──私がヴィルヘルム・マーシャルの子?
キャロルは頭の中が真っ白になった。手足は冷えて、胸が圧迫されるようにも感じ、胃液までもが迫り上がる。次第に耳鳴りが酷くなって、
力も入らない。腕が
「つあああああああッ!」
迷いを振り払うようにして、叫びながらの乱撃。嵐のような剣捌き。しかしヴィルヘルムは、風を切る音、雪を踏み締める音、荒ぶる息の音、それらを頼りに全てを防いでゆく。
「
そして大振りの一撃をするりと躱すと、ヴィルヘルムは居合切りの構えに転じた。
「……ッ!!」
キャロルは剣でそれを受けたものの、激しく投げ出され、背から浅い池に転げた。片脚では踏ん張りが利かなかった。
(冗談じゃない……っ!)
立ちあがろうとする。折れた
(嘘だ。私を動揺させる為の
キャロルは這いつくばりながら、朽ちた瞳でヴィルヘルムを睨め付けた。視力は戻っていない。それに目に涙も溜まっている。映るのは水中で目を開けた時のように不明瞭な巨悪の姿で、そこに重なるようにして、実にはっきりとした、神の姿が浮き出ている。
(この男は、自らの
キャロルは親に会おうと思ったことはない。
だが孤児の宿命であろうか、やはり
本来親無しでは生きることの出来ない、人間という弱い動物の、悲しい
(認めるものかッ! そんなの、認められるものかッ!!)
神リュカは
「……私は信じないッ!!」
キャロルは狂犬の如く歯を食いしばり、
「ローズマリー……?」
そして不意に
「ヴィルヘルムッ!! ヴィルヘルム・マーシャルッ!!」
キャロルはハッとして顔を上げる。ヴィルヘルムの背後、クリストフ五世率いる大白亜派騎士7人が並び、一斉に剣を抜いた。
「ここまでにしておけ。とうとうボケて味方を殺すなど、正に
ヴィルヘルムは振り返ることなく、耳を意識するように首を傾げて、時を止めたように立ち尽くした。その
攻め倦ねた間、たったの10秒。今度はキャロルの背後から、
「ちぃっ! バカクソがッ! なんと間の悪い……ッ!!」
余裕なさげに悪態をつき、クリストフ五世はその方を目で威嚇した。
白く
そしてがらがらと血の痰を絡ませながら叫ぶ。
「
アリスは落馬するようにして下馬。次いで騎馬隊は馬上で
「何をしておるッ! 守れッ! 光の聖女を守るべしッ!!」
呆気に取られていたリューデンの騎士らは、同じく作戦に参加していた
それでキャロルは焦ったように言う。
「みんな、退いてくれっ! 私はヴィルヘルムを斬らなきゃならないっ!」
脚元を見て、
「ローズマリーも。頼む」
しかし空聖は首を横に振った。
「どうして……っ!」
ローズマリーは折れない。首を横に振る。──キャロルは万全ではない。今この
だから聖女ローズマリーは、あの静かな雪の日の朝のように、キャロルに寄り添おうと思った。
キャロルがバラバラになってしまわないように。或いは、何処か遠いところに行ってしまわないように。キャロルがキャロルであるように。そして、決して私と同じにならないように……。
「あなたが……、誰の子供であるとか、私には関係ない……」
焼け
「キャロルはキャロルだから……」
ローズマリーは力が抜けてしまって、ばしゃりと浅い池に
「ローズマリー……」
その痛ましい様子に呟いて、キャロルはローズマリーを抱き起こす。
「学園でいつも1人でいる私を気遣って、話しかけてくれていた、優しいキャロルのままだよ。私はそんなキャロルが大好き」
キャロルは目を見開き、肩で息をしていた。意表を突かれたと言わんばかりに呆然とした。
『── あなたが誰かにやって欲しかったことを、あの人にもやってあげて』
ローズマリーの耳に、神門でのユーフェミアの言葉が蘇る。だから、たとえキャロルの体を抱きしめる腕が一本足りなくても、あの朝のように、ローズマリーはキャロルを抱きしめようとした。
「大丈夫。私がそばにいるから。私がいつだって、キャロルを守るから」
アリスは2人の様子に警戒しながらも、半ば這いつくばるような形でヴィルヘルムへと寄った。
「……聖下。
「空聖が王都にいることは秘匿されているはずだが」
「理由、定かならず」
空聖が魔弾で撃たれた翌日、
「大白亜派ジャック・ターナーとフレデリック・ミラーがなんとか
不死鳥の攻撃により、王都派正教軍も余力を残してはいない。キャロルも
