アリッサム街道は教皇領へと繋がる要路の一つである。
マール伯爵領北部。ヘス侯爵領との領境、関所の正面。
メリッサは丘の上まで続いていく道の先を優雅に眺めている。どうやらヘス侯爵領軍がこのアリッサム街道を通り、マール伯爵領を横断して大白亜へと向かうらしい。そろそろ道の先からひょっこりと軍勢が現れてもよい頃合いだと思うのだが……。
背後、砦の門扉が開き、メリッサの
「姫」
「どうした、爺」
「ピピン公爵領軍はコンチ城に取り付いた
コンチ城とは公爵領軍の言う『一の城』である。
「ほう。堕とすには7日はかかるか?」
「
メリッサは顔を
「
「城を預かるロングフェロー家が、城内で禁軍と争っている由。さらに道まで封鎖して、領主に謀反の構えを見せつけておりまする」
メリッサは顎に手をやり、ほう、と怪しく笑んだ。
「調略か。公爵領軍の軍師は誰ぞ」
「名はマリアンヌ・ネヴィルとか。素性は冒険者と聞いておりまするが……」
「冒険者? 公爵領の出身か?」
「はて。
「ふぅん。
侍女が爺に緑茶を渡し、爺は一口
「マリアンヌ・ネヴィルね……」
メリッサは鳥が蜻蛉を食うのを見ながら呟く。そして、髪を整える若い侍女が
「それにしても海聖のような名だな、爺。まさか海聖ではないのかぁ?」
第四聖女隊は正教会内の深い部分に間者を放っているから、王都で死んだ海聖が替玉である事は陸聖も承知している。
「いやいや、姫。名を隠すなら、もう少し離れた名前を使いましょう。マリアベルの偽名をマリアンヌとするは、些か雑にございまする」
「そうか? 灯台下暗しという言葉もあるぞ。それにあの腹黒は妙な
「それでも爺は納得いきませぬな」
「よし。マリアベルか否か、賭けるか。爺」
メリッサは長衣の下から神の金貨を取り出す。
「ほほう、それを賭け事に使用するとは
「神罰?
爺がお
兵が倒れるように跪き、爺が言う。
「何用か。申せ」
「はっ。輝聖リトル・キャロルと主人は大白亜へ向けて再び動き出した由にございます」
メリッサはにやりと笑って、言う。
「役目大義。茶でも飲んでから下がれ。目が覚めるぞ」
伝令は侍女から
「えっふッ! ぶふぉッ‼︎」
あまりに苦くて、むせる。それを見て侍女達は口元を隠し、
「姫、
「なあに。輝聖が動いているのなら、それで十分。妾は妾の役目だけを行えば良い」
「その役目とは、輝聖と共に剣を取ることではありませぬか」
「
「ほう」
「ならば妾も盾となって、輝聖の聖務を邪魔立てさせぬことだ。即ち──」
メリッサは地響きに気がついて、手元にあった双眼鏡を覗いた。街道の先を見ると、
「──情勢の一つも読めずに輝聖の面目を潰そうとする阿呆を、ここぞとばかりに
次第にそれは爺や侍女たちも目視できる程に近づいて来た。
「はてさて。躾けるとは、どの程度のことを言っておられるのか」
「
侍女たちがクスクスと笑う中、メリッサは軽く手を挙げて砦の兵に合図を送る。手信号。五指を伸ばし掌を
ヘス侯爵領軍は砦から離れた位置で一時停止。そして馬に乗った将らしき
「きっ、聞けーい! 我が名はヘス侯爵が
メリッサは意地悪くニヤニヤと笑みを浮かべ、足を組み直す。このピーターとかいう男、大声を出し慣れていないのか、声が裏返っていて面白い。緊張もしているようだし、如何にも将として頼りなさげである。馬も舌をベロベロと出して遊び、
ピーターは暗記してきた言葉を頭の中で何度も繰り返してから、再び物申す覚悟を決め、もう一度声を張り上げた。
「貴様らマール伯爵領は不忠にも聖女に味方していると聞くぞぉ! 返答次第では貴様らも手痛い仕打ちを受けるものと思われたし! 我らは全ての魔を屈服せしめる神聖で厳格な軍団であるぅ! これは優しさからの忠告であぁる!」
