自称護衛の男は、私たちが雇う気がないことを知ると案外あっさりと引き下がり、どこかへ歩いていった。こういう奴はしつこいことが多いが、なかなかに珍しい。
外に出ると門から一本のあぜ道がずっと続いており、道の先には幻想郷でいちばん高い山がそびえている。今日はかなり天気が良いが、山のてっぺんには白く分厚い雲がかかっていて、下から頂上の様子を見ることはできない。あの山こそが妖怪の山と呼ばれる山で、この道を1時間ほど真っ直ぐ歩いていけば麓に着く。
「ほら、行くぞい」
マミゾウは私の頭に乗っていた木の葉をつまみ取ると、度の強そうな丸いメガネをくいとあげた。
山に向かう道は上りではあるが、かなり緩やかなので歩いていてそこまで苦ではない。季節が春ということもあり、気温も丁度よく良い散歩日和だ。
里にいる間ずっと私の肩の上に乗っていたヒョウも、門から少し離れた所で私の肩からぴょんと飛び降りると、嬉しそうに走り出した。
どこかに行ってしまうのかとも思ったが、少し距離が離れたところで、足をピタリと止めるとこちらへ振り向いて私達が追いつくのを待っている。そして追いつくとまた少し走り出す。追いかけっこでもしているみたいだ。
「楽しそうじゃの」
「あら、分かる?」
「あんまりはしゃぐと天狗の里まで持たんぞい」
確かにマミゾウの言う通りだ。まだ里を出発したばかりだ。これから山登りが待っている。そういえば、いつもの癖で
いや、屋敷を出る時点で草鞋を履いていては、私は今から遠出しますと言っているようなものだ。やはり草履で正解だったのだろう。
「阿求殿」
履物のことを考えていたところ、横にいたマミゾウが私の腕を掴んで止めた。
見ると、少し前を進んでいたヒョウも足を止めて、道の脇にある木が数本密集している場所をじっと見つめている。
「何かいるの?」
「ふむ。木の影に3匹、人間じゃ」
「噂の賊ね。見事に餌に引っかかったってわけね」
「なんじゃお主、気づいておったのか?」
「気づくも何も、いかにもお金持ちですみたいな格好していたので、いやでも分かりますよ」
人間に化けたマミゾウは、一級品の着物を着ていることに加えて、頭には黄金でできているだろう髪飾りも刺さっている。そして、糸のような細い縁のメガネには、細かな模様が描かれており、着物だけでなく、小物でさえもありふれたものでないことは一目瞭然だ。
「うむ、悪いことするやつは懲らしめてやらんとの」
そういったマミゾウは、道を真っ直ぐに歩いていく。おそらく大丈夫だが、念の為私はマミゾウの1歩半引いたところを歩く。
少し先を行っていたヒョウも私の方へ駆け寄ってくると、体をよじ登り肩の上に納まった。
「人里の外で女ふたり旅とは、ちと危機感がないんじゃないか?」
木の影からひとりの男が現れる。狐の面をつけているものの、妖怪には見えない。
身なりも普通、一見武器も持っていない。狐の面を除けば特に変なところは無い。面のせいで顔は分からないが、声と背格好から推察するに30代前後だろう。
「そういうお主らは腕に自信があるのかの?」
マミゾウのその言葉に狐面の男は一瞬沈黙したが、すぐに「ははは」とわらった。
「なるほど、護衛をいらないと言うわけだ。おい、お前ら」
男がそう言うと、ふたりの男が木の影から出てきた。マミゾウの言っていた通り、きっかり3人だ。隠れていたふたりも面を被っており、その手には刀が握られていた。既に鞘から抜かれている状態から見るに、そういうことだろう。
あとから出てきた男のうちのひとりが、私の方を見てあっと小さく声を上げる。
「あれって稗田家のお嬢じゃねえか?」
3人の視線が一斉にこちらに集まる。面のせいでその表情は見えないが、動揺はうかがえる、
「ええ、その通りよ。お面を被っているけれど、声、背丈、指の形まで全て覚えたわ。里で次に出会う時が楽しみね」
「次に会うことがあればな」
リーダーらしき男がそういうと、後から出てきた男のうちのひとりが刀を振り上げて私に襲いかかる。だがその凶刃が私にあたる直前、マミゾウの煙管がそれを受け止める。おそらく懐に入っていたのだろうが、全く取り出す瞬間が見えなかった。魔法のようにその手の中に現れたのだ。
あんな細いものが刀を受け止めたことも驚きだが、それ以上に大の男が全力で振り下ろした刀を片手でピタリと止めたマミゾウの腕力に驚愕する。人の形をしていてもそこは妖怪なのだろう。
「ふむ、次に会うことか……確かにないのお」
賊も弱い訳では無いようで、受け止められたことを悟ると、すぐに標的をマミゾウへと変更した。割と素早い攻撃だが、その全てをマミゾウは1歩も動くことなく煙管で捌いていく。
「しゃあねえな。おい、お前はあの女だ。俺は稗田をやる」
リーダーらしき男が懐から玉のようなものをふたつ取り出す。それをマミゾウは目の端で捉えたようだが、リーダーらしき男とマミゾウは3歩以上離れている。その企みを防ぐことはかなわない。私がそう思った次の瞬間だった。
マミゾウは先程まで全て受け止めていた刀を唐突に避け、バランスを崩した男の襟首を掴んだ。
「ほい」
軽い掛け声と共に、マミゾウは男を小石でも扱うように少し離れた賊ふたりに向けて投げる。それは見事に両方の賊に命中した。3人は折り重なるように倒れる。マミゾウにとって、普通の人間など文字通り等しく路傍の石なのだろう。
それを確認したマミゾウはゆっくりと賊達へと近づく。そして、手の触れられる位置まで来たその時だった。
パンッ!
