不良聖女の巡礼   作:Awaa

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灯台(後)

 

 階段を上りきり、天井の扉を押し開け、エリカは屋上へ立った。共について来ていた梟がバサバサと羽ばたき、天へと飛び去る。

 

 エリカの目に飛び込んできたのは、陽に輝く青い海。足元の白い床は太陽を照り返し、光の中に立っているようだった。塩気をたっぷりと含んだ風が強く吹いて、銀髪が踊り狂う。海猫達の鳴き声が(かしま)しい。

 

 屋上の中央には白い聖火台があった。炎は陽炎。揺れる(もや)の中に直立した棺が存在し、扉は開いていて、焼死体が見える。奇妙にも右手だけを前に突き出している。風が吹くと手に持つ金の()()()()が揺れた。この漆黒の死体こそが聖タロスである。炎の中でも形を留めている香炉が、封の核であった。

 

 エリカはごおと吹く風の中、聖火台を真正面から見つめた。聖火台の前には、30段の階段がある。その26段目に力無く座る少年がいた。年は10から12歳ほどに見え、ウォルターが教えてくれた容姿とも一致しているから、従騎士のセオで間違いないだろう。

 

 少年に寄り添うのは、白い体毛の2つ首の魔物である。首の片方は獅子(しし)であり、片方は山羊(やぎ)であった。尾は長く、鱗があり、魚にも蛇にも似た顔が先端についている。胴は熊か虎か。とにかく肉食獣特有の、滑らかかつがっちりとした体つきだった。これがガストンらが言っていた合成獣(キマイラ)か、とエリカは()め付ける。

 

「セオ。無意味な事はよせ。お前は賢い子だから、わかっているはずだ」

 

 ウォルターが近寄ろうとすると、少年は弱々しく言う。

 

「ウォルターさん、近寄らないで……。この魔物は僕に近づくと、襲うようになっているから……」

 

 ハァハァと苦しそうに息をしている。やはりと言うべきか、少年は封の影響を受けて衰弱していた。動くこともままならないらしい。手元にある荊棘槌は力無く転がっているし、首元には吐瀉物(としゃぶつ)の跡があった。

 

「全部やめたい。本当はケント卿も閣下の事も、もう、どうでも良いんだ……。誰か助けて」

 

 少年の頬を涙が伝うのを見て、エリカは確信する。──やっぱり、この子は苦しんでいる。

 

 従騎士として主人を助けなければならないという義務感、故郷への想い、死んでいった仲間たちの無念、謎の敵への恐怖、色々な感情が入り混じって、混乱したまま行動に出てしまったんだ。それで、逃げる事も出来ず、一人で勝手に追い込まれてしまった。

 

 ウォルターがさらに近寄ろうとするのをエリカが止め、剣を抜いた。

 

「大丈夫。私が、助けに来た」

 

 合成獣がグルルと喉を鳴らし、その獅子が勢いよく吼える。

 

「エリカ」

 

 エリカの首筋に1滴、白檀(びゃくだん)の精油が垂らされる。ふわりと優しく香って、背中にキャロルの温かな手が触れた。1秒、2秒と経って下腹部、丹田の辺り、その奥深くから、鐘を()いた時のような、ごうんという響きがあった。身体強化の魔法が発動した。

 

 ただ、スレイローの街で付与された時とは、随分と印象が違う。柔らかくて、自然で、なおかつ澄んでいて、不思議と気持ちが良かった。五感が限界まで研ぎ澄まされているはずなのに、まるで違和感がない。

 

「尾を狙え、エリカ」

 

「尾を……?」

 

「そこが脳だ」

 

 合成獣の尾は、キョロキョロと注意深く辺りを見回している。一方で獅子の頭は此方を睨むばかりであるし、山羊の頭はぼうっとしているように見えた。

 

「首が多い魔物にはそれぞれ役割がある。これの場合、尾っぽさえ斬り落とせば人形(でく)になる」

 

 エリカは頷き、前に出る。すると合成獣は階段から跳び、猫のようにすとんと着地した。

 

 それを見てエリカは鋭く息を吸い、地を蹴って走る。人を含めて動物は何であれ、着地した瞬間に大きな隙が出来るもの。狙いは、今だ。

 

(──私が絶対に、助けるんだ)

 

 それだけを思って、前へ。取り憑かれたように。または、自身の迷いや憂いを塗りつぶすようにして、駆ける。

 

