不良聖女の巡礼   作:Awaa

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海(前)

 

 リトル・キャロルらがラロッカの(しょう)を出立して、1日が経った。

 

 オルテン街道を西へ進み、暗い橅林(ぶなばやし)に入る。小川に沿って暫く進み、巨大な(ぶな)の下で休息を取り、再び歩き出して20分。突如森が切れて現れた夏の陽に、エリカは目を細めた。

 

 白くぼけながらも見えて来たのは、点々と灌木(かんぼく)が主張する緑の丘と、坂を降りた先の集落だった。目的の漁村サハンである。

 

 徐々に回復して行く視界の中、質素な木造の家が連なっているのが分かった。よく見れば、猫や犬といった動物が彷徨(うろつ)いている。それだけで長閑(のどか)な場所なのだろうと、エリカは思った。

 

「海……」

 

 集落の向こうに広がるのは、どこまでも広い、真っ青な海。

 

「すごい……」

 

 山地で育ったエリカは海を見たことがない。勿論、話には聞いたことはあるし、子供の頃は湖で遊ぶこともあったから、なんとなくの想像はついていた。だが、それでも思い描くのと実際に見るのとでは、随分と印象が違った。キラキラと煌めく渺々(びょうびょう)たる青色に圧倒された。

 

 海からの涼しい風が吹いて、前髪が踊った。汗ばんだ額に、ひやりと潮風が触れる。嗅いだことのない豊かな潮の香りは、湖のそれとは少し違う。耳を澄ませば、ざあざあという波の音と、海鳥たちのみゃあみゃあという歌が聞こえてくる。いつまでも眺めて居られるような光景を前に、呆然と馬の首を撫でた。

 

 馬上、キャロルが指をさす。

 

「あれがサハンだ」

 

 集落には船を作るのに使うのであろう木材や、漁に使う網、樽などが並んでいた。

 

「そしてあれが『聖タロスの灯台』。封印の獣が眠る聖地だな」

 

 集落から離れた場所、長く張り出した岬。その(なび)く緑の原の上、真っ青な海を背に、まるで切り出したばかりの白墨が立ったような塔がある。童話や小説などの物語にも登場する、比較的名の知れた聖地だった。

 

 その上部では炎が焚かれていて、生き物のようにうねる陽炎(かげろう)が見える。この炎は聖タロスが焼身を遂げた際のものであり、400年前から燃え続けているとされる。

 

 この炎が消えた時、自らの命と引き換えに封印した『八つ目の大海獣(リヴァイアサン)』が渦潮(うずしお)と共に再臨し、400年前と同じように狂濤(つなみ)を生み出して、全てを流すのだと言う。

 

 封印の獣と聞いてか不安げな表情を浮かべたエリカを見て、キャロルは仄かに微笑み、煙草の吸い口を叩いて灰を落とした。

 

公示(こうじ)によれば、この灯台は1節前に空聖(くうせい)が封印を強化しているそうだ。余程のことがない限り、飛び出してくることはない」

 

 公示とは正教会が発行する、近々に起きた出来事をまとめた紙であり、(およ)そ5日周期で教会や広場など、札場(さつば)のある場所に張り出されるものである。キャロルはここに辿り着くまでの途中、街でそれを確認していた。

 

□□

 

 ここからはウォルターを先頭に『馬車引き』が待機する場所へと向かう。海に背を向け、小高い丘を登ってゆく。

 

「馬車引きに私たちを引き渡せば、お前の仕事は終わりだ。呪いも解いてやる」

 

 そう言うキャロルに、ウォルターは何も返さない。

 

「嬉しくなさそうだな。そういう趣味でもあったか?」

 

 5秒、6秒と経ち、夏の風が吹いて、ウォルターは話し始める。

 

「俺は俺のやったことを間違いだとは思っていない。騎士として閣下の命さえ実行していれば、俺たちは救われるのだと思っている」

 

 ウォルターは続ける。

 

「だが、今は正直言ってよく分からない」

 

「分からないとは?」

 

