不良聖女の巡礼   作:Awaa

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マリアベル・デミ(前)

 

 セント・アルダンに着いて2日目の夜は、ひどく荒れていた。

 

 南からの風が強く吹きつけ、木々が暴れた。雨が急に強く降ったかと思えば、止んで風だけになったりで安定しない。夜が更けてからは雷が鳴り始め、街中の家で家畜や馬が騒いだ。実に雷鳴の節らしい天候だった。

 

 ──マリアベル・デミは、この日リトル・キャロルの夢を見た。

 

 キャロルは真っ白な制服に身を包んでいる。髪は丁寧に整えられていた。その真っ白な制服の、首元から胸にかけてが血で赤く染まっている。自力で立てないようで、手を地についていた。

 

 顔は血塗(ちまみ)れで、額も頬も切れているが、目だけが生きている。猛禽(もうきん)のような黄色い瞳が、マリアベルを捉えていた。何を喋るでもなく、ただ、じっと見ていた。

 

 しばらく見ていたかと思うと、するりと逸らした。その態度は、まるで軽蔑(けいべつ)するかのようだった。

 

 マリアベルは、この光景をよく覚えている。忘れるわけがない。忘れたくても、忘れられない。

 

 それは学園に入って初めてキャロルと目を合わせた時。どこまでも澄んだ晴天の下、煉瓦(れんが)が敷かれた学園の剣技場での一幕。

 

 まだマリアベルとキャロルが同室になる前の出来事だった。

 

□□

 

 翌日。昨晩の嵐は嘘のように消え、空は晴れ渡っている。

 

 午前8時30分。喇叭(らっぱ)が鳴って、『第二聖女隊』はセント・アルダンを出発する。目的地は、プラン=プライズ辺境伯領パイモン。嵐の影響で道が悪い事を考えても、半日で着く距離だった。

 

 パイモンにて、本日夜に地方貴族や権力者との交流がある。これは、聖女マリアベルたっての希望によるものである。従って、それには間に合うように進まなくてはならない。

 

 隊は暫く順調に進んでいた。泥濘(ぬかる)みに車輪を取られるなどはあったが、順調と言っても問題はなかった。ただ太陽が天高く登った頃合いで、三つの馬車のうち先頭を行く馬車が止まってしまう。

 

 聖女と共に真ん中の馬車に乗っていたジャック・ターナーは、馬車を降りてすぐにその理由を確認した。問題は目視出来た。

 

 およそ15分ほど歩いた先、遠くの一部、山が削れている。そこからさらさらとした茶色い砂が流れているようで、その茶色い砂は、ふさりと道に(おお)い被さっているように見えた。

 

 追って降りてきたリアンが言う。

 

「ターナーさん。あれは……」

 

「崖崩れですね」

 

 目算では、なんとか通れそうではあった。しかしこの道は右手に山、左手が崖。馬車がすれ違えるかすれ違えないかという幅だ。進んだ先は徐々に狭くなっており、もし通れなかった時には引き返すのに苦労する。なので念のため、ターナーは道の先まで徒歩で見に行く事にした。

 

「僕も行きます」

 

 リアンが後を追いかける。マリアベルと2人きりになるのは、どうにも堪えるのである。

 

□□

 

 近くに寄るごとに、それは壮絶な災害と変わった。さらさらとしているように見えた茶色い砂は、水を含んで粘土のように粘り気を出している。(えぐ)れた山肌からは次々に水が流れ出ていて、立ち往生(おうじょう)している馬車が何台かある。

 

 さらに近寄ると、砂に混じって岩を大量に含んでいることが分かった。それに巻き込まれた人間がどうなるか、容易に想像がついた。

 

「まずい。思った以上だ」

 

 ターナーは駆け足になった。リアンも追う。近寄るごとに、さらに絶望感が増す。

 

 岩の下敷きになった馬車が見える。倒れた木々が針山のように突き出している。子供達の悲鳴に近い泣き声が聞こえる。

 

 土の周りには怪我人のみならず、亡骸(なきがら)も横たわっていた。子供の姿も多い。軽い怪我だけの者もいるようだが放心状態で、生き物のような土砂がじわりじわりと動いているのを見ていることしか出来ない。

 

「状況は」

 

 ターナーは軽く十字を切って、救助をしている数人の男に話しかけた。遅れてリアンも十字を切る。

 

「商列が巻き込まれたらしい! 何人も生き埋めになっている!」

 

 母親らしい女が、死んだ赤子を抱きしめている。腕を倒木に挟まれた子供が、助けを求めて泣き叫んでいる。子供がまだ馬車の中に、と父親が泣いている。

 

「……どうしたら」

 

 リアンは思わず呟く。呟いてこそ、分かる。

 

