不良聖女の巡礼   作:Awaa

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竜殺し(前)

 

 邪竜にとって、エリカの放った爆弾矢は生まれて初めて玩具(おもちゃ)から喰らった、重く、痛い一撃であった。

 

『ヴァアアアアアギャアアアアッ‼︎』

 

 竜は体を壁に叩きつけながら、大きな雄叫びをあげる。痛みと、驚き。そして『なんで自分がこんな目に遭わなくてはならないのか』という悲しみから、錯乱(さくらん)しているのだ。

 

「うるさいッ‼︎ 喋るなッ‼︎ 黙れ、外道ッ‼︎」

 

 エリカはボウガンに毒矢を仕込み、竜の顔に狙いを定める。

 

「貴様に、貴様なんかに、感情を表現する権利なんかないッ‼︎」

 

『カッ……。カッカッ……ッ』

 

 竜は不気味に喉を鳴らしながら、上を向いて口を大きく開けた。そしてガスを放射し、喉袋(のどぶくろ)にある石を打って、火花を出し着火する。初めに赤い炎が出て、すぐに強い魔力を宿した黒い炎となった。

 

 竜が()ぐようにして首を振る。坑内の炎が、眩い黒で塗り替えられていく。黒い炎は魔の炎である。鉄も岩も燃やす。

 

 エリカの耐火外套(マント)にも黒い炎がまとわり付く。だが、エリカは(おく)さない。黒い炎の中、狙いをすまして放たれたのは、4本の毒矢である。

 

 そのうち2つは激しい気流に阻まれ、逸れた。残る2つは、邪竜の顔部、爆発によって鱗の禿()げた箇所に命中する。その瞬間、竜は毒で口や鼻、性器、肛門などの穴から大量の血混じりの汁を吹き出した。

 

『キャアアアーーーーーッ‼︎』

 

 竜は再び大きな悲鳴をあげる。腹の中で育てていた卵が割れて、股座(またぐら)から大量の未熟児がぼとぼとと生み出された。竜の身体は死を前に、まるで蜚蠊(ゴキブリ)のように種を残すことを選択したのだ。

 

「これ以上、増やすなああああああッ‼︎」

 

 エリカは地を蹴って、弾かれたように竜の(ふところ)に向かって駆け出す。竜も素早く反応し、右前足をエリカの脳天目掛けて振り下ろす。

 

「うああああ゛あ゛あッ‼︎」

 

 それをエリカは避け、勢いよく剣を振って、竜の右前足の腱を切断。続いて懐に入り込んで股に回り、何匹かの未熟児たちを踏みしだきながら右後脚の腱を切断する。

 

 エリカがさらに左後脚の腱を切断しようとした時、未熟児が足に取りついた。鋭く細い爪が、(もも)に刺さる。

 

「……!」

 

 エリカの足が止まった。

 

『ブオオオオオッ‼︎』

 

 竜が叫びながら尾を振った。無数に分かれるゴム状の尾が、(むち)の嵐のように坑内で暴れる。

 

「……ッ‼︎」

 

 エリカは上手く合わせて幾つかの尾を避けたが、燃えて千切れかけていた尾の一部が、腹を掠った。竜にとっては、これで充分である。人間はかくも脆い。

 

 エリカは()ねられ、高速で回転しながら壁に叩きつけられる。取り付いた未熟児も衝撃で潰れる。

 

「あ……ッ‼︎」

 

 エリカは血を吹き出し、倒れる。臓器を痛め、息も満足にできない。思考もはっきりしない。頭も打ったのだ。いや、それだけではない。

 

(──酸素が足りてない)

 

 そして今、竜は大きな翼を広げ、首をあげて上を見る。酸素が足りてないのは、竜も同じなのだ。

 

「ハァハァ……。ゲボっ……。に、逃げるな……ッ!」

 

 エリカは剣を杖にして立ち上がり、爆弾矢をボウガンに仕込む。狙いは翼である。

 

「動け……。動いて……」

 

 腕が重く、動かしにくい。肩の骨が折れている。止血帯で塞いだ傷からも、また血が漏れ出てしまっている。

 

