スレイローの街から漁村サハンまでは50
キャロルらが街を
エリカはこれを
雨避けをしようにも近くに馬宿もなく、街に戻るには苦労する距離だったので、近くの森に入る事にした。そこに森小屋があったので、休息を取ることに決める。持ち主は知れないが、現れたら事情を話すつもりだった。中には棚があって薪が並べて置いてあり、簡素な椅子と机、油の入った
さて、エリカには解せない事があった。それはやっぱりリトル・キャロルの事である。
エリカは、罪のない女性を騙し討ちしていたウォルターが憎い。耳飾りを投げ捨てられた事も恨んでいる。口なんか
まず、キャロルはウォルターの為に馬を用意してやっているし、飯も用意してやる。エリカから言わせてみれば、こんな奴は首に縄をつけて引きずって行けば良いし、飯などは黒麦粉でも舐めさせておいて、水も雨水で良い。
キャロルはウォルターに優しくするばかりか、身体強化の魔法について教えも
「もっと効率的に魔力を力に変えたい。ただ、前回は破壊力が出過ぎた」
ウォルターはじっと、式を見ている。
「俺には無詠唱がわからん。だから見当違いかも知れないが……。俺は、こう習った」
そして、その式に計算式と矢印を書き加えた。
「ほー。ロングランドではこんな周りくどい式を作るのか……。卿はあの脚部の強化をどうやって作り出した?」
「試行錯誤だ。失敗を繰り返して良い形になっただけで、理屈はよく分かっていない。俺の術を書き起こせと言われても、実は出来ない」
「偶然の産物か……」
魔法の構造は座標や数式によって可視化する事ができ、それを術式と言った。余計な要素のない綺麗な式は、座標軸上で美しい
これを簡素化すれば魔法陣となり、術式が『何を意味するものなのか』を言葉として表現すれば呪文となる。即ち、魔法における究極的な共通言語は座標であった。
しかし魔法に疎いエリカには、術式も二人の会話も何のことだかさっぱり分からない。この場にいると無学が苦しくなる。身体強化術はエリカの為のものだから、それ故に複雑な心境だった。
□□
その後も雨は勢いを弱める事なく1日中降り続いた。
翌朝、エリカは何とか先に進めないものかと、馬で道を駆けて様子を見に行ったものの、しばらく先で川が
他に道がないかと探してみたが、山沿いは崖崩れ。雨さえ止めば土砂を乗り越えて何とか進めようものの、肝心の雨が止まない。ついに、森小屋から動けぬまま4日が過ぎた。
そして5日目の朝。エリカが枝と葉だけで作った
「付き合え」
そう言って、釣竿を渡してくる。小屋に置いてあったものだった。
「へ?」
「
エリカはチラリと顔を見て、それからぷいっとそっぽを向いた。女を不意打ちしておいて、それでまだ騎士のつもりでいるとは。もうその資格を失っているとは思わないのか。全く恥ずかしい。馬鹿げている。
「……大雨が降ってますが」
「それが好機だろうに」
とりあえずウォルターはエリカを連れて行きたかった。と言うのも、掛かっている呪いの内『キャロルから離れてしばらく経つと死ぬ』というものは、立会人であるエリカに対しても効力がある。つまり、キャロルがいなくても、エリカが近くにいれば死ぬことはない。キャロルと一緒に行くのは少しおっかないから、エリカが必要なのだ。
エリカが無視をして馬を磨くのを再開しようとしていたら、キャロルが小屋の窓から気怠げに顔を出した。
「行って来たらどうだ。ここ数日、野菜と茸ばかりだったし」
その口には煙草が咥えられていて、吐き出す煙を雨粒が掻き乱している。
「でも……」
「どうせ武器もなく丸腰だ。魔法を使えば死ぬし、何か不審な動きをしたら遠慮なく殺していい。それでも逃げられたら無理せず戻ってこい。
エリカは口を尖らせた。
「その間、私は炊事でもしておこう」
「ポタージュか?」
ウォルターが問う。
「ポタージュだ」
「ポタージュか……」
そして少しばかり肩を落として、釣竿を揺らしてしなりを確認した。その様子を見たキャロルは、不満そうに頬杖をつく。ポタージュしか作れないと思われたとしたら、心外だった。
「
「言ったな、リトル・キャロル」
キャロルは煙を輪にして吐き出す。
「二言はない」
二人は小屋から少々下った場所にある、小さな谷の沢に向かった。ここは
エリカは
「リトル・キャロルは何者だ? 茸に関してはそこらに生えているから分かるが、野菜は解せん。どこから仕入れてくるのか見当もつかん」
そう言って、ウォルターも釣り糸を垂らす。
「それに、回復魔法の腕は並じゃない。あれだけ砕かれた手を湿布一つで治した。
エリカはつーん、と無視を決め込んだ。と言うより、雨音で聞こえないふりをしている。こんな悪者と、あえて話をする必要はあるまい。
「とにかく普通じゃない。一体何者なのか……、っと」
ウォルターは早速1匹目を釣り上げた。
エリカは目を丸くしてウォルターを見た。まだ糸を垂らして30秒と経っていないのに、もう釣ったか。
「安心しろ。別に
再び糸を垂らしてすぐ、2匹目を釣り上げた。同じく茶鱒。
エリカは負けてられないと、糸を動かしてみる。が、針が引っかかって動かなくなってしまった。それを見て、ウォルターが軽い身のこなしで大岩に跳び乗り、エリカの元に寄る。
「さては大地を釣ったな」
そして釣竿の糸を噛み切り、新しく針を付け直してくれた。それでもエリカはつーん、と無視を決め込んでいる。
「魚釣りの経験はないのか。貴族の
エリカは無視を続けるつもりだったが、貴族である事を言い当てられ、ハッとしてウォルターを見てしまった。
「分からないとでも思ったか。俺も元は貴族だ。立場上いろんな身分の人間と接してきたから、所作を見れば分かる」
なんだか偉そうなので、ふくれる。言い当てられたのも悔しかった。
「とにかく魚を釣りたければ、もっと魚が喰らい付きたくなるように針と餌を動かせ。葉から落ちて水中で悶える虫のように、だ」
指図されたので、さらにむすっとした。が、大人しく針を垂らす。エリカは心根が素直なので、言われた通りに針を動かした。
「上手いぞ」
竿が弛んだ。思いっきり竿を引き上げると、茶鱒が釣れた。
「筋がいい。が、俺の娘には及ばないな」
(……子供がいるんだ)
エリカはそれを知って、ウォルターもただの獣物ではなく、人であるということを理解した。が、それと同時に、怒りの感情が沸いた。そしてシャーロットの顔が思い浮かぶ。
「──娘さんがいるのに、なんであんな酷いことが出来るんですか?」
ウォルターは硬い表情で答える。
「獅子侯閣下の命だからだ」
エリカは強く竿を握る。命だから? 人のせいにするのか。
「……それは、理由にならないと思います」
静かに言い放ち、二匹目を釣り上げた。
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