結論から言うと予想は外れた。振り向くと10歳にも満たない赤毛の女の子が立っていた。
「人の後ろをつけて回るのは感心しないな」
「ごめんなさい……」
「あの闘技場は悪い大人たちが集まるところだ。お前さんにはまだ早い気がするけど」
振り向き様に睨んでしまった為、頭を優しく撫でてやる。
「あそこに行けば強い人が見つかると思ったから……」
「強い人?」
女の子は勇気を振り絞るように拳を握りしめ、私をじっと見て、こう言った。
「あ、あの! お願いがあります!
一体一体はさほど強くない。慣れた成人男性であれば、農作業用の
だが時に奴らは群れる。群れると面倒だ。こちらから攻撃を仕掛けても、仲間を盾にして、数で押し切られてしまう。
込み入った話になりそうなので、大通り沿いにあった小さなパン屋に入り、落ち着いて話を聞くことにした。茶を2杯、それから女の子にと揚げ菓子を1つ頼んで、座る。
「その亜人は何体いるんだ? 何となくの数で良いよ」
10体程だろうか。
「100体……」
「ふぉっぶお‼︎」
思わず紅茶を吹き出してしまった。店主の婆さんがカウンターの奥から出て来て、慌てて布切れを渡してくれた。
「多いな」
「お願いします! お願いします!」
少女の話を総括するとこうだ。
元々、彼女の住む村の近くには、古くから亜人の巣があったと言う。基本的に亜人という魔物は臆病だから、ここの亜人も例に漏れず、人間に直接危害を加えるような真似はしなかった。あったとしても、真夜中に兎や野菜を盗るくらいだったのだそうだ。
が、少し前から亜人達が活発になり始め、昼夜問わず、しかも
一方で隣村も亜人の被害を受け始めた。それで隣村は傭兵団を雇い、対処に乗り出す。
しかし30人程度で組織された傭兵たちは帰ってくる事がなかった。それどころか、装備を奪われてしまう。
武装した亜人はさらに凶暴化し、
領軍に討伐の依頼をしているものの他件の対処に追われていて、すぐには出陣できないようだ。
そうして困っている間も、亜人は村を襲う。
■■
その村は、サマセットから歩いて一時間ほどの距離にあるらしい。巣に向かう道中、そんな所から毎日地下闘技場に通ってたのか? と聞くと、女の子はこくりと頷いた。
しばらく歩き、小高い丘を登った所で、小さな広場のある村を見下ろすことが出来た。ここが、彼女の村だった。至る所で火を焚いて、亜人が来るのを防いでいる。離れた場所からでも、焦げた臭いを強く感じた。
この丘から街道を外れ、野っ原に入り、しばらく行くと小さな谷があった。そこを降りた先にある洞窟が、巣らしい。
洞窟を覗くと、黒く塗りつぶした暗がりから肉を腐らせたようなガス臭がした。臭いに混じって、異様な圧も感じる。人殺しに慣れた魔物の気配だ。女の子の言う通り、ここは亜人の巣で間違いはなさそうだった。
「よし、もう村に帰っていいぞ。あとは何とかする」
「あの……、どうして引き受けてくれたんですか?」
「どうしてって……。困ってるんだろ? 事情を聞いておいて無視出来るほど堕ちてはない……、と自分では思ってるんだけどな……」
私がそう言うと女の子は少し恥ずかしそうに手を突き出した。その手に持っているのは、ふわふわとした白い小さな花を集めた花束だった。葉は手のひらのような特徴的な形をしていて、深い緑色。
「……これ。あげる」
頬を赤らめている。可愛らしいものだ。
「ありがとう」
丘を降りる最中『ちょっと待って』と茂みに入って行ったのは、これを摘みたかったからなのだろう。
■■
女の子が帰って行ったのを確認して、洞窟に一歩足を踏み入れる。闇の中で
さて、女の子の話によると、敵は100体。子供の言う事だから、多少は話を盛っていると思うが、どうだろう。まあどちらにしろ、この場で魔力を最大限放出して、全ての敵を菌糸まみれに出来るかどうかと問われると、流石に自信はない。制圧し終わる前に魔力が尽きてしまったら、多少の痛い目は覚悟しなくてはならない。それは嫌だ。そもそも、洞窟の広さも分からないうちにゴリ押すのは馬鹿のすることだ。
「格闘戦になるかな」
結論、節約しながら戦う必要がある。両腕に魔力を纏って、触れた相手から菌で蝕んでやることに決める。
私がもう一歩踏みだした瞬間、正面から亜人達が飛びかかってきた。正直、助かる。跳んでいる相手は当てやすい。避けることが出来ないからだ。
正面から来た敵に蹴りをかます。当たった場所から茸になって、腐り、崩れて弾ける。
腐敗した亜人が飛ばされて、別の亜人に衝突し、連鎖が始まる。どんどん
「さあ、遠慮せずにどんどん来て良いぞ。見た目の通り、血の気の多い性格なんでね。
この調子でいけば早そうだ。
■■
順調に亜人たちを排除し、ジメジメとした洞窟を進む。
が、多少魔力を使い過ぎてしまった感がある。まだいまいち、この力の加減を
「気分が乗りすぎた。明日は筋肉痛だ」
もう一つ。森に
ああ、そう言えばせっかく煙草を買ったのにまだ吸ってない、と口の中でごもごもと言ったあたりで、先よりも広い空間に出た。天井が崩れている箇所があり、外が透けて見えて
