灼眼のシャナ 刻の狭間に生きる 作:ディーク
カーテンの隙間からオレンジに染まった空が覗く。夕陽ではない。西にあるはずの太陽を覆い隠すそれは砂漠地帯を吹き荒れる熱風に運ばれる大量の砂。少しすれば都市はその嵐に丸ごと飲み込まれるだろう。
大げさに語ってみたが今の時期頻繁に起こる現象でそこまで大事にはならない。加えて今の俺に都合の良いことにかなり視界が悪化する。
「わふ」
「静かにな」
尾を振り口を開けて見上げてくる小さな狩人達に賄賂としてガゼルの骨を放ると長のケムを殿に幾度か振り返りながら部屋を出て行った。近々目一杯構ってやろうと決意する。
そして静寂が戻った部屋の中俺は梁に隠しておいたロープを取り出そうとして背後に気配を感じ動きをとめた。
「だめですよお兄様?」
おっとりした口調ながら強い意志が込められた鈴の音が響く。ゆっくり振り返ると獅子を脇に絶望の表情を浮かべた小さな狩人達を追い戻す少女が視界に入った。静かな怒りの雰囲気に怯え切った彼等は今後一切俺から目を離すことはしないだろう。
彼女は余計なものと言わんばかりにベールを外し真面目な口調で非難してくる。赤銅色の皮膚に暗い髪が一般的なこの国において異端の蒼髪と白い肌は彼女が王から疎まれた要因にして俺との接点。今ではこうして素顔を晒してくれるようになったがまあ色々あった。
「王朝の未来を決める大事な儀式をサボるなんて」
「一応俺も王朝の安定を思ってだな」
「逆に荒れます。荒らします。残された私はあの人たちの誰かと縁を結ばさせられるんですよ?一切お断りです」
「それは、うん。すまん」
「まったくです」
威圧を含む満面の笑みでピシャリとカーテンを閉める少女。彼女はいろいろ将来を約束された妹だ。身長差から徐々に俺を見上げつつ無言で間合いを詰めてくるその様は獲物を追い詰める猛獣。取りつく島もない様子に俺は悪あがきをするしかない。
「シェリー。かわりにスイレンの群生地一緒に見に行くか?今から向かえば丁度夜で満開なんだけどなあ」
「…だ、だめですよ?今行っても砂だらけ埃まみれじゃないですか!?でも折角のお誘い…」
小声でぶつぶつ呟きだした彼女をベッドに座らせ自身はその横に倒れこむ。椰子で編まれた寝床は乱雑な扱いに抗議するかのようによくしなった。シェリーを強引に振り切って外に出る気も危険が伴う嵐の夜間に一緒に外へ行く気も本当はない。脇に寄ってきたジャッカル達に謝罪の意をこめ丹念にブラッシングをしていく。のっしりとした動きで獅子のミィトが戸口に座り込み欠伸をした。彼女はその耳と歯牙でならず者をこの部屋に一切通さないだろう。
「ですからもっと天気のいい日に改めてですね。聞いてますかお兄様?」
「聞いてる聞いてる。俺の負けだ」
「何を聞いてたんですか。もうっ」
砂が外壁に叩きつけられる音と暴風、雷鳴の合唱に揺れる燭台の灯りが合わさり眠気を誘う。生温かい毛皮達に埋もれ整った顔立ちに百面相を浮かべる妹をぼんやり眺めているうちに俺は意識を手放した。
不毛の砂漠地帯を貫く恵みと暴威の川を背景に周囲の勢力を次々取り込み樹立した王朝。統一の象徴として初代王が造らせた世界最大の都市がここメンフォス。俺ことメネスとシェリーはその王の9番目と10番目の実子。上が無事育ったことで後継者の予備としては過剰で父の関心もなく日々自由に暮らしている。ここまでは衣食住に困ることもない万人が羨む立場だ。しかし突然父が8人の兄姉達を冷遇し始めたと聞けばどうだろうか。
王にして父の覚えめでたい兄妹に何の前触れもなく訪れた不和。彼等は事態の黒幕をこのままだと最も得をする俺だと断定。そこからは料理に毒は当たり前。別勢力の暗殺者が(相手を護衛と勘違いして)自室の暗闇の中切り結ぶことすらあった。そんな疑心暗鬼の日々を策謀巡らせ各勢力雁字搦めにして止めたのが1つ下の少女だ。
翌朝窓から差し込む日差しで目を覚ました俺は色々な意味で仰天した。影の長さから推定される現時刻は妹の説得で嫌々ながら出席を決めた儀式の開始時間そのもの。加えて部屋に身の回りの世話を任せている侍女の気配はなく何故かシェリーがベッドに潜り込んでいた。それ自体は不本意なことに慣れているが目覚めの視界を国一番の美貌に占められるというのは心臓に悪い。事故で触れてしまっていないかとか色々。そして身じろぐ俺に長い睫毛を揺らした彼女は覚醒して今に至る。