「ここで、殺すんだ……」

 

 エリカは震える腕で、脈打つ飛膜(ひまく)に狙いを定める。

 

「じゃないとお父様もお母様も……、報われないじゃないか……ッ」

 

 エリカは引金を引き、矢を連射した。矢の放たれる反動に耐えきれず、体の軸がぶれる。爆弾矢は様々な方向に飛び、炎の坑内のあらゆる場所で爆発を起こした。全ての矢を打ち尽くして空撃ちしながら、エリカはふらりと後ろに倒れる。

 

『ギャアアアアアアアアッ‼︎』

 

 放った矢の二本が竜の喉と翼に直撃した。

 

 そして竜は、ゆっくりと、腱を切られた右へ倒れていく。

 

『ゴゴ……、ブポコォ……、コポォ……』

 

 白目を剥き、極端な海老反りになって痙攣(けいれん)を始めた。毒が完全に回ったのだ。

 

「ハァハァ……。やった……。お母様、お父様……」

 

 エリカの目の前が暗くなっていく。

 

「キャロルさん、私……、わたし……」

 

 エリカは()う。ここから逃げ延び、生きる為に。待っている仲間たちに、勝利の報告をする為に。崩れた天井と壁をつたっていけば、なんとか昇降機まで行けそうか。

 

 ──しかし、ここで気がついた。

 

 倒れた竜の周りに、突如として黒い炎で描かれた魔法陣が出現し、その上で未熟児たちと竜の体が黒く燃えている。

 

 竜は『子』と『自らの胴体』を生贄に等価交換を行い、新たなる自分を創造することにした。魔術は成功し、子は毒に侵されていない『健康な脳』へ。胴体は生首だけで動ける『特別な力』へと変わった。

 

『ビチ、ビチビチ、ピチャッ! ビチビチ!』

 

 竜の首だけが、魚のように跳ねて動き出す。

 

「──え?」

 

 エリカにとっては何が起こったか、分からない。倒したはずの竜が、首だけになって動くのだ。

 

 竜の生首は、馬が駆けるような速さでエリカに向かって突進した。エリカは最期の力を振り絞って、立つ。剣を構える。しかし、それで精一杯だった。

 

 竜の生首はエリカの左腕に噛み付いた。

 

「化け物め……ッ‼︎」

 

 生首は、狂犬が野鶏(やけい)を喰らうようにエリカを勢いよく振り回して、宙に放った。エリカは地に叩きつけられた後、6回ほど跳ねてべちゃりと地面に倒れる。

 

 エリカには噛まれた腕の感覚がない。

 

 すこし先に、左腕が転がっている。竜は噛む力を弱めてエリカを放ったのではなく、単に()()()()()()のだった。

 

□□

 

「ハァハァ……ッ‼︎ ハァハァ……ッ‼︎」

 

 エリカは生きようとしている。折れた肋骨を押し上げ、必死に肺を動かす。そして立ち上がり、敵の姿を探す。だが、どこにも見つからない。

 

 ──見えているのは、若い父と母である。

 

 場所はどこだろう。見たことがある。これは確か……、寝室だ。何人かの給仕(メイド)と年老いた(シスター)に見守られる中、赤子を抱き寄せているようだ。もしや、この赤子は自分なのだろうか。

 

「すごい。すごいぞ。こんなに力一杯動いて……」

 

 優しい父の声が聞こえる。赤子の自分は、ぎゅうと父の袖を掴んでいる。

 

「きっと、この子は幸せになる。あらゆる困難に打ち勝って、大成するよ」

 

 エリカには分からない。これは、竜が見せる幻想なのか。それとも、人生に終止符を打つ走馬灯なのか。

 

 その答えを出す間もなく、今より少し若い辺境伯が赤子の自分を抱き寄せた。場面は、よくわからない。とにかく、小綺麗な部屋だ。

 

「色々考えたのだがね。この子の名前は『エリカ』だ。エリカが良い。エイリケ(打ち砕く)から取った。こんな時代だからこそ、強く(たくま)しく、生きるんだ」

 

