不良聖女の巡礼   作:Awaa

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風の聖女(前)

 

 ──瘴気の壁の向こう側には、どんな世界が広がっているのだろう。

 

 そこは荒野か。

 枯れ木と枯れ草だけか。

 髑髏(しゃれこうべ)が転がるか。

 磊磊(らいらい)たる砂礫(されき)が広がるか。

 

 生き物はあるか。

 蝿が飛び交い、(うじ)()うか。

 魔物が跋扈(ばっこ)するか。

 竜が吠えるか。

 死霊だけが(うごめ)くか。

 

 空は何色だ。

 黒色か、灰色か。

 日は(のぼ)るか、日は沈むか。

 月は()ちるか、月は欠けるか。

 雲は流れているか、雨は降るか。

 そうなら、沛然(はいぜん)として雨が降り続いているか。

 反対に、日輪が全てを乾かすか。

 

 瘴気の中では、どんな音がするだろう。

 何も聞こえない?

 (かね)の音はどこだ。どうやって時刻を知る。

 歩くたびに自分の足音が聞こえて、

 ただそれだけ。

 風もないなら、聞こえる音は、耳鳴りの音。

 何も音がしない。

 音がしないのに、

 キンと鳴っている。

 

 ──それともまさか、瘴気の中には楽園があるか。

 

 満目(まんもく)の花畑で、生きとし生けるもの全てが生を謳歌(おうか)している!

 

 風(かお)る。

 青い空。 

 陽光(ようこう)照る。

 鳥の歌、木々の(ざわ)めき。

 ああ、水も無限にある。

 川の水、雪解け水のように冷えて美味しい。

 

 山に入れば野菜や(きのこ)がふんだんにあって、

 林檎(りんご)葡萄(ぶどう)も季節を問わず()っている。

 野には(うさぎ)、山には鹿(しか)、川には(ます)がいて、

 思う存分に狩りを楽しめる。

 優しい馬も群れていて、

 乗れば緑の風となって千里(せんり)を駆ける。

 

 そこでは毎日が楽しい。

 時間は気にしなくていい。

 遊び疲れて地に転がれば、花々の香りに包まれて、すぐに眠くなる。

 鼻に蝶々(ちょうちょう)が止まり、一休み。

 

 瘴気の中には幸福があるのではないか。

 苦しみも悲しみも存在しないのではないか。

 私たちが生きる世界こそが地獄であり、

 外側こそ楽園ではあるまいか。

 

 そして、この暴論を誰も否定できないのではないか。

 

□□

 

 ホルスト伯爵領ハンハイムは城壁に囲まれた堅牢(けんろう)な都市である。都市の中枢(ちゅうすう)であるハンハイム城は古来より増改築が繰り返され、山と見紛(みまが)う程だった。

 

 城内では第三聖女隊の手当が行われていた。大広間(グレート・ホール)に兵が寝かせられ、腕利きの薬師(くすし)や魔術師が必死に彼らを治療している。しかし奮闘(ふんとう)(むな)しく、一昨日は2人、昨日は1人の兵が死んだ。

 

 毛布の上に、全身に包帯を巻かれた大男が横たわっていた。先まで気を失っていたが、その男は目を覚ますと、(かたわら)で湿布を準備していた薬師の(そで)を力無く(つか)んだ。

 

「聖女様は……。聖女様は、何をしておられる……」

 

「中庭でお休みになられております」

 

 大男は起きあがろうとしたが、全身に激痛が走って、諦める。

 

「ご無理をなさりませぬよう、フォルケ様」

 

 フォルケ・セーデルブロムは第三聖女隊を(まと)める将で、位は中佐である。誰とも口を()かない空聖を献身的(けんしんてき)に支えてきた。(よわい)は25歳で将としては若く、アスコット伯爵領領主の三男坊である。

 

