春眠暁を覚えず。現代まで残る昔の人の言葉は説得力のあるもので、春というものは存外に眠くなる。登校中も眠気が抜けなれば授業中も眠い。特に食後ともなればもはや地獄に近い。むしろ隠す気もなく欠伸して、たまに船を漕ぐ程度で済んでいる点を誉めてほしいところだ。三年時から数学の授業がなくなってよかった。あったら確実に机に突っ伏して暁を覚えなかったことだろう。驚くことに、これでも俺は今年受験生なのである。
そんな春の微睡みは放課後も例外ではない。特にこの奉仕部に至っては。
「暇ですねぇ」
「暇だねぇ」
特別棟の三階、我が世界の妹、小町を部長とした新生奉仕部は完全にぽかぽか放課後ティータイム状態である。なんか、「我が世界の妹」って言うと俺が支配している世界にいる妹みたいに聞こえるな。小町、非実在系妹説。目の前にいるし、俺の夕飯はほぼほぼ小町製なのでその説は否定しておく。そもそも俺は世界を支配できないのだ。逆に世界に縛られてるからな!
俺の我が儘で開催した海浜総合との合同プロムに連なる事後処理も粗方終わり、特に依頼のない奉仕部はいつかぶりの空間を形成していた。違うことと言えば、今まで最大四人だったその空間が五人に増えていることくらい。
俺と雪ノ下は各々読書に勤しみ、由比ヶ浜はスマホをぺたぺたし、小町や一色が雑談に華を――
「わあ、いろはさん。これめっっちゃ可愛くないですか?」
「どれどれ……え、これがかわいいの? お米ちゃんのセンスおかしくない?」
「いやいや、どう考えても可愛いじゃないですか。しかも雑誌に掲載されている時点でこのセンスがマジョリティであることは確定的に明らか。これはもう勝負付いてますね」
「は?」
「は?」
いや、華というかトゲでフェンシングしてるんですがこいつら。後小町がブロンティストになってしまっている。この間紹介した動画にハマってしまったようだ。面白かったからね、仕方ないね。
属性的には近いものがある比企谷小町と一色いろはだが、実際に対峙させてみるとあまり相性がいいとは言えないらしい。同族嫌悪的な部分もあるのかもしれないが、噛み合わせたい部分が噛み合わないもどかしさのようなものを感じる。
しかし小町よ。曲がりなりにも先輩相手なのだから、せめて「は?」はやめような。そういうところだけ一色と噛み合わなくていい……お前も先輩への敬意忘れんなよ一色いろは!
まあ、あくまでじゃれあいの範疇で収まっているようだから問題はないだろう。もしそれ以上のことになっても、そこは一色に対するあーしさんのようにおか……お姉さん的対応を一色がしてくれるに違いない。……しなさそうだなぁ、いろはす。
そんなこんなで生産性のない、しかし穏やかな時間が過ぎていく。三人どころか二人でも十分姦しい会話をBGMにぺらり、ぺらりと本のページをめくるのも、慣れればなかなか乙というものだ。
「結衣さん結衣さん! 結衣さんはどう思います? これ、可愛いと思いません?」
「どれどれ? あ、めっちゃかわいいじゃん! これどこに売ってるんだろ」
「えー……や、かわいくないと思わないんですけど、なんか狙いすぎじゃないですかねぇ」
次のページを読み進めていると、由比ヶ浜が会話に引き込まれていた。そして小町派に回っていた。これで漢字の通り、女三人揃った状態である。うむうむ姦しい姦しい。
一色と小町で趣向が分かれた際、由比ヶ浜が小町側に回るというのは当然とも言える。一色は可愛いながらもシンプルなものを好むが、由比ヶ浜や小町は多少ゴテゴテした方が好きなのだ。具体例としては携帯のキーホルダー。スマホに変えてだいぶ数は減ったが、未だジャラジャラ連なっているそれを見たときの一色の目。UMAを見たときのようなそれを俺は見逃していない。
さて、そんなこんなで少数派に回ってしまった一色いろは。ここでどんな小賢しい手を使ってくるのか……まあ、大体想像がつきますね。
「雪乃先輩雪乃先輩! 雪乃先輩はこれどう思います?」
自分に付いてくれそうな人間を輪の中に引き入れるのである。恣意的な統計操作。汚いな、さすがいろはす汚い。
俺と同じく読書に勤しんでいた雪ノ下がパタリと本を閉じ、椅子を引いて立ち上がる音が聞こえる。こちらは文字列に目を落としているからその姿を見ていないが、さも映画のワンシーンのような所作だったに違いない。何をしても絵になる奴である。むしろ絵にならんシーンがあるのか疑問だ。
さて、これで女が四人寄ったわけだが、三人で姦しいなら四人ならどうなるのだろうか。あーしさんグループ然り、去年までの奉仕部with一色or小町然り、相模南グループ然り、俺の目にする女性グループは判を押したように三人が上限だったから想像ができない。前俺未踏エリアである。そもそも俺、未踏エリアばっかりなんですが。
「……ごめんなさい。私、こういうデザインはよく分からなくて。少なくとも自分から着たいとは思わないかしら」
「でっすよねぇ! いやあ、これを普段着るのは厳しいと思うんですよぉ」
一色の目論見通り、雪ノ下は一色側に付いたようだ。普段ゆるゆりするほど仲のいい由比ヶ浜と雪ノ下だが、趣味趣向はあまり合致しない。一色の意図した答えが出されるのは当然の帰結と言える。
しかし、しかしだ一色よ。あたかもドロー! ゲーム終了! と言わんばかりにドヤっているようだが。
まだ、由比ヶ浜のバトルフェイズが残っていることを忘れていないか?
