「一つ。──
──進軍。
マリアベルは拳を硬く握った。無意識だった。気が気ではない自分に少し驚きながら、ポールの言葉を待つ。
「輝聖と合流し、用意してきた茶を
ぴくり、とマリアベルは反応した。キャロルがニスモに会った? しかも、1節程前に。
「揉め事の最中、
──焔聖が、輝聖を庇った。
キャロルを嫌いで嫌いで仕方ない、あのフランベルジュ家のご令嬢が?
疑問だ。状況も読めない。が、事態は読めた。クララが見せてくれた、美しき魔弾。あれは元々、何者かが輝聖を殺す為に使用したものらしい。
「なお、輝聖の従者が焔聖の攻撃により怪我を負う。それもあって、輝聖は我らに支援を求めた由。ああ、美しく強い輝聖に頼られている事、我ながら
恐らく、従者とはエリカ・フォルダンとか言う田舎娘のことだ。たかだか一戦士がいけしゃあしゃあと輝聖の
「
ポールは続けた。
その後、輝聖と合流した
大白亜、即ち聖都アルジャンナを包する教皇領に差し掛かった時、新たなる事件が起きた。
そして現在、ジョッシュらは領境付近に陣を構えて、様子を見ている。
「輝聖が推測するに、大白亜は禁軍に占拠されている由。詳しく調べるべく
周囲、騒めく。大白亜は正教会の本部である。それを占拠となると
「ああ、この不穏なる雰囲気に陸聖は何を思うか。気に悩んでいないと良いが。民の間も、国を
ポールは1枚、羊皮紙をめくる。読み上げる本人もこの先が問題の部分であることが分かっているから、緊張を落ち着けるように息を吐いて声を張り上げた。
「そっ、それから! ──それから、今朝、父様から、大白亜奪還の
マリアベルは目を見開き、全身の毛を逆立てる。だが驚愕の内容はまだ続いた。
「まずは
ロック卿は
「なんと。
「な、なお! これらのことは戦略的に隠すべきとは思えど、私は秘密が好きではないから堂々
言い終わるや否や、マリアベルは稲妻の勢いでポールに寄り、手にしていた文を勢いよく奪った。
「お、お嬢様の手前、乱暴はお控えあれッ!」
ロック卿から声が飛んだが、マリアベルは気にする風もなく、目を血走らせながら手紙を読む。読んで読んで読んで、声を張り上げた。
「ああああああッ‼︎ 阿呆ッ‼︎ ジョッシュ・バトラーッ‼︎ あの薄らぼんやりッ‼︎」
息を荒げて、文を指差す。手がぷるぷると振るえていた。
「こっ、こっ、ここっ、こんなことを包み隠さず文に書くなぁッ‼︎ 軍事機密! これは、軍事機密でしょうにッ‼︎ 文を禁軍に奪われたら、どうするつもりだったんだ‼︎ 大間抜けッ! 脳みそはあるのか⁉︎」
そして文を地面に叩きつけ、何度も何度も踏みつける。
「ばか! ばかっ‼︎ 会ったらその間抜け面を引っ叩いてやるッ! 往復だ! 往復でその頬を何度も叩く‼︎ 何度も‼︎ 百回だって千回だって足りないッ‼︎ 頬が
言い切って、肩で息をする。
「はあ……、はあ……」
室内静まり返る中、汗まみれの髪をかきあげ、踏みつけたばかりの羊皮紙を拾った。
「でも、輝聖は、無事、なんですね……」
不思議だった。リトル・キャロルが遠く離れた場所で、何かに立ち向かおうとしている。それを思えば胸が温かくなって、今すぐに駆けて行きたくなる。心に澄んだ風が吹いて
「良かった……、本当に……」
手紙を胸に抱きしめて、膝をつく。その場にいる者は総じて、この乱心とも取れるマリアベルの行動をただ呆然と見ていた。
□□
聖フォーク城の
約束したはずのマリアベルは来なかった。クララがその事について謝ると、パトリシアは少し寂しそうに笑う。
「良いのよ。忙しいに決まってるわ。だって、マリアンヌは凄い人なんだもの。あなただけでも付き合ってくれて嬉しい」
クララは心を痛めた。だが、暗い顔をしてパトリシアを退屈させてはいけないと思って微笑みを作り、焼き菓子を食べる。
「美味しいです。本当に」
「そうでしょう。そこらのパン屋よりは上手な自信があるわ」
