シンボリの恥   作:文章修行僧

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 ストレイシンボリと言いつつ、彼女は全くでてこない


第二話:ストレイシンボリ②

 “ストレイシンボリ”

 中央トレセン学園に入学したウマ娘で、名前からして、かの名門【シンボリ家】の出だとわかる。

 シンボリ家とは、メジロ家やサトノ家、その他有力家系と共に“トゥインクル・シリーズ”の運営に携わっている、レース関連に於いて強い影響力を持つ家柄である。例えば、現トレセン学園生徒会長にして、無敗の七冠ウマ娘――シンボリルドルフは、まさしくこの家から輩出された者なのである。

 薄汚い路地裏から抜け出して、暖かな陽光に照らされる閑静な通りに戻ってきたボロボロの男は、ストレイシンボリと別れ、早々に帰宅、鈍い痛みが色濃く残る体をなんとか風呂に入れ、ビール缶だらけの部屋で床に着いた。

 目が覚めると、外は濃紺色に点々と灯りがついていて、時刻は午前三時。最近は起きることのなかった時間に起きてしまった。薄寒く、酒臭い部屋の天井のシミを数えていた男の頭の中には、サングラスを掛けた鹿毛のウマ娘の笑みがループしていたのである。

 

 (アイツ、強そうだったな)

 

 思わず、彼は笑みを溢した。

 秒針の刻む音しかなかった部屋の静寂が、嘲るような笑いに包まれた。

 ひとしきり笑った彼は、皺のよった毛布を蹴飛ばし、反動をつけて起き上がった。

 彼の瞳には、久しく灯っていなかった光があった。

 

 (なんだ、未練たらたらじゃねえか)

 

 彼の目の前の突っ張り棒のハンガーにかけられた黒地のベスト、その胸元には、小さなバッヂが鈍い輝きを見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、男もトレーナーだったのである。シンボリの名を冠するウマ娘と会ったならば、飢えた人間が食事に目がないように、興味を抱かずにはいられない。

 それだけの理由で、男の足は、もう行くことも無いと思っていたトレセン学園の荘厳な門を跨ぐことができた。

 欧州の建造物を思わせる校舎に続く、桜舞い散る道を進むと、中心に“三女神”の石像からどうどうと落ちる噴水が目を引く広場に出る。

 まだ太陽は地平線から顔を出したばかりで、普段は姦しいこの場所も、霜が降りたように静けさに包まれていた。冷たい空気に晒される両手を口に被せ、息を吐いた男は、より冷たくなった手でボサボサの頭を掻いた。

 

 (一ヶ月ぶり、か)

 

 彼は、早々に歩き出して、屹立する校舎の職員玄関を目指した。彼は三女神に見下ろされるのが大嫌いであった。

 少し錆びた下駄箱に革靴をいれて、実に一ヶ月ぶりに、彼はトレセン学園の中へ足を踏み入れた。冷たい蛍光灯の輝きに満ちた、しんとした廊下を進み、幾許もしないうちに、とある扉の前にたどり着いた。

 ガチャリ、と扉を押すと、そこそこの広さを持ち、小さなテーブルを囲む簡素なソファ、大きな窓の前のデスク、トレーニング用の教本がぎっしりと詰められた本棚が置かれた部屋が目に入る。

 そこは、まさしく彼のトレーナー室だった。

 一歩足を踏み入れると、彼は大きく息を吸い込んでみた。鼻腔をつついたのは、埃っぽい空気の匂い。人の匂いはしなかった。何もかも投げっぱなしにした割には、机や本棚の埃は、薄く一定に積もっている。

 電気もつけずに、彼はさらに奥へ踏み入る。

 

 「……」

 

 ひんやりとしたデスクの平面に指を伝わらせた男は、埃が指先を染めたのを嫌そうに振り払い、デスクチェアの背面と底面を払ってから、脱力する様に深く腰掛けた。

 

 「ハァ……」

 

 思わず出たため息が、幽々とした早朝の静けさに消えていく。

 ぐるりと回転し、薄いカーテンの奥の風景を見下ろすと、朝日が地平線上を超えて出て、真っ赤な輝きを放つ中、暗い緑色の大地の上を走る者が点在しているのが見てとれた。

 馴染み深い、しかし、嫌いになったはずであったが、やはり好きな光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄明かりが漏れ出ていた職員室の扉を引き、遠慮なく中へ入り込むと、次々と好奇な、又は怪訝そうな視線が突き刺さってくる。それを意に介さず、ボサボサ頭にこけた頬、髭面の男は、手付かずであった自身の机に向かう。

 そこに置いてあるのは、トレセン学園指定のデスクトップ。新入生のウマ娘の情報などは、ここのデスクトップからか、又聞きかしないと入手が困難であった。

 ギョッとしたような隣の視線を無視してどっかりと座り込んだ男は、身に染みついた動作でデスクトップを開き、データの探索を始める。当然、探すのはストレイシンボリについて。

 

 「あの人って……」

 「長いこと、10年前からは居るベテランさ。GIIIウマ娘を多数出してる。最近来てなかったけどな」

 「へー……ってことは」

 「あぁ、“壊し屋”だ」

 

 集中しようとすると、否応なしに、耳に入ってくる音が大きくなるもの。男のタイピングのスピードは、時間を追うごとに、指に錘がついたように遅くなっていく。

 

 「担当したウマ娘、皆脚壊してるって噂ですよね」

 

 完全に、手が静止した。そして、固く握られた。




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