私がヒョウの絵をしまって戻ってくると、机の上の漂はクルクルと自分のしっぽをおいまわしていた。ヒョウの体長は10cm程だが、体長の半分くらいがしっぽである。そのせいもあってすぐに自分のしっぽを捕まえると、それとじゃれあい始めた。
さて、可愛いさは申し分ないのだがこの後ヒョウをどうするか決めなければならない。私個人的な感想としては飼育を行いたいが、未知の生物の飼育などそう簡単にはいかないだろう。
自分のしっぽをおもちゃにしているヒョウを眺めながら考えていると、部屋の扉がからりと開いた。
「阿求さま、ご昼食です」
そう言って入ってきたのは、本日のお世話係の少女であった。朝あんなことがあったのだから、少し気まずそうにしている。そんな少女を少しでも安心させようと私は彼女に笑顔を向ける。
「いつもありがとう」
「は、はい。それではお食事をここに置いておきますね」
少しは私の気持ちが伝わっただろうか。そんなことを思いながら、襖を閉め忘れてパタパタと駆けていく少女を見送る。別に隠すつもりも無かったのだが、机の上にいたヒョウは私に隠れて彼女には見えていなかったのであろう。あの少女がヒョウのことを見て顔色を変えないことなど考えられない。
置かれっぱなしの食事を持って部屋の中央辺りに座ると、そこへヒョウが駆け寄ってきた。そして、お膳の上にぱっと飛び乗ると、盛られていた生の人参をひとつだけ素早くとって床へと降り、それをポリポリと食べ始めた。
見た目からして肉食なのかと思っていたが、草食のようだ。いや、雑食なのか?どちらにせよ野菜ならばうちで作っているものもいくつかあるので、いざ飼うとなっても餌には困らなさそうである。いざ肉が必要となってもこの体だ。大して量はいらないだろうし、いくつか私の分をあげればいい。
まだ私の皿の上に残っていた細く短冊状に切りそろえられている人参を床へ置く。すると、早々に1本目を食べ終えたヒョウは、次の人参に手を伸ばしてまた食べ始める。
「おや、お食事中だったかの?」
突然のその声に振り向くと、そこには着物を着た女性がいた。度の強そうな丸メガネをかけた彼女は、食事中の私をみても顔色を変えることなく、開けっ放しであった襖からそのまま部屋に入ってきた。
「開けたら閉めてくださいね」
「いや、元々空いておったのじゃが」
「そうだったかしら。まあ何れにせよ、なにか話があるのでしょう?だったら開けっ放しという訳にもいきませんよね」
「稗田のお嬢様には敵わんのお」
頭をかきながら、回れ右をして襖を閉めた後その女性は食事をとっている私の正面に座った。
「それで、ご要件の方はなんですか。化け狸のマミゾウさん」
「はて誰のことかの?私は普通の里のお姉さんじゃぞ」
「この屋敷も無防備ってわけじゃないのよ。普通の客がひとりで、それも私の部屋に来られるわけないじゃない」
返事をする代わりにマミゾウはカカカと笑った。一見すると人間に見えるが、目の前にいる彼女、二ッ岩マミゾウは化け狸の頭領なのである。私自身、彼女が狸であると知ったのはごく最近のことである。
妖怪が真昼間から人間の前に姿を現すことはほとんどないが、こうして人間に溶け込むことができる妖怪も一定数おり、そういった者達は人間社会に紛れ込んで生活していたり、普通に買い物をしていたり、店をやっていたりもする。
「ほう、これはこれはまた珍しいものを飼っておるの」
「この子がなにか知ってるの?」
ヒョウは人参をあらかた食べ終えおなかいっぱいになったのか、少しうつらうつらしていた。
「結構珍しい妖獣じゃからの。儂も生態とかはあまりしらんで期待しないでおくれ」
「妖獣なのね」
「なんじゃ、それすらも知らずに飼ってたのか」
「今朝部屋にいたのを見つけたのよ」
「妖獣が人里におりてくるとは珍しいの」
人間が生活している区域を、幻想郷の住人は"人里"と呼ぶ。幻想郷にある人里はひとつだけで、幻想郷に住むほぼ全ての人間かここで暮らしている。人里から1歩外に出ればそこは妖怪が跋扈する危険地帯。普通の人間なら半日と持たず妖怪の腹の中に入ることになるだろう。
幻想郷を作ったのは1匹の大妖怪だが、その妖怪は人間の重要さを分かっていた。人間たちの畏怖や想像力がなければ、自分たち妖怪は存在できないのだ。たからこそ、妖怪から人間を守るために設置された安全地帯を意図的に作ったのだ。外から見れば妖怪に飼われているようなものだが、住んでいる側からすれば快適なので別段文句は無い。
「危険な子じゃないんでしょ?」
「うむ、特に危害は加えないから心配しなくていいぞい」
それを聞いて安心した。それならここで飼っても問題は無い。変な混乱を防ぐためにも家の者にはできる限りヒョウの存在を伏せておく必要はあるものの、問題にはならないだろう。
それっきり会話は一旦止まり、マミゾウは私が食事を終えるのを待っていた。そして、私が食事を終えてすっかりぬるくなってしまった茶を飲んでいると、話を切り出した。
「そろそろ本題に入っていいかの?」
「そういえばなにか用事があっていらっしゃったのでしたね」
マミゾウは懐から"文々。新聞"と書いてある新聞を取りだした。文々。新聞は、妖怪が作っている新聞で、人里でも手に入れることができる。
