大天狗のひとり、大口丸虎と別れた私と伏はそのまま天狗の里をから出てひとまず守矢神社を目指して山道を歩いてゆく。ロープウェイを使えればかなり時間短縮ができるだろう。
天狗の里を出たのはちょうど昼頃だが、全て歩きだと人里に着く頃にはかなり日は傾いてしまうので、できる限りは近道をしたい。
「伏さん」
「伏でいいですよ」
伏は表情こそほとんど変わらないが、声の感じはぶっきらぼうという訳ではなく、むしろ親しみまで感じとれる。かの面霊気と似たような雰囲気だ。
「それでは、私の事も阿求と呼んでください」
「ええ、分かりました。それでは阿求、人里の鍛冶師のところまで案内よろしくお願いします」
呼び捨てなのに敬語なのはなかなか新しい。
「ええ、日が沈む頃になると会えなくなるので少し急ぎましょうか」
彼女の実力は分からないが、少なくともそこらの野良妖怪に負けることはないだろう。
「夜になると居なくなるんですか?」
「ええ、夜は人里から出ていってしまうんです」
「どうして、人間の里に居た方が安全なのに」
「簡単な話ですよ。彼女は人間では無いのですから」
私の言葉に少なからず、伏は驚きを顕にした。
「人間でないということは、もしかして、妖怪ということですか?」
「ええ、目と長い舌のついた紫色の傘を持っているんです」
「あんな感じですか?」
ようやく守矢神社近くの湖、通称大蝦蛙の池に到着した時のこと、確かに、あの特徴的な紫色の傘をさして歩いている何者かの姿が見えた。
子供のような背格好に青色の短髪はかの鍛冶師と特徴は一致しているが、それ以外は全く違う。服は青色のワンピース、そして何より背中に氷柱が6つ、左右対称に羽のように浮かんでいる。
「傘はそうですね。ですがあれは…」
私が彼女の名前を言おうとした時、大蝦蛙の池からぶくぶくと泡が立ち上ったかと思うと、大しぶきを上げて異常なほど巨大な蛙が姿を現した。
そういえば、噂で妖怪の山の池には子供くらいなら簡単にひとのみにしてしまう蛙がいるという噂があった。てっきり子供を山に近づかせないための詭弁かと思っていたがまさか本当だったとは。いや、妖怪が人間の恐怖から生まれたように、この蛙ももしかするとそういう噂から生まれでてきたものなのかもしれない。
「ようやく姿を現したな!!この前の"りべんじ"にやってきたぞ!」
そう言って傘を地面に投げ捨てる氷の妖精。妖精は妖怪と違って自然の力を取り込んで生きている。最近は外の世界からどんどん自然が消えているということで、幻想郷にやって来る妖精も増えているらしい。
「あの妖精が鍛冶屋ですか?」
「いや、多分傘を盗んだのだと思います」
そうこう話しているうちに、早速氷精と巨大蛙の一騎打ちが始まった。
「いくぞっ!パーフェクトぉ〜」
早速大技を繰り出そうと力を貯めていた氷精であったが、巨大蛙の口が少し空いたかと思うと、次の瞬間にはチルノの姿が私の視界から消えた。
「ああーっ!くらいよーだせよ!ひきょーだぞ!」
さっきまでやかましいくらい聞こえていた声が少し小さく聞こえる。それもそのはず、その声は巨大蛙の口の中から聞こえて来たからだ。
大きくても蛙は蛙、あの舌使いは健在である。しばらく口をもぐもぐさせた後、あっさりと氷精を飲み込んだ。
その一連の流れを見ていると、今度は巨大蛙の視線がギョロリとこちらに向いた。
「そこ、危ないですよ」
ほんの一瞬、伏の刀がきらりと光ったかと思うと、間髪をいれずに"カチン"と小気味の良い音がした。そして、体よりも大きな桃色の物体が私の頭の上をクルクルと回りながら掠め、近くの木に当たってべちゃりと落ちる。
暫くは生きているかのようにはねていたその物体が蛙の舌だと理解するのにそこまで時間はかからなかった。
「私がいる限り阿求さんに手出はさせませんよ」
刀を抜いて切って、その後鞘へと収める。この一連の動作を私は全く目で追うことができなかった。
舌を切り落とされた大蛙は逃げるどころか、大きく鳴き声をあげる。その鳴き声は肌がビリビリと震えるほどであった。思わず耳を塞ぐが、鼓膜が破れたかと錯覚するほどの激しい耳鳴りに襲われる。
