幻想郷放浪記   作:もみじ 

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ビダル神

 何か生暖かいものに頬を撫でられる間隔で目覚める。まだぼうっとする頭で見ると、肩に乗っているヒョウが私の頬を舐めていた。

 ひとまず助かったようだ。現状確認のために辺りを見渡すと、いつの間にか守矢神社と彫られた灯篭を背もたれにして座っており、そのすぐ横にはまるで鬼にでも踏み潰されたかのようにぺしゃんこになったゴンドラの姿があった。ちょうど守矢神社までの登山道に落っこちたようだ。見上げるとはるか上空にロープが1本かかっているのがうっすらと見える。ロープが切れた訳ではなく、繋ぎ目部分が壊れたのだろう。よく生きていたものだ。いや、生きているどころか怪我ひとつない。そんなこと有り得るのだろうか。

 そこまで考えて、私はハッとして潰れたゴンドラの中を覗いた。中にはひしゃげた金属と粉々のガラス片しかなく、沼田の姿はなかった。マミゾウのことを知っていた沼田、私やヒョウがけがひとつないことに無関係なわけが無い。一体何者なのだろうか。

 

 とりあえず考えていても仕方がない。私は立ち上がると山を登っていく。ここがどの辺かは分からないが、今最も近い安全地帯は守矢神社だ。幸いにも落ちた場所が守矢神社へと続く参道だったこともあり、方向は間違いようもない。

 ロープウェイができてからは使う人はぱったりといなくなったが、それでもたまに歩いて神社まで向かう人がいるらしく、まだある程度は整備されているようで、上り坂であることを除けば、歩きやすい道だ。

 参道をしばらく歩いていると、奥の方に石に腰掛けている人が見えた。ボロボロの着物を着ており、頭をすっぽりと覆う大きな手ぬぐいを被っている。便宜上人と言ったが、人間にしては纏う雰囲気が異常であった。それに、あれが人でないとするとひとつ思い当たる妖怪がいる。

 私がその場で足を止めると、その人間のようななにかは煙のようにふっと姿を消した。これは非常に具合が悪い。私があれに気がついたように、あれも私に気がついた可能性が高いからだ。

 その時、肩に乗っていたヒョウが突然後ろを振り向き、毛を逆立てて威嚇を始めた。普通の人ならそこで後ろを振り向くところだろう。だが、私はその次の瞬間には走り出していた。

 10歩ほど走ったところでちらりと後ろを見る。するとそこには案の定、先程道に座っていたのと全く同じ姿のやつが顔をこちらに向けていた。いや、顔というのは少々語弊がある。手ぬぐいの中には顔などなく、真っ黒な空間が広がっている。その黒さは今まで見たどんな黒よりも黒かった。

 間違いない、あれはビダル神だ。実物を見るのは初めてだが、服装はほぼ言い伝えられている通りだ。背格好は少し大きな人間の男性くらい。怨霊という言い伝えだが、幽霊にしては存在を視認できすぎている。しばらく走り出した私を見つめていたビダル神は、ケタケタと笑いながら走り出した。走り方は無茶苦茶だが、明らかに私よりも早い。

 

 緩やかな上り道を駆け上がる。時折後ろを見るが、ビダル神との距離は少しづつ縮まっている。

 ビダル神に関してはわかっていることは少なく、対処法も確立されていない。そこまで考えた時、私の腹が盛大に鳴った。

 こんな緊急事態に何をやってるんだと思うだろうが、これこそビダル神の力だ。取り憑かれた人間は異常なほどの空腹を覚える。まだ追いつかれてはいないが、それでもこの空腹感だ。追いつかれたら動くことすらままならないだろう。

 耐え難い空腹をこらえて走り続けていると、突然目の前がぐにゃりと歪み、死すら感じるほどの空腹感が私を襲った。あまりに唐突過ぎたため、止まることもできず私はそのままバランスを崩した。前向きに倒れながら少し首を捻ると、ビダル神の手が私の肩に触れているのに気がついた。気づかないうちにそこまで近づかれていたのか。足音や息遣いも聞こえなかった。

 真っ黒で無機質な手には敵意をむき出しにしたヒョウが噛み付いていたが、それをビダル神は全く意に介していない。痛覚がないのだろうか。

 

「まったく、世話のやける人間ですね」

 

 呆れたような声が風より早く私の耳元を通り抜け高と思うと、その声の持ち主は私を片手で掴み、そのままビダル神から引き離す。そのままひとつ、ふたつと後ろへと跳んでビダル神と大きく距離をとった。私を小脇に抱えていることなど関係ないかのような華麗な身のこなしだ。

 

「オゐ、いヌ天グ」

 

「狼!」

 

「どヴデモ良ぃ。其レ八、ぉレノ物タ”」

 

「これはうちのアホ烏の客人だ。手出は許さん」

 

 目がかすれてよく見えないが、白髪で三角の耳を持っていることは分かる。先程の会話と総合すると、私を助けてくれたのは、山に住む天狗の1種である白狼天狗なのだろう。彼女らは主に山の見回りと警備をしており、山に入って真っ先に会う天狗と言えば白狼天狗である。

 

「俺ノダ、オれ之ダ、オ"レ"ノ"タ"!オ"レ"ノ"モ"ノ"ダ!!」

 