「寝坊で継承権剥奪なんて記録に残ったら後世の笑い者です!」
「侍女が来ると思ってたんだよ。というかシェリーも何で寝てたの」
「…知りません!」
神殿への通路を急ぐ2人と大勢は周囲の目を集めるが咎める者はいない。宮殿に仕える者ならばよく目にする光景だからだ。しかしすれ違った1人の侍女は不思議そうな表情を一瞬浮かべ取り繕うような笑顔で頭を下げてきた。
「第5王子。どちらへ?」
「ん?俺は第9王子だぞ」
「え?でも…」
「お兄様急いで!」
「わかってる。大変だとは思うが憶えてくれ!」
数多いる弟妹達の侍女の1人として顔を合わせたこともあることを胸の内に先で待つ妹を追う。その先で日常の崩壊が待っているとも知らずにだ。まあ、例えここで引き返せたとして俺達の日常は既に奪われていてどうしようもなく壊れていたのだろう。
「衛兵はどこへいった?」
「困りましたね。ミィト達を連れてはいけませんし」
硬く閉ざされた神殿の扉を目にして俺達の足は完全に止まった。まるで今日行われるはずの儀式がそもそもなかったかのような静けさにシェリーと顔を見合わせる。そもそも国の神事に不可欠な神殿に警備が1人もいない日はない。何より普段静かなケムが神殿に向かって唸り大きく吠えてもその喧騒を誰も咎めに来ない。
「あの人達の仕業にしては大掛かりすぎます。それに何かっ」
「!?くそっ…ネフェレ行け!」
側に立つシェリーが扉を触ろうとして水面のように揺らいだ石扉にその身を消した。慌てて帯同していたジャッカルの1匹に自身の首飾りを被せ伝令の要領で宮殿へ走らせるや否やミィトと共に石扉へ体当たりする。ぬるりとした感触と共に扉を抜けた先は暗い洞窟神殿内部だった。直ぐに隣で立ち尽くすシェリーを引き寄せ背後を探るがそこにあるのは叩いても硬い感触を返す壁のみ。壁一面が若竹色に発光しているのも不気味だ。灯りに困ることがないのが唯一の救いだろうか。
「何故追ってきたんです!?人を呼ぶべきでしょう!?」
「逆の立場だったらどうしてた?」
「っ——」
静かに抗議する彼女は押し黙り腕を叩いてきた。神事で経験する多少摩訶不思議な現象とは訳が違うことが今起きていた。闇雲に大声で助けを呼ぶことは何か良くないモノも引き寄せそうで憚られる。何かのテリトリーを犯したのが分かるのか小さな狩人達は頻りに床の匂いを嗅いで慎重に足を進めていた。
「まったく頼りになる奴らだ」
「はい。ですが事態は良くありません」
「だろうな」
遠くから反響して聞こえてきた悲鳴が全てを物語る。廊下を進み地下祭壇を囲む回廊に出るとぶくぶく太って所狭しと場を占拠する
「セベク神、なのか?」
「仮にそうだとして善性のものに見えません。悍ましい」
信心深いシェリーがそう吐き捨てるのも仕方ない。今しがたあの鰐が口から吐き出した物は王の被るマスク。辺りには王族を示す装飾品が多数転がっている。さっきの炎はさしずめげっぷといったところか。巨大な足で今も押さえつけられ弱弱しく藻掻いているのは兄の1人。半身が直視し難い惨状の彼はもう手遅れだ。
『力をよこセ』
どこから発せられたのか分からない違和感のある声が響くと同時に兄が発火する。とても人を燃やしつくせそうにない小さな炎は鰐の口に引き寄せられ消えた。文字通り消えた。恐らくああされてはどうしようもないのだと本能的な部分で理解できてしまう。
『弱ってなおこの量。やはり食事は量より質ダ。わかるカ?そこのニンゲン』
袖をつかみ首を振る彼女を目で制し欄干の陰から立ち上がり階下へ飛び下りる。こちらから出向けばほんの僅かだが流れを掴める。ただ背を向けて逃げる獲物に交渉する権利は与えられない。
「一つ提案がある」
『ほう…活きのいいことダ』
「見たところ先の現象は食事だとお見受けする。この地の王である俺は貴方に安定したそれを提供することができる」
その言葉に鰐は確かに口を歪め笑った。醜悪な悪辣な悪意を煮詰めたような笑みを浮かべ初めてこちらを真っすぐに見てくる。どうやら興味は引けたらしい。
