大きさは兎ほどである。姿形は
毛皮は真っ白く、ふかふかともふわふわともしている。目は愛らしくてくりくりだ。鼻は小ぶりで、触ればぷにぷにと弾む。
そして何といっても特徴的なのは、額にある赤い宝石だった。
そうした事もあって、柘榴獣は愛玩動物の頂点として君臨し、
だが、どんなに美しくとも、所詮は魔物。決して人に慣れることはない。遠くで見ている分には良いが、指を近づければ食いちぎられるし、
□□
第四聖女隊『神の駱駝』はナットウォルズへと進軍中である。その道中、川辺に設置した野営地で一夜を明かす。
燃える薪の前、メリッサは一つの赤い宝石を夜空に
メリッサは石の中の炎を見て、何度目かの小さなため息をついた。
──出立する前に、賢者の石を完成させておくべきだったか。
実は、既に賢者の石は完成間近で、あと1つ、たった1つの工程を行えば、それを手にする事ができる。その工程が大変かと言うと、全く大した事はない。ただ、この額石を『哲学者の水銀』と名づけた
終着点は見えている。だが、それをしない。理由は1つ。万が一にもあるかも知れない失敗が怖い。失敗するくらいなら、あと一歩の所に、永遠に踏み止まっていれば良いような気さえした。
「夢とは、
いや、本当に夢とはそういうものであろうか。そう思おうとしているだけではないか。夢は、知らぬうちに自身を締め付ける鎖へと変化したのではあるまいか。
□□
賢者の石は錬金術の極意である。これは錬金術の祖、シモン・イヮグラーイーが決めた。
シモンは闇市で神になる前のリュカと出会い、予言を聞いたとされる。
闇市へは錬金術の素材の売り買いに来ており、そこでは
その日は、二首人間の歌、小人たちのかけっこ、怪力男の岩転がし、足無し道化師の踊り、そして多指の少女の予言があった。
リュカは
そして歌が終盤に差し掛かった頃、『永遠の生命と永遠の破壊を
リュカの予言は見世物の締め
が、野心家であったシモンは『永遠の生命と永遠の破壊』を作り出せと門下に広めた。そして、世界の王となるのは己だと言って
その当時、賢者の石という名はなかった。はっきりとそう名付けられたのは後の事で、
メリッサは賢者の石を『生命の
───
──
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□□
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──
───
今より2年前の事だった。
学園内、メリッサに与えられた
賢者の石は永遠の命と永遠の破壊を
だが、それを作るには一つ大きな問題がある。賢者の石を生み出す、その素材を集めるのに
しかし、
だからメリッサは、祖国に協力を求める事にした。
賢者の石が生み出されるという報は、カタロニアの王宮を
王は賢者の石を作るのに必要な全ての素材を集めるよう、家臣たちに命を出した。
だが、これはメリッサを慕うカタロニアの民たちが昼夜問わず国中を探し回り、瘴気にほど近い土地の崖から、古い燕窩を見つけ出した。
だが、これもメリッサの為にと立ち上がった義勇隊が、嵐の日に羽を休める女面鳥を大量に屠り、その中から子壷を探り当ててみせた。
燕窩と子壷を含む必要素材が学園に届いた時、メリッサは少しの涙を流して使いの者達を抱きしめた。
だが、柘榴獣だけは見つからなかった。
辛うじて掴んだ情報を元に捕らえた柘榴獣は、小さな石しか持たない
しかし20
魔物の殆どが
既に入手した素材から、賢者の石の元となる溶液『哲学者の水銀』を生成し、あとは額石を手にするだけ。だが、それが手に入らないまま、ついに半年が経ってしまう。
□□
聖歴1661年。遠征に出ていた『第五聖女隊』が学園に帰って来たのは、
第五聖女隊とは、聖女候補リトル・キャロルが率いる部隊である。
現に正教軍の
この日も返り血の軍団は、体を赤黒く染めて帰って来た。それを学園の生徒や教師が
帰って来たは良いが、どうやら出陣した数よりも相当少ない。キャロルと第三王子リアン、その他に従事した者が3人ほどで、あと数十人いるはずの人員が見当たらない。
人垣の中、教師らがひそひそと話をしている。
「隊の大半が
「何?」
「キャロルが軍の命に反して、ディアボロとかいう貧民街に向かった事が原因だそうだ」
「どうしてそんな所に」
「竜が出た」
話を聞いていた他の教師も、怪訝な顔をして口を出す。
「元はファーレンロイズ侯爵領に向かっていたはずだろう」
「ベクレルだな。第二王子がいる場所だ」
「そこと
「まあ、故郷だと言うしな」
「故郷だろうと、王族と
「むしろあの才女が嫌われ者の集団にいる事こそおかしいと、俺は思うがな。あんな中に放り込まれれば、狂うこともあるだろう」
前を行くキャロルの表情は凛としているが、少し目が
「俺はいつかは瓦解すると思ってたけどな。あいつらは殺戮の集団。いつまでも一つに纏まってるわけがねえ」