 彼は領主の息子として生を受け、人生の成功を約束されていた。美しい許嫁(いいなずけ)がいて、果てしない財産があった。だが、遠乗りの最中に許嫁は魔物に襲われて死んだ。愛していたかも分からない乙女(ひと)だったが、彼女の消失はフォルケの心に大穴を開けた。それで父の反対を押し切り、正教軍に志願した。魔物のいない世界を作りたいという、青い信念に突き動かされた。

 

 父の名を用いず武功(ぶこう)を立て、出世を果たし、神に全てを捧げ(たてまつ)らんと第三聖女隊に入隊した。苦労の果てに聖女隊の装備を纏った時の高揚感(こうようかん)は、今でも忘れられない。

 

 体が蝕まれてもあの日の決意は変わらない。聖女を助け瘴気を払い、魔物のいない世界を築き上げるのだ。

 

「誰か、空聖の近くにいてやってくれ……。俺の代わりに支えてやってくれ……」

 

「今はご自身のお体を(いた)わってくださいませ」

 

 薬師が腹の包帯を代える為にそれを取ると、残酷な傷口が露呈(ろてい)した。深く(えぐ)られた傷は()んでいる。そして妙なことに、(さら)け出された(はらわた)の辺りから豆の芽のようなものがわらわらと生えて出ていた。しかも大概が上手く肉を突き破れずに、肉の中で逃げ場を失い、団子になっている。そこにも(うみ)が溜まり、全体が白い柘榴(ざくろ)のようであった。この傷は腹だけでなく、背中にも肩にも(もも)にも広がっていた。

 

 薬師は焦りに顔を(しか)める。早く何とかしなくては、この有能な若い騎士が危ない。

 

 だが、あらゆる薬を用いても、あらゆる魔法を用いても、良い効果が現れない。これほど自分の無力を(なげ)いたことはない。もっと勉強をしていれば、この奇病を征服(せいふく)することが出来たのだろうか。……いや、それはどうだろう。自分で思って、自分で諦める。

 

 フォルケは体中の傷も、薬師の無念も、まるで目に入らないかのように、ただ一心に聖女の事を考えている。

 

「空聖は……、(まご)う事なき聖女なんだ……。あの娘を1人にしてはならない。俺の代わりに、誰か、彼女の心を、解き放っては、くれないか……」

 

□□

 

 ハンハイム城の中庭は硝子(がらす)の温室であった。ここには瘴気で失われた各領の植物が育てられていて、鳥や虫、小動物も放し飼いにされて、1つの生態系を作っている。

 

 (トネリコ)に囲まれて、泉と噴水がある。周辺には露草(つゆくさ)がびっしりと生えていた。空聖ローズマリーは露草の絨毯(じゅうたん)の上で(たたず)む。(うつ)ろな目、どこにも焦点(しょうてん)が合っていない。

 

 木々の陰から第三聖女隊に従軍する侍女達が、不安げな表情で様子を見ていた。聖女の(かも)白痴(はくち)の気とでも言おうか、とにかく正常に(あら)ざる雰囲気を恐れ、近づくことが出来なかった。

 

 ローズマリーは虚ろな目のまましゃがみ込むと、露草をむんずと(むし)った。それを口へと持って行き、むしゃむしゃと食べ始める。花も茎も葉も根も、それに付着する土すらも食う。

 

 ──初めは氷を食べたいだけだった。

 

 蝕が起きて聖女となってから、体が食べ物を受け付けなくなってしまった。だが氷ならば、ひやりとして気持ちが良く、それと一緒に(かゆ)などを口に含めば、何とか腹の中に流し込む事が出来た。

 

 (だま)し騙し食事を取っていたが、夏頃には粥も受け付けなくなり、スープと氷だけを食べるようになった。

 

 そして、ここ数日は、もはや氷などといったものではなく、もっと、他の──、例えば、羊皮紙(ようひし)だとか、布きれだとか、毛だとか、炭だとか、花だとかを食べようと思った。もちろん、吐き戻す。が、それしか口に出来る気がしなかった。ついに狂ったのだと自分でも思う。

 