 合成獣、その山羊の頭が甲高くケンと咳をして、硬い痰を飛ばした。鉄砲玉の如く放たれたが、身体強化の恩恵(おんけい)を受けたエリカの目には、子供が投げる玉のように緩やかに見えた。

 

 エリカは剣を素早く振るい、三つとも連続で弾いて処理する。

 

 次に獅子が口から藤色の炎を吹いた。

 

 エリカは身を低くして、転がりながら炎の下に滑り込む。そして黒い剣で敵の前足を斬る。無理な体勢だったが、身体強化のおかげか刃はその骨を断った。

 

 合成獣は前足を折り、前にぐんと傾いた。そのまま倒れるかと思われたが、山羊の頭がその角を振り回しエリカを押し潰そうとする。転がるエリカに逃げ場は無いように見えた。

 

 が、エリカは自らの体重を片手のみで支え、逆立ちの姿勢になり、地を押し上げて腕の力だけで高く跳んで見せた。まるで曲芸だった。

 

 そして、合成獣の背後に着地し、剣をぐっと握り直す。

 

「──つああッ‼︎」

 

 叫び、横、一閃(いっせん)。尾が両断された。しゅうと血飛沫が上がる。

 

 地に落ちた尾はシュルシュルと妙な音を立て、血を振り撒きながら回転していた。

 

 尾が切り離されたからか、獅子の頭はあらぬ方向に炎を吹き始めた。どこに敵がいるかもわかっていない。合成獣は壊れた人形と化し、脅威ではなくなった。

 

「友達だったらごめん。殺すね」

 

 少年を見て、言う。少年はすぐに頷いた。

 

 エリカは集中して、獅子の首目掛けて剣を振り下ろす。熱した短刀(ナイフ)牛酪(バター)を切るかのように、スッと刃が入った。舐めるように骨を断つ。それで、首がごろりと転がった。喉の断面から可燃性のガスと血肉が混じったものが、ぶりゅうと汚い音を立てて飛び散った。

 

 合成獣は倒れる。残った山羊(やぎ)の頭は、狂って自らの体を角で打ち続けている。敵を倒した事で、エリカの身体強化の魔法も解かれた。

 

 剣についた血を振り払って、階段を登り、少年に近寄る。戦闘で強張った顔を、なんとか緩めながら。出来るだけ柔らかい表情で。

 

「もう大丈夫」

 

 少年は肩で息をし、震えながら話し出す。

 

「ごめんなさい、僕は……」

 

 もうこれで全てを終わりに出来るという安堵からか、少年はポロポロと涙を零し始めた。

 

「逃げた事をご主人様に怒られるのが怖くて……。大切な鷲獅子(グリフォン)や合成獣を連れて、こんなことを。封印を解く気は、初めから無かったんだ……」

 

 この魔物達はケント卿が獅子侯(ししこう)から預かったもので、世話をしていたのはセオだった。

 

 歩き巫女(シビュラ)に襲われたその日、セオは厩舎(きゅうしゃ)にいた。物音が聞こえて管理小屋に行くと、そこには潰された友人がいて、それで怖くなって、必死に逃げた。

 

 本来であれば預かった魔物を使って敵を退けるべきだったのに。卑怯にもそれが出来なかった。その後悔が、灯台の占拠という暴挙を起こさせたのだった。

 

「僕はどうなりますか……? 殺されて、しまいますか……?」

 

 エリカは首を横に振り、泣きじゃくる少年の手を取る。近くで見て分かったが、その頬には殴られた痣があった。古いように見えるから、ガストンら冒険者に付けられた物ではない。ケント卿によるものだろう。

 

「罰は受けなくちゃいけない。悪い事はしてしまったから。自警団か、領に引き渡さなくちゃ」

 

 傷痕を痛々しく思い、その手を強く握る。

 

「でも悪いようにしないで、って心の底からお願いしてみる。事情があったんだって。……だから、私に任せてほしい」

 

 少年は、その銀髪の戦士の笑顔を見て、ようやく落ち着きを取り戻す。今にも眠ってしまいそうなくらいに、安心した。この名前の知らない優しい人の、優しい声と、優しい赤い瞳が、今までの苦労や痛みを、全て癒してくれるような気さえした。

 

「ありがとう……」

 

 笑顔を取り戻した少年を見て、エリカは目に涙を滲ませた。

 

 ──ああ、良かった。

 