 キャロルは馬上、ウォルターに煙草を1本、器用に指で弾いて渡した。

 

「信じているからこそ、知りたくなっている。何故、閣下は女を集めるのか。閣下はどこにいて、何を成そうとしているのか」

 

 そして爪の伸びた長い小指をくるりと回して、ウォルターの煙草に火をつけてやった。

 

「俺の中でも何かが変わったのかも知れないな。エリカ・フォルダンが徐々に話してくれるようになったように」

 

 エリカはハッとしてウォルターを見る。

 

「疑問を疑問と思うこと、つまり、自分で考えなくてはならないことを思い出した」

 

 ウォルターは、この素性も知れない小娘2人に、(いた)く影響されたのだと自己分析している。

 

 昨晩、焚き火を見ながらラロッカで起きた事について考えていた。それで、ネリーを共に(とむら)ってくれた時の、二人の真剣な横顔が炎の中に浮かんだ。そこで初めて、この小娘達は素直で、真面目で、目の前の事を少しでも良くしようと一生懸命なのだと理解した。

 

 それを認めた時、故郷を失って、自分はどう変わったかを顧みる事が出来た。恐らく己は、人間を単に目的を成す道具としてしか見られなくなっていたのかも知れないと思った。だから、卑怯な手を使って女を集めることが出来ていた。己にとって他人は『焼印を刻んだ獣』という消耗品と変わりはなかった。

 

 だが、本来はそうではない。人は自ら考えて、自らの想いで行動する動物だ。そして、自分もその人間だ。意味もなく生贄に出される乙女を見れば心が痛むし、助けたいとも思う。ラロッカでは、そう思える自分がいることに気がついた。

 

 未だ、ネリーが死んでやるせない。彼女の菓子の味は、いつまでも思い出の中で甘く華やかであり続ける。失った我が子を思うと、泣きたくなるくらいに悲しい。妻との出会いは鮮やかだった。──もし時が戻せたなら、次は命を投げ打ってでも3人を救いたい。

 

 騎士として自分を封じていた己でさえ、これだけの人間らしさが残っていた。もし、キャロルとエリカに出会えなかったら、自分の中の人間らしさは、やがて消え失せ、人ではなく獣に成り果てていたかも知れない。

 

 出会いは最悪だったかも知れないが、今では感謝している。

 

「お前が橋の上で叫んでいたのも聞こえた。この歳で莫迦(ばか)なことを言うが、あの日は俺も叫びたかった」

 

 エリカは少し(うつむ)く。恥ずかしいのと、なんだか切ないのと。たった二つの気持ちが混在しているだけなら単純だが、もっともっといろんな感情が、香辛料の入った卵牛乳(エッグノック)のように混ざり合って、複雑で、ずしりと胸が重かった。何でこんな気持ちになるのだろう。

 

 ウォルターを連れて旅をする事は、最初は嫌だった。大好きなキャロルの決定だから何も言わないが、正直な所、辟易(へきえき)していた。

 

 だけれど、ウォルターが何を考えているのかが分かった今、これで終わりなのが寂しい気がした。一緒に魚を釣ったことも、ネリーの亡骸を川に浮かべた事も、きっとこの先、忘れられない。

 

 単純に人を憎めれば楽なのに。そうであれば虜と主という関係で、とてもわかりやすい。悩まなくても良いし、胸のもやもやも晴れよう。

 

 エリカは溜息交じりに空を見上げる。走り出したくなるくらいにどこまでも澄んだ青空が、なんだか悔しかった。空の下、冴えて煌めく夏の世界も、同じく悔しい。

 

「そう言えば、聞くのを忘れていたな。何故、お前たちはこの問題に首を突っ込む」

 

 キャロルはウォルターの問いに、さらりと答えた。

 

「放っておけないからだ」

 

「放っておけなければ、何でも首を突っ込むのか?」

 

「誰かが言うに、そういう定らしい」

 

 ウォルターは鼻で笑う。本当に、この娘はいったい何者なのだろうか。

 

「あの……」

 

 エリカは小さく言う。

 

