伏のことをすっかり怖がってしまったチルノを横目に、何故かチルノが持っていた特徴的な傘を拾い上げる。閉じている時はただの紫色の和傘だが、ひとたび広げると、大きな目とベロんと飛び出した赤い舌が飛び出す。
道草を食ってしまったが、日が落ちるまでに人里へ向かわなければ。そう思った時、耳元で声が聞こえた。
「 うちのケロちゃんをイジメるのはだれ?」
思わず振り返るが、そこにいたのは伏だけである。もちろん、聞こえたのは伏の声では無い。
「どうかされましたか?」
突然に振り返った私を見て、伏が声をかけてくる。今の声、間違いなく聞こえていた。空耳などでは断じてない。
「ひぁっ!」
今度はチルノの叫び声だ。これは伏にも聞こえたようで、ほぼ同時に声の方を見るが、先程までそこにいたはずのチルノの姿がない。
それを確認するや否や、伏は私を担いで近場の木の傍に下ろすと、木と自分の体で私を挟み込むようにして立つ。そして少し姿勢を低くして鞘に手をかける。居合の形だ。人間であっても達人であれば、居合の速度は人間の動体視力を上回る。つまり、見てからの先制攻撃を可能とする技なのだ。
「阿求さん、動かないでください」
伏は鋭く、そして油断なく当たりを警戒する。
静かだ。あまりにも静かすぎる。まるで時が止まってしまったかのような静かさである。風の音も、子鳥のさえずりもすっかり消えてしまった。
私は戦いが得意ではないが、ナニカが居るということは肌で感じることかできた。それほどまでに空気が一変したのだ。
次の瞬間、私達が確かに立っていた地面がまるで液体かのようにドロリと溶けた。伏もまさかの事態に私と一緒にみるみるうちに沈んでいく。チルノが消えたのもこれかと理解したが、どうすることもできない。そして腰あたりまで沈んだところで地面は再び元の固さを取り戻した。
完全に身動きが取れなくなったところで、先程耳元で聞こえた声がどこからともなく聞こえてきた。
「ごめんねー。普通に出てきたら切られちゃいそうな雰囲気だったからさ」
目の前の地面がゆらゆらと揺れて波紋が現れたかと思うと、そこからひとりの少女が現れた。湖から出てくる女神のような登場だ。
私は彼女のことをよく知っている。女神のようだと表現したが、紛れもなく彼女は神である。まあ、神は神でも祟り神ではあるが。
「洩矢神!?」
伏が真っ先に反応する。山に住んでいる者ならその存在を知らないはずは無い。
見た目こそ、大きな目がふたつついた変わったバケットハットを被っている幼子だが、その正体は妖怪の山に住む神の一柱、洩矢神こと洩矢諏訪子である。
「ええと、人里の物書きと大天狗の付き人か。珍しい組み合わせだね」
身動きの取れない私たちの前にしゃがみこむと、諏訪子は楽しそうに笑った。
「諏訪湖様、お久しぶりです。ひとまず出していただけないでしょうか?」
以前、少し面識があったので、そこまで緊張することなく私はそう言うことができた。
「いいよ。伏君も何もしない?」
「は、はい」
なにか引っかかることを言った気がするが、再び地面が柔らかくなったかと思うと今度は体が勝手に上がっていき、完全に地面から抜けた。地面の中に埋まっていたはずなのに、服には砂粒ひとつ付いていない。
チルノがどうなったか気にはなったが、今聞くのは野暮だろう。仮に生き埋めになってたとしても、まあ相手は妖精だ。どうせ明日にはピンピンしている。
「洩矢神様、知らなかったとはいえ、刃を向けることとなり申し訳ございません」
「いや、いいよ。驚かせた私も悪かったからね。それより何しに来たの?妖怪退治……なわけないよね」
「人里に行く途中だったんです」
私がそう答えると、諏訪子はなるほどと頷いた。
「天狗の住処から来たんだね。うん、せっかくだから神社に寄っていってよ。ロープウェイがまた動き出すまで少し時間あるかね」
「良かった、動くんですね。壊れたので心配していたんですよ」
「もうほとんど直ってるよ。というか、壊れたのよく知ってるね」
「まあ、私その時乗ってましたから」
「よく生きていたね」
諏訪子は少し驚いた様子でそう言った。
「じゃあお詫びという意味も込めて、ロープウェイが動くまでゆっくりしていくといいよ。さ、ついてきて」
完全に諏訪子のペースであるが、どうせ元々目的地としていたのだ。私と伏は顔を見合わせると、諏訪子のあとへ続いて歩いていく。
