私と日々とロックンロール   作:弟子

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アルコールと笑う

 のそのそと布団から這い出た頃には、朝の時間帯が終わっていた。昼に目が覚めると、いつも名状しがたい不安で足の周りがわさわさする。もう少し自分の睡眠に自信を持つべきなのかもしれない。

布団のカバーをひっぺがしながら時計に目をやると、13時20分。こうなると朝食と昼食をいっぺんに摂るのが常である。カバーを洗濯機に放り込み、スイッチを入れてからトーストとカレーを完食した。元々映画館に足を運ぶ予定だったが、こうもスタートが出遅れると外出する気分ではなくなる。バイトもないことだし、自室で大人しく漫画を読破してしまおうか。そんなことを考えていると、携帯の通知が鳴る。はてなんだろうかと画面を覗くと、そこにはただ一文が表示されていた。『E15席 予約 1900円』と。

 

 新宿にて、頭が痛くなるような人の群れと一緒になって歩く。結局、1900円を無駄にすることを嫌って映画館に行くことにした。なんともみみっちい理由だが、そういう根性は今更変わることはないだろう。よって気にしない。普段は人の多い映画館は嫌って少し外れの場所に通っているのだが、上映スケジュールの都合で新宿まで足を運んでいる。客足が少ない分、上映作品も絞られるのだろう。仕方がない。

下北沢とはまた別種の喧騒に呑まれ、揉まれ、流されていると、思わずムッとするような強烈なアルコール臭が漂ってきた。人混みでもずばりこの人だと把握できるほどの匂いの元は一人の人物。なんだか寒そうな衣類の上からスカジャンを羽織り、下駄をカラカラと小気味よく鳴らしている女性である。今もなんだか危ない表情でパック酒を怒涛の勢いで消費していることから、よほどの酒豪であるのだろう。その人はギターケースを陽気に振りながら、やがて人混みに消えていった。この前の青髪少女といい、ギタリストやらベーシストは妙な人が多いのだろうか。少しだけ、ライブハウスに行くのが怖くなった。

 

 

 

「ゔっ、やばい、絶対吐く。今すぐ吐く」

「もうちょっとです。ね、あと少しがんばりましょう」

「うぅ、少年の優しさが沁みて吐ぎそう」

「人の優しさで吐かないでください」

 

 肩への体重の掛け方が尋常ではなくなってきた。限界が近いのだろう。家族で飲酒する人間がいないので、介抱の仕方がよくわからない。とりあえず、なるべく紳士的に「がんばってください」「あとちょっとですよ」と声をかけ続け、背中をさすった。少女漫画では曲がり角で女の子にぶつかり、それが運命の出会いとなる。ロマンチックだ。素晴らしい。では現実ではどうか?曲がり角で吐き気を催した成人済み女性がこちらに倒れ込んできて、「吐きそうだ」と酷く気分の悪そうな表情で訴えてくる。リアリスティックだ。酒臭い。フィクション万歳ちくしょう。

昼間に新宿の人混みですれ違い、映画館の帰り道に遭遇した女性は「追い酒すれば体調よくなるかも」と呻いている。この人はそういう妖怪なのだろうか。下駄履いてるし。

 

「もうちょっとです。ほら、公園見えてきましたから」

「うぅ、水、酔い止め、あさりの味噌汁ぅ」

 

 水と酔い止めはいいけれど、流石にあさりの味噌汁は難しいと思う。

 

 

「おかえりー……ってそれはまさか!」

「意外とあっさり手に入りました」

「あさりだけに?」

「あさりだけに」

 

 水と薬が効いて酔いが落ち着いたのか、言葉に多少の理性を感じる。寿司屋で買ってきたあさりの味噌汁を差し出すと、”廣井きくり”と名乗った女性は大仰に頭を下げて受け取った。新宿を拠点にバンド活動をしているのだそうだ。

 

「くぁー!効くー!」

「それはなにより」

「いやぁ助かったよ。君は命の恩人だ」

「ホントですか?じゃあどこに行けば表彰されますかね。オスロ?ストックホルム?」

「ノーベル賞は無理だと思うなぁ」

 

 ずず、と廣井さんは味噌汁を啜った。夕陽を浴びた湯気が幻想的に上っていく。いいな、汁もの。夕飯は豚汁にしよう。そんなことを考えられる程度には、落ち着いた状態に軟着陸できたようだ。いつ吐瀉物を浴びせられるか分からないという嫌な緊迫感は、今まで体験したどの出来事よりも怖かった。新宿恐るべし。

 

「あ、そういえば君のことなーんにも聞いてないや。学生さん?」

 

 ぷるぷると新宿への恐怖で身体を震わせていると、そんな質問が投げかけられた。

 

「下北沢高校2年生です」

「偏差値高いところじゃん。偉い!」

「まぁ、やればできる子なので。おまけに介抱もできます」

「いやぁそれはほんとに助かったよ。ライブの打ち上げですっかり出来あがっちゃってさー」

 

 また意味のない嘘をついたが、それが追求されることはない。廣井さんは、まだ少し赤みの残った顔で笑っている。アルコールの力で笑っているのか、本来の気性がそうさせているのかは分からない。分からないというのは、怖い。なので、なんとなく廣井さんを真似て笑ってみた。

 

「どうですかね」

「え、あー、楽しくなさそう?」

「そうですか」

 

 まぁ、特に楽しくないので当然だ。廣井さんが困惑した顔をするのも、また当然だった。

 

「えーと、今のなんだったか聞いてもいい?」

「いや、なんとなく」

「そ、そっか……中々個性的な子だなぁ」

 

 酔っ払いを素面に戻すほど困惑させてしまったので、その後誠心誠意謝った。

 

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