ヒューバートは不死鳥へ駆けた。その鳥の魔物は
──キャロルは不死鳥を芯から凍らせるだろう。
不死鳥が凍結すれば、血は取り出せまい。肉を
だから危険は承知で駆ける。別に
作戦『
だが
(印章は奪えた。血を摂る前に封じられることもあるまい。あとは俺次第だ。俺が上手くやれば──)
不死鳥は真っ赤な目をぎょろりとヒューバートへ向けた。迫り来る生々しい野望の気配を、無視することが出来なかった。
そしてケンと鳴き声一つ上げると額を左右にぱかりと割って、
すっと鋭く息を吸って、ヒューバートは公爵家に伝わる聖具『小ブルーノの青銅剣』を抜いた。研ぎ澄まされた神経、上下左右、触手が何処から来るか手に取るように分かる。岩をも切り裂く名剣で次々に断つ。
(良い
──不老不死は
以前、キャロルの前でそのように
「!」
不死鳥は火を噴いた。黄昏の入江のような、金の炎だった。ヒューバートは避ける間がなく、真っ向から突っ込む形で灼熱に飲まれる。だが、足は止めなかった。黄金の中を愚直に突き進んだ。体から木々が芽吹いて鎧が弾け、口や鼻から芋虫が躍り出る。
(何も聞こえない)
瞬刻の間に、
一方で頭は冴えているから、炎に飲まれて痛みがないのは、どうにも妙だという理解はあった。そう言えば、戦士が魔物に囲まれた時、興奮が極限にまで達して恐怖感が麻痺し、死を恐れぬ
(であれば俺は、死に向かって走ってるとも言えるな)
死を意識すると、記憶の断片がふつふつと浮き出た。それは例えるなら、眠りに落ちる前に僅か顔を出す、繋がりも脈略も曖昧な、しかし確かに経験したことに基づく淡い
若い父の声。当時の
やがて、水の涼しさが風に乗って吹いた。雨上がりの真昼時。暗い森、夏の光は届かない。馬宿の近くにあった吊り橋の上で、がおと大きな音を立てて流れる川を、じっと見下ろしている女がいた。身を投げようとしているらしい。
目の前で死なれては後味が悪いので『見張っているぞ』と雰囲気を出して横に立ち、同じように川を眺めた。すると人恋しかったのだろうか、イザベラはぽつぽつと自分のことを話し始めた。
聞いてみれば、まあ、何のことはない。都会で娼婦をしていて、その
子宮のない女はからりと笑って言った。
『楽園はどこにあるのかしら』
『さあな。この世界のどこにもないさ』
『──じゃあ瘴気の外にあるのね』
少しくらいは慰めてやるか、と上から目線でその女を買った。女はイザベラと名乗った。本名かどうかは分からなかったが、彼女を抱けば抱くほどに、
イザベラの病には薬は効かない。魔法も意味を成さない。貧血に倒れる事も多くなったから、
情けない事に、当の本人は俺が不死鳥の血を手に入れようとする本当の理由を知らない。未だに伊達や酔狂でやっていると考えている。そしてイザベラは今なお、心奥では、忘れるべき男を慕っている。情の深い女だと思う。
さて、
「見えた……ッ!」
ヒューバートは白昼夢を
勢いそのままに、不死鳥の首元に剣をずぶりと刺す。灼熱の血が噴き上がる。それは酸を含んでいるのだろうか、鎧や鉄線が一瞬で腐食して、血塗れのヒューバートは背中から落下し、池の水が跳ねた。──高く天に突き上げた左手、ぎゅうと握った
「やった! 俺はやったぞ、イザベラッ!!」
不死鳥は血を噴き出したまま、錯乱して頭を振るった。そして巨大な
「一緒に瘴気の中に楽園を探しに行こうぜ。楽しみだな」
だが、ヒューバートは
そして嘴が彼の体を木っ端微塵に散らそうという時、一陣の風が吹いてヒューバートを
ローズマリーは
その先にはキャロルがいる。
キャロルは放られた印章を掴むと、
キャロルは池に滑り込んだ。ざばんと水が高く上がる。その後、立ちあがろうとして2度ほど倒れる。力がもう残っていない。残った足も腕も震えている。聖女は精霊と同化を始め、無尽蔵の魔力が湧き上がるものとされるはずだが、それでも再び義足を作り出すことさえ
結局赤子のように四つん這いになって、
「無事か、ローズマリー……っ」
そして1
「あの人は……、無事……?」
少しの間を置いて、キャロルはその方を向いた。
ヒューバートの至る所から木々が生え出ている。それが根を張り、体は池から持ち上がっていた。まるで
「いや」
キャロルはそれだけを言って沈黙した。彼はもう息をしていない。出し抜かれた挙句、死なれた。
エリカを人質に取るような真似をして、不死鳥の捕縛を持ちかけた、
「これがお前の言う、浪漫だったのか?」
彼が印章を盗んで駆け出した時、怒りや焦りの念は湧かなかった。ただ、妙に背中が大きく見えた事に驚いた。不意を突かれたせいでそう見えただけかも知れない。しかし、なんと言えば良いか、決して軽々しくはない覚悟がそこに滲んでいた気がした。
不老不死を手にしたい理由を浪漫だと語っていたが、本当か? 遅すぎる疑問、それを確かめる術はもうない。即ち、憂いを着地させる場所もない。雑に投げ出されたよう。
不死鳥の姿が消えたことで、周囲で祈っていた者らが
キャロルはヒューバートの手から落ちそうになっていた血塗れの手巾を取り、絞ってしまわないよう丁寧に畳んで聖鎧の胸に仕舞い込む。
そしてローズマリーが掠れた声で言った。
「キャロル、何か嫌な気配が来る……」
「うん、分かってる。弔いは後だ」
風の音に混じって、ざくざくと雪を踏み鳴らす音が聞こえた。次第に音は大きくなって、幾重にも重なる雪の
キャロルは
「正教軍……」
王都派だろう。数にして一旅(500人)の軍勢は噴水を取り囲むように静止。銃兵が前面に出て、残りの兵は抜刀。
間も無く、杖を持った1人の老人が、ゆっくりと、ゆっくりと、キャロルと相対するようにして兵らの前に出た。次いで、
キャロルは小さく呟く。
「ヴィルヘルム・マーシャル」
学園に在籍していた頃に何度か見る機会はあったが、こうして正面から向かい合うことなどは初めてであった。
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