不良聖女の巡礼   作:Awaa

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54.進撃

 

 マール伯爵領北部。ヘス侯爵領との領境。長閑(のどか)な丘陵地帯に幅の広い街道が敷かれている。この道はアリッサム街道と言い、聖都アルジャンナ、即ち大白亜へとつながる重要な道の一つである。

 

 晴れやかな青空が広がっていた。遠くに野焼きの煙が高く上がっている。蒼穹の下、街道の中央。関所の前。陸聖メリッサは床几(スツール)に座り、緑茶(アッツァイ)を嗜んでいる。辺りには目が覚める程に強烈な薄荷(ミント)の香りが漂っていた。周りにいる女官たちはメリッサの髪を整え直したり、菓子を準備したり、香を焚いたりなど、各々働いている。

 

 メリッサは丘の上まで続いていく黒い石の道を、優雅に眺めていた。彼女の背後にある関所の砦では、駐在のマール伯爵領軍が忙しくなく働いており、彼らの間には時に怒号も飛び交っていた。ゆるりとしている陸聖とは対照的である。

 

 どうやら、ヘス侯爵領軍がマール伯爵領を横断して大白亜へと向かうらしい。ヘス侯爵領とは、禁軍と協力してリンカーンシャー公爵領の侵略に手を貸す領の一つであり、巡礼中の空聖を捕らえようとした領である。

 

 砦の門扉が開き、メリッサの傅役(もりやく)だった男、アル・デ・ナヴァラが出てくる。手を後ろに組んで、四十雀(シジュウカラ)蜻蛉(とんぼ)を追い回すのを眺めながら、ゆるりとメリッサの元へと寄った。

 

「姫」

 

「どうした、爺」

 

「デュダから発せしピピン公爵領軍はコンチ城に張り付いた(よし)

 

 コンチ城とは公爵領軍の言う、『一の城』である。

 

「ほう。上手くいって7日はかかるか?」

 

聞者役(ききものやく)によれば、もう陥落間近のように御座りまするな」

 

 メリッサは顔を顰める。

 

()重畳(ちょうじょう)至極。だが、随分早いな。あれは容易き城ではあるまい」

 

「城を預かるロングフェロー家が、城内で禁軍と争っている由。さらに盛大に道を封鎖して、領主に謀反の構えを見せつけておりまする」

 

 メリッサは顎に手をやり、ほう、と怪しく笑んだ。

 

「調略か。実に鮮やかである。公爵領軍の軍師は誰ぞ」

 

「名はマリアンヌ・ネヴィルとか。素性は冒険者と聞いておりまする」

 

「冒険者? 公爵領の出身か?」

 

「はて。さしたる実績のない者で、軍務の経験も定かならず。名から察するに出身は北の方ではあれども、仔細は知れず」

 

「ふぅん……。斯様な蚊虻(ぶんぼう)がこうも鮮やかに事を成せようものかな……」

 

 女官が爺に緑茶を渡した。それで一口啜る。爺の目線の先、四十雀がついに蜻蛉を捕らえた。石畳の上で羽を休め、キョロキョロと辺りを見回している。

 

「マリアンヌ・ネヴィルね……」

 

 メリッサもそれを見ながら呟く。そして、髪を整える若い女官が欠伸(あくび)を噛み殺した時、ふと思いついたようにして、メリッサは調子のはずれた声をあげた。

 

「それにしても海聖のような名だな、爺。まさか海聖ではないのかぁ?」

 

 第四聖女隊は正教会内の深い部分に間者を放っているから、王都で死んだ海聖が替玉である事は陸聖も知る所だった。

 

「いやいや、姫。名を隠すなら、もう少し離れた名前を使いましょう。マリアベルの偽名をマリアンヌとするは、些か雑にございまする」

 

「そうか? 灯台下暗しという言葉もあるぞ。それにあの腹黒は妙な拘りに縛られる面倒な女だからな。何らか理由があるのだろうよ」

 

「それでも爺は納得いきませぬな」

 

「よし。マリアベルか否か、賭けるか。爺」

 

 そう言ってメリッサは長衣の下から第四聖女隊の神の金貨を取り出す。

 

「ほほう、それを賭け事に使用するとは大胆不敵。天罰が下りまするぞ」

 

「天罰? 妾が賭けに負けると申すか?」

 