「お菓子作り、お好きなのですか?」
「貴族の趣味ではないけれどね。私、普段から一人で放っておかれる事が多いから、こんな事くらいしか楽しみがないの」
パトリシアは明るく言うが、影があった。それは領を失い、新天地で生活をする事になったクララにとっては、身に覚えのある痛みだった。影の正体は、孤独だろう。
「あなたが付き合ってくれて良かったわ! ほら、周りはみ〜んなおじさんばかりでしょう? 使用人も話し相手にはなってくれるけれど、やっぱり歳は離れているから、何となく話が合わなくて。だから、こうしてお話出来る子が欲しかったの。私は今、とっても嬉しい」
「ねえ、クララとマリアンヌってどういう関係なの?」
クララは一瞬ドキリとして背筋を伸ばした。さあ、どう答えれば良いか。マリアベルの身分は隠さなくてはならないから、難しい。
「えっと。色々あるけれど、端的に言えば、憧れの人なんです。あの人の事をもっと知りたくて、旅を続けてきたので」
「そうなのね! じゃあ、
少し違うような気もしているが、広義で言えばファン、なのだろうか。
「私、マリアンヌみたいになりたいわ。こんな気持ちは初めて」
パトリシアはきゅうと拳を握って続ける。
「強くて、格好良くて、堂々としていて、胸がときめく。まるで、絵画の中の
しかし、すぐに寂しげな笑顔に戻ってしまった。
「私がマリアンヌみたいになれたら、きっとこの領は大丈夫だと思うの」
パトリシアは手元の器を見る。紅茶には、年相応の女子が映っていた。とても領の上に立つべく人間とは思えない、そんな頼りない表情をしている。
「
「そ、そんな事は……」
クララは焦った。領内の混乱は自分たちが引き起こしているから、彼女のせいとかではない。だが立場上、それを説明する事は出来ない。この状況は心優しいクララにとって、ひどく辛い事だった。
「ねえ、クララ。本当なのかしら? 王族が、私たちの領を潰そうとしているって。だとしたら、どうすれば良いのかしら? 私の代でピピン公爵領を潰してしまうなんて恥だわ」
パトリシアは目を
「民や騎士達はどうなるのかしら? 侍女達は? ロック卿も大変よね。お母様の事も、どうするんだろう。これから、どうしていけばいいんだろう。きっと、私が頑張らなきゃいけないのよね……」
ふう、とため息をついて、笑う。
「あーあ、マリアンヌとお茶したかったなぁ。色々と助言して貰いたかったのに」
ついにクララはパトリシアの目を見れなくなって、菓子置きに目をやる。よく見れば、プディングやタルトなどの菓子が、4つずつ切り分けてあった。それで、マリアベルとリアンを入れて、4人で食べるつもりだったのだと気がついた。楽しみにしながら、準備してくれたのだと感じた。分かってはいたけれど、こうやって感情を理解してしまうと、苦しかった。
「……えっ! クララ、泣いてるの⁉︎ なんで⁉︎」
クララは涙を流していたが、首を横に振った。涙の訳は、自分が情けなく感じたから。この
「わっ、私、あの人みたいに凄くなくて、何が出来るかは分からないけれど、不安な事や困った事があったらお話ししてください。一緒に悩みを共有して、考えながら、頑張りましょう。何でもする。私、本当に何でもするからっ」
パトリシアはぽかんと口を開ける。
「う、嬉しいけど……。それって、友達って事でいいのかしら……?」
「はいっ。友達です! 私なんかで良ければ」
クララが涙を拭い、強く頷くのを見て、パトリシアはパッと笑顔になった。初めての友達が出来たのだ。
「わっ、私ねっ! お友達とお話ししたかったこと、いっぱいあるのよ! そうだ! 今日は私のお部屋で寝なさいなっ! それでね、夜通し話すの! 色々、不安な事があるのっ! あのね、あとね──」
パトリシアの話は
□□
一方で城の客間、マリアベルは窓から外を眺めていた。目線の先は良く手入れされた薔薇の庭で、