「や、ゆきのん絶対こういうの似合うって」
「えっ。そ、そうかしら……? 私にはちょっと派手なように思えるのだけれど」
「いやいや、これくらい結構普通だし、むしろ普段とのギャップを楽しむのもお洒落じゃない?」
「……なるほど。日頃とは違う物を身につけるのもお洒落……」
ほらね。たった二言で陥落寸前ですよ。なんなら一言目の時点で半壊しているまである。相変わらずこの有能ポンコツ、由比ヶ浜に対してちょろインすぎる。この後実際にその系統の服――着ると言っていることからおそらく服なのだろう――を雪ノ下が身につけ、由比ヶ浜と小町が褒めちぎり、「まあ、こういうのも悪くないわね」とか満更でもない顔でのたまって完! という結末が見える見える。そして一人マイノリティが決定する一色いろは。いろはすは時代の敗北者じゃけえ……。
まあ、ここは先輩らしく後で飲み物の一つでも奢って励ましてやろう。苦い思いをした一色にはマッカンをプレゼントすれば、ミックスベリーケーキばりに好感度鰻登りに違いない。え、それはない? そんな、騎士くんはこれでハーレムしてるのに!
と、端から聞いていた俺は完全に話題の終結を確信していたのだが、いかんせん相手は小賢しいクズ。諦めるという言葉をクローゼットの隅にでも置き忘れてきた一色いろは。
「せんぱいはこういう服ってどう思いますか?」
なんとこいつ、奉仕部女子――一応明記しておくが、一色は奉仕部に所属していない――の中でマイノリティがほぼ確定したからって話をこちらに振ってきた。お前、普通そんな話題男に振る? そういうジョシジョシした話は女だけでやって……そういえばこいつ、ここと生徒会以外で女友達いなかったね。なんかごめんね。
内心とはいえ謝った手前、無視するのも心地が悪い。嫌だなぁ。めんどくせえなぁ。と春なのに夏の風物詩みたいなしゃべり方の愚痴を口の中で転がしつつ、差し出された雑誌を覗きこんだ。
「……ああ、なるほど」
開かれたページではモデルが普通の服よりフリル多めの服装に身を包んでいた。ビスクドールに着せるようなゴテゴテしたものでは決してないが、淡い桃を基調としたワンピースドレスには随所にフリルやリボンが散りばめられている。この手の知識は漫画で軽くさらった程度だが、恐らく甘ロリと呼ばれるファッションだ。
一昔前はコスプレの類と同列に扱われていたロリータファッションだが、最近では町中で見かけることも少なくない。ほんと少なくない。下手すれば孫とかいそうなおばちゃんが着ていることもあるからな。オタク文化の浸食は恐ろしいもの……。や、ロリータがオタクものなのかよく分からんけど。
小町は元々俺の影響で漫画やアニメもよく見るので抵抗が薄いし、由比ヶ浜は先述の通りゴテゴテを割と好むタイプだ。かわいいと思うのも何となく分かる。
そして雪ノ下はなんだかんだ着ることになったら完璧に着こなすことだろう。何せ高校生にしてツインテールの似合う女子である。着こなせない服の方がないのではないだろうか。というか、ここにいる四人全員普通に着こなすまである。顔面偏差値高いからなぁ、この部活。俺を計算に組み込むことで調整しているまである。ハッ! 今ナチュラルに一色を部員扱いしてしまった。おのれいろはす……!