「一緒に突き詰める気は無いんですか? 獅子侯が何をしようとしているのか」

 

 ウォルターはそれに対して暗い笑いで返した。

 

「知るのが怖いんだ」

 

 共感して、エリカは再び俯く。幼い頃、両親が死んで自分に印が刻まれた時、何故それに至ったのかを知るのが怖かった。知らなければ、ただの可哀想な女の子でいられるから。

 

□□

 

 辿り着いたのは丘の上にある牧場だった。

 

 広大な原の上に管理小屋と、幾つかの厩舎(きゅうしゃ)埋蔵穽(サイロ)とが群れるように固まっていて、他は放牧に使う用地だった。柵は見当たらない。緑の原の上では、山羊や牛が草を()んでいる。

 

 その管理小屋に近寄り、ウォルターが扉に手をかけた時、ふいに動きを止めた。後ろにいたキャロルも、エリカも、理由は分かった。扉の向こう、異様だ。

 

「死臭がします」

 

 エリカは剣の柄に手を添えた。誰かがいる気配は無いが、用心に越した事はない。

 

「開けるぞ」

 

 ウォルターは扉から手を離し、勢いよく蹴り開けた。薪の棚と()、寝台と小さな台所のある部屋の奥、まるで蝿を叩き潰したように、押しつぶされた人間の亡骸が壁に張り付いている。

 

「う……」

 

 エリカは思わず口を抑えた。あまりに残酷な亡骸だった。性別はうまく判断できない。小柄だから若いのか、それとも小柄な大人なのか。

 

「ウィル……」

 

 呟いて、ウォルターがゆっくりと近寄る。潰れた亡骸を壁から剥がしてやろうとするが、癒着(ゆちゃく)して、剥がれない。

 

「馬車引きか?」

 

「いや、違う。馬車引きの従騎士(エスクワイア)の一人だ」

 

 馬車引きはアンデルセン伯爵領の騎士。他に従騎士が三人いて、みな12歳の同い年。馬車引きを手伝ったり、潜伏中の金を工面したりするのが仕事だったと、ウォルターは説明する。

 

 ウォルターにとっては三人とも故郷にいた頃から知る仲で、剣技を指南することもあった。このウィルという男子には魔法を教えていた。故郷が滅んで別れるその時、いつかもう1度魔法を教えると約束していた。

 

「一体誰がウィルを。俺が女を集めた事で、復讐にあったのだとしたら、俺は……」

 

 キャロルが死体に触れる。全身に対して均等に圧力がかかり、骨も肉も潰れている。

 

「今言えるのは、闇の魔法だということ。強烈な重力で押し潰されている」

 

 気温が高い事もあってか腐乱している。だが腐った臭いに混じって、キャロルは(こう)の香りを感じ取った。あまりこの国では使用しない類、果物由来の香だ。カレドニアでは甘味は貴重だから、果物は魔術に用いる物ではなく、ちゃんと嗜好品(しこうひん)として用いる事が多い。

 

「──カタロニアの人間が好んで使う香だ」

 

 何か嫌な予感がした。胸の奥深くでねっとりと絡みつく、例えば薬に使う爹児(タール)のような、黒く重い予感が。

 

 エリカは小屋の中を物色した。寝台の下には大量の酒瓶が転がっていて、馬車引きの男が荒れた生活をしていたことが想像できた。暇を潰すための紙牌(トランプ)は従騎士たちの(いこ)いか。暖炉で肉を焼いたような跡もある。骨から察するに、山羊。

 

「……これは」

 

 エリカは机の上、小さな日記帳のようなものを発見した。書き途中だ。きっと、これを書いている最中に襲われたのだろう。

 

 表紙は血に塗れているが、細かい細工が施されていて、汚れる前は美しかった事が分かる。見るのも悪い気がするが、何か分かるかも知れないので拝借する事にした。

 

□□

 

 その後、牧場内に馬車引き、もしくは犯人がいないかを三人で捜索したが、良い結果は得られなかった。

 

