僕は好きなものを最後までとっておく人間だ。
例えばケーキの上のイチゴ。
例えば給食のヨーグルト。
嫌いなものは我慢して、好きなものを最後に食べようとしていた。
しかし、どこかの姉や嫌いなアイツに食べられてしまうことがよくあった。
それでも、僕は好きなものは最後まで取っておく。
ちくしょうめ。
弓道場に来た。
無人の静寂。
的の周りの盛り土。白い砂がまかれた地面。
静謐でストイックな空間がここにはある。
精神を鍛える目的もある弓の道に、僕は少し憧れも抱いている。
僕には
弓を引き、放つ。
人を殺せる道具で、人を殺さない目的で、同じ動作をし続ける。
壊れたからくり人形のように。ただひたすらに。
「あ~。また見に来てるぅ」
彼女は僕の不意をつく。僕の心の隙間をつくように。
彼女はいつでも突然なのだ。
「あ、ああ」
「今日は、誰もいませんよぉ~」
上野こよりの空気の抜けた人形のような声が弓道場に広がる。
しかし、『今日も』誰もいないの間違いではないだろうか。
僕は知っているのだ。いつ来てもそうだった。
いや、そうではなく。
『僕』はゲームで知っているのだ。ここはいつでも無人だ。
彼女がいても、いつでも無人だ。
いや、そうでもなく。
『僕』はここを初めて訪れたはずだ。なぜ前回も見に来たかのような物言いなのだろう。
「えっと、また見に来たってどういうことだい?僕は初めてここに来たんだけど」
「またまたぁ~騙されませんよぉ~。先生は、いつもここにきてたじゃないですかぁ~」
そうだっただろうか。
そうだったような気がする。
きっとそうなのだ。
人見広介という人物が、いつもここに来ていただけだと無理矢理に結論付ける。
「そうだったかな」
「そうですよぉ。先生はぁ、ボーっとしてますから」
「君には言われたくないけどね」
気の抜けたようなおっとりとした喋り方。
そのくせ鋭くとがった言葉の刃でこちらを突き刺してくる。
物事の本質を全てわかっているかのような話し方をする。
僕は上野こよりのことを、鏡のようにこちらの姿を全てさらけ出すような性質も含め、気に入っていた。
「それで、今日は何しにここにきたんですかぁ~」
問われて、考えてみる。
僕は好きなものを最後までとっておく人間だ。
例えばケーキの上のイチゴ。
例えば給食のヨーグルト。
嫌いなものは我慢して、好きなものを最後に食べようとしていた。
しかし、どこかの姉や嫌いなアイツに食べられてしまうことがよくあった。
それでも、僕は好きなものは最後まで取っておく。
ちくしょうめ。
ちくしょう。
ちくしょう。
ちくしょうめ。
「あ~。また何か変なこと考えてますねぇ~」
「変なことって、どんなことだい?」
「え~っとぉ。なんかぁ……エッチなこととかぁ……」
エッチなこと。
そう言われ、こよりの体に目を向けてみる。
緩くパーマがかかったような柔らかな髪。
制服のシャツでは隠しきれない豊満さのある胸。
その大きな胸とは対照的に、すらりと伸びた足。白く、美しさを持っている。
その成熟と未成熟の間にある彼女の肢体は、この手で包み込むように触れば慎ましやかな反発が返ってきそうな。
「あ~。まさに今、考えてますぅ」
「いや、別に……そんなことは……」
視線を無理矢理はずし、明後日の方を見ながら慌てて答える。
いつもそうだ。彼女のペースに乗せられて、振り回されてしまう。
僕は別にエッチなことを考えているというわけでもないのに。
そんな彼女には何か意趣返しをしなければいけない。
先生として、教え子に舐められたままではいけないのだ。
「でも、エッチなことを考えてるって言い出したのは君の方だよね」
「そうですかぁ~?」
「何か考えてるって思った時に、君は真っ先にエッチなことを考えてるって思ったんだよね」
「それはぁ~……」
彼女はばつが悪そうにいいごもる。
「僕は一言もエッチなこととは言っていないよ。むしろ、君の方がエッチな子なんじゃないのかい?」
「そ、そんなことはぁ~……」
こよりは恥ずかしそうにもじもじしている。
これでいいのだ。
教師と生徒はその間に絶対的な壁が存在している。
教えること、学ぶこと。それ以上の大人と子どもという絶対的な壁。
子どもは大人にかなうことはない。
つまりこれが正常で不変の状態なのだ。
「先生ってぇ、見栄っ張りなんですねぇ」
ふと、視線を下に落としていたこよりが、こちらに真っ直ぐ目を向け言葉を放った。
心の中を言い当てられた気分だ。
言葉の刃が僕の心中にぐさりと刺さり、息が止まってしまう。
人は図星を突かれたとき、一番動揺する。
つまり僕は今、まさに図星を突かれたわけだ。
冷静に、客観的に現状を把握することができている。
つまり僕は今、落ち着いているということだ。
「ところで、弓ってどんな道具だと思う?」
「それはぁ……人を殺せる道具ですよねぇ?」
「そう、人を殺せる道具だ。僕にだって殺せる。君を今すぐに殺すこともできる」
「え~……。それは嘘ですよねぇ先生?」
とぼけた顔でこちらを見るこより。
弓と矢はどこに置いてあるだろうか。
「いいや、僕にだって殺せる。君を今すぐ殺すこともできる」
弓を矢を探している。
僕は弓を矢を探している。
冷静に、客観的に現状を把握することができている。
つまり僕は今、落ち着いているということだ。
「え~……。それは嘘ですよねぇ先生?」
弓と矢を見つけた。
正しいフォームで、無心で的を狙う。
こよりの眉間。正中。こよりを殺す。
冷静に、客観的に現状を把握することができている。
つまり僕は今、落ち着いているということだ。
「いいや、殺す。」
風切り音と共に、矢はこよりの眉間へと突き刺さった。
「……ひぅっ……」
ふと、目の前が暗転する。
色が戻る。
こよりが弓を構えてこちらと相対している。
弓は引き絞られ、狙いは僕の眉間へ。
「ちょっと待っ」
「つまりはぁ~先生は甘えてるんですよぉ~」
ふと、視線を下に落としていたこよりが、こちらに真っ直ぐ目を向け言葉を放った。
心の中を言い当てられた気分だ。
言葉の刃が僕の心中にぐさりと刺さり、息が止まってしまう。
人は図星を突かれたとき、一番動揺する。
つまり僕は今、まさに図星を突かれたわけだ。
「甘えてるって……どういうことだ?」
知らず、少し声が震える。
いや、落ち着かなければいけない。
生徒の前で動揺する教師などあってはならないのだ。
「みんな知ってますよぉ。でも、だからこそ受け入れられてるんじゃないですかぁ?」
こよりの言葉を自分の中で、よく吟味してみる。
わからない。
わからないということはつまり、わかる必要がないということだ。
そう結論付けて、安心することにした。
「そうか。受け入れられているなら、それでいいのかな。」
「たぶんきっとぉ~それでいいと思いますぅ」
相変わらず空気の抜けたようなしゃべり方だ。
僕はこよりのこの喋り方が気に入っている。
「それじゃあ先生。さよならぁ」
「ああ。また。」
おっとりとした調子で弓道場を去っていく。
結局こよりはなんのために弓道場に来ているのだろう。
僕のためだろうか。
人形のように優しいこよりのことを考えながら、僕は弓道場を後にした。