 爺がお戯れをと笑った所で、マール伯爵領軍の伝令がふらふらとした足取りで寄った。倒れ込むようにメリッサの前に跪く。男の目の下には隈が出来ていた。それもそのはずで、王が殺されてから事態の急転が続き、兵達は休みなく働き続けていた。特に伝令役は過酷であった。

 

 爺が言う。

 

「何用か。申せ」

 

「はっ。輝聖リトル・キャロルと伯爵は大白亜へ向けて再び動き出した由にございます」

 

 メリッサはにやりと笑って、言う。

 

「役目大義。茶でも飲んでから下がれ。目が覚めるぞ」

 

 伝令は女官から硝子の器を手渡され、その緑茶を啜った。

 

「えっふッ! ぶふぉッ‼︎」

 

 あまりに苦くて、むせる。それを見て女官達は口元を隠し、悪戯に笑った。カタロニアの茶はひどく苦いことで有名だった。眠気を吹き飛ばすのを通り越して、脳が弾け飛ぶとまで揶揄される。

 

「姫、如何なさる。第四聖女隊も呼応して簒奪者(さんだつしゃ)を成敗するべきか否か」

 

「なあに。輝聖が動いているのなら、それで十分だろう。妾は妾の役目だけを行えば良い」

 

「その役目とは、輝聖と剣を取ることではありませぬか」

 

()(あら)ず。陸聖に与えられし麤皮(あらがわ)の聖具は盾である」

 

「ほう」

 

「ならば妾も盾となり、輝聖の聖務を邪魔立てさせぬことだ。即ち──」

 

 メリッサは遠くから聞こえる地響きの音に気がついて、手元にあった双眼鏡を手にした。覗き、街道の先を見た。凄まじい勢いで土煙を上げる()()が、こちらに向かっている。

 

「──情勢の一つも読めずに輝聖の面目を潰そうとする阿呆を、ここぞとばかりに躾けることである」

 

 次第にそれは爺や女官たちも目視できる程に近づいて来た。陽に照って輝く、馬に戦車(チャリオット)、並ぶ兵達の鎧。ヘス侯爵領軍の大隊である。

 

「はてさて。躾けるとは、どの程度ことを言っておられるのか」

 

()()()をしようというのだ。()()()()()()くらいはしてやらないとな」

 

 女官たちがクスクス笑う中、メリッサは軽く手を挙げ、砦の兵に合図を送る。手信号。五指を伸ばし掌を翻し『前方』、握った拳を2度手前に引き『射撃用意』。砦の兵達は各々ボウガンを手にし、幾人かは床弩(バリスタ)の準備を整えた。

 

 ヘス侯爵領軍は砦から1700(フィート)(500メートル)ほど離れた位置で一時停止。馬に乗った華美な装備の男が寄ってくる。将である。あともう1人、近習(きんじゅう)であろう騎士もやって来た。

 

 将はメリッサらの前で止まり、声を張り上げる。

 

「きっ、聞けーい! 我が名はヘス侯爵が嫡男、ピーター・アシュリーと申すぅ! 我ら急ぎ大白亜に向かうゆえ、かしこまって門を開けぇい!」

 

 メリッサは意地悪くニヤニヤと笑みを浮かべ、足を組み直す。このピーターとかいう男、大声を出し慣れていないのか、声が裏返っていて面白い。緊張もしているようだし、如何にも将として頼りなさげである。馬も何故か舌をベロベロと出している。

 

 ピーターは暗記してきた言葉を頭の中で何度も繰り返す。そして、再び物申す覚悟を決めてから、もう一度声を張り上げた。

 

「貴様らマール伯爵領は不忠にも聖女に味方していると聞くぞぉ! 返答次第では貴様らも手痛い仕打ちを受けるものと思われたし! 我らは全ての魔を屈服せしめる神聖で厳格な軍団であるぅ! これは優しさからの忠告であぁる!」

 

 言い切って、よし、口に出して喜んだ。上手く言えたのだ。きっと、マール伯爵領軍は恐れ慄き、門を開けるに違いない。そう思って胸を張り、相手の出方を待つ。

 

 だが、メリッサの回答はピーターが期待していたものとは随分と違った。

 

「神に祝福されしマール伯爵領を侵略せんとは笑止千万!」

 

「え?」

 

「その尾に糞のついた馬を近づけるなッ!」

 