 とにかく、我慢ならないのだ。

 良くない事だとは理解している。ちゃんと食べ物を食べなくてはならないとも思っている。でも、どうしようもできない。

 ()かされるようにして異物を食う。

 すると苦しいのに、生の喜びがここにあるような気がして、自分に対する憎しみだとか、存在の無価値さなどが和らぐ。

 そして、ただ吐くことだけに集中できた。

 異物を喰らうことで(わず)からながら(いや)されることを知ってから、そうせざるを得なくなった。

 

 ローズマリーは四つん這いになって泉のほとりまで行き、吐き戻した。酸が鼻をつく。胃液と露草が水に溶けてゆく。揺蕩(たゆた)吐瀉物(としゃぶつ)水面(みなも)に映る己の面相、まるで死人であった。死んだ魚の目。カサカサとした唇。肌は(ろう)のよう。それが気色悪くて、また吐き戻す。

 

 そうしていると、中庭に1人の聖女隊の兵が現れた。兵はよろよろとした足取りでローズマリーに近づくと、膝を折る。

 

「聖女様」

 

 ローズマリーは見向きもしない。

 

「聖女様、お聞きください」

 

 無視を続ける。

 

「みな、苦しんでおります。聖女様を熱心に支えたフォルケ様も、もはや風前の(ともしび)何卒(なにとぞ)お出向きくださいませ。そしてどうか、神から与えられたそのお力で、(あわ)れな兵達をお救いくださいませ」

 

 兵は涙ながらに訴えるが、やはりローズマリーは無視を続けた。それが悔しくて、兵は土を握りしめる。

 

 その様子を見た侍女たちも意を決したように近づき、同じく膝を折った。

 

「どうか聖女様、お救いください」

「昨日も1人息絶えましてございます。空聖のご威光(いこう)をどうか」

「このままでは、みな死に絶えてしまうのではと、心配しておりまする」

 

 だがやはり懇願(こんがん)虚しく、ローズマリーは周囲をいないものとして扱う。心を閉ざし、水面(みなも)に浮かぶ(にご)った瞳、そこに潜む恐怖を、反芻(はんすう)している。

 

 ──確かに倒したはずだった。心の臓を(えぐ)り、頭を潰した。

 

 だのに()()()は、(せみ)が脱皮するかのように、亡骸から新たなる体を生み出した。燦然(さんぜん)と光り輝く翼を広げ、未知の炎で兵馬(へいば)を焼いた。

 

 これは罰だ。本来であれば、聖女であるべきでない私を聖女にしたせいで、そして私がそれを受け入れたせいで、罰を受けた。

 

 天変地異も罰だ。あらゆる人は勝手な妄想を口にする。教皇が神となろうとしている天誅(てんちゅう)であるとか、大白亜派が輝聖(きせい)を認めた事に対する神の怒りであるとか、健闘(けんとう)(およ)ばずいよいよ破滅の時が来たのだとか。

 

 だが私だけは答えを知っている。私のような(くず)が、(ある)いは生きる価値のない(ごみ)が、聖女であり続けてしまうから神はついに人類を見捨てたのだ。当たり前の制裁が始まったのだ。

 

 終わりだ、何もかもが。

 私なんかを聖女にしたせいで。

 愚かな。

 お前達も同罪だ。

 私を聖女にしたお前達も、私に救いを求めるお前達も。

 みな罪を背負って、罰を受けるべきなんだ。

 滅亡という罰を。

 

 ───

 ──

 ―

 

□□

 

 ―

 ──

 ───

 

 その日、世界が変わった。

 

 遠くの物がくっきりと見えるし、指が二重(ふたえ)になる事もない。目に映る全てのものが刺激となって、体を痺れさせる。頭に稲妻が落ちるとはこういう事なのだと、ローズマリーは思った。

 

「どうだ、見えるか」

 

 背後から父の声が聞こえる。

 

「何か、言うことはないのか」

 

 齢7歳に(なんな)んとする豪雪(ごうせつ)の日。生まれつき弱視であったローズマリーに眼鏡(グラス)が与えられた。父ファルコニア伯爵──名をゴットフリード・ヴァン=ローゼスが連れてきた職人によってそれは作られた。