 本当は、不安だった。彼は苦しんでいるとは思っていたけれど、己の独りよがりだったら、どうしようかと。でも、この顔を見れば分かる。彼は確かに救われたんだ。

 

 それを認めると、エリカの中は温かなもので満ちた。そこに焦りの冷たさや渇きはない。自分を肯定できるだけの材料が、ぽうと生まれた。

 

 本当に、良かった。助けると決意して、良かった。

 

「もう、領の事は考えなくて良いよ。全部辛い事は、忘れよう。この国でやりなおそう」

 

 セオという不憫(ふびん)な少年を思っての言葉だった。

 

 ──だが、それを聞いた少年の瞳は震える。

 

 やがて手も震え始め、それは自らの腰にある長劔(サーベル)の柄へと伸びていった。

 

 そして少年は剣を抜きながら、立ち上がる。衰弱していた様子だったが、不思議とその足はしっかりとしていた。

 

「剣を抜いてください」

 

「……え?」

 

 エリカには何が何だか全く分からなかった。冗談かと思った。安堵の表情を浮かべていた少年が、怯えた表情で私を見ている。何故、どうして。今の一瞬で、何が変わったと言うのか。

 

 エリカが小さく首を横に振ると、少年は勢いよく剣を振るった。エリカは素早く剣を抜き、それを弾く。が、押されて蹌踉(よろ)めき、階段から転げ落ちた。

 

 少年はゆっくりと階段を降りる。一歩降りる度に、エリカの言葉が頭の中で繰り返された。

 

『もう、領の事は考えなくて良いよ。全部辛い事は、忘れよう』

 

 確かに、故郷の事も、女を集めるという命令も、主人の事も、全てが嫌で、忘れたいと思っていた。だが、自分で目を背けるのと他人に言われるのとでは、随分と印象が違った。エリカの言葉は矢となって、自らの体に突き刺さっていた。

 

 ──もう良いわけがない。

 

 脳裏に蘇る。6歳から一緒に仕えた、従騎士たちの笑顔。仲の良い友達だった。共に泣き、共に笑ったことは数え切れない。

 

 主人は嫌いだったが、主人のために飯を作るのは嫌いではなかった。仕事は出来ぬが飯は美味い、と言って褒められると、殴られる悲しみも喜びで上塗りされた。

 

 故郷が滅んで父母とは離れた。生きているかどうかも分からないが、声と体の温もりはまだ己の中に生きている。

 

 その全てを忘れて、アンデルセン伯爵領の人間ではなく、他の人間として生まれ変わる事なんて、どうして出来ようか。自分だけが全てを忘れて、のうのうと生きることなど、あってはならないのではないか。そう思った時、封の影響を受けて弱りきっていた体は力で満ちた。

 

 ウォルターが呪文を唱えて脚に魔力を溜め始める。セオを殺そうとしている。キャロルはそれを見て、ウォルターの胸ぐらを掴んで止めた。そしてエリカに向かって叫ぶ。

 

「エリカ! 戦うな! 私がやる!」

 

 ここで彼女が戦ってしまえば、大きな心の傷になると思った。

 

「こ、来ないでくださいッ!」

 

 だが、エリカは剣を構えて立ち上がる。その口から出た強く太い叫びに、キャロルは躊躇した。自分を拒絶するような声を、エリカの口から聞いた事がなかったから。

 

 その一方で、エリカは剣を構えたものの、まるで身動きが取れない。脚に、手に、まるで鉄の(かせ)がついたようだった。目眩(めまい)までしてくる。

 

 どうしよう。なんでこうなってしまったのだろう。だって、領のことも閣下のことも、もういい、って言ってたのに。なんで。

 

 早く、止めなくちゃ。助けるって、救うって決めたから。

 だって、泣いてた。可哀想だ。

 キャロルが戦うと、きっとこの少年は……。

 自分に全部任せてって言ったんだから。自分でなんとかしなきゃ。

 でも、どうしよう。

 どうしたらいいの。

 何も分からない。

 

 錯乱するエリカに向かって、少年は長劔(サーベル)を手に駆け出す。その切先はエリカの頬を裂いた。次に袈裟斬(けさぎ)り、これは避ける。が、避けた先に合成獣がいて、その山羊の頭がエリカの左足に噛みついた。

 

「ああっ‼︎」

 