地面には人の死体や家畜の死体が幾つも重なっていて、亜人どもの糞尿や食いカスで覆われていた。おそらく、人の死体は話にあった傭兵団の死体だろう。
そして、壁一面には血で描かれた紋様のようなものが見える。これは亜人流の芸術か。初見ではなかなか理解し難い。
部屋にいるのは、一際大きい亜人の王。およそ13
あとは、鎧や剣、盾などで完璧に装備を整えた亜人が5体。
「そうか。私が疲れてここまで来るのを、じっと待ってたわけか」
5歳児程度の知能とはいえ、存外頭がいいものだ。確かに私の魔力はほぼ尽きているから、ヤツらの作戦は成功している。私の気分が乗る部分まで計算してやったのであれば、唸るしかない。
「でも、お前らが思ってるよりも人間様は頭がいいかも知れない」
私は腰に下げていた、女の子から貰った花束を手に取る。そして火の魔法で葉を発火させ、地に投げ置いた。
これは
きっと女の子は知っていたのだろう。遥か昔、魔力疲れを起こした魔術師達は、大麻の煙を吸って疲労を麻痺させていたということを。疲労を打ち消すことで体を騙せれば体はまた魔力を作り出す。
ただ、この匂いを嗅いだ日は夜眠れなくなるのが欠点だ。腹も減らなくなる。健康には良くない。
「さて、来いよ。相手してやる」
そう言ってため息をつき、首を鳴らす。
『──ギャエエエエエエ‼︎』
亜人の王が号令をかける。周りの亜人達が襲いかかろうと、下半身に力を込め、一斉に身を屈める。だが、それでは、もう遅い。
私は掌を開いて相手に
私の前方、壁、天井、床から大量の菌が発生し、亜人の王諸共、塊で押し潰した。
ぱちゅっ、と小さく潰れる音が連鎖して聞こえた。勝負はついた。もはや菌糸を出したと言うよりも、四方から壁を生み出した、と言った方が正確だろうか。
「ようやく落ち着いて吸えるかな」
そう言って
□□
リトル・キャロルが亜人の王を倒して、一夜が明けた
まだ日の昇り切らない時間、淡い紫色の空の下、亜人の巣に領軍が到着する。
プラン=プライズ辺境伯は、出来るだけ早い段階でこの巣を制圧したかった。だが、ここは辺境の領。兵隊にも限りがある。不眠不休で働かせることも出来ない。当然ながら対処できる案件には限りがある。
「すまないな、通してくれ」
朝の早い時間にも関わらず、巣の入り口には多くの村人たちが集まっている。辺境伯は、その大きな体でのっしのっしと村人達を分け入った。
「こ、こちらです」
村の若い男に洞窟内を案内される。足元には腐って泥状になった亜人の死骸と、同じく泥状になった
辺境伯は眉を
「──これは一体」
辺境伯は不思議に思った。洞窟の中に洞窟があるのだ。茶色く黒ずんで、ぐずついているような、腐っているであろう、柔らかい洞窟。それは溶け出して、汁のようなものになって滴り落ちている。汁はチーズのように糸を引いて伸びて、張り巡らされていた。
若い男が松明で奥を照らすと、潰れて腐った亜人の王の姿があった。
□□
村人たちによると昨晩、『亜人が全滅した』と触れて回った女の子が居るらしい。なので、辺境伯ら領軍は一旦村に入り、今回の件について詳しく話を聞いてみる事にした。
「座ったままで悪いな。いやはや、歳をとると足が重くてね。……君が、巣を制圧した者を知っている子かね?」
プラン=プライズ辺境伯の質問に、赤毛の女の子が頷く。
「さて。それがどんな人だったか、教えてはくれんか」
辺境伯は、『怖くないよ』と聞かせるように、しわくちゃの笑顔を作る。
「……お姉ちゃんだった」
「そうかあ。その人の魔法、見たかい?」
女の子は頷く。サマセットの街、地下闘技場で、妙な魔法を使っていたのを覚えている。
「どんな呪文を使っていたか覚えてるかな? 例えば、神に感謝をしていたとか、血や闇に
「呪文、使ってなかったよ」
「じゃあ、何か紋様のようなものを地面に──」
「描いてない」
辺境伯の目の色が、変わる。
「本当に?」
「うん」
「──ふむ。そうか。ありがとう」
赤毛の女の子が親の元へ駆けて行った後で、辺境伯はうーんと低く唸り、側近の兵に言った。
「この話が嘘偽りないものだと仮定して……。無詠唱を習得出来る人間など、そうはいまい。すると、誰なのかが、随分としぼられると思わんかね」
髭をさすりながら続ける。
「諸侯のような教育を受けた者だろう。例えば……、そうさね……。
聖隷カタリナ学園とは、聖女を
兵が、やや不安げな声で言う。
「今は魔物に対して力を振るっているようですが、この先、我々に矛先が向かないとも限りません」
得体の知れない実力者を野放しにしているというのは、恐ろしいものだ。何が起きても不思議ではないのだから。それこそ、領が
「ふむ……。敵となる者か、それとも通りすがりの災厄と見るか……」
辺境伯は顎に手を当て考える。そして、ため息混じりに呟いた。
「いずれにしても、直接話を聞く必要があるわな」
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