大天狗のお着きである、
外見もそうだったが、門をくぐった先の光景も武家屋敷とそっくりであった。塀際に4つの独立した平屋があり、敷地のど真ん中には他の建物より一回り大きく豪華な屋敷がある。だが、こんな山奥に1軒だけ武家屋敷があったとは考えにくいので、恐らく天狗達が人間のを真似て作ったのであろう……いや、逆で人間が天狗から教わったのかもしれない。
まあ、建築物の成り立ちなど歴史家がいつかまとめてくれるだろう。私の役割では無いし、私自身そこまで興味が無い。
伏に案内されるがまま、入口から最も近くにある建物へと入る。まず気がついたのは、木造建築らしい木の匂いに混じって、獣特有の匂いが漂っていることだ。
靴を脱いで建物に入ると、獣の匂いははっきりと感じられるほどになった。とはいえ、猫好きな人の家のような匂いで、私はさして不快には感じなかった。
「ご主人、お客様がまいられました」
少し奥まった場所にある襖へ向けて、伏が声を上げる。しばらくして、襖の奥から低くて威圧感のある声が聞こえてきた。
「開けていいぞ」
「失礼します」
開けられたふすまの先の光景に、私は驚きを隠せなかった。部屋では犬や猫はもちろん、狐や鳥、ネズミまで。大小様々な動物達が部屋を思い思いに駆け回ったり、眠ったりと好き勝手に過ごしていたのだ。軽く10畳はある広い部屋だが、あまりの動物の多さに狭く感じてしまう。
そして、その部屋の奥にひときわ動物が集まっている場所に座っていたのは、かなり体格の良い大きな白狼天狗であった。あぐらをかいて座っているのに、その耳の先は立っている私の目の高さ程もある。
「ふむ」
口の周りの短く白い髭を触りながら、真っ赤な瞳でじろりと私のことを見る。そして…
「よう来た。我らが天狗の里に!」
真っ赤な目を糸のように細めて、彼は嬉しそうに膝をぽんと叩く。
「遠路はるばる疲れたであろう。部屋は多少狭いが、なに、茶くらい用意しよう。おお、伏、着いて早々いが客人に茶を出してやれ」
私と話していた時は終始冷静であった伏が小さくため息をついた。
「ご主人、茶類はこの前ご主人が連れてきた鹿に食べ尽くされましたと何度も言っておりますが」
「そうであったか!いや、申し訳ない。ふむ、なにか飲むものは残っておったか?」
「ヤギの乳であればいくらか」
「おおそうか、あれは美味いからな。それにしよう。それで良いか、稗田殿?」
あまりの勢いに流されて頷いてしまった。別に乳が嫌いという訳では無いが、なにかずれている気がする。だが、天狗の中では普通なのかもしれないと思い文の方を見るが、文もなにか言いたそうな顔をしていることを見るに、どうやら初対面の相手にヤギの乳を振る舞うのは天狗の中でも異質らしい。
「何ぼうっとたってるんだ。ほら、こっちに来て座れ、座れ。話を聞きに来たんだろう?」
なんとも予想外の相手に私が目を白黒させているのを感じてか、文が私の後ろから顔を出す。
「大口丸様、お久しぶりです。歓迎ありがとうございます」
「おお!文さんではないですか!」
「
「何冷たいことを。文さんにはお世話になりっぱなしですから。それに文さんだって……」
大天狗に敬称を付けられる文についてもう少し彼の話を聞きたい気持ちはあったが、その言葉を遮るように文が言葉を発した。
「私の事よりも阿求さんとお話をされては?」
「それもそうだな。まずは、挨拶が遅くなったことを詫びよう。俺の名は、
彼、大口丸虎と名乗った大柄な白狼天狗が、天狗社会で統率者の一角を担う大天狗のひとりだということは、肌で感じることができた。伏や文の態度もそうだが、それ以上に圧倒的な我の強さとそれを押し通す力を持っていることがひしひしと伝わってくる。
「第9代目御阿礼の子、稗田阿求と申します。大口丸虎様、お会いできて光栄です」
自己紹介が終わったところで、ミルクの入った硝子のコップを3つお盆にのせた伏が帰ってきた。
「お待たせいたしました。あと阿求様、ご主人にかしこまってもあまり意味はありませんよ」
「なあ伏、少しはご主人様を立ててくれよ」
「私なりに精一杯お立てしているつもりですが?」
そう言って伏はお盆ごと飲み物を虎の傍にあった小さな机の上に置く。
「それでは私は用がありますのでこれで失礼します」
伏が部屋から出ていったのを確認してから、虎が口を開いた。
「可愛げのないやつだろ?」
「ええ、ですが貴方のことを慕っておられますね」
