巫女レスラー   作:陸 理明

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第21試合 妖魅問答
とある不動産調査士の憂鬱


 

「人の消える家?」

 

 不動産調査士の高儀(たかぎ)誠司は、依頼主にあたる不動産屋の説明を聞いて眉をひそめた。

 今までに何度か依頼を受けたことがあるが、そんなことを事前に言われたのは初めてだったからである。

 

「……事故物件ってことですかね?」

「いいや。今までに人死にがあったことはないな」

「じゃあ、どうして人が消えるんです?」

「それを君に調べて欲しいんじゃないか。はい、鍵と資料」

 

 喫茶店のテーブルの上に置かれたファイルと鍵の入った袋を見て、高儀は嘆息した。

 どうやら断っても無駄のようだ。

 

「あのですね。私が調査するのは、不動産の資産価格とか役所の長期都市計画の有無とか、そういう法的・実務的な問題でして、そんな探偵みたいなことをするのは仕事のうちに入っていないんですけど」

「何を言ってるんだ。君がフリーでこういう仕事をやってられるのは、この手の調査における信頼度があるからじゃないか。通り一遍の調査だけだったら、不動産業者(わしら)が自分でやるさ。君に期待されているのは、それ以上のものなんだぞ」

「はあ……」

 

 高儀はファイルを手に取り、ペラペラとめくった。

 ごく普通の一軒家の写真と見取り図、ついでにこれまでの所有者・借り手の書類のコピーだ。

 特に異常がありそうには見えない。

 

「いや、仕事というならやりますけどね。一週間でいいですか?」

「それでいい。とにかく、わしが君に頼みたいのは、こいつが本当にヤバイ物件なのかということだ。色々な不動産屋を流れ流れてうちの事務所にやってきたが、わしらの責任問題になるのはごめんだからな」

「扱わずに塩漬けにしておけばいいじゃですか。ついでいうと、そんな危険な物件を私に調べさせるつもりですか?」

「君はこの手のものは得意じゃないか。なんなら、また死体を発見してくれても構わないぞ。問題があるとしても客に引き渡す前に発覚してくれたほうが助かるからな」

「……わかりました。やりますよ」

 

 高儀がこの仕事を引き受けたのは、こういう経緯によるものだった。

 やりたくてやる訳ではなく、フリーの不動産調査士などという職業の彼にとっては選択の余地はあまりなかったというべきか。

 依頼人と会見したその日のうちに、高儀はインターネットでの調査と関係する役所での書類調べを終えて、一通りの情報を収集した。

 問題の一軒家のある場所は、何らかの土地開発計画がある土地でもなく、路線価もそれほど悪い訳ではないようだった。

 都市計画というものは行政が下手をしたら百年単位で計画しているものもあり、よくよく調べてみたら数十年後には道路になる予定の土地というものはいくらでもある。

 当の役所が忘れてしまっているものというのもあるぐらいだ。

 区内にある裁判所の施設など、法律の専門家が関わっているのにも関わらず誰も将来の道路計画に気づかれずに建設されて、将来的には立ち退かねばならないことになったという笑い話もある。

 高儀の仕事はまずそういう法律的瑕疵が存在しないかを探り当てることにある。

 それから、直接現地に赴き、写真を撮ったり、近所の住民に聞き込みをしたりする。

 フリーの不動産調査士とはそういうもので、都内の不動産屋が自分の所管する物件になんらかの異常を感じた時に彼らの代理で調査するのが仕事であった。

 必ずしも報酬が安くもない彼に仕事を振る以上、そこには大きな問題があるのが基本だ。

 家賃を滞納し続ける前住人がまだ住みついているとか、どういうわけかストーカーがつきやすい部屋とか、最悪の場合、犯罪に巻き込まれるおそれもある。

 以前に誰かが自殺したとか殺されたという記録のある事故物件の場合、幽霊っぽいものに遭遇することもある。

 高儀自身ははっきりと見たことはないが、それはいわゆる霊感というものが薄いからであり、何かいるなと思ったことはあった。

 その勘を頼りに色々と調べてみると、実は葬式を出せずに困って届けを出さずに勝手に埋葬された死体を発見したという実績もある。

 不動産調査士としての高儀は、そういう()()()()()調査ができることがウリであり、おかげで独りなら食っていける程度の稼ぎがあった。

 フリーの仕事としては珍しいものと言えた。

 

(とはいえ、今回はちょっと嫌な予感がするな)

 

 高儀が渡された資料には、今回の調査対象物件は日野市にあるとのことだ。

 区内の不動産屋が扱うには遠すぎる。

 それだけで妙だった。

 

「中央線で行けるか」

 

 フリーの仕事らしくフットワークが軽いのが高儀の信条だ。

 翌日には現地に赴いていた。

 

 ……いかにもな一軒家だった。

 しかも、庭と周囲の荒れ地が一体化していて、どこが境界かもわからない。

 あらかじめ用意していた図面がなければ、家の敷地の範囲すら把握できないぐらいであった。

 もともとあったらしい塀などはほとんど見当たらない。

 十年以上放置されていなければ、こんな有様にはならないだろう。

 高儀はデジカメで外から写真を撮りまくった。

 心霊写真になったりしていないか祈りながら。

 一通り、撮り終わると、少し離れたところにある人家に足を運んだ。

 目的の一軒家は、荒れ地の真ん中にあるようにポツンと建っているだけだが、距離はあるとしても隣家は普通の住宅街の外れのようになっている。

 高儀がここにくるのに使ったバス停もあり、少なくない数の住人が暮らしているらしい。

 

「すいません、ちょっといいですか」

 

 バス亭にあるベンチに座っていた中年女性が顔を上げた。

 不審そうな顔をしている。

 この辺りでは見かけない顔であるから仕方のないところだった。

 