 メリッサが力強くいうと、砦からひゅんひゅんと矢が飛んだ。矢はピーターの前に落ちて、驚いた馬が派手に暴れる。

 

「うわあ! ひいっ! な、何をする! 無礼なッ!」

 

「──ピーター・アシュリー。貴様、確か学園に在籍していたな。領の有事とあって里帰りか。親孝行、誠に殊勝(しゅしょう)であるが、その弱腰では戦にならぬ」

 

 言われて、ピーターは羊の変わり兜、その面頬(めんぽう)を外した。実のところ、慣れぬ装備で前がよく見えていなかったが、よくよく見れば、砦の前に座る女はカタロニア風の衣装を身につけている。そして、あまりに美しすぎる。なんだか、只者では無いような気がする。それを認めた瞬間、汗がどっと噴き出た。

 

「なっ、何者だ! 貴様ぁ!」

 

 問うたピーターに、爺が怒鳴った。凄まじい怒りの形相、烈火である。

 

「言葉を慎まんかあッ‼︎ ここに在らせられるはメリッサ・サンチェス・デ・ナヴァラなるぞッ‼︎」

 

「うわあッ!」

 

 怒鳴り声に驚いたピーターは馬上から転げ落ちた。馬は嘶き暴れ続ける。

 

「メ、メリッサ、サンチェス? 誰?」

 

 近習の騎士は焦った様子で馬から降り、無様にも尻餅をついたまま動かない主人の側に寄った。

 

「お、おぼっちゃま! この者、カタロニアの姫にて陸聖に御座いまする!」

 

「りっ、陸聖⁉︎ ど、どうしよう!」

 

 ピーターはさらに顔を青くさせた。領を出る際に父ヘス侯爵より賜った言葉が脳内で廻る。『マール伯爵領内に聖女あらば、王への忠誠を胸に勇ましく戦うべし』。その聖女が今、目の前にいるではないか! 何ということだ!

 

 だが、困った。ピーターには戦の経験などない。武術も魔法も優秀ではなく、兵の扱いも雰囲気でやっている。学園では友と遊び呆け、娼婦を買う事に情熱を傾けていたから、様々未熟である。

 

 家を心配させぬように教師を金で(なだ)めて、良き報告をし続けた為、侯爵は将としての立場をピーターに与えた。自慢の息子と思っている。それを裏切る形になれば、どう叱りを受けるか分かったものではない。ピーターはもう、尿を漏らしそうであった。いや、既に少し滲んでいる。

 

 出陣の支度をしている時は『なんとかなるだろう』と考えていた。だが床几に座る女の圧の凄まじさに、勝てぬ事を体が理解してしまっている。

 

「とても怖いよ!」

 

「おぼっちゃま、お気を確かに!」

 

 ピーターは過呼吸となった。

 

 領の騎士達は『聖女などいない』『正教会の戯言だ』と言うが、学園にいたピーターの見解は違う。聖女が確かな力を持つ事を、人伝に何度か聞いていた。聖女隊に臨時で参加していた友だっている。ああ、確かあいつは第四聖女隊に助太刀として、1節だけ参加したとか言っていたのだっけ。

 

 ──彼が言うに、なんでも陸聖が身一つで竜の頭蓋を割るのを見たとか。

 

「妾の名前を聞いて陸聖であるとすぐに気が付かんとは、まるで疎いな」

 

 メリッサが立ち上がりピーターに寄る。それで近習の騎士は勇ましく剣を抜いた。

 

「小娘! 聖女などと民を(たばか)りおって! この儂が──」

 

 騎士、メリッサにそっと見つめられて、ぽとりと剣を落とす。瞳の奥の砂塵、明らかに普通の人間とは違う、理外の魅力を見た気がした。超常の者を前にして、体が臆した。鼓動の音がうるさく、鼓動の振動で視界がぶれる。

 

「やっ、やめいっ! やめーい! おぼっちゃまは此度(こたび)の帰郷を重荷に感じて、心臓を弱くしておいでになるのだ! おいたわしや! 貴様の身の上は聞かなかったことにするから、今すぐに門を開け!」

 

 メリッサは騎士の物言いを無視して、ますますピーターに近寄る。無様に尻餅をついていたピーターは恐れて立ち上がり、背を向けて逃げようとした。

 

「パパ、助けて! パパーッ!」

 