 

「壁紙は花の模様、窓際に寒芍薬(ヘレボラス)が飾られていて、それから、外では雪が降ってる……。炉棚(ろだな)には飾り皿、香時計(こうどけい)、あとは、あとは……、炉の飾り枠(マントルピース)も、植物の模様。暖炉の炎が綺麗……」

 

 侍女達が感嘆(かんたん)のため息を漏らす。

 

 ローズマリーは周囲を見渡した。侍女達の顔も良く分かる。法令線(ほうれいせん)や顔の皺まで(しる)く分かる。兄ウィリアムの面相は思ったよりもにこやかだ。その隣に立つのは父。まるで(ひぐま)のような迫力に圧倒された。

 

(これ)にて、弱視を理由に何処ぞの馬の骨に(とつ)がせる必要もなかろう。この(わし)の娘に、日がな1日編み物をさせておく訳にもゆくまい」

 

 伯爵は大きな手で、ローズマリーの頭を()でてやる。

 

「良いか、ようく聞けローズマリー。お前に流れる血はファルコニアの血。叫べば森羅万象(しんらばんしょう)を屈服させ、(まなこ)を開けば魔物をも屈服させる。この優れた血を腐らすことは儂が許さぬぞ。勉学に励み、武を(たしな)むべし。そして王家に奉公(ほうこう)し、良縁(りょうえん)を待て」

 

 次の日からローズマリーには本が与えられた。弱視ながらも文字の読み書きに関しては、教師たちの創意工夫により習得していたから、読むことは出来た。

 

 初めて読んだ本は『ギ・マチスの大旅行』であった。これは阿呆(あほう)のギ・マチスが諸国を漫遊(まんゆう)する冒険譚(ぼうけんだん)であり、目的は『その水を飲めば百の知識を授かる』とされるシャムル川を探して当てる事である。ギ・マチスは阿呆であるから、人々の忠告も聞かずに瘴気の中にまで足を伸ばす。

 

 瘴気の世界には様々な魔物がいる。ギ・マチスは魔物の真似をするなどの妙な策でそれを退け、やがて面白おかしい出会いを果たす。例えば喋る猫であったり、空飛ぶ馬車に遭遇する。時には星々が降る街を行き、またある時は砂糖菓子の山々を踏破(とうは)し、乳と(みつ)の流れる川を泳ぎ渡る。うっかりと紅茶の井戸に落ちることもあれば、歌う(かし)の木と共に六弦琴(ギター)を演奏したりもする。

 

 ローズマリーはこの不思議な話に魅了され、夢中になった。

 

 ──本当に瘴気の中には、こんなに面白い場所があるの?

 

 城の資料室に行き、たくさんの本を読み漁って答えを求めた。だが、答えは見当たらない。本によっては瘴気の中は地獄であり、宇宙(そら)であり、無の空間であった。

 

 誰も答えは知らないのだ。何故なら、瘴気に飲まれた者は誰1人として帰ってくる事はないから。人類は想像でしか瘴気を語ることが出来ないらしい。

 

 ああ、瘴気の壁の外側には、どんな光景が広がっているのだろう。想像を(たくま)しくするほどに、本物を見てみたくなる。狂おしいほどに気になる。瘴気の中に行ってみたい。

 

 その夢を叶える方法は、一つしかなかった。

 

「お父様。私、聖女になりたいです」

 

 伯爵は破顔(はがん)し、愛する娘を抱きしめる。

 

「素晴らしいではないか。なんと大きな夢であろうかっ!」

 

 そして頬に口付けをした。

 

「ようし、ローズマリー。この儂が必ずお前を聖女にしてやろう!」

 

「本当に?」

 

 今度は額に口付けをする。

 

「ああ、本当だとも。だが約束せよ、ローズマリー」

 

 ファルコニア伯爵は笑顔を崩さず、続ける。

 

「きっと聖女という存在は、優れた人間でなくてはならぬ。誰からも(した)われる人となるべく、屑々(せつせつ)として(はげ)むのだ。努力は寸毫(すんごう)も怠ってはならぬ。神には毎日祈りを捧げよ。好き嫌いも無くさねばならん。菊苦菜(チコリー)も食べよ」