 辺境伯が小さなエリカの体を、高く高く持ち上げる。

 

「はははっ。エリカ! お前は我が領の宝よ! 我らは常に君と共にあるっ!」

 

 また、場面が変わった。8歳になるエリカは小さな木剣を握り、屋敷の庭で父と打ち合いをしている。父を信頼し、本気で、果敢(かかん)に攻めていく。

 

「筋がいいな、エリカ……ッ!」

 

 幼いエリカは、誇らしげな笑顔で言う。

 

「早くお父様みたいに、強く逞しくなりたいからっ!」

 

「ははは、私の剣の腕は大した事ないんだぞ……?」

 

 父はそう言って、ばつが悪そうに頭をかいていた。

 

 10歳のエリカは、暗い部屋でフォルダン家の秘宝『黒曜の剣』を磨いている。油を付けるのも忘れて、一生懸命に刃を布で擦り続ける。辺りには誰もいなかった。音もない。怖いくらいにしんとしている。

 

「……」

 

 涙が黒い刃に、1滴、2滴と涙が落ちる。

 

「うっ……、ううっ……」

 

 自分が泣いている事に気がつくと、流れる涙をどうする事も出来なくなって、剣を磨く手を止めてしまう。涙が止むのを少し待って、目に残った涙を拭き、再び剣を磨く。

 

 12歳のエリカは庭で、生まれ育った屋敷を見ていた。まともに管理できる人間がいなくなって、くたびれた建物が、領軍によって壊されていく。

 

 その年は雨風が強く吹いて、建物を大きく痛めた。このまま屋敷を残しておくのは危険だった。

 

「エリカ・フォルダン。この丘は馬を走らせるには良い場所だ。お前さんもここで、馬を練習すると良い」

 

 そう言って辺境伯が優しく笑い、エリカの頭を撫でる。エリカは、体格には合わない腰に下げた黒い剣、その柄を、ぎゅうと握った。目には涙が滲んでいた。

 

 15歳のエリカは、兵たちが見守る中で辺境伯と打ち合うが、負けてしまう。エリカの木剣は宙を舞い、地に突き刺さった。

 

「立ちたまえ。さあ、もう一度だ!」

 

「こんな……、こんな弱い私には、邪竜なんて倒せない……」

 

 辺境伯はしゃがみ、エリカを正面からじっと見て、言う。

 

「確かに邪竜は強い。だが、どんなに強大な敵が立ちはだかろうとも、そこに対して向かっていく気がないのでは、とても勝てない。逆を言えば、向かっていく気があるのなら、勝てるかも知れん。そんな僅かな可能性にだって、すがる価値があるとは思わんかね」

 

 辺境伯はエリカに、優しく木剣を持たせる。

 

「エリカ・フォルダン。世界は残酷だ。自分に勝った者にしか、明日は訪れない」

 

 その夜、夜空には満月が輝いていた。エリカは今日も剣を握り、素振りをしている。宿敵を倒す為に、父と母の無念に報いる為に、そして自分が生き延びる為に。

 

 そうして剣を握っていると、エリカの隣に、兵が一人、また一人と立って、素振りをしていく。

 

「……みなさん」

 

 一人では心細いと思って、共に剣を振る。立場は違えど、心は一緒だ。そう言って、みな笑う。

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 エリカは流れそうになる涙を堪えて、声を絞り出した。泣きそうなエリカをみなが励ましていると、ついには辺境伯まで現れ、木剣を構える。

 

「よーし。もう一度、打ち合ってみるか! そろそろこの老いぼれの膝をつかせてみたまえ、エリカ・フォルダン」

 

「はい……‼︎」

 

 この日、エリカは初めて辺境伯に勝利した。

 

 17歳のエリカは、フォルダン家跡地の乗馬場でリトル・キャロルと向き合っていた。もう一人の自分を俯瞰(ふかん)して見ているわけではない。今こうしてここに立っている自分が、己だ。

 

 雲は低く、流れが早い。山から冷たい風が、強く吹いている。

 

