沈黙の王都、川から黒い煙がもうもうと立ち上っている。まるで火口のようだった。
ほんの数秒の内に、赤く光る落下地点から髪の毛のような、1本の細い光がしゃなりと
光の幹は次第に赤みを帯び、やがて研磨された
将兵達は頬に冷や汗を垂らして体を強張らせた。あの恐ろしい、天へと伸びる縞の帯から、凄まじい魔力を感じる。手足の指先がぴりぴりとし、爪が反り返って剥がれそうである。
そして将の1人は言った。
「た、退避」
近場にいた兵が小さく答える。
「どこに……?」
光の柱から
次いで柱が肥大、王都は光の柱に飲まれた。キラキラとした、まるで銀河の中にいるかのような多幸感のある光であった。その正体は熱された砂と塵が硝子になったものであるが、それを理解できる者は誰1人としていなかった。
将兵達は
「──!」
ローズマリーもまた吹き飛び、
光の熱風がぴたりと止んで、ローズマリーは顔を上げた。初めこの階に来た時、
(あの影武者の子は……)
ローズマリーは恐る恐る彼女を探した。出来るだけ亡骸には目を
そしてハッと息を飲む。結果的にヴェラはそう遠くない場所に突っ伏していて、僅かではあるものの、体を上下させていた。
「生きてる? 良かった……! 生きてるっ!」
奇跡だ。胸を撫で下ろす。そしてローズマリーは彼女に這い寄った。生きているなら、呼吸が弱くたって良い。今すぐに回復の魔法をかければ、なんとか命を繋ぐことが出来るかも知れない。
不死鳥は死に際にあの縞の光を放つ。だが放った後は、死した不死鳥の体から上がる炎の中で、雛鳥となって蠢く。成鳥になるまでに数十分は有するから、すぐには飛び立てない。それだけの間があれば、彼女を回復させるには申し分ない。
急げ、急げ。回復させて、この神門から脱するんだ。そして安全な場所に身を隠して、助けを待とう。
「……!」
しかしローズマリーがヴェラの下へと到達する前に、クラークが立ち上がった。
クラークは口を大きく開け、赤く熟した歯茎から血を滴らせながら、
「お前が聖女に化けるから神が怒ったんだ!!」
叫び声を上げて、もう一度腹を蹴飛ばす。ヴェラは胃液を吐き散らかし、焼けた芋虫のように背を丸くした。
「よくも
激しく顔を踏んで、続ける。
「お前が聖女に成り代わっていなかったら、俺たちの理想は体現できたんだ。そうとも、神が味方し、翊衛軍の決意は王に届いた。神の名の下に王は剣を取り、王家の威光を取り戻すことが出来た」
ヴェラは意地で口を開いた。
「わ、私のせい? お前ら翊衛軍が短慮だったからだろ……」
「貴様は俺が間違えたと言いたいのか?」
クラークは腰に下げた
「俺は正義のために行動を起こしたんだ!! お前がいなければ、神は罰など与えるもんかッ!!」
長劔を抜いて、ヴェラを蹴り転がして仰向けにした。切先をその胸に当てて、続ける。
「おっ
ぎらりと光る刃を見て、ローズマリーは小さく呟く。
「そんなの、だめ……」
その様子を見て、全身にひやりとしたものが這った時、長く幽閉されていた部屋の中、己の肩に体を預けて寝ていた彼女の健やかな寝顔が頭に過った。寝息の音も、体温も。そして蓮の香油、髪の匂いも。海聖に似ていると、ぼうっと見てしまったのだっけ。
そして、腑抜けた私に対して真っ向から怒りをぶつけ、改めようとしてくれたことが記憶の中で
──今動かないと、彼女、死んでしまう。
ローズマリーは救いの手を差し伸べてくれる人を探して、周囲を見渡した。だが、そんな人はどこにもいなかった。
「楽には死なせんぞ」
ゆっくりと、確実に、刃がヴェラの胸に吸い込まれてゆく。
「神罰だ。存分に苦しめっ。ははは……っ!」
ローズマリーは処刑から目を離すことが出来ずにいる。背けたいのに、背けることすら出来ない。体が強張って顔が動かない。ああ、あんなに深く刃が刺さって。助けなきゃいけないのに。なのに、なのに、どうしてこの足は動かないのだろう。腕もだ。這うことだって出来ない。心臓の音だけが
「ガフッ……!」
肺に刃が到達したのだろう、ヴェラが咳き込むと同時に勢いよく血を噴き出し、それがクラークの顔を赤く染めた。
「もうやめて、お願い……」
痛ましい光景を目の前にして、湧き出てくるのは勇気ではなく吐き気ばかり。込み上げるものは胃液ばかり。それらを
ローズマリーは絶望した。なんて情けない。四肢を
「だれか、彼女を助けて……」