「この状況を打開する手立ては3つ。まず空聖の無事をファルコニアの軍勢に確かめさせること。次にリトル・キャロルをクリストフ五世に引き渡すこと。そして、不死鳥討伐という輝聖の功績を、聖下の御威光で全て帳消しにされますよう」
言って、アリスはキャロルを見遣る。心の中で『勘違いするな』『お前を助けたわけではない』と忠告をする。
吹雪の中、みなが口を閉ざした。リューデンの騎士は剣を強く握り、王都派はぴたりと銃を構える。巫女達は震えながら盾となり、大白亜派は息を荒ららげて剣を構えている。誰かが少しでも動けば、破裂しそうな気配さえあった。だが、その凍てつく程の緊迫も、密やかに話す2人の聖女を
「──約束、覚えている?」
キャロルの焦げついた頭では、それを上手く思い出すことができない。
「雪が解けて、春が来たら、苺を摘みに……」
鍋の焦げが剥がれるようにして、頭の中で情景が露わになった。学園の庭園。今日よりも乾いた雪が、
その中で何を考えて座っていたか、正直に言えばよく分からない。己を守るために、脳がぼやかしてしまったのだと思う。覚えているのは、ただ、果てしない悲しみだけが海のように広がっていて、その先がない事だけだった。
色も音もない世界に、ローズマリーは現れた。
「苺を摘んだらジャムを……」
何を言うでもなく、そっと隣に座ってくれた。それがどれだけ嬉しかったろう……。
キャロルは目からぼろぼろと涙を流し、きゅうと声にならない声を漏らしながら、力強くローズマリーを抱きしめた。
※※※
聖暦1663年。
突如として王都に襲来した不死鳥は、水晶の印章に封じられた。王都派の記録によれば、
不死鳥を封じた印章は、リューデン公爵領内の
各地で復活した封印の獣は、聖女が
※※※
大白亜では、不死鳥が封印の獣を蘇らせたその意味について
大白亜派の神学者ジャック・ターナーは大白亜には戻らず、輝聖と共にリューデン公爵領に滞在。祈る事に努めた。その中で空を観察する事にも精を出し、風の中でも雪の中でも空を見上げること10日間、
また、安置されたリューデン公爵ヒューバート・ダーフの亡骸の頭が勝手に東を向くことから、これを
クリストフ五世は王国東部、大白亜派プラン=プライズ辺境伯領ウィンフィールド近郊に砦の建築を命令。そこを拠点に、年を跨いで聖暦1664年、
之が人類が初めて瘴気の中に足を踏み入れたとして名高い『瘴気進攻』である。
□□
ヒューバートが
その後、午後16時30分。ニューカッスルの街にバグパイプの音が響いて、ヒューバートの功績を伝える為の
小山に建つ城の客室、エリカは1人窓辺に立つ。街の中央、惜しむようにゆっくりと流れる列を見下ろしていた。貴族の娘なのだろうか、寂しげな列には蝋燭を持っている婦女子も少なからずいる。それが
部屋に
「エリカ殿、出立の支度は整いまして御座る」
「結局、領主殿のお
これはイザベラの事を言っている。
「妾ってわけじゃないらしいですよ。
「複雑怪奇な関係に有らせられますか……。男女には
「殆どご飯も食べず、魂が抜けたように
キャロルはヒューバートが所持していた『
「まこと聞きにくいのだが、文献の通り不老不死になりましょうか、その水薬は」
少しの間があって、
「キャロルさんは、きっぱりと否定していました」
「まあ、そうであろうな……」
領主が無言で帰還して
「多少の薬効もあるかも知れない、とは言ってましたけど、どうでしょう……」
エリカは自信なさげに言う。
「キャロルさん、延命出来ないか探ってました。それでも、奇跡でも起きない限り、多分、春を迎える頃には…….」
フリッツは気落ちするエリカの隣に立ち、同じように隊を見下ろした。
「真っ直ぐですなぁ、輝聖は。他人の為にいつも一生懸命で、なのに報われぬ」
目線の先には、馬上、堂々とリューデンの旗を掲げる光の聖女がいる。
「
フリッツは声を詰まらせる。
「
エリカは話を聞いていて、思った。……
「ご自身も辛い思いをしたはずだが、恨みつらみは一言も申さず。リューデンの騎士らの前では主人を死なせて済まなかったと、丁寧に頭を下げて……。それでも堂々と旗を掲げ、胸を張るそのお姿に、涙が出る」
──エリカはキャロルと再会してから、あまり言葉を交わせていない。
死者の王を倒した事は、もちろん直接報告した。キャロルは喜んでくれたし、必ず倒せると信じていたとも言ってくれた。
でも、その報告をする時には既に王都で何があったのかを耳にしていたから、
