大通りから少しだけ外れて少し細い道に入る。誰も何も言ってこないが、道行く人の視線を感じる。ただでさえ目立つ稗田家の家長が見慣れない動物を肩に乗せて歩いているのだから当然のことだ。
私が入ったその道は、大通りほどでは無いとはいえ程々に広く、茶屋や陶器屋などの店が立ち並んでいる。その中のひとつに『鈴奈庵』と筆文字で書かれたのれんをかけている店がある。店名だけだと分かりにくいが、鈴奈庵はいわゆる貸本屋だ。店自体は狭いがその取り扱う本の種類は多彩で、小説はもちろん、新聞、画集、外の世界の本、更には、一般人向けには公開していないものの、妖力や魔力のこもっている妖魔本と呼ばれるものまで置いてある。有名なところだとネクロノミコンもあるらしい。もっぱら、そういった強力な書物は原本ではなく、写しと呼ばれるコピー版で原本ほどの力は持ってないのだが、時たま本当に危ないのも混ざっている。
少し重たい入口開けるとまず気がつくのは古い紙の匂い。そして、蓄音機なるものから発せられる外来の音楽だろう。割と頻繁に来ているが、流れているのはいつも同じ曲だ。
そんな店の奥では、この店の看板娘である赤毛の少女が店番をしていた。もっとも、店の中には誰もいないのでいつもの机で本を読んでいる訳だが。
私が入ってきたことに気がついた彼女が読んでいた本から顔を上げると、髪留めについているふたつの鈴がリンと鳴った。
彼女の名前は本居小鈴、私の数少ない心を許せる友人だ。この店は小鈴の両親が経営する店であり、自然と小鈴もこの店で働くことになっていたらしい。
「あら、アガサクリスQ先生じゃない。新刊の発表かしら?」
「今日はそっちじゃないのよ」
「あら、それじゃあ歴史書の方かしら。稗田阿求の方はあんまり人気ないのよね」
アガサクリスQは小説を書いている時の私のペンネームである。ありがたいことに結構見てもらっているようで、新刊を出した時は鈴奈庵がちょっとした賑わいを見せる。
ひとりが通るのがやっとの店内を進み、小鈴の前までたどりつく。散らかっている訳ではなく、本棚を並べる間隔が狭いのだ。
「余計なお世話よ。ちょっと話があって来たの」
「それはいいけど、まずその肩に乗ってるのはなに?」
とりあえず私の話よりも、肩にいる見慣れない生物に興味があるようだ。
ヒョウを机にそっと下ろすと、物珍しそうに小鈴を見つめて2、3度目をぱちぱちさせた後、挨拶でもするように「チィ」と鳴いた。
「かわいい!」
小鈴は撫でようと思ったのか手を伸ばしたが、あっさりと躱されてしまう。そのままヒョウは机の上から私に飛び移り、また肩へと戻る。
「何よ阿求ばっかり」
「いや、私に言われても。なんでこんなに好かれてるのか分からないし」
しばらく羨ましそうに見てきた小鈴だったが、諦めたように両頬に貯めた空気を吐き出した。
「今日はどうかしたの?」
「小鈴にお願いがあってね」
「何か事件?」
小鈴のその口調は、心配そうに、というよりかはどこか楽しげだった。
「正確には事件を未然に防ぎに行くのよ。それで、今から私里の外に出かけるから、家の人が心配してたら教えてあげてって頼みに来たの」
「大丈夫なの?」
「多分ね。あと、行先は妖怪の山よ」
「守矢神社、なわけないわよね。それならわざわざ私に言いに来たりしないもの」
守矢神社は妖怪の山の中腹辺にある神社のことで、普通の妖怪は近寄ることさえできない、人里以外での数少ない安全地帯のひとつだ。そこには3柱の神がおり、ひとりは天を創り、ひとりは大地を創り、もうひとりは神の十八番ともいえる奇跡を司る。
神社はそう簡単に行ける場所では無いが、それでもこの人間達からは根強い信仰を得ている。まあ、私は別の神を信仰しているのだが。
「ええ、ちょっと天狗に用事があってね」
小鈴は少し考えたようだったが、すぐにため息をついた。
「本当は止めたいところだけど、どうせ阿求のことだから考えはあるんでしょ」
「話が早くて助かるわ」
「止めはしないけどさ」
そう前置きした小鈴は店内を見渡す。私が入る前も入ってきてからも誰も店にはいない。そのことを確認した小鈴は少し小さな声になる。
「急ぎじゃなかったら、明日の朝に天狗が来るからその時でもいいんじゃない?」
小鈴の指さす方を見ると、入口の近くに『文々。新聞』とタイトルのついた新聞が積まれていた。じつは、ここ鈴奈庵は人里で唯一妖怪の書く新聞を扱っている場所なのだ。
「明日じゃ間に合わないのよ」
私がそう言うと、小鈴は納得したように頷いた。
「ああ、文さん関連ね」
射命丸文がトラブルメーカーなのは、彼女を知る人なら皆理解している。彼女の作る新聞はいつもいつも過激なのだ。
「お察しの通りよ」
「妖怪の山方面と言えば最近変な噂を聞くから、気をつけてね」
「変な噂?」
「知らない?賊が出るって話しよ」
全くの初耳だ。あまり引きこもっているのも考えものである。私の反応を見た小鈴は知らないと理解したようで、話を続ける。
「里の外で人が襲われる事件が多発してるのよ。しかも逃げ帰ってこれたのは少しだけ。残りはほとんど行方不明」
