《ヒナタ選手、入場まで残り五分となりましたので準備をお願いします》
(そろそろか)
武闘大会の本選まで勝ち残った選手に与えられる控室で精神統一を行っていた聖騎士団長、ヒナタ・サカグチはゆっくりと目を開けた。備え付けの姿見でおかしな所がないかをひとしきり確認すると少しだけ水を飲み、傍に置いていた剣を掴むと部屋を出て舞台へ続く薄暗い通路の前で待機する。
(やっぱり決勝にはヴェル……ガビルが出場したわね。マサユキのことだから十中八九棄権すると思っていたけれど、数パーセントくらいは初代様が出しゃばってくる可能性はあったのに。そう上手くはいかないわね)
初代というのはマサユキの魂に宿るもう一つの人格のことを指しており、その正体は“始まりの魔王”ギィ・クリムゾンと互角に戦った“始まりの勇者”ルドラである。ルドラの強さは大雑把で三下じみた性格からは考えられないほど理不尽であり、マサユキの肉体であっても“竜種”くらいなら普通に捻じ伏せられるほどである。
代わりに肉体の主導権を握っていられる時間は極僅かであり、戦いでもすれば筋肉痛や“魂痛”といった回復魔法の通用しない恐ろしい痛みに蝕まれて動けなくなってしまう。それが嫌で滅多なことがなければマサユキはルドラに頼ることはないのだ。
ちなみにヒナタはマサユキの欠場する理由を知った時は即座に股座の物を斬り落とそうと思ったのだが、精が付くように食べさせられた牡蠣に当たっており、更に本人をよく観察してみたら動けない一番の原因が“魂痛”であるとわかったため、彼女の中の初代はドスケベになり、評価は半分を切った。
(第一回戦でマサユキとガビルが当たっていれば初代様は出ていたかしら? もしそうなっていれば私の優勝は間違いなかった。だってマサユキは絶対に欠場することになるから)
強いて警戒するなら“武神”ベアトリクスかしらね――そんなことを考えるヒナタの意識にこれから戦うジミナのことはなかった。ヒナタにとってジミナは才能に胡坐をかいて弱者を嬲って楽しむ愚か者に過ぎず、その程度の輩に負けない自負が彼女にはあった。
故に彼女は待ち時間を潰すために先日行われた学生の部を思い返す。
(気持ちが強い方が勝つなんて言えばジミナに負けたゴブタの
学生の大会はクレア・カゲノーが優勝した。観客の大部分は全学園で最も強いと噂されるローズ・オリアナが優勝候補だと思っており、ヒナタのような実力者達も決勝の舞台で向かい合う二人を比べてローズの方が強いと判断を下した。実際、試合は終始ローズが有利に進めていた。しかし、ローズが追い詰めたクレアに何か言った次の瞬間、クレアが謎の力に目覚めて逆転勝利を収めたのだ。
ヒナタはハッキリ理解していた。剣を突き付けたローズが「クレアさん……いいえ、お義姉さんと呼ばせてもらいます! お義姉さん、シド君を私に下さい!」と叫んだのを。それに対して「誰がやるかシドにたかる悪い蟲にっ!!」と口汚く罵ったクレアが勇者に覚醒したことも。優勝したら告白しようと考えていたらしいローズが自分の物は指に嵌め、渡す方は懐に入れていたダンジョンでの稼ぎを全て費やして購入した婚約指輪が両方砕け散った彼女が控室でしくしくと泣いていたのも。
(私に似ているのはクレア・カゲノーだが、応援したくなったのはローズ・オリアナの方だったな)
今では割り切ったとはいえ完全に黒歴史になったことだが、ヒナタは愛する母親のために父親を殺している。そのため超えたらいけない一線を反復横跳びしそうなクレアの家族愛や思考回路を理解出来る。共感できる部分が多い方の味方をしたくなるのが人間だろう。
だが、ヒナタはローズを応援していた。何故なら――ヒナタが武闘大会に参加したのは恋愛絡みなのだから!
