デュダ市街地の南通りに古い酒場があった。店内、客は海聖マリアベルただ1人。男物の
マリアベルは窓の外に目をやった。通りを慌ただしく人々が行き交い、とても
人波の中に
「どうでした?」
「
マリアベルは、やはり、と呟き親指の爪を噛む。
数刻前、2人は水晶の神殿に向かう為にデュダの街に入った。だが、どうも街の様子がおかしい。人々は蜂の巣を突いたように騒いでいて、
これは真実か偽りか。リアンは居ても立っても居られなくなって、真偽を確かめに広場へと向かった。そこに制札が立っていると、人の波の中で誰かが言った気がしたから。
「この酒場の主人もバタバタと外へ飛び出してしまった。騒ぎに加わりたいのでしょう。客がいるのに店を空けるなんて、不用心な」
「王が死んだことの
問われて、リアンの頭の中で昨夜の出来事が蘇った。王の姿、そして、恐ろしい遺言。
──次なる王は必ず殺せ。
「確かかと」
「そうですか。心中お察しします」
いえ、とリアンは軽く首を横に振った。
王は父だ。だが、父を失った事に不思議と喪失感はない。それは王を父だと思ったことがないからだと思う。田舎で共に暮らしていた
それでも夢の中の遺言は
「そして、現場にロザリオが残されていたそうです。
マリアベルは
リンカーンシャー公爵家は先祖を
マリアベルは正面のリアンに目を移す。透明感のある面相に
「一旦そのことは置いておきます。情報が出揃わない限り、考えても仕方がないから」
言ってもマリアベルは机を指で打ち続けた。この仕草はここ最近の癖であり、自らの足で歩み始めてから現れた。今まで誰かを利用したり、人に甘える事に慣れていたから、自分だけで1から100までを考えるのが落ち着かず、思考を
「そんな事よりも今やらなくてはならないのは、あなたの姿を隠すこと」
「やはり狙われます……、よね」
「王が殺された理由を知らないからハッキリとは言えませんが、可能性がないわけではありません。予防はしておいた方が良いでしょう」
マリアベルは背負袋の中から女物の
「今日から男を捨てて女として生きて下さい」
リアンはギョッと目を丸くする。
「今だって王族と悟られないように男物は身につけないようにしていますが、それは本当の本当に、正真正銘、女装ではありませんか」
「可愛らしい
「いつそんなものを買ったのですか」
「ウィンフィールドを出てから、割とすぐに。いずれ必要になるかと思って」
リアンは腕を組み、呆れるようにして目を細める。
「何ですか、その目は」
マリアベルはそう言って、わざとらしく嫌なため息をついた。
「いいですか? 此処から先は少しの油断が命取りになるものと思いなさい。つまらない
「こんな顔でも僕は男ですよ。
頭巾の
「さすが王族。危機感というものがないご様子」
その冷たい表情に、若干の笑みが宿った。
(あっ! こ、この人、笑った……!)
何だその表情は。澄ました顔をしているが、笑みを隠しきれていない感じ。期待の表情が透けて見えている気がする。……まさか、本当のところ、マリアベルは女装が見たいだけではないか? リアンは確信した。絶対にそうだ。そうに違いない。
「はいはい、分かりましたよ。着替えれば良いのでしょう」
そうであればさっさと降参した方が良さそうだった。地下墓地での一件がそうであったように、マリアベルは自らの目的を達成させる為なら
(やれやれ。少し拍子抜けした)
リアンは呆れた。それと同時、昨夜の出来事が肩に重たくのしかかっていたのが、不思議と和らいだ気がした。
諦めて
「聖地に行くのは一旦控えましょう。無闇に行動するのは危険かも知れない」
「僕たちの動きは、どれだけ知られているのでしょうか」
「
マリアベルは
「私は髪を切って、あなたも女になるとは言え、背格好はそう変えられない」
「背格好だけで僕たちに辿り着けるのでしょうか」
「お甘いこと。考えうる全ての可能性を頭に入れて行動をしなさい」
「1人客だと思っていたが、2人だったのか」
嫌な目つき。マリアベルは『注文を』と手を上げ、平静を装う。が、男は値踏みをするようにじっと見続けるばかりで、やがて勝手口から出て行った。
「怪しまれたかも知れませんね」
マリアベルは窓から男の動きを追った。男は人の波を掻い潜り、兵士に寄る。どうやら己らがいることを告げ口しているらしい。
「リアンがさっさと着替えないから」
「やはり、何者かが僕の事を探しているのか」
「あの兵はどこの所属? 領軍か自警団か……。人が多すぎて装備がよく見えない」
ややあって勝手口から入ってきたのは、2人の兵士だった。マリアベルとリアンは、彼らの
禁軍は王の兵。その彼らが王の殺された翌日にリアンを探しているとなれば、それは意味深だった。
兵は2人の席の側まで来て、言う。
「
マリアベルは2人の兵の内、話していない方が剣の柄に手をやっている事に気がついた。少しでも不審な動きをすれば斬るつもりらしい。適当な会話をして少しでも情報を引き出したかったが、さっさと逃げた方が良さそうだ。
さて、どうする。酒場の外は人で行き交っている。派手な魔法を使って目立つのは賢い選択とは思えないが……。
「我々はある
1人の兵は
「……消えた⁉︎ バカな!」
兵らは中途半端に開いた表口の扉を見て、ようやく逃した事を理解した。
「この素早い身のこなし、間違いない。 ──ヤツだ! ヤツを追え!」
□□
クララは
そういえば、彼女は意味深な事を言っていた。確か、もう一度頑張れると。まさか王殺しをやろうとしていた?