言い切って、よし、口に出して喜んだ。威風堂々言い切った。きっと、マール伯爵領軍は恐れ
だが、メリッサの回答はピーターが期待していたものとは随分と違った。
「神に祝福されしマール伯爵領を侵略せんとは笑止千万!」
「え?」
「その尾に糞のついた馬を近づけるなッ!」
メリッサが力強く言うと、砦からひゅんひゅんと矢が飛んだ。矢がピーターに当たることは無かったが、驚いた馬が派手に暴れる。
「な、何をする! 無礼なッ!」
「──ピーター・アシュリー。貴様、確か学園に在籍していたな。領の有事とあって里帰りとは、親孝行
言われて、ピーターは羊の変わり兜、その
「なっ、何者だ! 貴様ぁ!」
問うたピーターに、爺が怒鳴った。怒りの形相、烈火の如く。
「言葉を慎まんかあッ‼︎ ここに
「うわあッ!」
怒鳴り声に驚いたピーターは馬上から転げ落ちた。馬は
「メ、メリッサ、サンチェス? 誰?」
近習の騎士は焦った様子で馬から降り、無様に尻餅をついた
「お、おぼっちゃま! この者、カタロニアの姫にて
「りっ、陸聖⁉︎ ど、どうしよう!」
ピーターはさらに顔を青くさせた。領を出る際に言われた父ヘス侯爵の言葉が蘇る。『マール伯爵領内に聖女あらば、王への忠誠を胸に勇ましく戦うべし』。その聖女が今、目の前にいるではないか! 何ということだ!
だが、困った。ピーターには戦の経験などない。武術も魔法も特に
実家を心配させぬよう教師を金で
「とても怖いよ!」
「おぼっちゃま、お気を確かに!」
ピーターは過呼吸となった。
領の騎士達は『聖女などいない』『正教会の
「妾の名を聞いて陸聖であるとすぐに気が付かんとは、まるで
メリッサが立ち上がりピーターに寄る。それで近習の騎士は勇ましく剣を抜いた。
「小娘! 聖女などと民を
メリッサにそっと見つめられて、騎士はぽとりと剣を落とした。瞳の奥に
「やっ、やめいっ! やめーい! おぼっちゃまは
メリッサは騎士の物言いを無視して、ますますピーターに近寄る。ピーターは恐れて立ち上がり、背を向けて逃げようとした。
「パパ、助けて! パパーッ!」
メリッサはそのぷりぷりと左右に動く尻を思いっきり蹴り上げる。
「
激しく弾かれ、無様に顔面から地に落ちて、ピーターは転げた。それを見て侍女達、砦の兵達はワハハと大笑いをした。
「てっ、撤退だ! 撤退〜ッ!」
これ以上、領の未来を担う嫡男に恥をかかせては
ピーターは豚の陰茎のように赤く顔を染めながら立ち上がり、馬に
「ようし、笑った笑った。これで
砦の兵達は、おーっ、と元気な声を上げた。
「妾も次の場所へ急ぐぞ。撤収だ」
メリッサが
砦の上、
「なんと、次も姫自らお出向きになるおつもりか! わざわざ行かぬでも良いのではないか。彼奴等、聖女を殺す
爺は腕を組み、砦を見上げて答える。
「とうに
「趣味?」
「ほれ。
それを近くで聞いていた女官長、ミランダが笑いながら言う。
「躾けるというより、
「これ。伯爵の
「それは失礼致しました」
ミランダは軽く笑いながら、香炉の火を消した。消えぎわの濃い
「……まあ、姫が多少元気になって良うござった。輝聖が顕現してすぐは、随分と気落ちしておられたからな」
「ジョッシュ殿の文のお陰でしょうかね。お返事を考えるのが楽しそうですよ、姫様」
「あんなぽんつくの何が良いのか……」
「あら。ぽんつくとは言葉が過ぎるのではありませんでしたか?」
ミランダは
「まだ糞をひり出しているのか、あの
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