「マタタビさー、最近なんかあった?」
「なんか、とは?」
市内のゲームセンターにて。
友人の狐坂とエアホッケーに興じていると狐坂が問いかけてきた。
何となくで始めた勝負は互いに暇つぶしレベルのやる気で、円盤の滑る速度は目で追える程度にゆったりとしていた。
「いや、最近よそよそしかったからよ。彼女でも出来たんじゃねーかって犬塚と話してたんだが」
「いないいない」
犬塚は、今日は居ないがよく遊ぶ友人の一人で、猫又・狐坂・犬塚で飲みに行く事が多い。
友人の中でも随一の大酒飲みが犬塚で、それに猫又がつられて深酒をしてしまい痛い目を見る、というのがお約束だ。
そのおかげ、というべきなのか。謎の生き物を拾った訳だが。
背後で、にゃーん、と猫が鳴いた気がした。
思わず振り返ったが、流石に奴の気配はしなかった。
その隙に円盤が猫又のゴールに吸い込まれる。
「よっしゃー、一点ゲット」
「やられたー」
「今何点?」
「1-0。5点先取だっけ?」
長くなりそうなのでエアホッケーはそこで終了した。
「彼女が出来たは冗談にしてもこの前の飲み会から様子が変だったから心配してたんだぜ?」
「そうだっけ」
「酔っ払って猫みたいにフラッと姿消すのはいつもの事だけど、その後、迷子になったー、って連絡寄越したろ?」
「マジか。妹にも似たような事言われたよ。どんなだった?」
「ほれ」
狐坂の見せてきたアプリの会話履歴には、確かに猫又から、
まいごなったなう
へるぷみー
と送られていた。
緊張感の欠片も無い文面は確かに自分が送りそうなものだと納得したが、やはり猫又の記憶には無い。
思い返せば、記憶を失くすほど酒を飲んだのはあの時が初めてだった。
「酔っ払ってるだろうから面倒でスルーしたけど、お前が助けてなんて言うの珍しいからな。本当に何も無かったのか?」
何も無かったかと訊かれれば、有った。いや、遭った。
頭の片隅で、にゃーん、と其れが鳴いた。
「あー、ネコ…のようなものを拾って…」
「ネコぉ?お前が?どんなよ?」
「黒猫…多分」
「えらくぼんやりしてんなー。写真は?」
「いや、写真撮ったら呪われそうだから撮ってない」
「猫の話だよな?」
「猫の話だが」
どれだけ意味不明で規格外な生物を拾ったか、狐坂に説明してやりたいが、どれだけ言葉を尽くしても説明出来る気がしなかった。
「じゃあ今からお前ん家行ったら見れる?」
「あー、無理かも」
「ん?散歩中か?」
今日だけは無理だ。
絶対に奴の姿を見る事は不可能だ。
なぜなら、
「鳴き声も聞こえるし気配もする。…でも姿が見えないんだよなぁ。不思議だよなぁ」
「あれ?怪談話してる?猫の話だよな?」
「猫の話だが」
今日の猫は透明だった。
透明人間は存在しないと思っている猫又だが、にゃーん、と鳴く目に見えない存在に擦り寄られては信じざるを得ない。
透明猫は存在する。
ちなみに、透明でもご飯はしっかり食べた。
狐坂と別れた後。
帰宅途中、あの猫の検証の為に道草を食って猫じゃらしをその辺で毟ってからアパートに帰ると、部屋の前に誰か居た。
「お兄ぃ!」
「おお、タマキ」
こちらを視認して駆け寄ってきたのは妹の環であった。
久方ぶりの再会にハグでもしてくれるのか、可愛い奴、と思いながら両手を広げた猫又だったが、走り込んだそのままの勢いで
ぼぐっ、と鈍い音がした。超痛ぇ。
「ネコちゃんに会いに来たよ!」
「俺じゃなくて?」
「ネコ!」
妹よ、もう少し兄に関心を持っても良いんだぞ。
早く猫に会わせろとせがむ妹に手を引かれながら、猫又はさめざめと泣いた。
