「アリア、泣いてるの……?」
私の前から去っていくシャロンの姿が脳裏に焼きついて離れなかった。闇夜に眩しく光る月を見つめても、シャロンが離れない。そして一人で泣いている情けない姿を、どこかから帰ってきたフランに見られてしまっている。こんな弱い姿を見せたら失望されてしまう。けれどもう何も考えられない、涙が止まらない。何度も彼女の気持ちから目を逸らして、その真っ直ぐな瞳を見ないようにして、そんな私を誰が許すだろうか。
「シャロンさんと何かあったの?」
フラン、そんな顔をしないでくれ。私はそんな慈悲をかけられるような人間じゃない。もっともっと責められなければいけない。
「あたし、間違ってた。シャロンさんはとっても素敵なお姫様だったの。自分の気持ちに真っ直ぐで、頑張ってアリアに好きになってもらおうと努力して」
フランが達観したように語りかけてくる。今の私とフランは、まるで赤子とそれをあやす母だった。苦しい。彼女の気持ちから目を逸らして、自分の気持ちから目を背けて、最後に残った都合という言い訳さえ満足に言うことができない、そんな自分を思うと、どうしようもなく苦しかった。しかしフランを私を見限らない。優しく優しく語りかける。
「アリアはそんなシャロンさんを見てたら、ちょっと好きになっちゃったんだよね。アリアが何を言っても、そうに違いないよ」
「フラン……」
心の奥の塗り潰されていた部分の正体がようやく分かった。私は彼女に惹かれていたのだ。求婚を迫られた日、私は彼女の気持ちには応えることができなかった。けれどそれは自分の都合よりも、私の気持ちが優先されていた。私は彼女に対して特別な思いを抱いていなかったから、何も言えなかったのだ。しかし今日、彼女の全てに少しずつ惹かれていってしまった。断ろうという覚悟があっけなく崩されてしまった。好きという気持ちが私の覚悟を消してしまって、それを認めたくない私は結局都合を言い訳にして逃げようとしてしまったのだ。それはフランを裏切ってしまうものだったから。
「フランはすごい、全部見通されてしまった」
「アリアのことだもん、ぜーんぶ分かるよ。でも私達にはやらなきゃいけないことがあるもんね。お婿さんになんてなれないよね。でもしょうがないと思うな、だってほんとのことだもん」
黙ったままでいる私に、フランが指を立てて提案した。
「だから、全部終わったらまたここに行こうよ。それなら自分の気持ちに素直になれると思うな。でもあたしだって絶対負けないから!旅の間にあの子なんて忘れちゃうくらいあたしで満たしてあげる!」
抱きつくフランの温もりが温かい。まったく、私は彼女に助けられてばっかりだ。また救われてしまった。全て終わったらまたバライアに訪れよう。そして、今度こそ自分の気持ちに正直になろう。フランへの思い、シャロンへの思い、全部整理しよう。涙は少しずつ引いていった。
「ありがとう、フラン。私はもう逃げない」
「えへへ、どういたしまして!でもまだ離さない!帰ったらいっぱいぎゅーってしてもらうって約束だったもん!」
「ふふっ、そうだったな」
こんなに寂しかった背中が、今はとても温かかった。何があったとしても、私にはフランが必要だ。私の裏切りをフランは許してくれた。なんて、なんて優しい子なのだろう、枯れたと思っていた涙は、一雫だけ彼女の肩へと流れていった。
今朝はここ数ヶ月で一番目覚めが良かった気がする。長かったバライアでの滞在も今日で終わりだった。運ばれた朝食を二人で噛みしめながら、これからに思いを寄せていた。そして時間が経って、私達は王の間へと向かった。しかし、そこにシャロンの姿はなかった。
「よく眠れたようだな。ワシはそなた達に大いに期待している。そなた達がこれから何をするかは分からんが、何をするにしてもワシは援助を拒まないだろう。そして頼まれていた人材諸々は、そなた達が村へ戻った時、文を寄越せばいつでも援助しよう」
「本当にありがとうございます。話は変わりますが、シャロン様は今どこにいらっしゃるでしょうか」
「娘が気になるか。あの子はきっと自室にいるだろう。せっかくだ、会ってやるといい」
「アリア、行ってらっしゃい!」
フランに急かされるように、私はシャロンの部屋に向かった。
「シャロン、いるだろうか」
か弱い声が聞こえた。その姿に昨日の眩しかった彼女の面影はない。部屋には少し萎れた花冠が飾ってある。全部私のせいだ。でも、もう迷わない。
「私の思い、聞いてほしい」
「もう、近寄らないでくださいませ」
彼女の身体を寄せて、抱きしめた。驚いていたシャロンも、引き剥がそうとはしない。良かった、私はまだ受け入れてもらえる。秒針の音が何回も何回も繰り返される。やがて部屋が静寂に包まれた頃、私は彼女が落ち着いたのを見て身体を離した。
「私は、あなたに惹かれてしまった。けれど私にはやらなければいけないことがある。だから全てが終わったら、またここに来ようと思う。その時は、もっとあなたと向き合いたい」
突然の連続に動揺を隠せないようだった。構わず私は続ける。もう彼女にあんな顔はさせない。
「私はもう逃げない、シャロンの思いからも、自分の思いからも。優柔不断な私はあなたを何度も傷つけてしまった。こんな弱い私をどうか許してほしい」
「それ以上は、本気にしてしまいます。せっかく耐えようとしていたのに、もう我慢できないのです。アイリス様への恋慕が、抑えられないのです」
シャロンが力強く抱きついてきた。本気を出しても逃げられない程に強く、強く。閉められたカーテンの暗闇に二人の姿が溶け込んでいった。数秒が何時間にも引き伸ばされたように感じる。そしてようやくシャロンは私を解放した。
「私の匂い、いっぱい付けちゃいました。これでしばらくは安心です」
初めて見る心からの美しい笑顔だった。彼女の髪から漂う甘い匂いが、部屋を出ても鼻に残っていた。