「アリア、もうこんな時間だよ。起きて、起きて」
身体をゆさゆさと揺らされて、ようやく重いまぶたを開いた。いつもよりも何時間も遅い起床にフランは不安げだった。
「ご飯もあんまり食べれてなかったし、何かあったの?」
「少しだけ考え事をしていた」
確かにあまり眠ることができなかった。結果何も考えられなかったが、覚悟だけは決めた。私の言葉でシャロンに気持ちを伝える。もう逃げてはいけない、その思いだけは固まっていた。覚悟は決めたけれど、結局私の気持ちはどうなのだろうか。シャロンは美しく素敵な女性だ。ただ私も彼女もお互いについてまだ何も知らないし、正直まだ私は戸惑っている。何とも言えない蟠りが重くのしかかる中、跳ねた髪を整えていると朝食が運ばれてきた。
「おいしそう……。朝からこんなに、幸せだよお」
カーテンを勢いよく開けて、部屋には新鮮な日光が差し込んでいる。それをいっぱい浴びながら私達は豪華な朝食を頬張った。食事中私は何度も感情の本棚を整理していた。いったいこの本棚には何冊の心情の本がしまわれるのか想像もできない。その心情すら未だに浮かばないのだから。
「どこか具合が悪いの?」
食後、部屋のベッドに座り俯く私にフランが声をかけてきた。誰がどう見たって体調は万全ではないのに、私は大丈夫だと答えて彼女から目を背けた。その様子をじっと見つめる彼女は、原因を予想し始める。
「昨日あたしが寝てる間に何かあったんでしょ?あの王女様の、名前は……そう、シャロン様。確か呼ばれてたよね。アリア、何か言われたんでしょ!」
胸が途端に苦しくなった。ナイフで心臓を突かれているような、もしくは握り潰されているような苦しくて不快な感覚だった。分かりやすく動揺したのを見てフランは自慢げに指を立てた。
「えへへ、当たり。アリアのことなんだから分かるよ。それで何を言われたの?」
「今日、彼女から散歩のお誘いをいただいたんだ」
えっ。今までにない低い声が聞こえた。自慢げだった彼女は指を立てるのもやめて、不快感を露わにする。求婚されたことはあえて言わなかったが、フランは目に怒りを宿して冷たく言い放った。
「いいよ、行かなくて」
えっ。今度の驚きは私の声。心から嫌悪を示すような声の調子だった。その剣幕に私は何も言い返すことができない。普段明るい彼女からは想像もできない程冷たい返答だったから。どうして、そう言い始めるのを待っていたかのように、私の声に被せて彼女は言った。
「だってあたし分かるもん。その王女様、アリアのこと好きだよ。うんうん、それもそうだよね。アリアはこんなにかっこいいし、優しくて強いんだもん。大会でも大活躍だったし、好きになっちゃうのも当然だよね!」
いつものように彼女は私を褒めてくれる。かわいらしく慕ってくれる彼女は愛らしいはずなのに今は少し怖くて、私は何も言い返せない。
「でも私達は大会があるからここに来たんだし、旅をしてるんだからきっともう来ることもないと思うな。それに、セバスさんの村を復興するっていう大事なお仕事もあるよね。なのにあの人はアリアのことをなんにも分かってないよ」
目から光が消えた彼女はシャロンに対して明らかな敵意を向けている。どうすれば良いのか分からなかった。彼女が言っていることは正しいと思う。けれどシャロンはその全てを理解した上で勇気を出してくれたはず。ただ、目の前のフランが私の反論を許さない。重い石を乗せられているような重圧の中、喉の奥からやっと言葉が浮かんだ。
「シャロンはきっと、全部を理解して私に思いを伝えてくれた。だから私も答えなければいけない」
「違う。あの人は何も分かってないよ。あたしのこともアリアのことも。だいたいあの人は……」
これ以上は耐えられなかった。シャロンが酷く言われることも、フランが他人を悪く言うことも。これ以上二人を悪者にしたくなかった。焦りでもう何も考えることができない私は、暴走する彼女をゆっくり抱きしめた。とにかく今は彼女を止めたかったのだ。
「ダメだ、それ以上は言ってはいけない。私の大好きなフランはそんな酷いことを言わない」
「アリア……」
唐突に抱きつかれた彼女は当然戸惑っていたが、抜け出そうとはせず、抵抗無く受け入れた。フランの温もりを感じる。冷たい表情を向けていた彼女の心はこんなにも温かい。良かった、彼女はまだ私の知っている大好きなフランだ。私は黙ったままさらに強く彼女を抱きしめた。
「えへへ、あったかいね……」
いったい何分経ったのだろうか。部屋には秒針の音だけが虚しく響き続ける。落ち着いてみると途端に恥ずかしくなってしまって彼女から離れようとしたけれど、フランは私を離さない。もう何分か経ってようやく満足してくれたのか、それでも少し名残惜しそうに私から離れた。そして顔を赤らめて申し訳なさそうに言った。
「アリア、本当にごめんなさい。アリアがあたしから離れていっちゃうんじゃないかって不安で怖かったの。でも、そうだよね、アリアがいなくなっちゃうわけないよね!」
いつもの屈託の無い笑顔でにっと笑った。冷酷な表情はもうどこにも無くて、そこには私の知るフランがちょこんと座っている。これほど安堵を感じたのも久しぶりだった。
「今日だけは我慢するもん。あたしは理解がある伴侶だから、アリアの帰りを静かに待つのです!でも帰ったら今日みたいにずっとぎゅーってしてね?」
「分かった。約束する」
数時間後、彼女の明るい笑顔に見送られながら私は部屋を後にした。