 その瞬間、少年はエリカの首目掛けて剣を振り下ろした。夏の空を映した青い刃。エリカには、それがゆっくり落ちてくるように見えた。

 

 その時、エリカの体は勝手に動いた。少年の長劔(サーベル)が自らの首に到達するより前、刹那(せつな)、黒い剣で胸を素早く突いた。防衛本能だった。振り下ろされた刀は、少年の手から離れ、飛んだ。

 

 同じ瞬間、キャロルの放った炎が、合成獣の山羊の頭を射抜き、小さな爆発が起きて、少年とエリカは転げた。

 

「あ……、ああ……‼︎」

 

 合成獣の肉がボトボトと降り注ぐ中、エリカは四つん這いになって、少年に近寄る。

 

「どうしてッ⁉︎」

 

 少年を中心に血溜まりが広がってゆく。

 

「へ、平気です。ちっとも痛くないので。すみませんでした、急に……」

 

 少年は気丈にと言うべきか、あたかも些細な事だったかのように言ってみせた。自分が悪いと思っているからこそ出た、子供ながらの(つたな)い誤魔化しであった。

 

 キャロルは急いで寄り、魔法で傷の修復を図ろうとする。だが──。

 

「心臓か……」

 

 こうなるとキャロルでも難しい。何の準備も無しに、10秒、20秒で傷を塞がなくては助からない。成熟しきっていない少年の体であるから、尚更(なおさら)厳しい。

 

 それでも、自らの襯衣(シャツ)を破って傷口に詰め、圧迫して止血をする。十字を切って回復魔法を用いる。無駄な事だと分かっていながら。

 

 少年は(そば)に来ていたウォルターを見て、力なく言う。

 

「そうだ……。次に会えたら、言おうと思っていた事が……。ウォルターさんは……、閣下に、唯一、物申せる人だった、から……」

 

 口からごぼごぼと血を吐きながらも続ける。

 

「信じたくないかも、知れないけれど、閣下は……、狂ってしまわれた……。僕たちが集めた女達は、閣下にいじめられているんだ……」

 

「狂った……? 閣下が……?」

 

 ウォルターは硬直する。

 

「閣下も、女の人たちも、ナットウォルズのお城にいます……。どうか、閣下を止めてあげてください……。そして、苦しめられている人たちを、救ってください……」

 

 少年はエリカを見る。

 

「どうかウォルターさんを手伝ってあげてください……」

 

 エリカは流れる涙を拭うこともせず、ただ少年の顔を見ていることしか出来ない。

 

「もうすぐ式典があって……、マール伯爵も参加するらしいから……。訳を話せば、きっと、その人も協力してくれます。一度お会いした事があって、良い人だったから……」

 

 キャロルはそれを聞いて、目を見開いた。

 

「何……?」

 

 ──この瞬間、全てが陸聖メリッサの意思へと繋がった。

 

 ナットウォルズには、マール伯爵が来る。いや、式典なら伯爵だけではなく、領内の各地を治める貴族も参列するだろう。それを十把一絡(じっぱひとから)げに葬り、土地を奪おうとしているのではないか。

 

 少年は弱々しく言う。

 

「光の聖女なんて──」

 

 唐突にその名に、キャロルは目を見開く。

 

「──光の聖女なんて、いなければこんな事にならなかったのに」

 

 何故、光の聖女が存在していることを知っている。そう問おうとした時、魂魄(こんぱく)を飛ばすくらいの強い潮風が吹いた。その風が止んだ時、少年は息をしていなかった。

 

 床の扉が空いて、禿頭(はげあたま)が顔を出す。ガストンである。合成獣が燃えるのを見て、驚いた表情でひょいっと上がってくる。

 

「お、お前ら、やりやがったのかよ……!」

 

 ガストンに遅れてエイブラハムが、そして面識のない色白のヒョロヒョロとした男も上がってきた。装備から見るに、魔術師らしかった。

 

「いやでも、ちょっと待て待て。よく分からん事が起きてる。今、白い帆船会のヤツらが来てよ。このヒョロガリがそうなんだが……。するってーとだぞ。お前ら、誰なの……?」

 

 何も分かっていないガストンは、横たわる少年と、その側ですんすんと(すす)り泣きをするエリカを見比べ、口の中でごもごも呟いた。

 

「……なんか、そういう雰囲気じゃねえな」

 

 エリカは呼吸を乱しながら、辿々しく言う。

 

「──強く、なりたいっ」

 