もし、本当にそうだとしたら。このどうしようもない不安が的中してしまったら。そうしたら、私はどうしたら良い? 責任を取らなくてはならない?
どうしてこんな事になってしまったのだろう。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「誰か助けて……。もう分からない……」
クララは正義感の強い女子であるから、何かをしなくてはならないと考えた。でも何をしたら良いかが分からない。自分が出来ることなんて何もない気がしている。だからと言って逃げてしまうわけにもいかない。どうしよう。
……でも、あんなに優しい子が、そんな事をするだろうか。そうだ。するわけがない。きっと何かの間違いなんだ。ロザリオだって似ているだけで本当は別物。思い過ごしの可能性もある。
クララは冷静になろうとした。冷静になって、あの赤髪の少女を探す事から始める事にした。そして、彼女に話を聞こう。そう思った。
彼女は昨夜に消えた。まだ遠くには行っていないはず。そう、遠くには行っていないのだから王を殺す事なんか出来るわけがない。それに、昨晩は祭りの後だったから人も多かったのだし、彼女を見かけた人だっているに違いない。聞き込んで行けば、やがて見つけられるはずだ。
「あっ、あのっ、すみませんっ!」
クララは
「人を探していて! あの、そのっ!」
「人を?」
優しそうな男だった。笑んでクララの話を聞こうとしている。
「赤い髪の女の子で、
言って、クララはハッとした。
「あっ……!」
クララは腕を強く掴まれた。
──逃げなきゃ。
腕を掴まれたことの痛みがクララを追い詰めた。
クララは走りながら振り返った。黒い
どうして武装した兵士が追いかけてくる?
捕まってしまう?
もしかして、赤髪の少女を助けたから?
やはり罪だったのだろうか。
でも、罪だと言われたって。あのまま死んでしまうのを放っておけと言うのか。
こんな事になるなら、きっと、人なんか助けなきゃ良かったんだ。
クララは人混みを避けて
だが、逃げて逃げて、逃げた先は
「なぜ逃げる?」
クララは軍服の男の質問には答えず、必死に首を横に振った。何かを言いたいのだけれど、恐怖ですぐに言葉が出てこなくて、こうすることしか出来なかった。
「この女、何か知っているぞ」
「一緒に来い。話を詳しく聞かせろ」
男達が近寄って来るが、それでも首を振る。ついには兵の1人が剣を抜いた。脅して従わせるつもりだった。
クララは輝く刃を見てへたり込む。そしてロザリオを握りしめ、目をぎゅっと瞑って、神に助けを乞うた。
──どうか、どうか助けて下さい神様。
祈れば悲しい情景ばかりが蘇った。瘴気が迫って領から逃げ出した時の街の炎と、空を舞う灰の輝き。両親が狂って死んだ部屋、酸っぱい臭い。葬列と埋葬、
良い事も楽しい事もたくさんあったはずなのに、蘇るのはどうしたって辛い思い出ばかりだった。
がしゃり、と金属の音がした。きっと、剣を振り上げた時の鎧の音だ。大人しく従わなかったから、斬られてしまうんだと思う。それも仕方ないのかもしれない。最期に、アンナの顔を見たかった。
☆3巻上の予約が開始されました。
応援していただけると嬉しいです。
【挿絵表示】
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ
☆ 1巻はこちら
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ
☆2巻はこちら
Amazonの商品ページ
楽天の商品ページ
オーバーラップストアの商品ページ