環を玄関口に招き入れてから、猫又ははたと気付いた。
いま、あの猫は透明になっている。
まずい。猫の姿が見えないとなれば環はガッカリするだろうし、最悪の場合、嘘を吐いたと思われるかもしれない。
「ネコちゃーん♪」
「あ、おいちょっと待て!」
しかし、気付くのが遅かった。
既に環は猫又の脇を抜けてリビングに駆け出していた。
このままでは、妹に嫌われてしまう。
そんな焦りを抱いて環を追いかけると、
「にゃーん」
「やーん可愛いー♡」
「…は?」
猫が居た。
環にこれでもかと撫で回されながらも、いつも通り鳴いている。
なぜ猫が居る。
いや、居るのは可笑しい事では無いが、やはり可笑しい。
今日のコイツは透明猫。明日まで見えない筈だ。
猫は居ません。いいえ、猫は居ます。よろしくおねがいします。
頭がおかしくなりそうだ。
まさかコイツ、
「タマキが来たからって猫被りやがったな」
「お兄ぃ何言ってんの?」
「気を付けろ、そいつはネコの皮を被った透明ネコだ」
「ホントに何言ってんの?」
本当の事なのに言葉にすると嘘にしか聞こえない。
違うんだ妹よ。そいつは可愛いだけの謎な生き物なんだ。
暫く猫を撫でて満足したのか、環は猫を抱えてベッドに腰掛けた。
「可愛いねこの仔。名前なんて言うの?」
「……なまえ?」
「え、何その反応?嘘でしょ?」
「まだ名前付けてないです」
「お兄ぃこの仔飼ってるのに名前付けてないのー!?可哀想じゃん!」
名前。そうか、名前か。
訊かれるまで全く意識していなかった。
初遭遇からこれまで、この謎生物の行動や変形ばかりに目が行き、名前を付けるという基本的な事が頭から抜け落ちていたのだ。
「お兄ぃが決めてないなら私が付ける!」
「お前が?」
「お兄ぃに任せると変な名前付けそうだし」
「失敬な」
「…昔、家にあったサボテン、何て呼んでた?」
「ジャミラ」
「駄目です」
「駄目か」
こうして環が猫の名前を決める事となった。
「そうだなー。ホーリーナイトはどうかな。ねー?」
「にゃーん」
「あー!逃げた」
「お前、それでよく人のセンス笑えるな」
「なにお!B○MP馬鹿にすんなし!」
「Kも駄目だぞ」
「えー」
名曲に感化されすぎている。
その名前になると今度から呼ぶ時にこっちが気恥ずかしくなるのでやめてください。
その後、良い案が出ないまま数分が経過した。
環は猫を撫でるのに夢中になっており、締まりのない顔付きで猫を可愛がっている。うん、両方可愛い。
ふと、猫と目が合った。
妹にこね回されながらも、ずっとこっちを向いている。
初めて正面から覗き込んだが、とても澄んでいて、透明な瞳だった。
「
「…え、何か言った?」
「カラって名前はどうだ。青空みたいな目してるし」
「ホントだ、綺麗な瞳。お兄ぃ、珍しく良い感じじゃん」
「お前も、カラって名前で良いか?」
猫に呼びかけると、にゃーん、と嬉しそうに鳴いた。
「良いってさ、良かったねお兄ぃ」
「ああ」
「私はまだホーリーナイト諦めてないけどね」
「やめてね」
名付けが終わり、良い仕事をしたという感じで、環は実家に帰った。
本当に最後まで猫にしか興味を示さなかったな。兄さん悲しいよ。
「さて、カラ。ご飯にするか」
リビングに居る猫に呼びかけると、にゃーん、と返してくる。
しかし、カラの姿は見えない。
再び透明猫に戻ってしまったようだ。
姿は見えないが、足元に擦り寄ってきている。
透明だろうと可愛さは健在のようで何より。
「これからもよろしくな、カラ」
そこに在るだろう猫を撫でると、にゃーん、と確かな返事をした。