いつだって私の敵は私だ。恐れるばかりで、常に安全地帯を求め、そこにしがみつこうとして穢れてゆく。そんな自分を否定して、否定し続けて、最後に残った粕がきっと今の私なんだ。
でも、だって、何かをしようとすれば吐き気が出るから仕方がない。一番辛いのは私だ。……確かにそれは正しいけれど、私はその事実に守られて、ある種、そこに安住している。これが自分だと思うと、ひどく悲しい。
刃がさらにゆっくりと刺さってゆく。心臓に到達したろうか。ならば、もう助からない……。
それを認めた時、ローズマリーの視界は四方から侵食されるように暗く、次第に狭くなっていった。諦めが闇となって瞳を覆っていく。ヴェラの苦しそうな顔しか見えなくなって、手足が急激に冷えていく。力も抜けて、頭を支えるのもやっとだった。
ヴェラが
──今のうちに逃げて、聖女さま。
……そのか細い声が耳に届いた時、ローズマリーの頭の中で何かが切れた。糸が切れるような、ぷつりとした音が、明確に聞こえた。
そして呆然とヴェラを見つめたまま、呟く。
「……もの」
何か聞こえた気がして、クラークはその方を向いた。
「何? まさかお前も偽物か?」
「……うもの」
そしてローズマリーは生まれたての子鹿のように震える足で立ち上がると、2人に背を向け、例えば
ヴェラはその背中を見て、安心した。もう、いつ気を失っても良い。そう思えば急激に眠たくなった。……さあ、そのまま逃げろ。聖女が生きていれば、きっと世界は救われる。空聖が逃げ
しかしヴェラの願いとは裏腹に、ローズマリーは階層に幾つかあった作り途中の壁、
ローズマリーは徐々に歩みを早める。ついに小走りになった。裸足、ぺたぺたと音が鳴る。やがて全力疾走になって、頭頂部を前に突き出し、なんと猛牛の勢いでそのまま壁に衝突した。がちん、と激しい音が鳴って血が迸り、
「卑怯者」
ローズマリーはよたりと立ち上がり、血を迸らせながら、目玉をひん剥いて壁に頭を打ち続けた。何度も何度も全力で壁に頭を打ちつける。その度に額や鼻から激しく血が噴き出た。
「卑怯者、卑怯者、卑怯者、卑怯者っ!!」
クラークは剣を握る手を緩め、目を丸くしてその光景を見ている。
「卑怯者卑怯者卑怯者卑怯者卑怯者ッ!! あああああっ!! あああああああッ!!! ああああああああああッ!!!」
ヴェラも潮が引くようにして、死に際の眠気が覚めた。── 一体、何をしている?
「何もかも、お前がッ!! あの時に、お前がッ!! お前が瘴気の外を見たいって!! お前が、──お前が聖女になりたいって言ったから始まったんだろうがッ!! あああああああッ!!」
ローズマリーは声を裏返しながら叫び、自傷を続ける。まるで獣だった。
「だのに、目の前の事から逃げ続けて、被害者ぶるしか能がない
頭を打ち続けて、打ち続けて、そして首につけられた青い首輪をむんずと掴む。
「お前なんか人間じゃないッ!! 死んでるふりも出来ちゃいないッ!! 踏み出すことを恐れて、諦めることに慣れてしまったお前なんか、
引きちぎるようにして首輪を破壊した。パキン、と澄んだ音が沈黙の王都に響いた。
「本当に神罰を受けるべきなのは私なのにっ!!」
そして割れた魔弾が散りばめられた自分の胸の傷に、手首を突っ込んだ。
「でも、私が逃げるごとに、周囲が罰を受けるっ。そんなのは、もう、いやだっ!! いやだっ、いやだっ!! いやだッ!!」
心臓を握り、勢いそのままに取り出す。
「これ以上……っ!! これ以上逃げてたまるかああああっ!!」
幾つもの太い管が千切れて、噴水の如く血が高く上がる。痛みから幻を見ているのか、目の前に白い靄が出てきて、記憶の彼方にある、うまく名前を思い出すことのできない4人の影が、遠く、薄らと見えた。向こう側は風が吹いている。みなの髪が棚引いていた。
「聖女になるって、約束したんだろうがあああッ!!」
叫び、その僅かに動く塊を、両手で押し潰した。鮮烈な赤い血が弾けて、ローズマリーは白い靄に包まれる。全身の力がふっと抜けて、後ろに倒れ込んだ──と思ったが、辛うじて体を支えた。いや、体に力が入らないから、
なんだろうか。
背中がじんわりと暖かい。
ふわりと体が浮くように、背中が地面から遠ざかってゆく。
何事かと思って、ローズマリーは体を押し出すものの正体を見ようと、首を後ろに向けた。
「……!」
故郷の古い友人、毎日を一緒に過ごした4人の乙女たちが、目をぎゅうと瞑って、歯を食いしばり、必死になってローズマリーを押し返そうとしている。
──がんばれ、ローズマリー!