「キャロルさん……」

 

 キャロルの顔を見ると、自然と涙が込み上げてきた。

 

「ごめんなさい……。みんな、応援してくれてたのに……。私のために付き合ってくれたのに……、キャロルさんにも稽古つけてもらったのに……」

 

 ふと、気づく。邪竜に親を殺されてから泣いてばかりだったことに。エリカはそれが悔しくなり、目を伏して強く拳を握った。

 

「勝つって決めてた……。でも、私──」

 

「エリカ」

 

 名前を呼ばれ、エリカは顔を上げた。キャロルは真っ直ぐとエリカを見ている。決して目は逸らさない。

 

「私は神を信じないが、これだけは言えるよ。お前はこんな悲しい終わり方をする為に、生を受けたんじゃない」

 

 エリカは、キャロルの冴えて輝く黄色い瞳に、まるで己の弱気を喰うような圧を覚えた。その瞳があまりに美しいから、目を離せないでいると、キャロルはくしゃりと笑って言った。

 

「大丈夫。自分を信じて。絶対に倒せる」

 

 そして、煙る霧の空気を鋭く吸い込み、キャロルは叫んだ。

 

「──斬れッ‼︎」

 

 エリカの耳に、お守りについた鈴の音が届いた。

 

□□

 

 幻想は心の中の()を映し出す。エリカの中のリトル・キャロルは、強い者でありつつ、導く者として有り続けた。

 

 エリカにとどめを刺そうとしていた竜の首が迫る。エリカはそれに合わせて体を動かし、敵の額に刃を突き刺す。竜の額から真っ赤な血が吹き出す。

 

 幻想は二(たび)打ち砕かれた。一度はまぐれもあるだろう。だが、二度は完敗である。即ち、効いていないのだから。

 

「う、うう……っ‼︎ うううう……っ‼︎」

 

 分厚い頭蓋骨が、刃を阻んでいる。片腕のエリカ・フォルダンの力では、なかなか押し込むことが出来ない。

 

『グゴッ。ガガガガボゴボ……ッ‼︎』

 

 竜は苦し紛れに魔法を使った。吹き出る竜の血が、硬質化する。無数の刃となってエリカの体に突き刺さる。

 

「うぐっ……‼︎」

 

 エリカは血を吐く。胃を貫かれた。

 

「私は……、お前なんかに、殺されやしないんだ……! そんな事の為に、生まれたんじゃない……!」

 

 だが、力は緩めない。

 

「お前を殺す為に……、ここまで生きてきた……ッ!」

 

 それどころか、死を前にしたエリカの体は、常人ならざる力を発揮する。

 

「──負けるものかあああああああああああああーーッ‼︎」

 

 エリカが全ての力を込めて押し込むと、黒曜の剣先はついに頭蓋骨を突破した。ゆっくりと、だが確実に、刃が竜の頭の中に入り込んでゆく。竜の額から、さらに間欠泉(かんけつせん)のように勢いよく血が吹き出す。刃となっていた血が、新しい血で溶かされ、流される。

 

 エリカの胸元にある邪竜の印からは赤い閃光(せんこう)が放たれていた。徐々にその印が消えていく。

 

『ゴ……、プ……』

 

 生首の目が、ぐるんと回って白目を剥いた。吹き出す血も、底を尽きる。

 

 竜は長い舌を力無く出し、ふしゅうと空気の抜けるような音を出して、全く動かなくなった。ついに邪竜ヨナスは死んだ。

 

「ゼェ……、ゼェゼェ……」

 

 エリカは糸の切れた人形のように、ぱたりと倒れた。

 

 生温かい血の海の上で、エリカは穴の空いた天井を見る。その先に昇降機があるが、とてもそこまで行けそうにはない。

 

 何か喋ってみようと思ったけれど、何も思いつかない。とにかく、とても眠い。寝てはいけないと漠然と思うが、眠いのだ。

 

 エリカは(まぶた)が重くなって、つい目を閉じてしまった。何も聞こえなくなり、やがて熱で肌が焼ける感覚も分からなくなった。

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