 

牡蠣(かき)もですか?」

 

「無論、蟶貝(まてがい)(はまぐり)もである」

 

 貝を食べなくてはならないなんて、それはそれは深刻な話だった。

 

「誰よりも優れた乙女でなくば、神はお前を選んでは下さらぬだろう。それを(きも)(めい)じておくのだ」

 

 ローズマリーは硬く頷いた。──必ず聖女になる。貝も食べよう。そしていつか、瘴気の外に何があるかを、自分の目で確かめるのだ。

 

□□

 

 伯爵は娘を愛していた。故にローズマリーが『聖女になりたい』と望むなら、そうさせてやるのが務めであると思った。

 

 聖女は瘴気を払い、世界に太平を(もた)す。ならばその聖女とやらは一天万乗(いってんばんじょう)戦乙女(いくさおとめ)であり、(あら)ゆる魔に屈しない人物なのだろう。つまりローズマリーが領で最も優れた乙女にならねば、聖女など夢のまた夢。ファルコニア伯爵は(ただ)ちに指南役(しなんやく)をつけ、魔法と武術を教えさせた。

 

 それに限らず、伯爵は有らん限りをローズマリーに尽くした。例えば、冒険がしたいと言った時には遠乗りの為の馬を与えてやった。気分が晴れぬと(なげ)けば、白毛の美しい猫を与えてやった。甘いものを食べたいと言えば珍しい果物を(そろ)えてやったし、眠れぬと(つぶ)けば詩人に即興(そっきょう)で物語を作らせた。

 

 ──ある日、ローズマリーは友が欲しいと(こぼ)した。

 

 その数日後、齢11歳の冬。雪下(せっか)の節、立待月(たてまちつき)。この日はひどく吹雪(ふぶ)いていた。

 

 いつものように指南役がいる工房(アトリエ)に入ると、見ず知らずの乙女達が出迎えてくれた。これからはこの4人と共に勉強をしていくのだと指南役は言った。

 

 彼女達は領内から集められた才女(さいじょ)であった。ベアトリスは長身で、剣の扱いに()ける。クラリッサは占星術(せんせいじゅつ)が得意で、地理や天候にも詳しい。インゲは優しく(おだ)やか。植物の知識が豊富で、薬学を得意とした。そして、ユーフェミアは悪戯(いたずら)好きで活発。動物や虫が大好きで、回復魔法や防護魔法を得意とした。

 

 突然のことでローズマリーは困惑したが、3日と()てば多少話せるようになり、1節の後には気兼(きが)ねなく会話ができ、時にはじゃれ合う事もあったりで、2節の後は友となった。

 

 ローズマリーは友から様々な事を学んだ。指南役はついていたが、やはり同年代の友から学ぶ知識は刺激となって、急成長のきっかけとなった。

 

 ベアトリスからは戦闘の心得(こころえ)を学び、クラリッサからは星読(ほしよ)みを学んだ。インゲからは花々の知識。ユーフェミアからは、みんなをびっくりさせてしまう少しの悪戯(いたずら)と、虫の生態について。それから回復魔法、防護魔法の便法(べんぽう)を学んだ。

 

 友が出来てから、ローズマリーには笑顔が増えた。毎日が楽しかった。友に会えば話したい事が湯水(ゆみず)の如く(あふ)れ出てくる。なんて素敵な日々だろう。

 

 そして、夜になると空を見上げて十字を切り、神に感謝をするのが日課になった。

 

□□

 

 春になれば、雪が解ける。香菫(においすみれ)が顔を出し、(ふもと)が緑に染まり、(うそ)が口笛を吹いて、水が(ぬく)む。

 

 ファルコニア伯爵領は冬が長い。だから、貴族も商人も百姓(ひゃくしょう)も聖職者も、娼婦(しょうふ)や野盗だって春が待ち遠しい。誰もが春に恋焦(こいこ)がれる。

 