 だが、メリッサはそのぷりぷりと左右に動く尻を思いっきり蹴り上げた。

 

(たわ)け者の場違い男がッ! 貴様など豚の陰茎と見分けつかぬわッ! とっとと王都に戻って学問に勤しめッ‼︎」

 

 激しく飛ばされ、無様に顔面から地に落ちて、ピーターは転げた。はふはふと言って泣いている。それを見て女官達、砦の兵達は大笑いをした。

 

「てっ、撤退だ! 撤退〜ッ!」

 

 近習の騎士は背後の軍勢に合図を送った。これ以上、領の未来を担う嫡男に恥をかかせては威信に関わる。軍の兵達はこの有り様を見て完全に白けているから、特に何を言うでもなく速やかに街道を引き返し始めた。

 

 ピーターは豚の陰茎のように赤く顔を染めながらも、なんとか立ち上がり、乗っていた馬に跨ろうとした。しかし、その馬は既に丘の上に逃げて行ってしまって、安心からかぼとぼとと糞を垂れている。だからピーターは、無様に無様を塗り重ねる形となりながらも小走りでメリッサから逃げた。笑い声に押されながら、まろびころびつ走る。

 

「ようし、笑った笑った。これで彼奴等は暫し放っておいても良かろう。まともな男であれば挫けてしまって、2度と立ち上がれぬわ。この街道は引き続き封鎖せよ」

 

 砦の兵達は、おーっ、と元気な声を上げた。

 

「妾も次の場所へ急ぐぞ。撤収だ」

 

 メリッサが踵を返して砦に入っていくと、女官達はいそいそと茶器や床几などを片付け始めた。次はこの地点から西に移動する。山間の関所で、同じように軍勢を門前払いするつもりである。

 

 砦の上、胸壁(きょうへき)から声がする。四翼(しよく)の1人、大弓の翁であった。

 

「なんと、次も姫自らお出向きになるおつもりか! わざわざ行かぬでも良いのではないか。彼奴等、聖女を殺す術を持つと聞くぞ」

 

 爺は腕を組み、砦を見上げて答える。

 

諫言(かんげん)しておる。だが姫は、斯様な術など笑い飛ばす程にご自身の腕に自信がおありなのだ。まあ、あとは、趣味にござろう」

 

「趣味?」

 

「ほれ。風雲急を告げ、如何なる領も忙しない。となると、ああした若輩者が将として矢面に立たされることも多い。それを()()()のが趣味であらせられる」

 

 それを近くで聞いていた美しい女官長、ミランダが笑いながら言う。

 

「躾けるというより、匹夫(ひっぷ)を虐めるのがお好きなのですよ。ほら、ジョッシュ殿の事も気に入って躾けているではありませぬか」

 

「これ。伯爵の御嫡男を匹夫とは言葉が過ぎようぞ」

 

「それは失礼致しました」

 

 ミランダは軽く笑いながら、香炉の火を消した。消えぎわの濃い紫炎が漂う中、爺は高い空を見上げる。

 

「……まあ、姫が多少元気になって良うござった。輝聖が降臨してすぐは、随分と気落ちしておられたからな」

 

「ジョッシュ殿の文のお陰でしょうかね。お返事を考えるの楽しそうですよ、姫様」

 

「あんな匹夫の何が良いのか……」

 

「あら。匹夫とは言葉が過ぎるのではありませんでしたか?」

 

「うん? ああ、まあ、そうか。儂が言ったか……。すまんな……」

 

 ミランダは沈香(ウード)の香りを纏わせたまま砦に入っていく。そして爺は丘の上、逃げたピーターの馬を見て舌打ちをし、石を投げた。

 

「まだ糞をひり出しているのか、あの駄馬は! 腹立たしい!」

 

 □□

 

 一方でマール伯爵領軍本隊は、同盟を結ぶテンプルバリー伯爵領内アップルハムを通過し、大白亜へと進軍中であった。長い隊列を率いるのはジョッシュ・バトラーである。巨大で筋肉隆々とした白馬に跨る。その尾や鬣は綺麗に編み込まれていた。

 

 隊の後方部、人や馬の間を縫って伝令が駆けてくる。そして馬上のジョッシュに伝えるべく事を伝えた。

 

「なにっ! メリッサがヘス侯爵領軍を退けただと⁉︎」

 

 愛しい人の活躍を聞き、目をキラキラと輝かせる。

 