マミゾウが新聞の1面を開くと、そこにはでかでかと"妖怪辞典の信憑性やいかに!?"と書かれた見出しがあり、思わず茶を吹き出しそうになった。
「私こんなの書いていいって言った覚えないんだけど」
「それは儂に言われてもこまるぞい。儂が書いてるわけじゃないからの」
内容を読み進めていくとそれはそれは酷いものであり、最後はこんな文で締められていた。
『……このように、私からみると正しくない情報が混ざっているように思える。稗田阿求は本当に妖怪のことを知っているのだろうか。確かに正しい記載もあるか人間の勘違いや早とちりといった不確かな情報も混ざっている。今後もこの件に関しては調査を進めていくこととする。』
「なによこれ!」
怒りながらも、端に小さく載っている日付に目をやると、それは明日のものであった。
「……まだ発行されてないのね」
「うむ、一応阿求殿の目に入れておこうと思っての」
「差止めよこんなの。差し止め」
発行者と書かれた場所をみるとそこには案の定、射命丸文と書かれていた。
射命丸文は人里から少し離れた山、通称妖怪の山に住む妖怪のひとりで、文々。新聞の発行を行っている烏天狗だ。彼女の書く新聞は8割が嘘っぱちだが、人里の外のことも扱っているので人間には一定の人気がある。つまり、ある程度の影響力があるわけだ。
「ふむ、それじゃあ儂が言っといてやるかの」
「私も連れていってよ。文句ついでに話を聞きたいわ」
「里の外の危険度を知らないお主じゃなかろうて」
「あなたがいれば大丈夫でしょ」
私がそう言うと、マミゾウは困ったように頭をかいた。
マミゾウも私がただ純粋に文句をいいたいがために里から出たいと言ってる訳では無いと思っているのだろう。全くもってその通りだ。人里から出て妖怪の調査をする良い口実を手に入れられたのだ。しかも狸の頭領という護衛付き。こんなチャンス逃す訳にはいかない。
「人間を連れ回していることがバレたら怒られるのは儂なんじゃぞ」
「あら、それを言ったらあなたが里に入るのもルール違反じゃなくて?」
先述した通り、人里は人間のための場所だ。基本的に妖怪は立ち入り禁止である。それは幻想郷の決まりのひとつであるし、それを破るということはそれ相応の罰を受けても文句は言えないということだ。
「それを言われると辛いのお」
「それにこれは私の沽券に関わることですから。無関係で終わるわけにいかないわ」
「……まあ、文屋に会わせるくらいならいいじゃろうて」
心の中でガッツポーズをしたが、それを顔に出すことはしない。表情を変えることなく立ち上がる。
「それでは行きましょうか」
「身代わりでも立ててやろうか?お主そっくりに化けられるやつもおるしの」
「ばれたらそれこそ大問題になりますよ。下手なリスクを背負うのは、私にとっても、あなたにとっても良くないですからね」
「ふむ、まあその通りじゃの」
さっきの騒ぎですっかり目を覚ましてしまったヒョウの前に手を置くと、ヒョウは私の手の上にぴょこんと飛び乗った。
「なんじゃ、連れていくのか?」
「置いていくわけにはいかないでしょ」
空いている反対の手でヒョウの頭を撫でて顔を上げるとそこにマミゾウの姿はなかった。何に化けているのかは知らないが、そのうち姿を現すだろう。
マミゾウのことはとりあえず置いておき、部屋から出て誰もいない廊下を玄関へ向けて歩く。玄関あたりに来てようやく家の人と会った。年は60を超える古参の使用人で、私を見ると掃き掃除の手を止め、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑った。
「阿求様、お出かけですか?」
「ええ」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
そう言いながら彼女は玄関の扉を開けた。見えているはずなのにヒョウには触れない。まあ、そもそも彼女はそういう人である。良くも悪くも私のしていることに不干渉なのだ。それでも気は利くし、ふとした時の話し相手にもなってくれる。
「帰りが遅くなるかもしれないけど心配しないで」
「分かりました、皆にも伝えておきます」
こういう時にも、出かける要件を根掘り葉掘り聞かれないのは私としてもありがたい。まさか人里の外に出るなど屋敷の人間に言えるわけが無い。
「よろしくね」
そう言い残して、私は屋敷から出た。寒くもなく暑くもない程よい気温も相まってか、外には多くの人がいた。このまま普通に人里の外に出たら、屋敷の人の耳にも入る。それに…
「ちちっ」
ヒョウは楽しそうに私の左右の肩を行ったり来たりしながら、ご機嫌に喉を鳴らす。その姿は道行く人々の注目を集めてしまっている。仮に顔を隠したとしても、これではすぐに私だとばれてしまう。
特に善い作戦もなかったので、とりあえず友人の小鈴に会いに行くことにした。周りにばれずに外に出る方法は、マミゾウが考えてくれるだろうと思ったからだ。加えて、私の身に何か会った時の保険もかけておかねばならない。小鈴は店を営んでおり(正確には、小鈴の両親の店なのだが)人里には珍しく妖気や魔力持つ本、いわゆる妖魔本を置いている貸本屋だ。人間だけでなく人外の者も頻繁に訪れるその店の名前は『鈴奈庵』という。