天狗種族の中でも、中流から上流階級に位置する種族である烏天狗。その住居がどんなものかと期待してはいたが、外観は至って普通であった。
「さあどうぞ。遠慮なくお入りください」
射命丸文はそう言って玄関を開ける。外観が普通であれば中も普通、いや、普通と言うには物が圧倒的に少ない。
玄関だと言うのに、靴やそれを収納する棚もない。奥に伸びる廊下にも見える範囲に物はなく、3枚の襖があるだけであった。まるで誰も住んでいない家のようである。
「どうされましたか?」
「思ったより何も無いなと思いまして」
「随分とはっきりおっしゃるのですね」
「あ、いや……すみません」
「いえいえ、これでも取材を生業としている身です。貴女の気持ちはよく分かります。それに、何も無い訳ではありませんよ」
文はそう言って1番手前の襖を開けた。その部屋は作業部屋なのだろう。廊下と同じ素材の床で、窓際に机と椅子が置かれている4畳半くらいの部屋。机や床には束ねられた新聞やなにか書かれた紙が散乱しており、どれだけ甘く見積もっても綺麗とは言えない。
「ここで新聞を?」
「ええ、と言っても物らしいものがあるのはこの部屋だけですけどね」
作業部屋の襖を閉め、今度は隣を開けた。
「こちらは綺麗ですので、こっちでお話しましょう」
案内されたのは畳の敷かれた和室。ちゃぶ台がひとつとそれを挟んで向かい合うように座布団がふたつ、それ以外には何も無い殺風景な部屋である。何故こうも極端なのだろうか。
「なにかお飲み物をお入れしましょうか?」
「お心遣いありがとうございます。ですが、それよりも話さないとならないことが私にはあるので」
私が座ったところで文は静かに襖を閉め、正面に座る。
「何となく分かってはいますが、ご要件をどうぞ」
「明日発刊の新聞の事なんですけどね」
「ええ、あなたの書物について載せてますね」
「デタラメ記事を出さないで欲しいんですよ。もっと言いますと、迷惑なのでやめてください」
責められているはずなのに、文の口角が少しだけ上がる。まるで、こうなることを初めから望んでいたかのようだ。
「そうですね。ですが、それでは新聞に穴が空いてしまいます。それは困りましたね」
白々しい。喉まで上がってきていたその言葉を飲み込む。根拠はなにも無いが、あの記事が発刊される前に私の目に触れたのも、こうして私が天狗の里にすんなりと入れたのも、偶然にしてはあまりにもできすぎている。
「それではどうすれば記事を撤回してくれますか?」
「そうですね。1番手っ取り早いのは記事のネタを提供してくれる事ですかね」
「それなら、面白いものがありますよ」
元々予定していたことだが、私は野盗の話を文へすることにした。ネタとしては十分すぎるものである。人里の外で起こったことは人間は知りえない。だからこそ、人間向けの情報誌を作成する者に対してこの情報には価値がある。
私が話を始めると、思っていた通り文は懐から手帳を取り出すと熱心にメモを取り始めた。
人里で話題になっている野盗と出会ったところまで話したところで、私は言葉を止める。
「どうされたのですか?」
「いえ、少し確認をしておきたいと思いまして」
「ああ、記事の差し替えの件ですね。もちろん構いません」
二つ返事の確約。情報を安売りしすぎたかもしれない。とはいえ、出不精の私が持ってる情報なんてこれくらいしかないのもまた事実だ。なんとも都合よく良い交渉材料を得たものだ。
「……その後野盗らの行方は知れずと」
私の話の内容を記入し終え、文は手帳を閉じた。
「質問はしないんですね」
「ええ、記事を書くのには十分すぎる情報ですから」
「それでも情報量が多いに越したことはないと思いますよ。それとも、私よりもこのことについて詳細を知っていたり?」
カマをかけるが、文の表情は動かない。
「それはどうでしょうか。」
手帳を懐にしまうと、今度はこちらを真っ直ぐに見る。
「ところで、稗田阿求さん」
突然の改まった呼び方に、ほぼ無意識に背筋が伸びてしまう。