極一部の友人以外から尋ねられれば全力で否定する自信しかないけれど、ヒナタはリムルに惚れている。敵を作り出しては恨み、憎み、断罪することで不幸な現実から目を逸らし、自分の行いを正当化していたヒナタ。そんな彼女に二度も殺されかけておきながら笑って赦し、張りつめて張り裂けそうだった心にゆとりを与えた底抜けのお人好しがリムルだった。
自分以外の女がリムルの傍にいると苛立ち、頼ると喜んでくれる姿を見ると嬉しさを感じる。それでも今までしてきた自分のツンツンした態度を思い出すと羞恥やプライドのせいでどうしても素直になれない。そうこうしている間もシュナやシオンは
このままじゃいけない。でも何かきっかけがないと動けない。悩みに悩んでいたヒナタは武闘大会の賞品を見て『これだ!!』と天啓を受けた。
(優勝したら『私にとって一番大切な人にあげたいから』とか言ってペアの指輪を作らせる。デザインもアイツと一緒に考える。完成したらすぐにでも渡す……これしかない! これならいくら鈍感なアイツでも私の気持ちを知るでしょうし、何より私が恥ずかしくない!)
うん、イケる。『
(これ……ローズ・オリアナと同じことをやってないかしら)
優秀な頭脳を持つが故に気が付いてしまった。公衆の面前で告白しようとしていないだけで、やっていることはローズのパクリだと。優勝したら告白なんてどんだけベタなフラグだと思ってんだと。もう五十代近くのいい歳したおばさ……女が、思春期真っ盛りな十代半ばの女子高生と同じ発想をしたのだと……気付いてしまった。
我に返ってみればいい案でも何でもない、どこの少女漫画に影響されたんだと叫びたくなる計画だ。
羞恥のままにベッドで布団に包まれて転げ回りたい衝動に駆られる。しかし、冷静になった意識がそれを許さない。既に待機時間は消えており、ヒナタは舞台の上でジミナと向かい合っていた。何故か舞台にはリストバンドらしき物が落ちていた。
『お~っと、ヒナタ選手の顔が真っ赤になっている――!! ジミナ選手の挑戦的な発言に怒り心頭といった様子だ――!!』
ごめんなさいソーカさん、私は何を言われたの? あとなんでリストバンドが転がっているの? 反射的に訪ねそうになってしまった口は唇を嚙むことで閉じた。その仕草が怒りを堪えているように見えたらしく、観客はより一層盛り上がり、ヒナタへの声援とジミナへの罵倒で凄いことになっている。
僅かばかりの申し訳なさをジミナに抱きつつもヒナタは
(リムルの馬鹿ッ、どうして選手からの要求があればマイクを貸すなんてルールを設けたの! ええそうね、その方が試合が盛り上がるからでしょうね! というか、そんなルールを設けたのはマサユキがゴズールを言いくるめるためにマイクを借りたことが原因じゃなかったかしら? ……ふふっ、マサユキを一週間くらい鍛えてあげましょうか)
ジミナの強さの秘密は圧倒的な速さを活かしたゴリ押しだ。戦闘は自分の得意なことの押し付け合い。だからこそジミナの戦い方は間違っていないし、技術が拙くても勝ちを重ねてこられたのだろう。
速度で勝る敵に対するヒナタの戦法はカウンターだ。待ち構えていれば敵はこちらに近付かざるを得ない。方向がわかっていれば迎え撃てる。相手の速度によって回避は難しくなり、威力も跳ねあがる。それがヒナタにはできる。
試合前に考えていたのに彼女はそうしなかった。何かに思いっきり力をぶつけて羞恥を発散したかった。つまり、ジミナ程度なら自分から攻めても問題ないと判断した。それだけの力量差があると侮っていた。
その傲りの代償は手痛い形で返される。
「ハアアアァッ!!」
気合とともに繰り出された剣がジミナの胴を薙ぎ――ジミナの姿が搔き消えた。
「……残像だ」
背後からそんな声が聞こえて即座に振り返った瞬間。ヒナタの膝は地面についており、彼女はジミナに見下されていた。
♦♦♦
常に私は正しいみたいな顔をしているヒナタを見て僕は確信していた。この人はプライドの高い正義馬鹿生真面目女騎士だと!
