私と日々とロックンロール 作:弟子
朝7時半、道端咲く不揃いな桜を眺めながら高校へ向かう。なぜか治されないままでいるアスファルトの先に転がる酒瓶を見て、昨日の記憶のことが蘇ってきた。
あさりの味噌汁を飲み干し、酔いが覚めた廣井さんは別れ際に酔い止め等の代金を払うと言ってくれたが、「会ったばかりの人にお金を貰うのは怖い」と断った。白昼堂々べろんべろんになるまで飲酒する人が怖いという本心を押し隠した建前だ。あと手に持った酒瓶も怖い。だって攻撃力が高そうだから。
あちらは何もしないのは悪いと言い、こちらはやんわりと断り続ける平行線極まる攻防。それを数分続け、結局こちらがライブチケットを受け取ることで落ち着いた。『SICKHACK』というバンド名が印字されており、少し皺がついている。
「絶対後悔させないからさ、聴きにきてよ」
言い残すと、颯爽と改札をくぐっていった。やけに自信が籠った台詞だなぁと感心して、帰路に戻ろうと振り返る。すると、真っ先に目に飛び込んできたのはぽつんと置き去りにされたギターケース。つまりは廣井さんのベースなわけで、ぎょっとしてホームへ走った。中々愉快なオチがついてしまった、という話である。
教科書の『魚釣り遊び』を落書きされやすそうな絵だなと眺めていると、授業が終わっていた。というか昼休みだった。臥雲式紡績機やら展望塔凌雲閣やら、なんだか物々しい漢字にばかり目がいったり、やたらと愛嬌のある風刺画に興味を惹かれてしまうのは何故だろう。まぁ今はそんなことより空腹が優先されるので、のそのそと購買へ向かった。
購買に辿り着いた頃には、商品は随分と減っていた。初めて購買を使うので唐揚げ弁当でもいっちゃうか、と意気込んでいたのだがもはや影も形もない。高校生に似合う料理Top10に入るぐらい人気だものな、唐揚げ弁当。仕方がない。そんな偏見を抱えながら「きんぴらごぼうのサンドイッチ下さい」と言った。「はぁい」と愛想よく笑うお姉さんがサンドイッチを手に取ったところで、ぐぅとくぐもった音が後ろで鳴る。
「お気になさらず」
おやなんだろうと振り返ると、音の発生源であろう青髪少女はさっと手を上げてそう言った。以前見かけた草を食していた人だ。同じ学校だったのか。弁明せず、現象を潔く受け止め威風堂々としている胆力は素晴らしい。しかし、口の端から滲み出るよだれと、ひどい空腹だということがありありと伝わってくるほどの悲しい顔が全てを台無しにしていた。
「……あと、この木耳弁当も下さい」
なんだかいたたまれなくなってそう言うと、購買のお姉さんは「はぁい」とやはり愛想よく笑った。
知り合いでもない女子生徒に木耳弁当を譲ったこと以外、特段語ることもなく放課後になった。HRが終わると、部活動の勧誘だなんだと皆教室を慌ただしく出ていった。下北沢高校は数年前までは部活動も強制参加だったと聞く。教師陣の一部はその伝統を引きずってか、未所属の生徒達を部活動へ参加させようと定期的に声がけが行われていた。少々面倒だと思ったこともあるが、正当な理由があるだけいい。いつからか、そう考えるようになった。いつからだろう?
「答えはCMの後」
意味のない呟きを残して、バイト先へ向かうべく階段を下った。
ラッパーと妙な位置のアッパーライト。やたらと押しが強い古着屋の定員に、のしのしと歩くでっぷりとした猫。バイト先への道は普段見かけないものが多く、ふらふらと引き寄せられそうになるのをぐっと堪えた。突飛ではないが物珍しいもの。生活感のあるもの。下北沢はその二つが入り乱れていて、ひっくり返したスノードームを想起させる。スノーパウダーじゃなくて、折り紙とかラメが入ってるタイプの。そういうキラキラと取っ散らかった空気をかき分けて、STARRYの前まで辿り着く。来客用の裏口はないと教えてもらったので堂々正面入り口に向かうと、二人組の少女がなにやら扉の前で話し込んでいた。
「あ、このバンド最近よく見るよね」
「うん。人気が出てきてお客さんの入りもいい」
その後ろ姿は両方既知のものであり、きらきらと光を反射する上品な金色のサイドテールの子―――伊地知さんとは何度か言葉を交わしたこともあった。沈澱していた記憶と言葉が浮かび上がってくる。そう、初めて会話らしい会話をしたのは葬式だ。街中でばったり遭遇した所をクラスメイトに目撃され、「どこで知り合ったの?」と聞かれた時は少し困った。向こうがそのことを覚えているのかは、知らない。
「すみません。通ってもいいですか?」
なるべく柔和になるよう心がけた声に、「あ、ごめんなさい!今どきますね」という返事が返ってきた。そして同時に二人が振り返る。
「あ、木耳弁当の人」
「そうです。木耳弁当の人です」
「ちょっと待って?二人だけで通じ合わないで」
置いてけぼりを食らっている伊地知さんに事の顛末を説明した。説明していて気づいたが、詳細不明の女子生徒に昼食を譲る人間はあまりにも不審な存在ではないだろうか。向こうは気にしていなさそうに見えるが、少しだけ心配になる。
「リョウ、ついに見ず知らずの先輩に奢らせたのか……」
伊地知さんは呆れ顔だ。僕は”ついに”という言葉が気になった。たかり屋なのだろうか。
「奢らせてない。見てたら譲ってくれただけ」
リョウと呼ばれた青髪少女は同意を求めるように目を向けてきたので、頷いておいた。やはり呆れ顔でため息を吐く伊地知さんを尻目に、ようやく彼女の名前が”山田リョウ”だと気づいた。シフト表で見たことがある。
「先輩、本当なんですよね?」
「本当です。以前雑草を食べる所を目撃したので、よほど金欠なのかと思いまして」
「ほら」
「誇らしげに言うな!リョウを一回でも甘やかすとタカられますから、気をつけてくださいね」
「でも、金欠にはなにか事情があるのでは」
わりあい真面目に言うと、伊地知さんは首を横に振った。
「お金遣いが荒いだけです」
なるほど、と。そう納得するほかなかった。