大蛙は鳴き声を上げてから間を置かず池から私と伏目掛けて大きく跳ね上がった。あんな大きな体に押しつぶされてはひとたまりもない。
耳を抑える私の前にたった伏は、今度は私にも見える速度で刀を抜いて正面に構える。そして、大蛙のヌメっとした腹が私達を押しつぶす直前、伏は上から降ってくる大蛙の巨躯を刀の側面で受け止め、すかさず刀を滑らせて軌道をずらすことで直撃を避けたのだ。妖怪ならではの怪力だけでなく確かな技術を持っていることがよく分かる。
大蛙は逆さまに地面に落ちると、そのままコロコロと転がり、2、3本木をへし折ってようやく止まる。
さすがに危険だと判断したのか、伏がとどめを刺そうと近づいた時、大蛙が突然変な声を上げたかと思うと、立ち上がりかけた体勢のままピタリと動かなくなる。そして、唐突に口の中から大きな氷柱が飛び出してきた。その異様な光景に、私も伏も呆気にとられる。
どうやら氷柱は中空になっているようで、氷でできたトンネルをくぐって例の氷精が現れた。
「全く、アタイを食べるなんてとんでもないやつね」
基本的に妖精はあまり強くない。どれだけ強くないかと言うと、まともに戦えば人間よりも弱いやつの方が圧倒的に多い。
だが、この氷精は別。どうしてかは分からないが、中級妖怪くらいの強さがある。ちなみに烏天狗は上級妖怪、白狼天狗は中級妖怪にあたる。要するに、普通の人間であれば彼女と正面から戦って勝てる確率は限りなく低いということだ。
そんなことを考えていると、氷精は私達の方を向いて、「あーっ!」と声を上げる。
「寺子屋の先生だっ……て、なんでこんなところにいるんだ?」
紹介が遅くなったが、この賑やかなのはチルノと呼ばれている氷の妖精である。普段は霧の湖と呼ばれる違う場所にいるのだが、今日は妖怪の山まで遊びに来ていたらしい。
ちなみに、今のチルノの言葉の意味だが、私は人間の里の寺子屋で教鞭を執っている。奇妙な事に人間に混じって妖精や妖怪もいるが、不思議と今まで大きな問題が起こったことは無い。
「この愉快な妖精とお知り合いですか?」
「はい、彼女はチルノ。妖精の中ではちょっとした有名人ですよ」
伏はここでようやく刀を納めると、チルノの顔をじっと見る。
「知らないですね。ですが、あの大蛙を倒したのは見事です」
「なんだお前、がんとばしやがって。あたいとやろってのか」
「アホさ加減は妖精らしいですが……」
呆れたようにそういうと、チルノに背を向けて私の方へと歩いてくる。
「あたいをバカにしたな!さいきょーのアタイを舐めるな!」
背を向ける伏に攻撃を仕掛けようとするチルノを見て声を上げようとするが、それよりも早く動いたのは伏であった。
攻撃の気配を察して振り向きざまに引き抜いた刀の先は、チルノの喉元でピタリと止まる。
大きく目を見開き、動きを止めたチルノは生唾を飲み込む。
「私は誰であろうとも侮ったりはしません。無益な殺生を好まないだけです」
そう言って、伏は刀を鞘へと戻す。さすがのチルノもその場にぺたりと腰を落とした。
「ああそう言えば」
何気なくかけられた声に、チルノの体がびくりと反応する。伏のことが余程怖いようだ。
「あなたが持ってた傘ですが、あれはあなたの者ですか?」
チルノは首をぷるぷると振る。
さすがに見かねた私は、伏の肩を後ろからとんと叩く。
「伏、それくらいにしておいてあげてください。怖がられてますよ」
ふたりのあいだに割って入ると、へたり込むチルノに目線を合わせる。
「チルノさんも、誰彼かわまずはだめですよ。まあ、それはいいとして、あの傘ですが持ち主に返してきても良いですか?」
「別にいいけど、その為だけにこんなところに来たのか?」
「たまたま見かけただけですよ。ちょうど人里に向かうところだったんです」
チルノは不思議そうに私と伏の顔を交互に見る。
「わかった。あの傘は先生にあげる」
私はお礼を言うと、落ちていた傘を拾い上げる。予定外ではあるが、いい土産ができた。これを取り返してきたのであれば、彼女も私達の依頼を無下にはできないだろう。