「今後は我らも忙しくなろうな。
なお、王都は不死鳥の閃光による被害が尋常ではない。フリッツが思うに、鶺鴒一揆で疲弊した王室だけでは復興敵わず、王都派正教軍の協力無くしては成せないだろう。
「……いや。そう仕組んだのやも知れぬな。もはや、全てが偽神の掌の上なのやも知れぬ。既に我らは、神の掌を離れたのやも知れぬ」
寂しげに呟き、そして縁起でも無いことを口走ったのを拭い去るように、少しばかり前向きになりそうな話へ変えた。
「輝聖は瘴気の中へ行くと聞き申した。そこにお仕えしたいと
そしてエリカは涙で赤くなった目で、静かに、囁くように、真情を吐露した。
「私、凡人ですよ」
「そのような事は……」
「いいえ。私は聖女のように神様に選ばれていません。だから、焦っちゃうんです。キャロルさんの為に何かをしなきゃ、って。じゃないと無価値になっちゃうんじゃないかって。私、キャロルさんを物差しにして、自分がどう見えているかを、いつも気にしています」
長い吐露だった。
「この感情はある種の呪いだと思います。キャロルさんの隣という特定席にいる以上は、避けられない罰なんです。きっとこの先も、完全に払拭することは出来ません。今までそれを認めるのにも怯えていた気がするけれど、今日はもう、認めてしまいます。キャロルさんの隣にいる事は、私の大事な絶望です」
何故だろうか。吐露していく毎に、胸の奥で引っかかっていた大きくて重い石が、すうっと溶け出していった。
「フリッツさんは私を凡人でないと言ってくれるけど、身も蓋のないことを言えば、この世界は『聖女かそれ以外か』だと思います。私の存在があるからって、キャロルさんの背負っているものを半分にすることは出来ません」
目線を落として、ちょっとだけ笑って続ける。
「別に
敗北宣言にも等しい吐露はエリカを癒した。自分の中で何度も消化する事を試みた無力感は、不思議なことに、自らの醜さを認めることで失せた。背中に羽が生えたかのような気さえして、とにかく胸が軽い。
「割り切った上で『それがどうした!』って言えるようになって、それで初めて、私はキャロルさんと対等になれる。他の聖女に負けないくらい、強くなれる気がするんだ」
言葉を紡ぐ毎にエリカの瞳は輝き、赤の色は澄んで冴える。瞬きをする度に別人になっていく少女の姿に、フリッツは呆然とした。──あまりにも
「あと……、私はもう、世界が神様の手を離れたっていいんだと思います。偽神なんか怖くないです」
「なんと。怖くないと申されますか」
「はい。キャロルさんの良心に報いることで、自分の正しさを実感できる気がするから」
「良心に報いる……」
「私、いい人になりたいんです」
僅かな間があった。そしてフリッツは耳心地の良い言葉に喜びを覚えながら、窓の外、再びキャロルの姿を追った。
「……いい人か。輝聖も『いい人』になりたいと願っていると聞いたことがある。そうかぁ、『いい人』か。確かに、人が目指すべき場所として、これほど適した言葉もあるまい」
感慨深そうに言うのを聞いて、エリカは赤面した。
「こましゃくれた事を、すみません。その……、キャロルさんの真似をしました」
「いやいや、目から
呟くように続ける。
「……ならばエリカ殿は、どんなことがあろうとも輝聖から離れぬよう。瘴気の中にまで引っ付いて行き、お支えくだされ。それが従者の役目でありましょう。エリカ殿は必ずや輝聖の孤独をお救いになる」
□□
キャロルは街の目抜き通りの中央で馬を止めた。列の後方が遅れ始めたと報告があった。
「──もう、春が来るんだ」
キャロルは霞む山々を見つめたまま、煙草を咥えて火をつけた。
□□
イザベラ・バークスは水薬を飲み、
□□ 苺を摘んだらジャムを 了 □□
4章はここまでです。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
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また、ライトノベル.jp様 人気投票「好きラノ2025上」で不良聖女の巡礼が3位となったようです。
二期連続のランクイン、大変光栄です。いつも応援してくださりありがとうございます。
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