『ク、ははハ。ほんの数十年前同じことを言ってきたニンゲンがいたゾ。興がのっタ』
「…」
『戯レのつもりガ思いの他いい思いをさせてもらっタ。切欠はとある部族を襲ったことダ』
そこから語られるのはこの国の悍ましい根幹。驚愕を通り越して唖然とする心境を必死にこらえ今を打開する策を考えるが頭が回らない。あんな父でも王としての手腕は一応認めていたのだ。しかし急速に拡大しながら反乱らしい反乱もない安定した王朝の裏にこんなバケモノがいたとは身の毛もよだつ。そして欠片も事情を知らなかった自身が情けなく腹立たしい。
『長話は終わりダ。お前達の暦で三季の始めに王族を上から10人、適当な下々を100差し出セ。前任者のように攻め込んだ敵国の捕虜でもいイ』
この国に戦争中の他勢力なんてもう存在しない。あと4ヶ月で砂漠と海を越えどこぞの勢力を滅ぼすなど不可能だ。黙り込んだ俺に飽きたのか口から炎と共にどこか不気味な朱鷺の像を俺の足元に吐き出した鰐は小馬鹿にした口調で促してきた。
『そちらの趣向にあっているだろウ?さア、その像を掲げ了承しロ』
「…」
「お兄様」
俺は震える手で石像を握りしめ口を開こうとしてその小さな熱にそっと妨げられた。
時は兄が欄干を飛び下りた瞬間に遡る。シェリーは咄嗟について行きそうになる衝動を抑え座り込んだ。自分が出て行っても何ら状況は変わらない。兄がその身で稼いだ唯一の有利を自ら捨てるような真似はできない。
「まずは人を呼んで、そして…盾にしてでも」
『無駄よ。あれは雑魚だけど一応
「っ!どこの誰だか知りませんが無駄でもやるしかないんです」
今の不思議な状況下でなければこの身は飛び上がっていただろう。凛とした女性の声がすぐ隣の距離感で響くが傍に誰もいない。あのしわがれた声と違ってそれだけで好印象を抱かせる鈴の音が再び至近距離から響く。
『貴方達に契約を持ってきたわ。ものはあの鰐を討つ力』
「契約?…いいえ、仮にそうだとして何か対価がいるのでしょう?」
『話が早いのは好きよ。私は契約者の過去現在未来を貰う。他者から存在を一片残さず忘れられると思っていいわ。あと不老とか色々あるけど今はいいでしょう』
「不老、そして忘れられるですか。それは…堪えますね」
兄から忘れられ別離を経て長い時を生きるなど想像するだけで身がすくむ。だがきっとそれでも、私は全てを捨てて遠くへ行くといったことせず兄との接点に縋るだろう。護衛でも一兵卒でも構わない。それが兄の支えになるのならば。
「名をテティシェリ。未来の偉大なる王の妻です!あなたと契約しましょう。ですがお兄様、下にいる男性が死んだ時点で私は自害し契約は終わりです」
『えぇと、言い方が悪かったのかしら?まあ、いいわ。いつものことよ』
何やら名前も知らない契約相手が逡巡しているがもう時間がない。真下ではニタニタ笑う鰐が兄に迫っているのだ。一寸前に身を翻した兄の軌跡を追う形で私は欄干を乗り越えた。自身が落下する中少し聞こえが悪くなった鈴の音はその下準備を告げてくる。
『お兄さんの傍であの鰐を討つ意志をこめて私の契約に了承なさい。それで力を貸してあげる。私の名は…』
「逃げろと言ったはずだ!」
「お兄様。最後に手を貸して頂けますか?」
「何をっ!」
まるで今生の別れを告げるかのような妹に叱り付けたくなる己を抑える。不快なことにそれ以上の激情を目の前のクソ野郎が抱かせてくれたからだ。何をもっても許せない一線を何としても守ろうとした存在を奴は踏みにじった。
『最後まで隠れていれバ真っ先に喰ってやったものヲ。それとも貴様が約定を交わしその男を捧げるカ?』
「お前、お前っ!、元からそのつもりかっ!」
『今回の供物はあと1人約定に足りていなイ。最初かラ興がのったと言っただろウ?』
腕を掴むシェリーの手から伝わる震え。彼女は後ろめたいことや踏ん切りがつかないことがある時この癖が出る。俺はその何かをさせまいと手を握り返し後ろへ走った。鰐の口から伸びてきた鋭利な何かが足元を穿つがそれも無視して走る。