 埋蔵穽(サイロ)には、夏の時期にいっぱいになるはずの真新しい牧草が無かった。代わりに、古い牧草が少し。

 

 厩舎の裏、小さめの風車の側に丁寧に弔われた墓が二つ。恐らくはこの牧場主のもの。

 

 家畜小屋には牛や山羊などの動物がいた。動物達は弱っている様子はなく、持ち主が変わった後も大切にされていたようだった。ウォルターは従騎士たちが世話をしていたのだろうと予測した。

 

 管理小屋の地下室は、簡易的に作られた礼拝堂。そこにある小ぶりな女神像は、椅子に座っていて、腕が三本あった。それぞれ剣と槍と弓を持ち、背に太陽の盤。『軍天(ぐんてん)』と呼ばれる種類の像で、戦勝を祈る際に作られるものだった。

 

 牧場にあった建物は(くま)なく探した。だが、馬車引きや残りの従騎士は見つからない。

 

 その為、キャロルは亡骸を剥がして、何者が何の目的で従騎士を殺すに至ったのかを探ることにした。ウォルターもまた、それを手伝う。

 

 狭い小屋の中、3人もいては(かえ)って邪魔になるので、エリカは厩舎前にある葡萄棚(ぶどうだな)の下、小さな切り株に腰掛けた。見上げれば、瑞々(みずみず)しい葡萄が夏の光を受け、透明感を増して輝いている。ここで、例の日記を読む事にした。

 

 日記は血で読めない部分もあったが、内容は何となく解読出来た。国が滅びて騎士や貴族達とカレドニアに来た事。健気な民達を置いてきてしまった事。親と別れた事。潜伏するためにこの牧場主を殺さなければならなかった事。墓を作って弔った事。そして彼らを殺した事を詫びる文面が何度も繰り返されていた。

 

 また、主人である馬車引きが酒を手放せなくなった事や、日ごろ暴力を振るわれている事、家畜は可愛いという事、生まれ変わったら家畜になりたい事、国はもういいから女を集めるのをやめたいという事が書かれていた。

 

 エリカは日記の中、血で滲んだ鳥や犬の落書きを、指でなぞった。可哀想に思った。このウィルという子には会ったこともないのに。本来なら敵の(はず)なのに。もうこれでは、百獣軍を憎むことができない。

 

 実は閣下というのは良い人で、攫われた女は丁重に扱われており、きっと女だけの優秀な遊撃隊を作り、ロングランドへと戻って失った土地を取り戻すとか、そうした都合の良い望みを抱いている。女を集めたくないと日記に書くウィルに『大丈夫、閣下を信じて』と励す己の姿さえ妄想する。

 

 獅子侯を、信じようとし始めている。確証もなにもないのに。助けたいと思っていたはずのシャーロットの顔も、記憶の中で遠い。

 

「私は、薄情(はくじょう)なんだ……」

 

 シャーロットや連れ去られた女達を助けたいと思って、ウォルターら百獣軍が憎いと思って、獅子侯を追っている筈なのに。それが揺らぐ。芯が無くて軽薄だから、きっとこのままではシャーロット達を裏切ってしまう。つまり、どっちつかずの薄情で最低な人間なんだ。

 

 ──こんな日記、読まなければよかった。

 

 そう思うと、じわりと目に涙が溜まった。

 

 涙が落ちないよう顔を上げた時、原の真ん中に1羽の(からす)が降り立ったのを見えた。次いで、また新たな鴉が降り立つ。2羽、3羽、4羽。次々に鴉が飛来して、一箇所に集まる。

 

 エリカは不思議に思って、鴉の降り立つ場所に寄った。そこにあったのは、伸び切った草に埋もれた亡骸。12歳程度の男子。恐らくは従騎士。

 

「キャロルさ──」

 

 エリカがキャロルを呼ぼうとした時、一羽の鴉がエリカの顔の前でバサバサと跳ねた。

 

「うわっ……!」

 

 驚いて、尻餅をつく。それで気がつく。この少年、布と短剣を隠すように抱えている。

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