バトルイベントに必ずと言っていいほど現れる存在。私の出した答えこそが常に正しいみたいな態度をしていて、その予想が外れるとわざわざ相手の前に現れて「私の予想を超えたからっていい気にならないことね……」と上から目線な発言をしてくるキャラクター。
だから僕は選手共用の場所でスタンバってた。偶然を装ってすれ違い、「貴方の動きは見切ったわ。これは助言よ、棄権しなさい」「運よく勝てたからってつけあがらないことね。私を前の相手と同じだと思えば痛い目見るわよ」みたいなセリフをもらうために。
でも来なかった。ちょっと予定が狂ったけど、試合前にこんなこともあろうかと用意しておいたリストバンドを外して、「先手は譲ってやろう」と挑発したら狙い通りに激高した。こういうキャラは沸点が低いと相場が決まってるのさ。
ヒナタは強い。七陰で随一の戦闘能力を誇るデルタにも余裕で勝てるだろう。デルタは究極の脳筋だ。僕の大嫌いなフィジカルでぶん殴るスタイル、力こそパワーとか言い出す奴だ。野性の勘でフェイントとかに一切引っ掛からないけど、アイツもフェイントは全然できない。素直な攻撃しかできない相手に負けるほどヒナタは弱くない。
だがそれも冷静であってこそ。喧嘩とは煽ってなんぼだが、同時に余裕をもってクールたれ。クールじゃなくなった強者は闘牛と変わらない。そんな奴の顎を刈り取るなんて七陰の皆からイカサマで金を巻き上げるより簡単だ。
「……何をしたのかしら?」
険しい表情になりながら立ち上がったヒナタが尋ねてくる。
単純に背後に回っただけと答えるのは簡単なんだけど……実は少しだけ『
だから喉元を指で示す。ふふふ、ヒナタは驚くだろう。僕を疑いながら首を撫でた手に伝わった感触に違和感を覚えて見てみたら、そこにはべったりと血が付いていたのだ。
これぞ『陰の実力者』奥義! 『本気ならお前はもう死んでいる』アピール!
「ふ、ふふっ……ここまでコケにされたのは久しぶり。残念なお知らせだけどもう貴方に勝ち目はないわ。舐めた真似をしなければよかったのに、ご愁傷様」
出たー! プライドを維持するためのテンプレ発言! だったら僕の返事も決まっている。
「……弱い奴ほどよく喋る。御託はいい、さっさとかかってこい、三下」
♦♦♦
ヒナタは思い込みの激しさに並ぶ自分の悪癖、気の短さを自覚している。何とか平静を保って情報を引き出そうと会話を試みたものの、脆弱な堪忍袋の緒はあっさりと切れた。
速度に頼り切った敵。なら頼みの綱である足を止めてしまえばいい。そう考えて今度は油断をせずに間合いを詰めていったのに、
(何の冗談なのよ……)
服にかする。髪を斬る。持っていた剣で防御させる。あと一歩というところまで追い詰められるのに、ギリギリでしか反応できない凄まじい速度で振るわれる技術もクソもない剣に吹き飛ばされる。
(どうしてこんな奴が、今まで無名だったの!?)
カウンターは試した。勝利を確信するほどのタイミングで成功した。だがしかし、完璧に間合いを見切られたことで失敗に終わった。あそこで終わらなかったのはただの幸運である。
攻め続けているのはヒナタが優勢だからじゃない。自分が受けに回ってジミナが攻勢に出てしまえば終わると確信しているからこその攻撃。皮肉にも攻撃が今のヒナタにとって最大の防御なのだ。
彼女にとって予想外なのは『
もしこれでジミナに技量が備わっていれば終わっていた――そんな幻想をヒナタは抱いていない。彼女はとっくに確信していたのだ。
彼女はジミナに終始遊ばれており……ジミナの技量は遥か高みにあるのだと。
「遊びは終わりだ……枷を外させた礼に見せてやろう」
ジミナがバックステップで距離を取る。それに追いつく余裕も彼の発言に憤る余力も、肩で息をするヒナタには残されていなかった。むしろ清々しい気持ちで剣を下げる。
「これが我が最強」
構えを取るジミナと目が合う。伝わるかどうかなんて関係なかった。ただ感謝を伝えたかった。
「刮目せよ……」
慢心に気付かせてくれて、武の頂を見せてくれてありがとう、と。
「奥義――残光の
――訂正、ふざけんなモブ顔野郎。
ダサすぎる名前の技に沈められることが避けられないと演算でわかってしまったヒナタ。気を失った彼女の顔はうつ伏せに倒れたため誰にも見られなかったが、悪夢でも見たかのように歪んでいた。
シド・カゲノー
生真面目女騎士にはこれだ! と最初は軽薄最強系を演じる予定だったが、「髪を斬ってくれてありがとう。丁度短くしたいと思ってたんだ。浮いた散髪代で食事でもどうかな?」や「弱い子ほどよく喋るよねぇ。できればベッドの上で喋ってほしいなぁ……あっ、もしかしてそっちも弱い?」みたいなセリフはイケメンじゃないと似合わず、今のジミナフェイスではミスマッチだと判断してやめた。残光の
ヒナタ・サカグチ
『
マサユキ
中にいるもう一人がハッスルしたせいで地獄を見る。