「奴とは付き合いも長いからな……おっと、伏の話はまた今度にしよう。あいつのことになると話せることが多くてかなわん」
「私はぜひ聞きたいですが」
「いや、せっかく君をここに連れてきてもらったのだから、本題に移ろう。どうせ文さんからは何も聞いていないのだろう?」
連れてきてもらった。つまり私が今ここにいることは予定されていたことであったということである。
ここまで私自身の意思で来たような気になっていたが、思い返すとここに来ることになった経緯に関して私の意思介入はかなり少ない。特筆してあげるとするのであれば、新聞記事に対して直接文句を言おうと思ったことくらいだ。
「君が、天狗の里に興味があるということは文さんから聞いている」
すぐ隣にいる文にちらりと視線を送る。まあ、これに関しては少しでも私のことを知っている者からすれば容易に予想がつく。とはいえ、事前にその辺の情報を流していることは流石だ。
「ええ、ぜひ色々見させていただきたいと思っています」
「俺も別にそれを止めたくはないが、立場上無条件にとはいかなくてな。ちょっとしたお使いを頼みたい。なに、君の主目的から離れはしないことは保証しよう」
「ただでは見逃せないってやつですね」
「まあ、そういうことだ。それで…」
そこまで言って虎が言葉を止める。その視線は私の後ろ、部屋の入口へと向けられていた。
どうかしたのか聞こうとした時、襖がするりと開いて先程どこかへ行ったはずの伏が入ってきた。
「先程用があると言いましたよね。靴を履いたところだったのですが」
まるで突然呼ばれたかのような言葉である。だが、さっきまで私はこの大天狗と話をしていたし、伏を呼ぶような素振りは全くなかった。
「それはすまない。用事とはなんだったんだ?」
「何って、ご主人の食事の用意ですが」
「ああ、それはいい。そっちよりも頼みたいことがあるんだが」
伏は小さくため息をつくと、部屋へと入ってくる。
「頼みってなんですか?」
「うん、なんでも人里に腕の良い鍛冶師がいると聞いてな。そいつに刀の作製を依頼してきて欲しい」
「はあ、私がですか?」
「お前の刀なんだから、お前が行った方が良いだろ?」
ほんの一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、次の瞬間には伏の表情がガラリと変わり、新しい玩具を目の前にした子供のように目をキラキラさせる。
「ほんとに?本当に良いんですか?」
「ああ、お前は大天狗の側近なんだ。良い刀くらい持っておいても損は無いだろう」
「もちろん、私の好きなのでいいんですよね」
「ああ、必要なものがあれば可能な限り用意しよう」
「後で待ったはなしですからね。うんと良い刀にしてもらいますからね」
余程嬉しいのか、伏は今にも小躍りを始めそうな様子である。
「そういうことだ阿求殿、伏と一緒に刀を作ってもらってきて欲しい。鍛冶師には心当たりがあるだろう?」
別にそれ自体は大したことは無いが、先程言っていた、主目的から離れないという意味はどういうことだろうか。
「それは構いませんが、そんなことで良いのですか?」
私がそう問うと、虎は大口を開けてガハハと笑った。
「ああ、頼んだぞ」
引っかかるところはあるが、とりあえず私がわかっているのは彼女のところに行けば良いということだ。人里で探すのであれば、夜になる前に帰らなければならない。
「阿求さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、里への帰り道心強いです」
改めて伏と挨拶をしたところで、文が口を開く。
「それではおふたりは人里へ向かってください」
「文さんはどうするのですか?」
「私は少し大天狗様と話しがあるので、伏、阿求さんをお願いできますか?」
「ええ、任せてください。それでは行きましょうか」
私は虎に一礼をして、伏と共に部屋を後にする。
大口丸虎、彼の豪胆さや底抜けな明るさの裏に時折見え隠れする計算高さは、やはり天狗は天狗なのだと思う。
大天狗達の住む敷地から出たところで、もう一度振り向く。ひとつの大きな屋敷を囲うように4つの屋敷。きっと真ん中にいるのが天魔と呼ばれる天狗なのだろう。
「阿求さん、どうかされましたか」
「いえ、少し見ておきたかっただけです。それでは行きましょうか」
名残惜しいが、私は伏と横に並び来た道を引き返すのであった。