今ばかりは毎日の暗殺生活にほんの少しだけ感謝してもいい。槍のように突き出されるその舌をチリチリする第六感に従い紙一重で躱す。長くは持たないだろうがシェリーだけは絶対に逃がす。
背後からミィトとケム達の鳴き声が聞こえるが振り向く余裕もない。
『力にもならヌ小賢しい畜生どもガ!』
「くそ、もう神でも悪魔でも誰でもいいからどうにかしやがれ!」
「契約です。あの化物を討つ力を私に貸して下さい。ネフト!」
その瞬間吹き荒れた炎が俺達に迫る脅威を一掃した。そのまま蜂蜜色の嵐となった炎は硬質な飛翔物をあらぬ方角へ飛ばし俺とシェリーを抗う間もなく炎の壁に飲みこんだ。熱のない炎の中万人を魅了するだろう美声が響く。
『ふふっ。あははははは!貴方達こそ私の探していたものよ。存分に?私の契約者達』
「誰だ!?」
『
収束した何かが身体に流れ込んでくるのが分かる。何故か抗う気は起きず膨大な存在感を近くに感じつつシェリーを放すまいと強くかき抱く。
「彼女は味方です。お兄様は下がって!あの化物は私が何とかします」
「ええい、後でしっかり聞くからな!」
「お兄様!?」
身体に満ち満ちて噴火せんとする力の向くままに晴れた視界の先でケム達を振り払わんとする尾の一撃を受け止める。シェリーの驚く気配を背にそのまま巨躯を持ち上げ幾度も地に叩きつけた。身を翻してその顎を向けてくる前に再び持ち上げる。徐々に重厚感を醸し出していた鱗がひび割れ火の粉が散った。
『貴様、その手を離せ!』
「お前が死んだら離してやるよ」
腹立たしいことに先程まで格の違いを醸し出していた巨体の存在感は鼠1匹分にも感じない。宙に浮きまともな抵抗もされないのをいいことにパン生地をたたくかのようにひたすら腕を振るう。
『ぐぉおおオ。グゼの、変わり者がなぜえエ?』
『その小さな頭で理解できるとは思えないわ。考えなしに力を貯めこむ能無し。小物は小物らしく散りなさい』
祭壇が砕けただの瓦礫の山となったころ鰐の身体に変化の兆しが現れる。血のかわりに若竹色の炎にまみれた鰐の巨体が膨れはじめたのだ。そして訪れる最期。
『オマエ!オマエサエイナケレバァアア!』
この国を建国から蝕んだ化物は炎を盛大に噴き上げ神殿の天井を吹き飛ばし消えた。慌ててシェリーを庇うが予想した熱や飛来物は訪れず意表を突かれる。突風が止み妹の頭越しに吹き飛ばされたミィトとケム達が集って来るのが見えた。彼等が蜂蜜色の炎を纏っていることはさておき頭数は減っていない。というより同じ顔が数匹いたり明らかに増えている気がする。
「お兄様…?私が誰かわかり、ますか?」
「何言ってるんだシェリー?化物に何かされたのか!?」
「その、私も何が何だか…?でも私は何ともありませんから早く離れて!”確かに私は力を受け取っている。でもお兄様も…最初からそういうことですかネフト」
妹から少しの拒絶を感じショックを受けていると遠くから喧騒が近づいてくる。先頭はあの時走らせたネフェレだろう。頻りに吠えて兵を先導する彼女もまた蜂蜜色に輝いていた。そして長槍に盾、皮革を纏った完全武装の兵士達が今まで何処にいたのかというくらい続々と姿を現す。目に見えて落ち着きのない彼等に俺達もよく分かっていない先程の事態をどう説明したものか。
「ネフトと言ったか。姿を現してもらえると助かる。そのほうが彼等に口利きもしやすいし何より恩人として迎えたい」
「それはできないわ。とにかく後でちゃんと説明してあげるから今はここから離れたほうがいいわよ」
先程までと違い出所不明な美声の発声元が近くなっている。というかシェリーの細い首の下、銀と宝石のあしらわれた
「情熱的な挨拶ね。でもこの装飾品に私の感覚を通しているからもう少し丁重に扱いなさい」
「す、すまない」
咎めるように軽く炎を上げて消えたそれは瞬く間に元の場所に戻っていた。非難の意が込められているのか今まで感触すら感じなかった炎が熱を帯びている。
「もう、何してるんですか!それより落ち着いて聞いてください。恐らく兵士達にとって今の私達は…」
「神殿を破壊するとはこの大逆者め!」
「破壊された国の重要施設で見つかった侵入者です」
契約で手にした人並外れる身体能力で強引に神殿から逃げ遂せた俺達は小さなオアシスでネフトの説明を受けながらその時を待っていた。