そしてリアンはマリアベルの背中を
「聞きたい事があります」
振り向かず、マリアベルは答える。
「挙兵を
「教会の改築を迫り、費用を負担させて、王都に
「そうでしょう。否定させないように言葉を選んだつもりですから」
「ですが、ここは慎重に議するべきではなかったのですか。あんな言い方をすれば、本当に挙兵に及ぶ」
マリアベルは冷徹な笑みを浮かべて、リアンに振り返る。
「リアン。私は『領軍を
「前提が変わった」
リアンは続ける。
「大蛇の討伐を見て、何も思わなかったのですか? 領軍の殆どが徴収兵。正規軍も親衛隊と呼ばれる者たちでさえも、
マリアベルは表情を崩さず、リアンを見下すように見ている。
「聖女様、この領を弾丸として消費するつもりですか。やり方を考えるべきです」
「
「そう考えていると思った。本性を現しましたね」
リアンは驚きはしなかった。謁見の間では王都を包囲して好条件を引き出すと言っていたが、あれは
「それでは多くの人が犠牲になる。あなたは人を殺しはしないと言いましたが、僕に嘘をつくのですか」
マリアベルは鼻で笑う。
「いつまでも当初の考えに固執する私じゃない。
「こんなやり方では、輝聖も幸せにはならない。いや、リトル・キャロルはあなたを憎んで、悲しむ」
「あなたは私の想いを批判するのですか?」
言って怒りの表情に変わり、ゆっくりとリアンに詰め寄る。リアンはその青い瞳で強く睨め付けたまま、その顔を見上げた。マリアベルは煮立つようにして体をわななかせて怒鳴る。
「輝聖を失えば世界はどうなるッ!」
その時、2人の手が同時に動く。互いに拳を顔面に叩きつけようとした。が、やはりマリアベルは聖女である。聖女達の中では身体能力には優れないが、それでもリアンよりも早く、顔面に拳をぶつけた。
だがリアンは
リアンは机と椅子を吹き飛ばし、
マリアベルはリアンに
「私は聖女だッ! お前には意見する権限などないッ!」
「いや、意見させて貰う! 僕はあなたが変わってくれて嬉しかった! きっと、本来の優しい瞳が戻ったのだと、そう期待していた! その綺麗な姿を見るのが嬉しくて、噛み締めるごとに、あなたの姿が僕の胸の中で大きくなって、心地よさを感じていた! 感じていたんだッ!」
「偉そうなことを……ッ!」
「──あなたは、地下墓地のマリアベルに戻るのかッ!」
マリアベルの目からは、自然と小さな涙が溢れて出たが、本人は気が付かなかった。その涙の正体は怒りでもあったし、
「
勢い良く頭突きをし、額と額を突き合わせたまま怒鳴る。
「もう一度言うッ‼︎ 私は聖女だ‼︎ 私は神に愛されている‼︎」
怒鳴り続ける。
「私の行動を止めたい⁉︎ ならば私を殺さなくてはならないッ! 聖女である私を殺したらどうなる⁉︎ お前は世界の破壊者となるッ! 全ての人間に呪われながら、世界の破滅を見届けろッ!」
強かにリアンの後頭部を床に打ちつけて、顔を離す。マリアベルは頬を赤らめ、肩で息をしていた。
リアンもまた顔に汗を垂らし、荒く息をしながら海聖の瞳を見つめた。割れた
そして、リアンは直感した。
「聖女様。あなたは、何かを見た……。何かがあなたの心に触れた……」
マリアベルは今、自分の体に
「まさか、神リュ──」
言いさして、突然、勢いよく部屋の扉が開いた。開けたのはロック卿だった。
「ぬっ……⁉︎」
馬乗りになったままの二人が乱れた髪で息を荒げているのを見て、ロック卿は一瞬
「マリアンヌ・ネヴィル、聞けい! 今し方、
マリアベルはロック卿を見る。
「──
それを聞いて、リアンが呟く。
「海聖が、死んだ……?」
マリアベルは未だ肩で息をしながら、ただ呆然と、ロック卿を見つめていた。
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