 ビダル神はスタートを切った。白狼天狗は私をその場においてビダル神を迎え討つ。少し距離を取れたからか、何とか立っていることができた私が顔を上げると、白狼天狗の刀がビダル神の肩から腰にかけて一直線に銀線を描いているのがみえた。

 袈裟斬りに捉えられたビダル神は一瞬だけ見えた銀線に沿って上半身が地面にぼたりと落ちる。白狼天狗はそれだけでは止まらず、地面に転がる顔に刀を突き刺した。その瞬間、さっきまであった空腹感がすうと無くなっていくのを感じた。

 

「あの、ありがとうございます」

 

「お礼よりも早く逃げてください。あと少しで守矢神社です」

 

 どういうことかと思ったが、その理由はすぐにわかった。真っ黒な顔に突き刺された刀がズブズブと飲み込まれていく。私を助けてくれた白狼天狗は迷わず刀を手放すと素早く距離をとる。あっという間に刀は全てビダル神の顔の部分に入ってしまった。

 

「痛亻な」

 

 斜めに切られた上半身がふわりと浮き上がり、まだ立ったままだった下半身と繋がる。

 

「早く!!」

 

 白狼天狗の声にハッとして私は彼女に背を向けると再び走り出す。足元を見ると、いつの間にかヒョウが私と併走していた。

 しばらく走っていたが、山道で更に上り坂だ。いくら緊急事態とはいえ私の体力がそう長く持つはずもない。完全に息が切れた私は足を止めて息を整えた。ヒョウは心配そうに私の足のそばでウロウロしている。あとどれくらいで着くのだろう。

 

「ミつヶたァ"!」

 

 その声に思わず振り向く。少し遠いがビダル神の姿が見えた。あの白狼天狗はどうなったのだろうか。あの力は妖怪にも有効なのだろうか。そんな疑問がよぎったが、それを解決する手段は私はもちあわせていない。

 ここで追いつかれる訳にはいかない。私はまた走り始める。だが、もう私の足は限界だった。普段からもう少し運動しておけばと思ったが、思ったところで足が速くなることは無い。

 少しづつ増していく空腹感は、ビダル神が近づいてきていることを私に知らせる。

 

「ようやっと見つけた」

 

 聞き覚えのある声と共に、当たりが白い煙で包まれる。あまりの煙たさに足を止めて咳き込む。程なくして白煙が晴れると、目の前に私がいた。一瞬混乱したものの、それが誰かはすぐにわかった。そして、私が何をするべきかも。

 私はビダル神の方に体を向け、ゆっくりとビダル神に向かって歩き出した。偽物の私はついてこず、ヒョウも偽物の足元から動かない。

 

「バればレダ」

 

 ビダル神の姿が消える。そして次の瞬間には偽物の私の後ろに立っていた。

 

「ツカマエタ」

 

 ビダル神の手が偽物の私の肩に触れた。そして、2度目の白煙とともに偽物の正体が明らかになる。

 

「はずれじゃ」

 

 そう言ってペロリと舌を出したのは、やはり二ッ岩マミゾウだった。マミゾウは肩にかかっている手をあっさり振り払うと、ビダル神の額を中指で弾いた。私にはただのデコピンに見えたのだが、それを受けたビダル神は数メートル後ろに吹き飛び、斜面を転がり登る。緩やかな坂とはいえ信じられない威力だ。

 先程の行動でふと違和感を覚える。そういえばビダル神に近づいたのに関わらず、空腹感を覚えなかった。どういうことだろう。先程までなら目視距離であれば空腹感に襲われていたのに、マミゾウが現れてから空腹感がすっと無くなったのだ。

 

「よっと」

 

 軽い掛け声と共に、数メートルの距離をを1歩で詰めたマミゾウは立ち上がりかけているビダル神の腹部を蹴り上げた。デコピンであの威力だったのだ。蹴りを食らったビダル神は盛大に吹き飛んだ。

 クルクルと回転しながら、ビダル神は1度高く上がると遠くの林の中に落ちて見えなくなった。

 

「ああいう輩を真面目に退治しようとすると骨が折れるからの。遠くにとばすに限るわい」

 

 そう言ってかかかと笑った後、くるりと私の方に顔を向けた。

 

「それにしてもお主、肝が座っておるの。手近な方から襲ってきたらどうするつもりじゃったんだ?」

 

「もしそうなったとしてもあなたなら守ってくれるんでしょう?」

 

 私の言葉にマミゾウは困ったような、嬉しそうな顔をして頭を搔く。

 

「ふふ。ところで、さっきすごくお腹空かなかった?」

 

 マミゾウと出会ってからビダル神の術にかからなかった理由。ある程度予想はつくが、一応確認しておかなければならない。

 

「……ふむ、確かに腹はすいていたが、あの程度なら倒れることもないて。それがどうかしたかの?」

 

「なるほど、ビダル神は任意の一体にしかその能力を使えないのね」

 

 私は懐から手帳を取り出して、さっきの体験と考察を綴ってゆく。別に忘れないからいつでも書けるのだが、新たな発見というものはやはり見えるようにしておいた方が落ち着く。

 1寸先は闇とは言うが、ここまで来るだけでも1歩踏み出す足を間違えていたら地獄へ真っ逆さまだった。だからこそ、今の命があるうちに残せるものは残しておきたいのだ。

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