イリーナコーストの要塞、その
濾過器に取り付けられた雫の形をした硝子容器の中、ドロリとした物質がゆっくりと滴り、徐々に下に溜まってゆくのを、メリッサは椅子に座って見ていた。
物質は魔力を多く含んでおり、窓からの
窓の外、西に沈みゆく太陽が、海上に光の道を作っている。風は少ない。
メリッサを手伝っていた13歳の若い侍女が、その夕日を見ながら書物を本棚に戻そうとして、部屋の片隅にある布を引っ掛けてしまった。それで、はらりと床に落ちる。出てきたのは
「失礼しました」
完成途中の油絵。描かれているのは、大窓のある部屋、光の中で8人の男女が集まって錬金術を行っている姿である。1人は大人で、後の7人は少年少女だった。
「うん? ああ、懐かしいな」
「これは姫様が……?」
「いつかは完成させたいと思っているのだが、中々」
メリッサは懐かしそうに目を細め、侍女に寄った。
「ここに立っておられるのは、姫様で?」
油絵の中、目立たない場所で紙に記録をとっている女子がいる。今よりも幼く見えるが、メリッサによく似ていた。
「そうだ」
「この者たちは、ご学友ですか? となると、ここが姫様が学ばれていた聖隷カタリナ学園……」
「いや、カタロニアの学舎だ。といっても、ただの家だがな」
一般的に、学舎や学校と言えば教員の家のことを指した。生徒は直接家に出向き、授業を受けるのが普通である。特別に用意された建物や教室などはない。それはカタロニアでもカレドニアでも変わらない事で、聖隷カタリナ学園のような都市機能を持つ教育機関は、カタロニアには存在しなかった。
「
メリッサは、長髭を蓄え、
「宮中に入りたがらない頑固者だから、妾が直接そこに出向いていた。泊まり込みでな」
「姫様が自ら……」
「私たちは『賢者の石』を作ろうとしていた。それを
「この者たちは、今は……」
「学舎はハルハンにあった」
ハルハンは4年前に瘴気に飲まれた
「あっ……」
侍女は少し声を出して、口を
かつてハルハンを含む幾つかの街が、三つ首の魔物
ハルハン中央の泉は赤く染まり、臓物と脂が浮いた。太陽の熱でそれらは腐り、凄まじい死臭を発して、臭気は国中に漂ったと言われる。
メリッサは死の街から逃げ仰せることの出来た、数少ない人間だった。それは、絵の中の学友たちが盾となり、囮となり、彼女を逃したからだった。
「今でも目に焼きついて離れぬ。逃げろと言ってくれた時の彼らの頼もしい笑顔が。今でも耳にこびりついている。逃げる最中、遠く、背中から聞こえる『ママ、助けて』という彼らの悲鳴が。それらは夢に出てきて、毎日、毎日、同じ惨劇を繰り返す」
メリッサは思うのだ。
もし、己が王の血を引いていなかったら、彼らは命を投げ打つことなく今も生きているだろうか。もし教えの通り、天に神の国があるとするならば、彼らは今もそこで錬金術にのめり込んでいるだろうか。そしてついに、賢者の石を見つけたろうか。もしあの時、己も共に逝ったなら、永遠に彼らと過ごせたろうか。
仮に今、神の国へと昇って、初めて
そう言えば、あの日は緊張していた。自分は王族だから、
「美しい思い出は胸に残ると言うが、そんなものは
絵の中の少年少女たちは楽しそうであった。メリッサは一歩引いた場所で、彼らを眺めるように記録をとっている。その表情は羨ましそうでもあり、幸せそうでもあった。
「やはり、国は残さねば意味がない。彼らが息づいた全てが残っていてほしい。あの地、あの丘、あの風、あの建物、あの会話、皆で泳いだ泉、語らった
メリッサは続ける。
「土地が残らぬなら、せめて新たなる国を。新たなる歴史を、作りたい。それすらも成し得なかったら、国のために死んでいった民の全てが無意味だった事になる。妾はそれを受け入れる器は持ち合わせていない」
そして掌を見る。
「奇怪だろう。体に結晶が流れているんだ。過去を思い出して流れるのは涙ではなく、代わりに水晶が
侍女は焦りながら首を横に振った。人でないなど、肯定することが出来ようものか。
「やがて、この力がさらに覚醒して瘴気を祓えると言う。果たしてそれがいつになるかは分からない。国が滅びてからでは遅い」
メリッサは描きかけの油絵に向かって、十字を切った。その表情は、儚い笑顔だった。
「妾を人の理から外しておいて、なお国をも失ったらば。獣物となって神を喰らおう」
部屋の外から声がした。女官長のミランダである。
「姫様、礼拝のお時間が」
「うん。……そうだ、捕らえてきたロングランドの男はどうなった。何か情報は掴めたか」
「兵士が口を割らぬと漏らしておりました」
□□
砦内にある礼拝堂で祈りを捧げた後、女官長と共に
メリッサが地下に着くと、廊下の兵達がみな跪いた。
「……この者たちは?」
「馬車引きが運んでいた娘にございます」
階段から直ぐの小さな
捕らえられて早々は衰弱していたのだが、日が経って多少体力が回復したので、彼女たちからも情報を聞き出しているのだった。
「まだ
「なにやら、生贄であったと」
娘たちはみな目の下に
「もう大丈夫だ。この砦にいる限り誰にも手出しはさせぬ」
メリッサは微笑み、一人ずつ声をかけて抱きしめていく。すると、最後の一人が言う。
「村は、無事なのでしょうか?」
「村……?」
拷問官が調書をメリッサに渡した。次いで、説明する。
「東にある村で晴れ乞いの儀式があり、その生贄だった由にございます。付近を巡っていた
調書に依頼を受けた人間の認可番号が書いてある。組合に問い合わせれば、それくらいを知ることは
番号を見てメリッサは直ぐに気がついた。己の連番であるから、つまり、共に試験を受けた聖女5人の内の一人。となると、付近で行動が確認されているリトル・キャロルに違いない。
「案ずるな。ここ数日晴れ渡っているし、どうやら妾の友人が一策講じたようだ。
メリッサが頭を撫でてやると、三人とも揃ってわんわんと泣き出してしまった。生贄に出されて怖かったのと、誘拐されて困惑したのと、家族が無事かも知れないのと、生きていて嬉しいという気持ちが、不安の
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