「ああ! 甘美なニュースだ! 甘美繋がりで、お前も食うか⁉︎」

 

 鎧の帯革(ベルト)から干し葡萄が入った袋を外して、それを丸ごと渡した。伝令は礼を言って、また隊の後方へと戻ってゆく。

 

「しかも戦闘にならなかったと聞くぞ。うぅむ、優しくも美しいメリッサの事だから、懇切丁寧に話し合い、納得の上でお引き取り頂いたに違いあるまい。素晴らしい。平和の権化だ。なっ。お主らもそう思わぬか?」

 

 馬上、従騎士たちがにこりと笑んで頷いた。主人であるジョッシュがそうであるからか、彼らも実にのほほんとした性格の者が多かった。

 

「なあ、お主もそう思うだろう、エリカ・フォルダン」

 

 背後、黒い馬に乗るエリカを振り返って見た。

 

「えっ。私に聞かないでくださいよ」

 

 エリカは白銀の髪を揺らして驚く。獅子侯の謀反があった大暑の節十日余(とおかあまり)よりも、少しばかり伸びた髪だった。

 

 左目には黒い眼帯をしていた。焔聖の放つ強烈な炎を見つめてしまった為、その魔力が目を蝕んだのだった。結膜は妙な橙の色に熟して、角膜は赤黒く変色してしまった。未だ視力が完全に戻り切らないから、罨法(あんぽう)の処置がなされている。体にも傷を受けたが、それはキャロルの魔法で完治寸前の所まで来ていた。

 

「私は思うんですけれど、あの人の事だから、手痛くあしらったのではないですか?」

 

「手痛くあしらった? メリッサが? ──なるほどッ! それもまた良しだなッ! 逞しくて美しい! 好きだ!」

 

「何でも良いみたい……」

 

「そうとも。何でも良いのだ。お主はメリッサに魅力を感じないのか?」

 

 エリカは口を尖らせる。

 

「あんまり。あの人、本当に強引ですし、しつこいですよ。私を第四聖女隊に合流させろと文に書いてあるんでしょう? それも、毎度毎度」

 

「それはお前を気に入っておるのよ。俺だって毎度誤魔化すのが大変なのだ」 

 

 陸聖メリッサはエリカを高く評価していた。アンジェフォード城での戦闘の際、四翼のみならずアル・デ・ナヴァラをも倒し、さらにメリッサの腹を裂き、耳を引きちぎり、陸聖を『弱い』とまで言った勇猛なる戦士を、近習として迎え入れたいと思っている。

 

 だから、事あるたびにエリカを呼び出す。隊員の訓練であるとか、酒宴であるとか理由は様々だった。時には熱が出たからエリカに看病してもらいたいなどと、幼稚な嘘をつくこともある。

 

 その度にエリカは断っているが、どうもメリッサに諦める気はなく、何度も何度も打診をしてくるのであった。

 

「一度くらい顔を出せばどうか。メリッサに会えるだなんて、俺なら舞うぞ。正直なところ、断るための語彙は既に尽きた」

 

 エリカの隣、栗毛の馬に乗るリトル・キャロルが言う。

 

「エリカは渡さん」

 

 それを聞いて、エリカはジョッシュに向かって舌をべっと出した。

 

「聖女なんか嫌いです、私」

 

「輝聖も聖女であろう」

 

「キャロルさんは別です」

 

「ふぅん。ようわからぬ。どちらも美しい」

 

 ジョッシュはハッとして、急におろおろと焦り出し、手綱を離して天に祈ってみせた。

 

「おお、今のは違う。客観的な感想なのだ。真に美しいのは、我が麗しのメリッサよぅ。早く会いたい。早く会いたいぞ。──ようし、決めた。この戦が終わったその時、俺はこの溢れんばかりの恋心を伝えてみようと思う」

 

 従騎士達はこぞって拍手をした。

 

「……毎回それは文で伝えているんじゃないのかな」

 

 エリカはそう言って呆れる。ジョッシュが文を完成させる度に『乙女の心が動くかどうか、感想を述べよ』と目の前で何度も聞かせられたから、内容は大体頭に入っているのだった。

 

 焔聖の攻撃に倒れ、こうして立てるようになるまでの間の記憶と言えば、怪我を治してくれるキャロルの優しくて温かい手の温もりと、ジョッシュの酷く長い恋文の退屈な様しかない。言っておくが、夢にまで出てきたぞジョッシュ・バトラー。夢の中でも同じように惚気を聞かせられていた。悪夢だ。