「本当に私がただ、あなたの文句を聞くためだけにここまで連れてきたとお思いですか?」
そのことについては思っていた。記事の撤回だけであればわざわざ私をここに連れてくる意味もない。
「いいえ」
「そうですよね。聡明なあなたであればその事には気がついていると思っていました」
「ですが、あなたの目的までは分かりません」
「正確には、いくつか予想はあるけど確証がないでは?」
射命丸文。噂では幻想郷ができるはるか昔、まだここに海があった頃から……少なく見積っても5000年は生きているという。それがどこまで本当かは分からないが、この鋭さは彼女がかなりの時を過ごしてきていたことが伺い知れる。
「今私に必要なのは予測ではなく事実です。百の予想も一つの事実に敵いませんから。お聞かせねがえますか?」
しばらくの沈黙の後、文はおもむろに口を開いた。
「私達天狗の目的は大きく2つです」
主語が私ではなく、私達ときた。それはそうだ。文ひとりの目的のために、わざわざ部外者を里に招き入れることはしないだろう。
「ひとつは、人間達の中での天狗の立ち位置を確立するためです」
「既に天狗は十分に高い知名度を得ていると思いますが」
「知名度はそうですね。ただ、最近守矢神社まで直通のロープウェイなるものができました。そのせいで今まで以上に容易に山に足を踏み入れることができるようになり、天狗への畏怖が薄れているのも事実です」
「つまり、私の書物にある天狗に関しての情報を書き換えて欲しいということですか?」
「それをお願いしてもあなたは断りますよね?」
私は返事をする代わりにほんの少し口角を上げた。
「ふたつめは、私達天狗では取りえない情報を得て、世に広げて欲しいのです」
「もう少し具体的にお願いします」
「そうですね。ひとりの人間として、幻想郷の妖怪達に接触を行い、その結果を書物として書き記していただきたいです」
予想外の申し出に私は薄ら笑いを浮かべる文の顔を凝視する。だが、少ししてあることに気がついた。
「……なるほど、自分達と人間の距離が近づいたから、ほかの妖怪と人間の距離も縮めようという魂胆ですね」
「ええ、悪く言えば、自分を上げるのではなく周りを落とすとでも言いましょうか」
理にかなっている。そして、この依頼を私にしたことは大正解である。なぜなら、断るという選択肢がどこにもないからだ。
「かなり危険だと思いますが?」
「その点は大丈夫です。身の安全は責任をもってお守りします」
正直なところ、この回答は当然のことと言えた。文……天狗にとっての到達点は、私に書物を書かせることである。だから、取材の時点で死んでもらっては困るのだ。
まあ、死んだとしても100と10数年後に書くことはできるが、今回の感じだとそこまで悠長なことは言えないだろう。
「分かりました。そのお話受けさせてもらいます」
「そう言っていただけると思っていました」
文は嬉しそうにそう言って立ち上がった。
「それでは、里までお送りしましょう。詳しくはまた後日にお話します」
きっと私は彼女の手のひらの上で転がされているのだろう。だが、私にとってその場所が魅力的で利益があるのならば、手のひらの上だろうが、まな板の上だろうが全くもって構わない。
天狗は狡猾で計算高い。だからこそ、お互いの利害関係が一致している場合に限っては、彼女ら以上に信頼できる種族もいない。これで比較的安全に妖怪と接触することができるだろう。
「帰る前にやることがあります」
私は立ち上がる。今こうして改めて向き合ってみると、文は私よりも頭半個分程背が高く、少し見下ろす感じになっている。
「せっかくここまで来たのですから、色々見させて貰えませんか?」
文は少し考えたものの、やけにあっさりと頷いた。
「分かりました。私が案内いたしましょう」
今回で9回目の人生ではあるが、ここんな機会は今までになかった。妖怪の存在が希薄になり、幻想郷という場所ができたからこそだ。きっと今までにない経験になるだろう。
期待で胸をふくらませて、私は文の後ろに続いて部屋を後にするのだった。