 キャロルはエリカの頭を撫でてやる。

 

「十分、強いよ」

 

「弱いです……っ。もっとっ、もっと、私がっ……、上手く立ち回れていたらっ、きっと、殺さずに済んだっ、のに……っ」

 

 エリカにとって人を殺したのは初めてではない。辺境伯領軍にいた時は盗賊の征伐を行っていたし、そこに対してはある程度慣れがあるつもりだ。でも、救おうとした人を殺したのは初めてだった。しかも、自分より若い少年を。

 

「それだけじゃなくてっ、気持ちも、すごく、弱くて……っ」

 

 ぽたぽたと落ちる涙は、太陽で熱された床を濡らし、それはすぐに蒸発していく。

 

「もっとっ、心も体も、強くなって……っ。強くなって、正しい事をしたい……っ」

 

 エリカはその熱された床を掻くようにして拳を握った。

 

「キャロルさん……っ、私、正しくありたいです……っ」

 

 キャロルはエリカをゆっくりと引き寄せた。そのキャロルの胸の匂いと、体の暖かさと、心臓の音と、吐息を感じて、啜り泣きは慟哭(どうこく)へと変わった。周りの大人たちは、少女が人目を(はばか)らずに泣くのを、見ている事しか出来なかった。

 

「行こう、ナットウォルズへ」

 

 エリカはキャロルの胸の中で、何度も頷く。

 

 それでキャロルはさらに力強く抱きしめた。今のエリカは、過去の自分だった。故郷の貧民街が滅び、叫ぶように泣いた、あの日の自分だった。

 

「全てを知って、何を為すかを決めるんだ」

 

 自分に言い聞かせるように、言った。

 

 この数日間。攫われた女達と獅子侯を追った。自分とは無関係な事件だと考えていた。だが、少年の口から出たのは『光の聖女』という言葉だった。

 

 今ので、よくよく理解した。輝聖(きせい)という立場は、世界で起こるあらゆる事の責任を負う。──この世界の全てが神の掌の上であるように、この世界の全ては輝聖の運命の中にあるらしい。

 

 キャロルは掌を見る。少年の血が夏の光で固まり始めていて、引きつれた感触がした。

 

「ウォルター。お前はどうする」

 

「……俺には知る権利がある。そして、知らなくてはならない義務も」

 

 ウォルターは握っていた少年の手を胸の上に置き、半開きになった目を閉じさせた。

 

「行くよ。そして、俺が直接閣下に問いただす。セオの言う事は本当なのか、閣下は何をしようとしているのか、を」

 

 ウォルターの中にあるのは、未だ親愛なる主人の姿。凛々しく、強く、厳しく、時に優しく、誰もが憧れた主君の背中。それが狂ったと言われると、信じ切る事ができない。だが同時に、否定する事も出来ない。であれば、己の目で確かめるしかない。

 

 (もく)して見ていたエイブラハムが、悲しみに暮れるエリカの側、膝をついて問うた。

 

「何か手伝える事はあるか……?」

 

「何故?」

 

 キャロルの問い返しに、言葉を詰まらせる。

 

「いや……」

 

 自分でも不思議だった。放っておく事がどうしても出来ない。何か1つ、彼女達の役に立ちたいと思ってしまう。それは、鷲獅子を(ほふ)ったのを見たからか、少女を抱きしめる美しい横顔に、王たる風格を見たからか。

 

「ならば、追って梟を飛ばす」

 

「分かった」

 

 エイブラハムだけではなく、ガストンも頷いていた。

 

 キャロルはエリカを抱きしめながら天を仰いでいる。いつからか、晴れ渡っていた空に限りなく薄い雲がかかって、それが奇妙な虹の輪となっていた。

 

 そこに1羽の(かもめ)がゆっくりと横切る。地に落ちた鳥影は奇妙なことに、はっきりと巨大な聖鳥の十字を形取っていた。影の中、胸元で淡く光るのは原典。キャロルはそれを強く握って、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。

 

「こいつ……」

 

 人の心、人の動き、人の流れ、何もかも全てが神の御心(みこころ)のままだと言うのなら。神は手の届かない何処ぞから、刃物を向けるようにして運命を突きつけ、事のついでにエリカには試練でもくれてやっているつもりか。

 

 もし。もし、そうだとしたら。

 

「──下品な(おんな)め。私はやはりお前が嫌いだ」

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