激しい爆発音と共にマミゾウのいた辺りが濃い白煙に包まれる。
「しまった!」
白煙の中からマミゾウの声が聞こえたかと思うと、リーダーらしき男が私へ向かって白煙の中から飛び出してきた。いつの間に抜いたのか、手には小刀が握られている。
どうやら本当に命をとるつもりらしい。マミゾウはまだ白煙の中におり、現状私は絶体絶命のピンチと言ったところだろうか。
一応私も武芸の心得はある。だが、女性の体というのは存外動きにくいものだ。それでも黙ってやられるほど私もお人好しでは無いし、人間に殺されるのはつまらない。
迎撃態勢をとる私の顔の横を白いものがかすめた。その正体は肩に乗っていたヒョウだ。ヒョウは男の顔に取り付き、視界を奪う。男の足が止まったのを見て、好機だと思った私は自ら男に走り寄ると、その無防備な股間を思い切り蹴り上げた。
ヒョウのせいで視界を失っていたことと、まさか私から攻撃してくると思っていなかった男はまともにそれを食らう。過去、男だったこともあるのでこの痛みはよく分かる。顔にヒョウをくっつけたまま男は両手で蹴られた場所を庇いながら膝をつく。仮面をしていて顔は見えないが、どんな表情をしているのかは容易に想像つく。
そんな男の背後、延髄の辺りを手早く男ふたりを片付けたマミゾウが煙管で殴ると、そのままリーダーらしき男は気を失いその場に顔から倒れた。顔に取り付いていたヒョウは下敷きになる前に離れて私の元へと駆け寄り、腕を伝ってまた肩へ収まる。
「ありがとう、助かったわ」
ヒョウが乗っている方と反対の手で胡桃のように小さな頭を撫でる。
「随分と仲良しじゃの」
「マミゾウもありがとう」
「ちと油断したわい」
そう言って頭を搔くマミゾウの背後では、どこから出てきたのかは分からないが、複数の狸が気絶している賊を運んでいた。
「その人たちどうするの?」
「ん、気になるかの?」
「ええそれはもちろん」
「んー。まあ端的に言うなら喰う。もちろんたっぷり恐怖を与えた上でな。肉も恐怖心も人間は最上の糧じゃ」
マミゾウは当然かのようにサラリとそう言った。まあ、その回答は想定の範囲内であったのだが。
「妖怪らしいね」
「妖怪じゃからの」
「それもそうね」
「なんじゃ。やけにあっさりしてるのお」
「私が書き記せるのはここまでだからよ。連れていかれた人間がどうなるかは書物に書けないし、私自身知るつもりもないわ」
「どういうことじゃ?生きたまま指先から齧られていったって書いた方が恐ろしさが伝わるのではないか?」
「あんまり全部書くと対策本みたいになるからダメなのよ」
「ふむ、肝要なところはぼかす。それも大事なことよの」
「そういう事」
「それで、どう言った話になるんじゃ?」
「旅の少女がたぬきに助けられた話かしらね。多少は脚色するけど、そこら辺は変えないわ」
それを聞いたマミゾウはニヤリと笑った。
「ふむふむ、それはいいのぉ。狸の株が上がりそうじゃ。外の世界の言葉で言うと、狸と人間のはぁとふるすとーりーってところかの」
上機嫌なマミゾウと話していると、人里の方向からこちらに駆け足で向かってくる人間が見えた。近づいてきたところで、人里の出口で話しかけてきた胡散臭そうな自称護衛だとわかった。
男も私たちに気がついたようで、少し駆け足の速度を上げて高そうな刀を腰でカチャカチャと言わせながら私たちの方へ真っ直ぐ駆け寄ってきた。