……ところで、ここで俺はどう答えればいいのだろうか。個人的には二次元で見慣れているし、マイフェイバリットアニメたるプリキュアがもう甘ロリみたいな格好なので抵抗のての字もない。しかし、ここでそれを口にすれば汚物まみれた路傍の石のごとく冷ややかな目線を向けられることは避けられないだろう。正直四人同時に攻撃されるのは防御力に優れた俺でもきついのである。心は硝子なので……。
好きとも嫌いとも言えないポイズンな状況。元々手札が少ない俺は言葉に窮する他ない。だからせかすようにこちらを見るのはやめてもらえませんかね一色後輩……。
「一色さん、そのくらいにしてあげたら? 比企谷くんが困っているわ」
精神的に追い詰められていた俺に助け船を出したのは、反対側に座り直した雪ノ下だった。本の栞に手をかけ、苦笑を浮かべている。
なんというか、こいつも一年でだいぶ棘がなくなったよな。いや、これでもお互いを〝パートナー〟と呼び合う身。初めて奉仕部に来た頃のような態度を取られるわけにはいかないのだが。棘がないのもなんだが物寂し……いや違う。俺は断じてマゾヒストではない!
何はともあれ、ここでの雪ノ下のフォローはありがたい。ホッと胸を撫で下ろしつつ、雑誌を一色の方へ追いやる。
「むう……点数稼ぎですか雪乃先輩……」
「そういうわけではないのだけれど……」
おいおい一色、俺の無投票で完全マイノリティ確定したからって不機嫌になるなよ。雪ノ下が困ってるでしょ? どうせお前も似合うんだから、趣味が違ったくらいの軽い気持ちで考えおけ――
「女児アニメ好きの比企谷くんにこんな話題を振るのは酷というものじゃない」
「おい」
「あ」
あ、じゃねえ! 俺が答えられなかった理由理解しているのになんで言っちゃうんだよ! わざとか? わざとなのか? ……うわ、マジで申し訳なさそうな顔してる。素だわこのポンコツ。
結局、回答拒否をしたのに由比ヶ浜と一色に白い目で見られたのであった。ちなみに小町は腹をかかえて笑っていた。帰ったら覚悟しとけよお前……。
「まあ、人は選びそうだよね。なんだっけ? 『ただし美少女に限る!』みたいな?」
「美少女じゃなくても合わない人いそうですけどね。三浦先輩とか」
「えー、そう?」
ひとしきり俺のライフを削り取った由比ヶ浜と一色が話を戻す。そしてナチュラルに一色があーしさんに喧嘩を売っていた。
まあ、言いたいことは分かる。むしろここのメンツが異常なのであって、平たい顔族がゴテゴテの西洋ファッションを着こなそうという時点で難易度が高い。
それにあーしさんとかはキャラではないだろう。性格はおかんだが、あいつはやっぱりギャル然とした格好が様になる。雪ノ下のようにギャップ萌えの域に到達する可能性は否定できないが、いかんせん想像がつかない。
同様のことが平塚先生にも言えるだろう。一応断っておくが、年齢を条件に入れての考えではない。俺の中で平塚静はパンツスーツに白衣がデフォルトなのだ。故に私服もカジュアルにかっこよく決めてほしいし、その方が想像しやすい。……平塚先生元気かな。また婚活失敗してないかな。そういえば、ついぞ先生が白衣を着ている理由は聞けなかったな。奉仕部七不思議のひとつである。残り六個は知らない。
「キャラではない人はいるでしょうね。個人的に姉さんとかは特に筆頭だわ」
「着こなしはしそうだけどな」
妹から直々に下された姉の評価に思わず口端が震える。確かに雪ノ下陽乃の普段の装いからロリータファッションというのは予想がつかない。強いて言えば、去年の冬休みに着ていた白地に青リボンのブラウス。あれくらいのフリルが限界な印象だ。
とはいえ、あーしさんにしろ先生にしろ陽乃さんにしろ、俺たちが一側面から見て勝手に価値観を押し付けているに過ぎない。あーしさんの評価に対して由比ヶ浜が不服の声を漏らしたように、別の側面を知っていると評価は変わるのだろう。……ほんまかあ? 平塚先生に関しては新たな側面見れる気がしないぞお?
なにはともあれ、相手のことをよく知らないのに勝手な評価を下すのはあまりいいことではないだろう。
「……そろそろ時間ね。終わりましょうか。比企谷くんは七時にね」
「おう」
特に、これから会いに行く人の陰口なんて叩くものではない。