近くで話を聞いていた生徒は、そう言って笑った。そして他の生徒がリアンを指さしながら面白半分で続ける。
「あの可愛い顔した女の子も殺しが出来るのか?」
その生徒の肩に、手が乗った。そして
「陰口を叩いていると、本人に頭を撃ち抜かれるぞ。第三王子は狙撃の天才だ」
2人の生徒は突然現れた聖女候補に驚いて、いそいそと消え失せた。
メリッサはじっとキャロルを見る。厳密に言えば、キャロルが持っている鉄製の
その中に、白く輝く
なぜキャロルが柘榴獣を持っているかは知らないが、突然にこんな
「さて、リトル・キャロルとは大して話をした事もないが……」
隣、メリッサの
「姿形は
メリッサは祖国に頼んで金を用意させた。また、キャロルが何に価値を置くか分からなかったから、宝石類や美術品などの金目のものを用意した。それだけではなく
──とにかくあの柘榴獣が欲しい。喉から手が出るとはこの事か、と思うくらいに。
そして抜かりなく準備を済ませ、学園の裏、薬草畑と手付かずの
キャロルは突然の来訪に嫌な顔ひとつせずメリッサを通し、紅茶を振る舞った。そして世間話も程々にメリッサは本題を切りだす。
「単刀直入に言う。その柘榴獣を譲って欲しい」
硝子の入っていない窓際に置かれた鳥籠。その中に、冬の白い日差しを受けて神々しく輝く魔物がいる。
キャロルは柘榴獣をじっと見て、黙ってしまう。それで、メリッサは少し肩を落とした。まあ、渋るのも当然だろう。貴重な魔物だ。キャロルが何に使用するかは分からないが、譲って欲しいと言われて譲れるものでもない。
「いくらでも出そう。言い値で良い」
もし難しいようであれば、奪うしかない。無論、そのための準備もして来た。雑木林には毒矢を構えた味方が3人いる。が、恐らく、キャロルもその気配には気づいているだろうし、上手く油断させるには──。
そう思った時、キャロルは何でもないように言った。
「構わないよ。別にお金もいらない」
メリッサは目を見開く。そんな呆気なくて良いものなのか。
「必要なのは額石?」
「そ、そうだが……」
「でも、
□□
額石を魔法素材として高めるには、柘榴獣の生命力の全てを額に送り込む必要がある。
それを成すには、生きたまま乾かす事である。乾いて乾いて乾いて、体は縮んでいき、逃げ場を失った生命力が額石へと集まる。
乾かす方法は単純である。魔法で熱線と熱風を常に当て続け、柘榴獣を脱水させる。単純だが、難しい。決して殺してはいけない。死なない程度に餌と水分を与えながら、根気強く続けてゆく。生きている期間が長ければ長いほど、質の良い額石に仕上がるとされる。
2節の後、梅の木が
「おお……」
メリッサはそれを見て、
「見事だ、リトル・キャロル。本当に、見事だ」
キャロルは仄かな笑みを浮かべる。そして、
「……あんなに美しかった柘榴獣も、乾けばただの
可愛らしかった目は盛り上がって白く濁り、愛らしかった口は縮み上がって歯茎が剥き出しとなっている。白く美しい毛は焼けて縮れ、その下に見える皮膚は赤黒く変色していた。
額にある石だけは立派だが、これがあの柘榴獣かと問われて、そうだと答えられる者は多くないだろう。それ程に醜い。
「額石を高めている時にはあまり気にならなかったけれど、出来上がってみれば、残酷な事をしてしまったと思う」
そう言ってキャロルは短刀を使い、額石を繰り抜く。次いで、僅かにこびりついた脳を布で拭き取った。
□□
メリッサが完璧な額石を手にして2日後。ふいに、あの柘榴獣がどこから来たのかを知る事となった。
あの柘榴獣は、キャロルの育て親の一人であった、とある老人の所有物であった。この額石を売れば、今後食うに困らない大金を得られるし、魔法の研究の足しにもなるだろうと、キャロルが帰郷する時に渡す予定だったらしい。
しかしディアボロは竜によって滅ぼされた。その老人も死に、彼女と彼を結ぶものは柘榴獣しかない。
「なぜ……」
それを聞いたメリッサは顔を顰めた。解せない。全く解せない。
「なぜ、何も言わん……」
そんな大切なものを、どうして、こうも
□□
それからメリッサは、この額石を暫く使う気にはなれなかった。時を置けば気持ちが晴れて使えるようになるだろうと思い、その時を待った。
だが、時を置けば置くほどに、その他の素材を集めてくれた者たちが、一人、また一人と故郷で帰らぬ人となってゆく。燕窩を手に入れた友たちが死に、子壷を求めた戦士たちが散る。そして完成を待つ『哲学者の水銀』自体が、掛け替えのない思い出となってゆく。
──そうしてメリッサは、賢者の石を作る事が怖くなっていった。
失敗すれば、その全てを失う。賢者の石作りに協力した者達は、失敗という2文字の下、完全に死ぬ。己が、とどめを刺してしまう。
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