「今に始まったことじゃないじゃない」
「犯人が妖怪ならね。今回のは人間だって噂よ。狐の面をつけているらしいけど」
なるほど、それは珍しい。とはいえ過去に全くなかった話では無い。
「そう。まあ、今回に限ってはだけどそこまで問題にならないわね」
「優秀な護衛でもいるの?」
小鈴のその言葉に頷いた時、鈴奈庵の入口の扉が開いた。振り返るとそこには人間に化けたマミゾウの姿があった。
先程、家にやってきた時と服装が変わっていた。一見するとどこにでもあるような着物だが、少しでも着物を知っている人なら、それがかなりの上物だとすぐにわかるだろう。
「そろそろ行くぞい」
マミゾウのその言葉に、小鈴は合点のいったようにクスリと笑った。
「あのヒトが護衛?」
「ええ、安心でしょ」
マミゾウはここ鈴奈庵の常連客である。それも妖魔本を見に来るほうの客だ。当然小鈴もその正体が人間でないことを知っている。
「探したぞい。すぐに里を出ると思っていたからの」
「勝手にあなたがいなくなったんでしょう?」
「まあまあ、お主が妖怪の山に立ち入る許可を取りに行かせる必要があったでの。ちとお使いをお願いしてきたんじゃ」
そう言ったマミゾウは、緑色の木の葉を懐から取り出すと、私の頭にちょこんとのせた。
「それじゃあ小鈴殿、また本が入荷したらお邪魔するぞい」
「え、ええ、お待ちしております。それはいいんですけど阿求はどこへ?」
私はその場から1歩も動いてないのに、まるで私が消えたかのような発言だ。どうやら冗談ではないようで、キョロキョロと辺りを見渡す小鈴と目が合わない。
「目の前におるぞ。ほれ」
頭に乗っている木の葉が取り上げられた瞬間、小鈴と視線が合う。
彼女のまん丸く見開かれた目と、なにか話そうとして言葉の出ないまま半開きで固まった口は、驚きのお手本のようなものだ。そして、きっと私もそう違わない表情をしているのだろう。そんな私たちを見てマミゾウは「かかか」と笑った。
「なに、ちと認識しづらくなるまじないをかけとるたけじゃ。阿求殿が里を歩いてるだけでも珍しいのに、その子と一緒にいるとなると目立って仕方がない」
その子とは、ヒョウのことだろう。確かにここに来る間だけでもかなりの注目を浴びていた。再び頭に木の葉が置かれる。
「またいい本が手に入ったら教えとくれ」
「ええ、今後ともご贔屓によろしくお願いします」
私はマミゾウに続いて店をあとにする。頭の上に乗せているだけの木の葉は不思議と安定しており、落ちる気配は無い。
また大通りに戻ってくるが、今度は視線を感じることは無い。肩に珍獣を乗せた稗田家の当主が注目を浴び内など普通はありえないので、本当に私の存在を見つけられていないのだろう。
ふと私の中で、声をかけたり触ったりしたらどうなるのだろうかという疑問が浮かぶ。ちょっと試してみようと思い、それを実行に移そうとする矢先。
「あくまで認識しづらくしてるだけじゃから、目立つことをするとばれるぞい」
横を歩いていたマミゾウが前を向きながらひとりごとのようにそう言った。いくら化け狸の頭領とはいえ、心を読むことはできないだろう。私が動く気配を感じとったのか。それとも私の性格からしてそろそろ何かやるかと思ったのか。
亀の甲より年の功というが、やはり生きている年数が長いとそういう直感と言うべき感覚も養われるのだろうか。だけど、何度か転生を繰り返してかれこれ合計200年近くは現世にいる私だが、そういったものはからっきしである。性格が問題なのか、はたまた死ぬと直感は戻ってしまうのだろうか。
「お姉さん、ここから先は外だぜ。明るいとはいえあんまり女ひとりで外を出歩くもんじゃないぞ」
外へ出る門に近づくと、見るからに屈強そうな男が横から声をかけてきた。余程鍛えているのか、腕は私の足ほどの太さがある。ただ、着ているものも着こなし方も品があるとは言いがたい。無駄に飾りっけのある刀を腰にぶら下げていることを見ると、お金が無いわけではなく、ただそういったことに無頓着なのだろう。こういう人種は2番目か3番目に嫌いだし、信用ならない。
人里は妖怪の侵入を防ぐために高い木製の壁でぐるりと囲われており、里の外に出るには東西南北それぞれひとつづつある門を通らなければならない。だったら彼は門番なのだろうと思う人が多いと思うが、それは違う。そもそも里の門に門番などいないのだ。では、いったい何かと言うと。
「大丈夫じゃ。守矢神社まで行くだけじゃからの」
「いやいや、1歩外に出たらいつ妖怪に襲われるか分からないぞ。それこそ、護衛が必要じゃねえか?」
まあ、こういうことだ。何年経ってもこういう奴は居なくならない。ただ商売としてやっているのならまだいいが、あまりにも胡散臭すぎる。
そもそも護衛が必要ならば外に向かう前に依頼するだろう。外に出ようとした直前に護衛を依頼する阿呆はそういない。
「間に合っておるぞい」
「そうか、まあ気をつけな。襲ってくるのはなにも妖怪だけとは限らんからな」
そう言った男の口角が少し上がるのを、私ははっきりと見た。