 北方の乙女たちの春の楽しみは、白詰草(クローバー)を編んで(かんむり)を作る事、()()()()をする事、球投げ遊び(スポールブール)をすること、それから苺狩りであった。

 

 5人の乙女は苺狩りに出かける約束をした。侍女などの従者は付けずに行く事に決めた。野苺をたくさん摘んで食べるつもりだった。残った分は蜂蜜(はちみつ)と煮込んでジャムにしたい。

 

 前の日の晩、乙女達は城に泊まった。みな興奮で眠れない中、寝台の上で悪戯(いたずら)好きのユーフェミアが言う。

 

「良い? 明日は忘れ物はなしよ」

 

 お(さら)いをしてみよう。苺狩りに持っていくもの。

 一つ、摘んだ苺を入れておく藤籠(バスケット)

 一つ、早朝から手分けして作る最高の昼食(ランチ)

 一つ、喉が乾いた時に飲むための美味しい水。

 一つ、汗を拭くための手巾(ハンカチ)。(薔薇水(ローズウォーター)で香りをつけて)

 一つ、日光を(さえぎ)るのと、おしゃれの為の帽子。

 一つ、茎が硬かった時のための(はさみ)

 一つ、急な雨が降った時の外套(あまぐ)

 一つ、春を楽しむ心。

 最後の一つは──。

 

「──最後の一つ、ローズマリーはわかる?」

 

 ローズマリーは枕を抱きしめて、考える。

 

「えっと……。あれでしょう? 肌を焼かないための、珊瑚(さんご)の粉でしょう?」

 

「それも必要だけど、違うわ」

 

 ユーフェミアは人差し指を立てて口元に持っていき、しーっと息を漏らした。大声では言いにくい話らしい。乙女達は体を寄せて、ユーフェミアを囲む。

 

「最後の一つは、大好きな侍女や家族にも言えないような、ナイショの話」

 

 ローズマリーが問う。

 

「例えばそれはどんなの?」

 

「どんな男の人とキスをしたいか!」

 

 ユーフェミアが言うと、乙女達は赤面して、くすくすと笑い合った。

 

□□

 

 乙女達は2頭立ての四輪馬車を借りて、タープ城を出立(しゅったつ)した。馭者(ぎょしゃ)もつけず、長身のベアトリスと地理に詳しいクラリッサが馬を操る。

 

 ローズマリー達は馬車の中で、自分たちだけで作った包焼き(パスティ)を食べながら、わいわいきゃあきゃあと会話を(はず)ませた。それは野に到着したら何をして遊ぶかであったり、どんな男子の顔の好みかであったり、心ときめく詩の話であったり、裁縫(さいほう)刺繍(ししゅう)の話であったりした。時には馭者(ぎょしゃ)役の2人に包焼き(パスティ)を渡し、使用人に命じる風にして揶揄(からか)ったりしながら、和気藹々(わきあいあい)と野に向かった。

 

 乙女達は目的地の野っ原に到着すると、野苺の群生する場所まで競走をし、俚歌(りか)を口ずさみながら楽しく苺を摘んだ。実を噛めば果汁が口の中に(あふ)れる。思いの(ほか)酸味が強いので、乙女達は笑い合った。

 

 たくさん苺を摘んだら球投げ遊び(スポールブール)をして遊び、それから踏み踊りをした。踏み踊りは男女で踊るものであるが、恋人のない者同士なら男役と女役に別れて踊る。

 

 踊り疲れたら絨毯(じゅうたん)を敷いて、包焼き(パスティ)や摘んだばかりの苺、パンと卵、橄欖(オリーブ)、酢漬にした野菜を広げる。そしてローズマリーが張り切って作りすぎてしまった、山のような潰し芋(ポテトサラダ)をみんなで食べた。

 

 ユーフェミアが口いっぱいにパンを頬張りながら言う。

 

「私ね、気になっている人がいるの」

 

 パンくずだらけの頬をそのままに、ローズマリーの顔をじっと見た。

 

「わ、私のこと……?」

 