「認めがたいことに私はあの鰐と同族なのよね。もし世界の余所者の徒を全てを許せないってなら今からでも契約破棄を勧めるわ」
「私とお兄様の目は神官憎ければ豹皮まで憎いという愚者ではないのですよネフト」
「俺達を命の恩人との約束を後から破る下種にするつもりか?」
「はあ…。物分かりがいいのも張り合いがないわね。王族から一転根無し草になった不満とか色々あるでしょうに」
ネフトは元々復讐心にのまれた討ち手に半ば事後承諾の契約を持ちかけるやり方が趣向に合わなかったらしい。なんでも以後俺達が扱う”存在の力”というものが望みだとか意志に出力を左右される不定形なもので契約に際して不和があると十全な力を発揮できないとか。だが多々配慮してくれるのはありがたいが俺達にとって一点を除いて大抵のことは些事になる。
「「お兄様(シェリー)がいますし(いれば)不満はありません(ない)」」
「はいはい」
母は既に亡く父はまともに接したこともない。王座に未練もなくシェリーは勿論構ってと集ってくる狩人達もいる。人としての全存在が契約の代償とか言われてもあまり実感はない。ネフトによれば俺達が差し出したモノは”2人分”ということを鑑みても最上級で彼女の側から契約を打ち切ることはないとのこと。この世を荒らす徒も遭ったら無理のない範囲で討つ程度でいいらしい。埋めている存在の時空が無くなるほうが問題とかどうとかとにかく死ぬなと言われた。
「だが話を聞く限りこの子達が戦えていたのはおかしくないか?人間以外の”存在の力”はお前達に扱えないんだろう?」
「直に扱えば呑まれるけれど私の力で爪牙に力を与えることはできるの。勘違いしないでほしいのは賢く頑丈になって戦闘力を得ただけで操り人形ではないということ。仲良くなければ助けてくれるどころか逆に襲われるわ」
「もしこいつ等との間に信頼関係が無かったら?」
「貴方達の命運は尽きていたわね」
「おう…」
良い関係を築けていると告げられ群がるジャッカル達が俄然可愛く見えてくる。生み出した炎の分身に周囲の警戒を担わせる賢さも頼もしい。ここまでにしておこう。この先はミィトの良さを語るシェリーとの論争が起こる。そして彼女の弁に俺は勝てない。
「それで私達はこれから世界のバランスを崩す徒と遭ったら戦うのですが、参考までにあの鰐はどの程度のものだったのですか?」
「うん、評価する点はあるのよ。人間を使って存在の力を遠方から集める頭とか練度の高い隠匿の結界とか。でも対策もなしに理性が薄れるほど力を貯め込む時点で台無し。結果少し存在の力が多いからってお膝元の王族に手を出すわ討ち手の誕生に動揺して何も動かないわ。総評すると雑魚ね」
「あれで弱いのか。この先大変そうだ」
「心配しないでいい。この世を跋扈する徒の大半は力がもの言う
加えてこの世の存在を奪い消費することで生まれた世界の歪みを危惧する徒は紅世の生活に不満のない強力な王が大半。彼等と契約する討ち手を徒は戦闘狂や自信家でもなければ基本避けるそうだ。
「ん?何か光ったかしら?」
陽が落ち夕焼けの赤が瑠璃色の星空に染まるころそれは現れた。多くの生物が行動を制限せざるを得ない暗闇を照らす灯。起き出したケム達に理不尽に叩き落されたのか突如地面へ向かうものもいるが大半は自由に画を描いている。
「ホタルですか。時期が少し早いはずですが」
「スイレンを見に来たつもりが運が良かったな」
「見納めにはいい景色です」
「ああ」
お目当ての白い花弁は水面を埋め尽くす浮水葉の間から伸びた茎の上にあった。各所で花開き始めたそれは香水にも利用される芳醇な香りを辺りに振り撒く。シェリーと示し合わせて足元の焚火を消すと視界一杯の贅沢な一枚絵は完成した。
「ねえ。あの虫達共食いしてるわよ」
「今それを言う感性はどうなんだ?」
「ドン引きです…契約も一部見直さざるを得ません」
「えぇ!?」
妹分に頼もしい家来達、異世界人。この面子なら永遠とも思われる時も退屈とは程遠いだろう。そう確信を持てた。この光景こそ俺達の長い長い討ち手としての旅路の始まりに相応しい。
皆さんの反応があれば年末デスマーチも踏ん張れるかもしれない