 

 思い返してげんなりした顔していると、また背後から伝令が駆けてきて、ジョッシュに寄った。

 

「ん? なになに……?」

 

 そして申し伝え終わると、さっと離れる。

 

「……なんと。密偵が言うには、ピピン公爵領軍はコンチ城を落としたぞ」

 

 エリカは目を丸くした。

 

「え? もう?」

 

「そして、既にデファラ城に取りついているようだ」

 

 デファラ城とは、ピピン公爵領軍が決めたところの『二の城』である。

 

「だって、軍隊なんですよね……? 一人旅みたいな速さだ……。報告が間違いじゃないなら、なんて言うか、魔法みたい」

 

 エリカの驚きようを見て、キャロルは仄かに笑みを浮かべて言う。

 

「──やっぱり、マリアンヌはマリアベルだ。絶対にそうだ。マリアベルに違いない」

 

 ジョッシュが振り向く。眉は八の字であった。

 

「またその件かぁ? 海聖は王都で斃れたと……」

 

「私は信じていない」

 

「それになあ、仮にマリアンヌ・ネヴィルがマリアベル・デミだとしたら、名前が近すぎると言うておろう。些か無理筋ではないか。のう、エリカ」

 

「えっ! また私に話を振るんですか⁉︎」

 

 これにはエリカも困った。内心、ジョッシュと同意見であったが、キャロルを否定したくはないのだ。何と答えれば良いか難しい所である。馬上、腕を組んで、うーんと悩む。

 

「急ごう。マリアベルの動きに合わせれば大白亜の奪取はそう難しくない。逆に、遅れを取ると面倒だ」

 

 エリカは目をパチクリとさせる。仮にマリアンヌがマリアベルだとしたら、随分と海聖の腕を信用しているような言い草だった。確かにウィンフィールドへの行軍で第二聖女隊に組み込まれ、辺境伯領軍と対峙した際には、只者ではないと思ったが。

 

「それに、きっとニスモも大白亜に駆けつける」

 

 焔聖が第一聖女隊を再編しているという情報は、マール伯爵領軍の密偵も入手していた。群れる事を嫌う焔聖が隊を頼るのだから、何らかの行動を起こそうとしているに違いない。そう、キャロルは考えている。

 

「一度、彼女と話をしたいんだ」

 

 そう言って煙草に火をつける。紫炎が風に吹かれて漂う。

 

 キャロルは焔聖と戦闘に陥った。その際、何者かに狙撃されたが、焔聖は身を挺してキャロルを庇った。

 

 あの時、何が起きたか分からなかった。四つん這いになって、吐瀉物のようにぼろぼろと血を吐き出す焔聖を見下ろしながら、その場で立ち尽くした。呆気に取られた。エリカを傷つけられてしまって、それで頭に血が上って『もう相入れない』と決めた瞬間の出来事だったから、余計に呆然とした。

 

 ──何故、私を庇ったのだろう。

 

 焔聖にひどく嫌われている事は、学園の頃からの態度で理解していた。殺意だって幾度となく向けられた。訓練の際には、滅多打ちにされる事もあった。時には汚い手を使われて痛めつけられた。学園から追放される直前も、穢らわしいものを見るような目で虐げられた。相変わらず殺したいほどに憎いらしい。それなのに、なぜ庇った?

 

 とにかく、あの一件からキャロルの気分は晴れない。ずっと心が重い。焔聖について、延々と考えてしまうからだ。相容れないと怒ってしまった事にも自己嫌悪する。

 

 そして、これ以上に心を重くするものがある。自分が輝聖として立った直後に国は荒れた。聖女を巡って争いが始まった。禁軍の狙いは輝聖に限ったものではないらしいが、でもやっぱり輝聖の顕現が混沌の火種にはなった。

 

 もちろん少なからず事変は起きると想定していた。それは輝聖の威光で収めるつもりで、現在もそのために大白亜を目指している。いち早く混乱を鎮めるために。犠牲を振り返って気落ちしている場合ではない。──だけれど、やっぱり苦しい。これは理屈じゃない。

 

 今も世界のどこかで聖女の為に戦う人がいて、聖女の為に血を流す人がいる。覚悟はしていたけれど、意識すると辛い。

 

