もう僕は現実を受け入れられなくて、僕はその場にへたり込むしかなかった。へやわけはいなかった。僕の前にいたのは、最初からずっとグリンだった。
グリンはぐったりと倒れていた。
グリンの片目は潰れていた。僕の記憶ではへやわけにめり込んだ鉛筆は、現実ではグリンの眼球を押しつぶしていた。
グリンの右腕は肩のあたりから切り落とされていた。僕が変種へやわけの一部を切り落としたと思った時、現実ではグリンの右腕を切り落としていた。
どう見ても、グリンは連続殺人の新たな犠牲者――いや、グリンはまだ死んでいない。片目と片手を失っても、まだ呼吸は止まっていなかった。けれどそれは弱々しく、今にも死んでしまいそうだった。手当てをするべきなのか? 目を潰して腕を切った僕が?
心が限界を迎えて何もできないでいるうちに、イランドの軽い声が耳に届いた。
「あ、開いた」
イランドは僕とグリンを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「さて。今この遺跡で生きているのは、私と君、あとはグリンの3人だけだね。グリンは時間の問題だろうけど」
助手のキサは死んだのだろうかと、ぼんやり思った。
「間違いでしたよ」
僕は力のない声を出す。
「オミナスは――オミナスさんは殺されました。オミナスさんとグリンさんが犯人というあなたの推理は、間違いでしたよ」
オミナスとグリンが共犯で、しかし仲間割れをしてグリンがオミナスを殺した可能性はあるだろうか。
「やっぱり聞いてたのか。まあ当たり前じゃないか。あの二人に殺人なんてできるわけないだろう。グリンなんて、君を犯人だと思いこんで殴って気絶させておきながら、自分のやったことが怖くなって逃げたくらいなんだから。オミナスが、私が犯人とかいう間違った推理を自信満々に言うものだから、少し意地悪したくなっただけだよ」
真相が何であれ、イランドが人の死に何も感じない狂人であることは確かなようだった。
「そうだ。まだ私はオミナスの死体を見てないんだけど――ヤジリンだったかい?」
「はい……多分」
「やっぱりそうか」
オミナスがヤジリンに見立てられることを導く論理が、イランドの中に存在するのか? いや、単にオミナスの死体を事前に見ていて、嘘をついて僕をたぶらかしているだけだろう。イランド=ハニーアとはそういう人間だ。
「ところで、ちょっと興味があるんだけど――君は、この事件の真相をどう推理しているの?
偉そうなことを言った後入り口で居眠りしてたのと同様、何も考えていなかった?」
イランドの言葉は幼稚かつ低俗な挑発だったが、擦り減った僕の心を深く傷つけた。
「考えてきましたよ。ずっと! 考えてきました!」
強い口調で本心を言ってしまう。イランドの目論見通りなのかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。僕の苦しみを口に出したかった。
「今も、考えてますよ! 犯人は誰なのか!
死体の残虐性からして犯人は人間ではなくパズル! 血がついたノコギリがあるから犯人はパズルではなく人間! 発信器の件と遺跡に入る時に誰かの目を見たから外部犯! 皆が隙を衝かれているから内部犯! 死体を見て楽しんでいるからイランドが犯人! ナナの手帳の一部を持ってたからクラーケンが犯人! 斧を持って僕を襲ってきたからブルートが犯人! ブルートが僕を襲ったら僕の意識が飛んでブルートが死んだから僕の別人格が犯人! 死んだふりをしていたからイランドが犯人! この遺跡をたまたま見つけたことがあり得ないからイランドが犯人! ナナが行方不明になった話と僕とイランドを襲ったことからオミナスとグリンが犯人! 遺跡と連携した変種ルールのへやわけが犯人! グリンを殺した僕が犯人!」
名前に敬称をつけることも忘れてまくし立てる。
「全部それなりの合理性があって、否定されたものもありますけど、これらが同時にあることがありえないんですよ! 矛盾だらけなんです、この事件は!」
そこまで言って、僕は自分で気がついてしまった。
「あれ? じゃあ――この事件は、
イランドが眉を上げた。僕は少し落ち着いて口調を丁寧語に切り替え、けれど話すことは止めなかった。
僕――ニーク=レキシカによる解決編だ。
「パズルは、しばしば問題不備があります。昔人類存続キャラバンと戦ったぬりかべは複数解でしたし、初代魔王も戦闘の途中まで解なしでした。解く側としてはたまったもんじゃないですが、実際に不備があったのだから仕方がありません。
話を解なしに絞りましょう。多くのパズルにおいて、表出の果たす役割は解を絞ることです。昔魔法の杖によって開発されたハニーアイランドリアルタイムソルバーを見れば、表出を増やすたびに残りの解の個数が減少することを分かりやすく感じることができます。
そのようなパズルの解は、一つ一つの表出が絞った、解の可能性の共通部分なんです」
言いながら僕は、ブランとノワルの死体があった場所の壁に書かれていた図を思い出した。最初に見たときは二つの輪でリングリングを表していると考えたし、それは間違っていなかったかもしれないが、今はベン図が想起される。
「今回の事件が一つのパズルだったとすると、事件の手がかりが表出に相当します。そして、そのパズルに問題不備があった時、事件の手がかりも矛盾するんです。
現実世界は矛盾しえないが、パズルの表出は矛盾しうる。この事件に一つの真相――解なんてなかったんです。
僕は、自分の推理を完成させた。
解なしという事実は、今までの全ての推理を無に帰す。あるいは逆に、全ての推理を肯定しているともいえるのだろうか? 矛盾しているパズルの中では、あらゆることが正しくて、かつ間違っている。犯人。パズルの見立ての意味。動機。今までの推理は全部正しくて、かつ、全部間違っていた。
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黙って聞いていたイランドが口を開いた。
「ふむ、中々に興味深い推理だ。けれど、それを否定する方法は単純――
そんなこと、僕にはできるとは思えなかった。理屈は分かる。あるパズルが解なしだという主張を破る最も簡単な方法は、そのパズルの解を提示することだ。だがそれが出来たら、僕がこんなに苦悩することはなかった。
しかしイランドは、自信に満ちた表情で宣言した。
「さあ、いよいよこの時がやってきた。私が最後の推理を披露しよう。心して聞きたまえ、この事件の複雑にして遠大な真相を」
かくして、探偵イランド=ハニーアによる解決編が始まった。