 ──これは、どうにもならない。

 

 だが、すぐに思い直す。はっと顔を上げる。

 

 そうだ。こちらには水の聖女がいる。

 

 聖女の力なら、どれだけ多くの怪我人がいても、どれだけ深い傷を負っていても、助ける事が出来るかもしれない。生き埋めになっている者も、水の力で徐々に土砂を切り崩して救出することも可能なはずだ。

 

 聖女だけではなく第二聖女隊の兵たちだって、体力と力には長ける。みなで力を合わせれば、小さな岩や壊れた馬車を退かすくらいは出来よう。魔法の使える者は、聖女の援護に回れば良い。領軍が来て本格的な救出を待つまでの間、多くの人を救うことが出来そうだ。

 

「大丈夫です。必ず、助けます。待っていてください」

 

 リアンはしゃがみ込む女の手を取って、言った。

 

 仮にも王族である自分が頼めば、きっとマリアベルも動いてくれる。そのはずだ。神が与えた血筋は、そういう時の為にあるのだから。

 

□□

 

「その中に、特権階級の人間は?」

 

「え……?」

 

 馬車に戻ったリアンは、マリアベルから思いもよらない言葉が返ってきて、時を止めたように硬直した。

 

「その中に、特権階級の人間は?」

 

 マリアベルが追い討ちをかけるように繰り返したから、堪らずターナーが答える。

 

「商隊の列です」

 

「ならば、捨て置きましょう。酒宴が重要です。噂によればヒルデブラント準男爵のご子息は病気の様子。本日お会いできますから、いち早く行って()てあげたいのです。戻って道を探してください」

 

 これにはリアンも食らいついた。あれだけの怪我人を見て、見捨てておけるはずがない。

 

「しかし……‼︎」

 

「ヒルデブラントは財を成して、地方貴族に次ぐ権力をお持ちです。活版(メディア)を包する商工組合(ギルド)の代表も務める。それがなぜ、どこぞの知らない商隊と天秤にかけることが出来るのですか?」

 

「すぐそこに怪我をしている人たちがいます。死にそうな人達がいます。助けを求めている人たちがいます……! それを無視するなんて、そんな……」

 

「光の聖女が見つからない今、いつか誰かが光の聖女の役割を果たさなくてはならない。それを選んでくれるのは、商隊の彼らではなく権力者たちです。助けて、どうなるのですか?」

 

「助けて……、それで……、助かるのです……‼︎ 尊い命が、助かるのです……‼︎」

 

「私には価値がありません。馬車を出しなさい」

 

 マリアベルは目を逸らした。これでこの話は終わりという意思表示だった。

 

「聖女様、僕は納得できません」

 

 まだ話を続けようとするリアンに、マリアベルは空気を抜くようにしてふっと笑い、こう言う。

 

「──聖女である私の言葉を否定するのですか?」

 

「後悔をしたくないのです……‼︎」

 

「ならば初めから見なかったものと考えてください」

 

「そういう問題では……!」

 

「そこまで言うなら、踏ん切りを付けるために殺せば良いでしょう。それであれば、私が行きます」

 

 ターナーが割って入る。これ以上は話をしても無駄だ。

 

迂回(うかい)します」

 

「ターナーさん……!」

 

 ターナーは最後尾の馭者(ぎょしゃ)に寄って、地図で道を示す。

 

 リアンは追いすがって、必死に訴えた。額には汗が滲んでいる。

 

「おかしいですよ、ターナーさん……! だって、助けられる人達があんなにいたのに……! 今も耐えながら僕たちが来るのを待っているんですよ⁉︎」

 

 憤るリアンを見て、言う。

 

「聖女には従うしかない」

 

 リアンは今、理解した。諦めとも取れる理解だった。

 

 滅亡に向かう世界は、聖女に頼る他ない。それを知っているから、逆らおうにも逆らえない。聖女が正式に誕生した事で、世界の縮図が変わったのだ。人類はもはや、この18歳の少女に屈するしかない。たとえ王族であろうともだ。

 

 それに、己がどんなに真摯(しんし)に訴えようと、土地を与えられていない『妾の子』の意見を受け止めることなどない。彼女にとって血筋だけは優秀だが、立場はただの兵と変わりがない。

 

「悔しい……。僕は……、無力です……」

 

 心の底では気づいていた。

 

 自分だけが、兄弟で領地を約束されていない。聖女と婚姻させることで付加価値を見出そうとする国の考えが、透けて見えて痛かった。ただの駒として見られているのが、情けなかった。それで、拳を強く握る。

 

 ターナーはその拳を見て思う。悔しいが、ここは心を殺して耐えるしかない。神は悪女(マリアベル)に聖女としての力を与えた。何か考えがあるはずだ。神は、万民を救うのだから。