「なんでしょう」

「私は不動産屋をしてまして、今度あそこにあるお(うち)を扱うことになったので、調査をしておりまして……」

「はあ」

 

 表情が堅くなった。

 何か知っているな、と高儀は睨んだ。

 少なくともただのご近所の話をするためには似つかわしくない表情だった。

 

「しばらく誰も住んでいないみたいなんですけど、以前の住人の方について何かご存知ではありませんか?」

 

 すると、女性は眉をしかめ、

 

「―――あそこは止めた方がいいですよ」

 

 と警告してきた。

 予想通りだな、高儀は内心で思った。

 

「何故でしょう。当社ではもうあの物件の譲渡を受けてしまっていて扱わざるを得ないのですけれど……」

「悪いことはいいませんから、売ったり貸したりしないでおくのがいいと思います」

「どうしてですか?」

「あそこには、誰も住めないんですよ」

「……?」

 

 まあ、確かに荒れ果てていて住むには徹底的なリフォームが必要だろうけど、住めない環境ではない。

 実際、こんな近くに人がいるじゃないか。

 このおばさんだって近所に住んでいるんだろ?

 

「今まで結構な人が引っ越してきましたけど、だいたい三か月もしないうちにいなくなってしまうんです。あたしが知っているだけでも、この十年で五回ぐらいかなあ」

「……夜逃げ、とか?」

「そういうことになっていますけどね。警察も調べたんですよ、町内会長が頼んだんで。結局、何も見つからなかったみたいですけど」

 

 高儀としては、あんな殺風景で少し孤立した一軒家だと何かあっても近所に伝わらないから、もともとそういう傾向のある人間が住むのに適しているのだと考えた。

 孤立気味の人間だったら、いつ引っ越すかを近所に告げないこともあるだろう。

 偶然が重なっただけではないか。

 

「そんな怖い話があって、よく皆さん、ここに住んでいられますね」

「うーん、あたしがここに嫁いできてから二十年は経つけど、あそこの家のことぐらいしか変なことはないしね。ほら、映画の『入ると死んじゃう家』ほど有害でもないし、子供たちさえ気を付けておけば大して問題ないから」

「はあ」

「あと、ここからじゃわからないけど、奥の方に多摩川に続く支流があってね。そこのおかげか、冬も暖かくて夏は涼しいんだ。蟲がちょっと多いけど。かなり過ごしやすいのさ」

「……へえ」

 

 高儀は地図を見た。

 確かにあの一軒家の奥に小川のようなものが流れている。

 五百メートルほどで多摩川と繋がっているようだった。

 

(こんなのが裏にあると売れないよなあ……)

 

 そういう土地は開発しづらいので売り物としては難点があるのが普通だ。

 例の一軒家は「人が消える」という悪い評判は抜きにしても、売り物としては低評価にしかならない。

 とはいえ、高儀にはどうでもいいことだった。

 彼の仕事は不動産、土地と家屋の調査だけなのだから。

 売れる売れないは依頼人の領分だ。

 さっきまでの場所に戻ると、申し訳程度についている門を抜けて中に入る。

 雑草が多いが、誰かが住んでいた形跡はある。

 まだ乗れそうな自転車などが放置されていた。

 鍵もかかっていないようなのに盗まれもしなかったようだった。

 つまり、盗人も近寄らないということかも。

 玄関の鍵を開けて、中に入る。

 猫のような声がして、そこに体育座りをした佐伯俊雄や母親の伽椰子がいたりしたら怖いが、実際には誰もいるはずがない。

 いたら、怖い。

 シンと静まりかった家の中は、ごく普通の荒れ果てた家屋といった感じだった。

 最後に住んでいたのは一人暮らしの中年男性だったらしく、ゴルフバックが無造作に玄関に立てかけてあり、靴もそのまま脱ぎっぱなしだった。

 確かに「人の消えた家」だ。

 いざという時のことを考えて土足で上がる。

 別に幽霊とかが怖い訳ではない。

 こういう無人の家では釘などが放置されている可能性があるから用心のためだ。

 キッチンに入ると、コバエが飛んでいた。

 もう完全に乾ききった色々なものにたかっていたのだろう。

 とはいえ、資料に寄れば一年近く放置されているはずだ。

 まだ、生活感は残っている。

 人が住んでいて、何所かに行ってしまった様子は明らかだ。

 

「……これはまずいかな」

 

 高儀はため息をついた。

 高齢の老人が独居で死んでしまった部屋を思わせる。

 探してみれば死体がみつかるかもしれない。

 しかも無残な状態の。

 

「帰った方がいいか。で、警察と一緒にくるかな」

 

 不動産調査士としては事を大袈裟にするのは問題だが、高儀の勘は明確に告げていた。

 これはトラブルのあった形跡だと。

 どういうトラブルであったかまでは断定できないとしても。

 その時、玄関が開く音がした。

 ついでに人の声も。

 高儀は慌てて廊下に出た。

 彼以外の人間がやってくるはずはないからだ。

 やってくるとしたら、もしかしてそれは……

 ここの住人か、もしくは……

 だが、違っていた。

 

「―――あれ、人がいるね。京一、キミは聞いていたかい?」

「いや、〈社務所〉から派遣されたのは僕たちだけのはずだよ。誰だろう」

「誰でもいいさ。とりあえず、話しかけてみよう。―――ねえ、キミ。ここの住人は一年前に行方不明のはずだけど、いったい誰なんだい?」

 

 むしろ、こっちが聞きたいぐらいだ。

 高儀はそう思った。

 何故かというと―――

 

 玄関にいたのは、学生服姿の高校生らしい少年と―――どうみても巫女の格好をした美少女という二人組であったからだ。

 

 

 

 


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