 輝聖であると言わぬ方が良かったのでは、と思ってしまう。後悔してはいけないはずなのに、後悔している気がする。だから常に『後悔なんかしていない』と心の中で叫んでいる。でもそれは、後悔だということの証左なのかも知れなかった。

 

「──キャロルさん?」

 

 エリカに問われ、自分の世界から脱する。

 

「何でもないよ、エリカ」

 

 キャロルは少しばかり無理をして笑んだ。

 

 そんなキャロルの苦悩など露知らぬジョッシュが振り向いて、元気一杯に声を上げる。

 

「おおい、ライナス! お前はどう思う!」

 

 遥か後方、大将マール伯の輿(こし)の側にいるライナスから『何が』と声が飛ぶ。

 

「マリアンヌはマリアベル・デミか、否かッ!」

 

 しかし返ってきたのは、マール伯の声だった。

 

「神妙に進軍せよ!」

 

 ジョッシュはハッとして、すぐにシュンと落ち込んだ。

 

「しもうた。叱られたわ……」

 

 □□

 

『二の城』デファラ城を臨む湿原。ピピン公爵領軍の兵たちは繁縷(ハコベ)などの植物を採取したり、蝲蛄(ザリガニ)を獲ったりなどしていた。少しでも兵糧を節約するためであった。

 

 遠くに見える丘の上、土壁の廟からは『クックロビンを殺してしまったのはだあれ?』と歌が聞こえる。丘の下、厳かな城からは、何やらわあわあと騒がしい声がしていた。悲鳴も混じる。

 

「さあ、どんどこ揚げていくわよっ! みんな、手伝ってっ!」

 

 大将パトリシアは兵に交じって、次々に蝲蛄を揚げていく。周囲の兵達はその橄欖(かんらん)油の香りに気分が上がり、叫ぶの騒ぐのの狂乱状態にある。

 

 騎士の1人がロック卿に寄る。

 

「よ、良いのか。大将とあろう者が兵に囲まれて、わいわいと騒ぐなど……。そもそもそれは飯炊(めしたき)の仕事であろう」

 

「お嬢様は基本、無礼講で良いと仰る。士気が高ければそれも良かろう」

 

 言って、ロック卿は背後のマリアベルを見た。彼女もまた、鍋を前に蝲蛄を揚げている。しかしパトリシアらとは対照的に、周囲の兵達は真っ青になりながら調理をしていた。工程に少しでも綻びがあると、マリアベルから罵りを受けるのであった。

 

「檄を飛ばされながら支度する飯よりは、和気藹々と作った飯のほうが美味そうで良い」

 

 突如、二の城から爆煙が上がった。

 

「ほお……。城の中でおっ始めたか。阿鼻叫喚(あびきょうかん)(ちまた)であろうな。この様子なら城から兵が出てくる事もあるまい。半時には出立できよう」

 

 真っ黒な煙が高く昇っていく。澄んだ青空を濁して汚す。水鳥達が煙の周囲を舞う。それを見やってから、マリアベルは鍋に浸した油の中に丁寧に蝲蛄の身を入れた。

 

「リアン。万事順調です。……順調すぎる」

 

 リアンは蝲蛄の殻を袋に入れ、槌で砕く。後にこれは酒にして魔術に用いる。

 

「嫌な予感がしますか?」

 

「戦というものは、順調な時こそ何かが起きる。それは相手の戦略が上回っているとか、罠に嵌められたとか、そういうのではありません。山の天気のように唐突に理不尽が現れて、無慈悲に襲いかかってくる」

 

「用心します」

 

「そうして下さい。後に、公爵とロック卿にも伝えます」

 

 その時。兵が次の蝲蛄を揚げるために、今マリアベルが入れた蝲蛄を退かそうとした。

 

「まだ早いッ! なんて急勝(せっかち)な!」

 

 兵は驚きながらも、蝲蛄を下ろす。そして1秒、2秒、3秒──。

 

「よし。もう良い。上げなさい」

 

「へ? でも今、早いって……」

 

「トロい! 蛞蝓(なめくじ)でももう少し機敏です! 早く早く早く早く早くッ!」

 

 隣で聞いていたリアンは、殻を砕きながら思った。

 

(理不尽だ……)

 




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本日2月25日、全国の書店にて「不良聖女の巡礼」が発売します。
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