詰めて、鞭の嵐を掻い潜る。そして、ゆらりとした独特の剣捌きで、
首無し騎士はジジの接近には気づいたが、一癖ある
首のない巨大な黒い馬が驚いて立ち上がる。馬と騎士は痛みを共有していた。騎士は手綱を引き、振り落とされないように力を入れる。
「見事だジジ。やっぱり強い」
キャロルは右手の爪を伸ばすようにして、指の先端から
生命の力を放出。騎士の体の中で植物が膨らみ、パンと鎧が弾けて花々が溢れ出す。そして光と
□□
ジジは腰が抜けてしまって、自力で歩く事が出来なかった。だから、キャロルに肩を貸して貰いながら、木々の根を一歩一歩と踏み越えて行く。
あの時、
「本当に、倒したのよね……? だって、無傷よ? 封印の獣を相手に、信じられない……」
「ジジの運が良かったんじゃないか。街に残って他人に尽くす事で、
「嘘よ。私が無傷なのは、あなたが私を守りながら戦っていたからでしょう。それくらい分かるわ。私が言いたいのはそうじゃなくて、あなたの強さが異常だって事よ」
2人は森から出た。空には
「死ぬかと思ったわ。頭から血が流れてきて、どうしようもなく怖かった」
「
即ち、ガスを発生させていたということ。
「私も変な幻覚を見たよ。敵だと思って殺したのが、本当はエリカだった。私はエリカの胸を剣で貫いた」
「エリカ……?」
「
ジジは『そんな連れがいたのね』と呟きそうになったが、飲み込んだ。まるで
「やっぱりあれが
「うん」
首無し騎士は死を宣告する。現在、王国各地で
そして、直接対峙する者には強烈な『死』の印象を植え付け、恐怖で狂わせる。並の精神力では太刀打ちのできない、厄介な魔物であった。
だが、首無し騎士は光に消えた。ハルフォードの街に死が呼ばれることはないだろう。あとは病を根絶できるかが勝負になる。
「しかし、何者かは知らんが生前は大した騎士だったのだろうな……。見ろ、少し打ち合っただけで、手が血豆だらけだ。力が強すぎる」
キャロルは掌を見せて、にかっと笑った。あどけない笑顔だった。
(そんな顔も出来るんだ……)
ジジはドキリとして、目のやり所がなくなり、俯く。距離も近いし、やめて欲しい。女なのに、変に意識するから。
2人は原を抜けて街道に出た。キャロルはジジをハルフォードに送り届けるべく街に足を向けたが、背後、遠くから足音と蹄の音、金属が擦れる音が聞こえて来た。
その方を見れば、街道の先に白馬に乗った騎士たちと、真っ白な鎧を身に纏った兵達が長い隊列を作って、こちらに迫り来ていた。その数、凡そ二旅(1000人)。銃兵、弓兵、魔術隊まで揃えた大部隊。先頭、
ジジの頬に冷や汗が伝う。
「しまった、もう来たのか」
「こういう時は素早いんだから、
小声で悪態をつく。そして
「ごめんなさい。あなたを捕えるために私が呼んだの。私が話をつけてくるから逃げて」
キャロルは首を横に振り、ジジから離れた。背を向け、正教軍の列へと歩み始める。
「ちょっと、どこ行くの!? 早く逃げないと!!」
「逃げることはない。何も悪いことはしていないのだから、堂々としていれば良いんじゃないかな」
「でも!」
「大丈夫。話せば分かってもらえるさ。彼らだって、誇りを持って人々を守ろうとしているのだから」
キャロルは振り返らない。
「まさか、もう行ってしまう気……?」
直感し、ジジは叫んだ。
「待って! まだちゃんとお礼も出来ていない! 私が軍に話をつけるから、一旦街に寄ってっ!」
正教軍の隊列の中から1人、
「組合長、大丈夫かっ。なんで街道なんかに突っ立ってたんだよ」
「いろいろあったのよ」
「キャロル、
「分からない。本人は話すって言ってたけど……」
「話すだって? でも光の聖女を自称してるんだろ? ちょっとばかし揉めそうだなぁ」
ジジは目を丸くした。光の聖女は4人の聖女を導く存在だとされていたが、数日前、
「間違いないの? キャロルが光の聖女だって、自分で言ってるの?」
「え? あー、うん、多分? 正教軍の人が言ってたよ。あれ?
「ハッキリしないわね、役立たず!」
キャロルは隊列に近づいてゆく。
先頭を行く
老騎士は白い巨馬に
だがキャロルは特に
「リトル・キャロルか」
「うん」
「
「トマスか。少し、聞いて欲しい事がある」
キャロルは事の次第を淡々と話し始める。
まず、大白亜を下山してリューデン公爵領に向けて旅をしている事。ハルフォードの街は
「
将トマスは黙って聞いている。
「もし貴殿らに余裕があれば、駐留して手当を行って貰いたいと考えているのだが。
真面目な
「き、輝聖などは存在しない! お前はクリストフ五世に騙され、政戦の道具にされているに過ぎないんだ! 抵抗しなければ手荒な真似はしないから、大人しく武器を捨てろ!」
キャロルは
「武器なんて持ってないよ。ほら、何もないだろう? 私は話をしに来たんだから、剣も銃も必要ない」
ついに将トマスは口を開く。
「貴殿の用向き、
兵達は
「武器をしまえ。道を開けよ」
困惑しつつも命じられるがままに武器をしまい、兵達はキャロルから距離をとる。そしてトマスは背後の軍勢に手信号で同じように指示を出して、下馬した。
「馬上よりの挨拶、失礼
「
言って、キャロルは二旅の隊の中を平然と突き進む。弓兵も銃兵も騎馬も雑兵も
壮年の騎士がトマスに寄った。
「宜しいのですか。あれは確かに輝聖。教皇より
「輝聖である以前に、ハルフォードの街を救った英雄である。感謝こそすれ、それをどうして剣を
トマスはキャロルの後ろ姿をしばし見送った後、胸の前で十字を切った。旅の無事を祈る。
「軍律違反は、大罪と存じまするが」
「構わん。
落ち着かない様子の兵達を尻目にトマスは馬を引き、ジジの下まで歩みを進める。
「ジジ・ケンドールか」
ジジもまた、困惑した
「よくぞ輝聖の
「私は、そんなんじゃ……」
「
そう言って、ジジの後方ハルフォードの街へと歩き出す。次いで
トマスの軍勢も前進を開始。街へと向かう。隊列は
弟は
「ほ、ほら、姉ちゃ……、組合長。あの人、やっぱり光の聖女だったんだ……」
ジジは弟の言葉など、耳に入っていないようだった。
──本当に話すだけで兵を
それだけじゃなく、味方につけてしまったような。正教軍は敵意を持ってキャロルを探しているはずなのに。だがその敵意を、救いに変えてしまった。
キャロルの背中を見ていると、彼女が少し振り返って片手を上げた。
「私の
キャロルは「あ」と声を出し、何かに気がついた
再び前を向き、
「あの人、本当に光の聖女なんでしょうね」
「い、行かせちゃっていいのか? 手伝ってもらった方がいいんじゃないのか?」
ジジは残念そうにふっと笑った。笑ったのは、いつぶりだろう。
「私たちの
風が吹く。青い花びらが飛んできて、ジジの鼻に引っ付いた。剥がして透かしてみる。
「春の花だわ」
「秋なのに?」
「
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