 沈黙が続くから不安になって、きょろきょろと辺りを見回し、狼狽(ろうばい)し始めたところで、ユーフェミアはぷっと笑った。

 

「違うわよ! あなたのお兄様。ウィリアム様よ」

 

 乙女達がどっと笑い、ローズマリーは赤面した。

 

「ねぇねぇ、ローズマリー。ウィリアム様には許嫁(いいなずけ)がいるの?」

 

「い、いないよ。そんな話は聞いたことないもの……」

 

「じゃあ、私にもチャンスがあるかも?」

 

「う、うん。だってユーフェミアのお家は、お父様を支えるお家だもの……」

 

 ユーフェミアはにひひと嬉しそうに笑った。ウィリアム・ヴァン=ローゼスには恋人がおらず、己にその資格あり!

 

「私ばっかり話してちゃ卑怯(ひきょう)よ! ローズマリーは何か秘密の話は持ってきたの?」

 

 ローズマリーはぴしゃりと居住まいを正して、視線を泳がせる。

 

「わっ、わたしはっ」

 

 再び沈黙。

 

「……何も思いつかないっ」

 

 言って、俯く。喉まで出かかっていた『聖女になりたい』という夢は、ごくんと飲み込んだ。大袈裟な話になってしまうから、恥ずかしい。

 

 そうしていると、長身のベアトリスがそろりと言う。

 

「じゃあ、代わりに私が……」

 

 みながわくわくとした表情で、ベアトリスに注目した。

 

「あ、あのね。秘密と言うほどではないのだけれど、私ね、数日の間、お(いとま)をいただいていたでしょう? 実はね、ヘス侯爵領の御前試合に出ていたの」

 

 ヘス侯爵領とはファルコニア伯爵領の東に面する領であり、御前試合とは領主の前などで行われる武術の試合であった。

 

 みな、目を丸くして驚く。

 

「「「女の子なのにっ!?」」」

 

「う、うん。女の子だけの御前試合なの。それで、私、優勝して、ヘス侯爵に認められたわ」

 

 乙女達は、わあ! と湧き上がった。ローズマリーも満面の笑みで拍手をする。それは本当に凄いことだ!

 

「そ、それでね。聖ヴィネディネの称号を頂いたのよ。これはね、ヘス侯爵に認められると頂けるものなの。……そ、それからね。ファルコニア伯爵領の乙女で1番強いって、(ひょう)されたの」

 

 ユーフェミアがベアトリスに抱きつく。ベアトリスの持っていた包焼き(パスティ)が転げた。

 

「なんで内緒にしてたのよっ」

 

「だ、だって、恥ずかしいわ。女の子なのに、強いだなんて。しかも、魔法で勝ったならまだしも、剣の腕でだなんて……」

 

 ローズマリーは赤面しながら、大声を張り上げた。

 

「そ、そんなことないっ。かっこいいっ!」

 

 みな頷き、ユーフェミアがそれに乗る。

 

「そうよ! かっこいい! 私たちの大好きなベアトリス! 私たちの自慢の友達!」

 

 乙女達は食事もほどほどに、もう1度踏み踊りを始めた。そして『私の恋人だ』と冗談を言って、男役のベアトリスを取り合った。

 

 日が暮れる前にはタープ城に戻り、乙女達はジャムを作り始めた。使用人や料理人を厨房(キッチン)から追い出して、一切を手伝わせなかった。

 

 苺を手洗いし、(へた)を取って鍋に入れる。その上から、とりたて新鮮な蜂蜜(はちみつ)を流し込んで、ぐつぐつ煮込んで、みんなで仲良く灰汁(あく)抜き。最後に檸檬(れもん)を絞って、瓶に入れたら出来上がり。

 

 瓶の中、赤いジャム。思い出きらきら、苺水晶(ストロベリークォーツ)のよう。

 

□□

 

 2日後の小満(しょうまん)拝月(はいげつ)。長身のベアトリスは死んだ。最期に食べた砂糖菓子から砒素(ひそ)が見つかった。

 

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