マリアベルらは早足で廊下を進む。向かう先は聖堂に
そこでは王都で
ロック卿はこう説明する。
「海聖は
リアンは緊迫した面持ちで問う。
「
「民人を
マリアベルは猟奇的な笑みを浮かべた。
「そうか。リトル・キャロルらマール伯爵領軍が禁軍に奇襲をかけたことで、新王は焦ったんだ。──新王の狙いは輝聖だけじゃない。聖女5人全てが狙いだった。この世から聖女を抹殺するつもりだ」
それと同時に、王都にある正教軍大本営
「他の聖女達はどうなった?」
ロック卿の問いに、
「
輔祭は言う。指令を出したのは禁軍に違いはない。だが実行部隊は別。それは、王都に駐軍していたリューデン公爵領軍の将らと、一部の貴族である。そして、聖女の首を掲げたのはモラン
それを聞き、リアンは目を見開く。
「──モラン子爵」
デミ家を下民にまで追いやった張本人。エドワード・デミに幾度となく
(まずい……)
リアンはぎりと歯を噛み締める。どうしよう。隣にいるマリアベルの顔を見ることができない。怖い。今、どんな表情をしている。何を思うのだろう。──このまま狂いはしないか。
「モラン子爵とやらは何かを言っていたか?」
ロック卿の問いに、輔祭はこう答えた。
モラン子爵は首を掲げて
ロック卿は頬に一筋の汗を垂らして呟く。
「なんたる物言い。神の怒りを買うぞ」
リアンも顔も青くした。──これでは本当に、マリアベルは王都に攻め入る。そして、狂気の沼から
「クッ……、ククッ……」
マリアベルは喉を鳴らして笑いを押し殺そうとしたが、
「あはははははッ! ははははははッ‼︎」
腹を抱え、顔を赤くし、体を震わせる。
「見なさいッ! 私を中心に全てが動き出しているッ! 太陽を中心に天が回るのと同じように、私を中心にして
異常な様子を見て、みなが沈黙した。その叫びの意味を理解出来る者はリアンしかいなかったが、誰も問い返す者はいなかった。
「ただちに、他聖女の情報を集めなさいッ! そして、リューデン公爵の
リアンは思う。──これは果たして偶然か、それとも必然か。胸のロザリオを握り、神に強く、ひときわ強く問いかけたが、何の声も降りてはこなかった。
□□
領軍は他聖女の情報を集めるべく動き始めた。同時に新王に
デュダの街にも海聖の死は広まった。民は大いに困惑し、不安がった。救世主の登場に沸いた街から、一気に笑顔が失せた。
また、謁見の間でマリアベルの物言いを聞いた迂闊な騎士が、禁軍が公爵領に攻め入るという話を酒場でした事もあって、それも2日3日のうちに民の多くが知る事となった。
──海聖の死から5日が経ち、
聖フォーク城の
「あのね、クララ。今、街はとても沈んでいるらしいの。嫌な噂がたくさん流れて、人々が不安がっているわ」
それについては、クララも聞いていた。海聖の死──と言っても
「もう国の中はぐちゃぐちゃよね。世界は瘴気に飲まれようとしているのに、人同士で争っている……」
パトリシアは赤い薔薇を摘んで、1つ1つ、
「クララ。私に出来る事を考えてみたの」
「出来ること?」
「街に出て、民の話を聞いてみようと思う。私、クララとお話が出来るようになってから、胸のもやもやが消えていったわ。誰かに話す事で、こんなにも救われるんだってびっくりした」
孤独なパトリシアは、あれこれと
「だから私も、クララみたいに皆の話を聞くの。そして、この薔薇を配るわ」
パトリシアにとって薔薇は心の癒しだった。母が発狂して周囲に暴力を振るった時も、父が死んだ時も、薔薇を部屋に飾り、窓から漏れる陽に輝くそれを見れば、気が
「クララ、付き合ってくれる?」
パトリシアは笑んで言う。
「もちろん。お供します」
本当にいい子だと思って、クララも笑む。
その日の午後から、パトリシアとクララはデュダの街へ出向いた。街の民達はまだ領主が死んだ事には気がついていないし、パトリシアの面相や
ロック卿の愛馬ソロモンに沢山の
街の中央に向かう途中で2人は手を繋いだ。それでクララは思い出す。祭りの日。デュダの街を赤髪の少女と2人、手を繋いで歩いたことを。あのわいわいとした雰囲気は、既にデュダから失せた。
──あの子は今、どうしているのだろう。
クララは鉄の色をした空を見上げた。秋にしては温い風が吹いていた。野焼きの臭い、風の
賢馬ソロモンはクララの気落ちを感じて、元気を出せ、とその背に顔を擦り付けた。
クララは少し笑んで、思う。──今、私たちには荒波が迫っている。心の騒めきがそれを予感させる。灰色の街が、それに説得力を持たせている。私の気が付かないところで、波は渦を生んで、全てを崩壊させる怪物となり始めている。……そんな予感がした。
□□
結果から言えば、クララの不安は的中した。目に見えない怪物は内から国を
海聖の死を受け、信心深い傭兵団や冒険者、味方を作らずに勇んで早まった貴族などが、各地で禁軍と戦闘。それらは半日も経たぬ内に制圧され、特に王国南西部の川は血に染まった。
他領では聖女の
国の
だがマリアベルはこれを
マリアベルは机に向かい、領軍が集めた情報を頼りに禁軍の
「……けほっ」
マリアベルは1つ咳をして、口を押さえた。息も荒くなる。
(まただ……)
自分の影武者が死んで以降、時折、ひどい吐き気がした。視界がゆっくりと右へ回転し、果てしなく酔う。
マリアベルは青い顔で立ち上がり、フラフラと薔薇の庭園へと足を運んだ。少しでも良い空気を吸いたかった。だが、美しい庭を見ても気分は晴れず、ついに泉の近くで胃液を吐き散らした。
「おえっ……、えっ……」
この
彼女と過ごした事で芽生えた様々な感情、つまり、
焦りもあった。今の所、ピピン公爵領に挙兵の
敵にはリューデン公爵とモラン卿がいる。奴らを逃せば、永遠に後悔する。こんな機会は2度と訪れない。──理由をつけて殺せる内に殺したい。生きたまま手足を
考えている内にまた嘔気が現れ、吐く。釣られて涙も
「羊になりたい。羊のように
今この瞬間にも思い出す。月のもので吐き気がした時、リトル・キャロルは落ち着くまで背中を摩ってくれていた。彼女の
──そう言えば、海聖が死んだと聞いて、キャロルは取り乱したろうか。
「ここにいたか、マリアンヌ・ネヴィル」
声をかけられ、振り返る。そこに立っているのはロック卿であった。
「ひどい顔だな。寝ているのか?」
マリアベルが黙したままなので、続ける。
「話がある。諸々情報が集まったのでな」
「行きましょう。謁見室ですか? もう騎士は集まって──」
「いいや、儂とお前だけじゃ」
マリアベルは、挙兵を決意したのではないのか、と苛立ち、口の中の胃液を唾で洗って飛ばした。
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