 

 だが、それを信じていてもなお、ターナーは呟かざるを得なかった。

 

「彼女は聖女の本分を忘れている」

 

□□

 

 マリアベル・デミが求めていたのは、力だった。

 

 それは、戦闘力や包容力といったものではない。

 

 誰にも(おびや)かされない。誰もが見下さない。誰もが逆らわず、逆らえない。

 

 誰にでも顔が効き、一声あげれば手足のように動いてくれる駒を持つ。

 

 邪魔者は思うように排斥(はいせき)できる。

 

 裏切る者が出れば、簡単に切り捨てる事ができ、代わりを選べる。人々は自分を讃え、全てに賛同する。

 

 自分を中心に世界が回る。それを永遠に保持できる。

 

 言わば、圧倒的な権力を求めていた。

 

 聖女として君臨してもなお、それを強く欲した。

 

 いや、聖女としての成功は通過点でしかない。出来れば、王よりも上へ。世界の頂点へ。

 

 ───

 ──

 ―

 

□□

 

 ―

 ──

 ───

 

 その故郷(くに)は美しかった。

 土が豊かであった。

 海からの風が、いつも強く吹いていた。

 橄欖(オリーブ)の木や(オレンジ)の木が、いつも揺れていた。

 マリアベル・デミは、千の丘が潮風をうけて緑に波打つのを見るのが好きだった。

 その領の名前はサウスダナン子爵領。領主をサウスダナン子爵(ししゃく)、名をエドワード・デミと言った。

 

□□

 

 マリアベルの父、エドワード・デミは軍人であった。光が当たれば青く見える髪と、恵まれた体躯(たいく)、剣で魔物を薙ぎ払う勇ましさから、『青の武人』とあだ名された。

 

 この男は人当たりも良く、多くの人から慕われていたが、爵位(しゃくい)は持っていなかった。だが、『モラン城包囲戦』『ハルパスの戦い』で多大なる功績を残したことで、国王アルベルト二世よりサウスダナン子爵を(じょ)される。これでエドワード・デミの人生は一変した。

 

 サウスダナン子爵領は王国の南部に位置した。北にリューデン公爵領という王国屈指の大きさを誇る領と、西にモラン子爵領という比較的小さな領に接し、東は海であった。元々はリューデン公爵領の一部であったものを譲渡(じょうと)された地で、受け渡されたのは、先の戦闘の中で公爵の次男を助けた事によるものだった。

 

 エドワードが子爵となって2年後。今から18年前。聖歴にして1645年。デミ家に長女が生まれた。妻は産後の肥立(ひだ)ちが悪く、4日後に死亡した。エドワードは妻に敬意を払い、名を同じくマリアベルと名付けた。

 

 この年は災いの年だった。何の前触れもなく瘴気の壁が大きく動いたのだ。今ではこれを『狭災(きょうさい)』と言う。

 

 狭災により、神聖カレドニア王国の国土は大きく狭まった。縦断するのに馬で75日、即ち5節ほどかかった地が、およそ1年で3節ほどになった。60ほど存在した領も、30を切った。後に壁の侵攻速度は緩まるが、初動はそれほどに急だった。

 

 誰もが絶望し、神は我らを見放したと嘆いた。悲観し、狼狽(うろた)え、錯乱した。犯罪が増え、内乱も起こり、行き場をなくした人間が各地に溢れ、あらゆる場所で悲劇が起こった。瘴気に飲まれるより先に、内から崩壊する領地もあった。

 

 その中でもサウスダナン子爵領の治安は守られていた。従順な信徒でもあったエドワードが領内を巡って、神が我々を見放すことはないと丁寧に勇気づけていたからであった。

 

 だがそれでも、5年も経てば、サウスダナン子爵領には難民が溢れた。

 

 難民の対応は領によって異なった。単純に追い出す領も多ければ、悪い例では奴隷として捕らえ、売る領主もいた。しかし子爵は難民にも可能な限り真っ当な仕事を与えた。働けない老人や子供には、施与(せよ)した。

 

「お父様はどうして行き場のない人たちに施しをするのですか?」

 

 マリアベルは殆ど空になった屋敷の穀物庫で、子爵に問うた。その時の父の言葉を、マリアベルは今でも覚えている。

 

「私は国王より爵位を頂戴した。これは(ほまれ)なのだ、マリアベル。だから、誉に見合う人間として何が出来るのかを考えていきたい。どんなに自分が苦しくてもな」

 

「はい、お父様」

 

 父を立派だと思った。

 

「私もお父様のように、誉ある人間として立ち振る舞います。お友達には優しくします。玩具(おもちゃ)もいっぱい貸してあげます」

 