本来、池から守矢神社までは歩きやすい道を選ぶとそこそこの距離があるが、諏訪子が通った場所は木や薮が左右に別れ、守矢神社に向かう真っ直ぐな道となっていく。少し後ろを見ると、私たちが通った後は元の通り私の背丈ほどもある草が生い茂っており、とても通れたものでは無い。
意外と足のはやい諏訪子においていかれないように歩いていると、程なくして守矢神社の鳥居の真横へとでてきた。
「多少は時短になったでしょ?お茶くらいなら出すよ。早苗が」
思わずくすりと笑ったところで、竹箒を手にした緑髪の巫女が神社の方から歩いてきた。カエルの顔を模した髪飾りと白蛇の髪留めが特徴的だ。少々尖った格好ではあるが、その装飾はそれぞれ守矢神社にいる2柱の神を暗示している。
彼女の名前は東風谷早苗。この守矢神社の巫女であり、現人神でもある。外の世界出身ということもあり、幻想郷では悪い意味で常識に囚われておらず、存在感を発揮することも多い。
「諏訪子様、お帰りですか。って、伏君じゃないですか!大きくなって……はないですね。ちびこいままです」
「余計なお世話です。というか、早苗さんも私とあんまり身長変わらないですよね」
早苗は嬉しそうに伏の頭をわしゃわしゃと撫でる。伏は嫌そうな顔をしながらも特段抵抗はしない様子だ。
諏訪子も早苗も、伏とは知り合いのようである。それよりも先程からふたりは伏ちゃんではなく、伏君と呼んでいるのはなぜだろうか。そう思った時にはもう口からその疑問が漏れていた。
「どうしておふたりは、伏君って呼ぶのですか?」
この質問に、早苗は伏の頭を撫でながら口を開く。
「この子、男の子ですよ。髪長くて可愛らしいから女の子に見えますけどね」
「わざとやってるんです。この姿の方が相手が油断するでしょう」
まあ、元々は獣で人型の方は変化した姿なのでその辺は本来の姿とはまた違ったものなのだろう。そう思った矢先、それを否定することを諏訪子が言い放つ。
「嘘ばっかり。私知ってるよ。まだオオカミだった頃、雄から求愛されてたらしいじゃん」
「な、なんでそんなこと知ってるんですか!?」
「適当に言ったんだけど当たってたみたいだね」
にししと笑う諏訪子に、伏は不満そうな表情をする。さすがに神相手に怒ることはしないようだ。
「諏訪子様、からかうのは程々にしてください」
まるで親のように諏訪子のことを叱る。立場的には早苗は諏訪子、もとい神に仕える身ではあるが、隷属していると言うよりかは、お世話をしていると言った方が近いだろう。
「そうだね。さ、本殿へは私が案内するよ。早苗はお茶準備しといて」
「分かりました。諏訪子様、粗相のないようお願いしますよ」
「はいはい。それじゃ2人とも行くよ」
そう言って、ご機嫌に軽くスキップでもするかのようにぴょんぴょんと境内へ入っていく諏訪子の後ろに続いて、私と少し不満気に見える伏が続く。
「私てっきり女性かと思ってました」
「すみません、騙すつもりはなかったんです」
「ちなみに、虎さん……大口丸様は女性だったりしません?」
伏はしばらくキョトンとした後でくすくすと笑った。そして、一通り笑い終えるとひとつ咳払いをする。
「すみません。想像したら我慢できませんでした」
その様子からすると、女性という訳ではなさそうだ。もしかすると、性別が見た目と合わないコンビかと思ったが、そういった訳ではなさそうである。
「大丈夫です、大口丸様はしっかり男性ですよ」
「それを聞いて安心しました」
「なになに、私抜きで楽しい話?」
前を歩いていた諏訪子がくるりと体を反転させてこちらを見てきた。気がつくと、本殿の賽銭箱の前であった。
「いえ、私が変な質問しただけです」
「ふうん、まあいいけど」
諏訪子は賽銭箱の横を通って奥の扉の前に立つ。すると、触れてもいないのに扉がスルスルと開いた。
「ほら、上がりなよ。神様の私室に入れることなんてなかなかないよー」
少し躊躇したが、当の本人が良いと言ってくれているのだから良いのだろう。
私と伏も賽銭箱の横を通り抜けて階段を上がる。そして、本殿の中を覗き込むとそこには思いもよらぬ先客がいた。
「おお!阿求殿。ご無事でしたか」
私のことを見るなり、髭面の男は笑顔を向ける。
本殿にいたのは、里から勝手に着いてきた沼田。そして、はぐれてしまっていたヒョウであった。