エリカは子供達の賑やかな声を聞いて目を覚ました。自分が寝台で横になって寝ていた事に気がつくのは、それからしばらく経ってからだった。
窓から風が吹いて
エリカはようやく生還したことを理解し、体を起こす。体の痛みはない。
包帯に巻かれた左腕を見た。包帯をゆっくりと外すと、縫われた傷口が腕周りを一周していた。さすがに、指を動かすことは出来なかった。
「キャロルさん……?」
ここで、初めて辺りを見渡した。自らが横たわる寝台と、小さな机と、化粧台があるだけの簡素な部屋だった。人はいない。机の上には黄色い野花が飾られており、花瓶の横にカップと袋、そして手紙があった。
手紙は美しく丁寧な字で書かれていた。全部で二枚ある。一枚目の内容は、簡潔なものだった。
『具合が悪ければ遠慮せずに人を呼ぶこと。左腕は
それと対照的に、二枚目は細かく書かれていた。
『袋の中身はチョコレートの残りだから、ミルクに溶かして飲むと良い。
さらに以下は赤いインクで強調してある。
『できるだけミルクに膜を張らないよう気をつけること。また、チョコレートは熱しすぎると細かな塊になるので、その事をゆめゆめ忘れないよう作ること。高級品なので適当に作るべからず』
最後に追伸で締められている。
『プラン=プライズ卿が心配しているので、目覚め次第、顔を出すこと』
手紙からほのかな煙草の香りを感じて、キャロルが暫く自分のために禁煙していたことに、初めて気がついた。
ふと気がつき、エリカは自分の胸元にあったはずの邪竜の印を指で触って確かめた。まるで、これは悪い夢だったとでも言うように、その印は跡形もなく消え去っていた。
□□
少し経って、エリカが目覚めた事を聞いた辺境伯が、部屋に顔を出した。
辺境伯は大きな体を縮こめて、丁寧にホットチョコレートを作った。キャロルのレシピに、
「私はどのくらい眠っていたのでしょうか?」
「5日かな?」
「そんなに……」
「何を言うか。それで済んだのが奇跡だろう」
辺境伯はホットチョコレートをエリカに渡す。器から甘く、深い香りが立ち上った。
「頭蓋骨は割れ、
次いで、辺境伯は優しい声色で青林檎をナイフで剥き始めた。
「キャロルさんが治してくれたんですか……?」
「概ね、その場でな」
辺境伯は事の次第を話す。
□□
リトル・キャロルは瀕死のエリカ・フォルダンを担いで、坑道から出てきた。戦闘によって、坑道が半壊したおかげで、エリカまでの動線が確保出来たのは幸いであった。
担がれたエリカの姿を見た兵たちは、これでは助かる見込みがないと、
辺境伯は、腕の断面から突き出た骨を削り、肉を縫うことを提案した。だが、キャロルは『繋げて元に戻す』と言った。
それを聞いて辺境伯は思った。繋げて元に戻すなど、不可能だ。断面は、引きちぎられて肉片も飛び散り、損傷も激しい。単純に傷を治すのとは、訳が違う。くっつけた後も再び腕として機能させなくては、腐るだけだ。
辺境伯は再度、腕を諦める事を提案したが、キャロルはまっすぐと目を見て、繋げると繰り返した。
「見たまえ」
辺境伯は瓶に入った無色透明の液体を見せる。
「彼女が用意した、真菌の
「それを、
「いや、準備していたらしい。君が勝つ事を信じてはいたが、無傷では済むまいと踏んでいたんだろう」
辺境伯はそう言って瓶を置き、兎型に切られた林檎をエリカに渡す。
「リトル・キャロル曰く、後に真菌は細胞として置き換わり、腕は完治するそうだ」
キャロルは、骨や神経、血管を、
「肺や頭の治療法も聞くかな? そこらは、時間がないと言って力ずくで治してたから、聞くにも痛々しいぞ」
「遠慮しときます……」
エリカは、キャロルが皮膚から突き出た骨を素手で押し込み、整形しながら
□□
辺境伯は、花瓶の水を新しいものに代えている。
「リトル・キャロルという子は何者なのだろうな。薬学や体術、教会魔術や古代魔術にも精通し、殆ど不可能に近かった竜の討伐を、数週間の指導で成し遂げさせた。そして生命を操る」
「それが聖女候補の力……。なんですかね……?」
「ワシは他の聖女たちがどのような人物なのかは知らん。だが、恐らくは……、リトル・キャロルが特別なのだと思う。いくら
エリカは辺境伯が切った林檎を食べる。食欲は無かったが口に入れたら存外美味しく、また一口、また一口と、口に入れる。
「リトル・キャロルを見出したのは、当時は
他、四人の聖女は同一の人間が選んでいる。クリストフ五世が選んだ聖女候補は、キャロルただ1人だった。
「彼女が追放されたことで、就任早々に立場を悪くしているらしいがね」
「そうなのですか?」
「正教会も一枚岩ではない。特に軍部と
キャロルの追放は、ただの一般学生が不祥事で退学処分になったという単純な話ではない。
「彼女は原典における聖女の力を授からなかったかも知れん。だが、神の目は節穴では無かったと思うし、神の声を聞いたクリストフ五世も
辺境伯はそう言って腰掛け、
「リトル・キャロルは、確かに救いの聖女だ」
そして、辺境伯は胸のロザリオを握る。
「長年、神を信じて歩み続けると、時に疑ってしまう瞬間もある。しかしワシはキャロルに会って、やはり神は信ずべき存在だと思った」
辺境伯はエリカの沈んだ表情を見て、笑う。
「すまんな、老人のつまらん話を聞かせて」
エリカは話に退屈していたわけではない。考えていたのだ。
その、リトル・キャロルはどこへ行ったのかと。
「あの……」
「うん?」
「……いえ、なんでもありません」
エリカは彼女がまだこの街にいるのかを尋ねようと思ったが、答えを聞くのが怖くなって、問うのをやめてしまった。
辺境伯が換気のために窓を開けると、
山に夏が来ようとしている。
□□
昼下がり、エリカは
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