「よし。いい子だ」

 

 エドワード・デミは破顔(はがん)して、傷だらけの大きな手でマリアベルの頭を撫でた。

 

 マリアベルは、父が好きであった。いつも優しく、自分を大切にしてくれた。自分だけではなく、女中や庭師、料理人にも優しかった。領民にも分け隔てなく接した。たくさんの人に(した)われ、たくさんの人に囲まれていた。父の作る世界は、幸福に満ちていた。そのように見えた。

 

 難民には、モラン子爵領出身の者も多かった。まだ瘴気に蝕まれていないにも関わらずだった。理由は、内政にあった。

 

 モラン子爵は政治にとんと興味がない。領民から税を徴収し、自分の贅沢ができれば、下々の人間などどうだって良いようだった。

 

 以前から問題の尽きない領であったが、狭災(きょうさい)をきっかけに大きな内乱が起きた。モラン卿を打倒しようという勢力が、旗を()げたのである。そのせいで、政治に関係のない人達が難民となり、サウスダナン子爵領に押し寄せたのだった。

 

 この時期、エドワードはモラン卿の要請に応える形で、なんとか内乱を収めようと、度々出兵した。だが、肝心のモラン領軍は練度が低い。エドワードに頼る形での応戦だった。

 

 隣領が荒れている間は、必ずと言って良いほどエドワードは領を空けていた。その為、幼い頃のマリアベルは、父がおらず寂しい思いをしている事が多かった。

 

「……モランの人は、周りに迷惑をかけても何も思ってないの?」

 

 マリアベルがその事を女中のエスメラルダに聞いてみても、彼女は苦笑いをするだけだった。屋敷に仕える人間が隣国の領主の悪口を言うなどは、やはり失礼にあたる。

 

「お嬢様。隣領は隣領。我が領は我が領にございます。私達は、あなたのお父様に雇われて幸せです」

 

 マリアベルはモラン卿をつくづく軽蔑していた。幼いながらも、この状況をよく理解していたからだった。人に迷惑をかけ、人に対処してもらい、問題がおさまれば、また税を集めて贅沢に使う。そのような人間が、どうして領主を出来ているというのか。

 

 父が隣領から帰ってきても、マリアベルは遠慮して甘える事はなかった。父の背中は、毎度ひどく疲れているように見えたからだった。

 

 ならば、と健気(けなげ)なマリアベルは少しでも父の助けが出来ないかと思い、さまざま勉強してみることにした。財務、数学、卜占(ぼくせん)、天文学、測量(そくりょう)、法律に神学と、役立つであろうものは何でも手を出してみた。

 

 中でもひときわ異彩を放ったのは、領内の魔物を撃退するくらいは出来ないかとエスメラルダに教えを乞うた魔法だった。

 

「素晴らしい! お嬢様、これは本当にすごい事です!」

 

 マリアベルは魔法を習い始めてすぐに四大元素(エレメント)を自由自在に操った。炎は優しく暖かく、水は清らかだった。地から突き上げる石の柱は硬く逞しく、生み出す風は冴えていた。詠唱は丁寧で狂いが無く、応用も効いた。魔法陣の仕組みをよく理解し、古く効率の悪い陣は、近年の効率の良いものに組み替える事ができた。

 

「これで少しはお父様をお助けできるかな?」

 

「お助けなんて、とんでもない! 今にも小隊を率いて魔物と戦えます。将官に兵法を指南して頂きましょう」

 

 サウスダナン領軍の将バルバロスには、兵の扱い方を教わった。それで弱冠(じゃっかん)6歳にして小隊を率い、亜人(ゴブリン)などの魔物の群れを撃退する事も出来た。

 

「ハッハッハッ。お嬢様は神童でございますな」

 

 バルバロスが褒めてくれるのが嬉しかった。幼いマリアベルが活躍する姿を見て、兵たちにも気合が入った。

 

(きょう)もお喜びですよ。お嬢様がいれば、この領は安泰です」

 

 エスメラルダが喜んでくれるのが嬉しかった。新しい魔法を教えてくれるのが、楽しみでしようがなかった。

 

「マリアベルは特別なのかも知れんな」

 

 父は照れくさそうにしながらも、やはり喜んでくれた。

 

(私って、凄いのかも……!)

 

 良き仲間、良き環境に支えられ、マリアベルは自信を(つちか)った。領民にとってもマリアベルの活躍は明るい話題だった。みなが噂し、みなが愛した。領内は前向きな雰囲気に満ちていた。迫る絶望を感じさせなかった。

 

 ──サウスダナンは、世界一の領だ。

 

 マリアベルは、そう確信していた。

 

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