頭の中に懐かしい声が響いた。
その瞬間、故郷での記憶の全てが鮮やかに蘇ってゆく。
まるで七色の宝石箱を開けたよう。
勉強部屋の薬品の臭い。中庭、たくさんの花が咲いている。鶏小屋の鳩の声。庭園の長椅子でよく本を読んだ。紙の匂い、指先に伝わる質感、太陽光に輝く文字。時には丘を駆けた。疲れて動けなくなるまで駆け回った。
燦々と輝く太陽、青空。長い雲が伸びている。美しい苺の
「みんな……?」
名前だって今なら思い出せる。
なんの障壁もなく喉からそれが出てくる。
栗毛色の髪、
利口そうな面持ちのクラリッサ。
インゲの華奢で優しい雰囲気はそのまま。
そして誰よりも目一杯、うんと全力で、私の背中を押し返そうとしている、ユーフェミア。
私の友達が、あの頃の姿のまま、ここにいる!
「どうして……。いつからそこにいたの!?」
ユーフェミアが答える。
『私たち、待ってた! ローズマリーが約束を思い出してくれるのを、ずっと、ずっと待ってた!!』
ローズマリーの目から、
「ユーフェミア! クラリッサ、インゲ、ベアトリスっ!」
『がんばれ、負けるなローズマリー!』
みんなが必死になって、私の体を支えてくれている。
私を嫌いになっていないの?
どうして憎まずにいてくれるの?
私は過去を忌み物のように扱って、彼女たちのことを遠ざけてしまっていたのにっ!
ねえ、どうして!?
どうして私を助けてくれるの!?
「ユーフェミアっ!! クラリッサっ!! インゲっ!! ベアトリスっ!」
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、やっぱり泣きながら名前を呼ぶことしかできなかった。何をどうしようと、それが精一杯だった。
『私たちも、聖女の騎士になるって約束したからっ!』
「ユーフェミア、クラリッサ、インゲ、ベアトリス……!」
『ローズマリーのことが大好きだものっ。いつだって一緒にいるよっ!! だからローズマリーにも、自分を大好きでいて欲しいの!!』
「ユーフェミア……っ! ユーフェミアっ!!」
『──世界を救って、ローズマリー!』
空聖を中心に翠の風が逆巻く。次第にそれは竜巻となって立ち上がり、光の風は灰や
クラークには何が起きたか分からなかった。勝手に頭を打って倒れ込んだ乙女が、竜巻の中で光り輝いて、威風堂々、ゆっくりと立ちあがったのだ。そして
同じくヴェラも何が起きたか分からなかったが、宗教画の主題の如きローズマリーの姿に、確かな変化──もはやそれは蛹が蝶になったと言ってもいいほどの明らかな変貌を感じ取って、全身が粟立った。また、死に際である事を忘れるくらいにその光は心地よく、安心を感じ、さらに、じんわりと体の奥底を温めた。
──本当に、この子は聖女だったんだ。
漠然と思った。勿論聖女だと知ってはいたけれど、それでも思った。ローズマリー・ヴァン=ローゼスは確かに『神に選ばれた乙女』なのだと、ヴェラは理解した。
光の風の中、ローズマリーは自身の心臓の肉片がついた血塗れの手を、顔で拭った。これは蛮族とも
☆3巻上の予約が開始されました。
【挿絵表示】
続刊やその他の広がりは、皆さんのご厚意に甘えるしかなく…。
ご予約いただけると幸いです。
(電子は発売日以降の配信となる予定です。お待ちくださいませ)
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☆ピッコマで6/15(日)まで一巻相当が無料で配信されているようです。
番外編も読めますので、ぜひどうぞ。
最後に出てくるハートを連打していただけますと飛んで跳ねて喜びます。
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