巫女レスラー   作:陸 理明

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レイ出撃

 

 

〈のた坊主〉という妖怪は、のたのたと酔っぱらっているように歩いていることからこの名前がつけられたという。

 その正体は、古くから生きていて妖怪となった狸が化けたものであり、とにかくお酒が好きだと伝えられている。

〈のた坊主〉について最も有名な昔話は、愛知県に伝わるものである。

 ある造り酒屋の酒蔵に勝手に入り込んできて出来立ての酒を勝手に飲みまくって、しばらくするといい気分になって、まるで煙のようにのたのたと逃げて行く小坊主がいた。

 捕まえようとしてもうまくいかないで終わった。

 その姿の消し方から狐狸妖怪の類いであることは明らかであったので、造り酒屋の方でもただ手をこまねいているしかなかった。

 しかし、酒は売り物である。

 いつまでも勝手に盗み飲みされていては損害もバカにはならない。

 そこで、酒屋の主の母親が一計を案じた。

 ――ある夜、いつものように〈のた坊主〉に化けたタヌキが酒蔵へとやってきた。

 だが、いつもとは違い、のた坊主の姿を見ても誰も何も言わず、ただただ忙しそうに働いている。

 タヌキは酒に眼が眩んでいたので、まったく怪しもうともせずに、気の済むまで出来たばかりの酒をたらふく飲んだ。

 いつもならば、酒屋のものたちにすぐに見つかって逃げ出さなればならないのに、誰も咎めようともしないので調子に乗って、どんどんと飲んでいった。

 気が付いた時には、足腰が立たないほどになっていた。

 普段ならば途中で店のものにバレて逃げていたので、盗み飲みを止めるべきタイミングがつかめなかったのだ。

 いや、呑兵衛である以上、邪魔されない以上、限度を越えた飲酒などやって当然なのである。

 しかしこれが主人の母親の罠だった。

 いつも以上に飲み過ぎて完全にできあがってしまった〈のた坊主〉は、様子を窺っていた酒屋のものたちによって捕まえられて、二度と消えることもできぬように縄で縛り上げた。

 捕らえられた〈のた坊主〉は涙を流して許しを請うが、店の主人も雇われ者たちも決して許そうとはしなかった。

 皆の意見を総合すると、この性根の腐ったタヌキなど、とっととタヌキ汁にしてくってしまえばいいというくってしまえばいいということになった。

 だが、タヌキを捕まえるための知恵を与えた、店の主人の母親はそれを拒絶した。

 彼女は、「縄を解いて逃がしてあげなさい」と言った。

「ですが、そんなことをしたら、またこいつは出来立ての酒を盗み飲みしにきます」と皆が口々に言う中、主人の母親はさらに驚く事を言った。

「このタヌキが酒を盗みに来て困っているのというのならば、逆にこいつの元へ毎年酒を届けてやればいい」

 それを聞いた皆は唖然とした。

 しかし主人の母親の命令である。

 渋々であったが、〈のた坊主〉を解放し、更に毎年酒を届ける約束もして、それを実行した。

 それ以降、〈のた坊主〉による盗み飲みは一切なくなり、それどころかこの造り酒屋の酒は大いに評判になり、地域で一番の名酒として大繁盛したそうである。

 人々は、きっと〈のた坊主〉が恩返しをしたのだろうと噂したものである……。

 

  

        ◇◆◇

 

 

「なんで、オレが〈のた坊主〉の相手なんかしなくちゃならねえんだ。あいつの正体はタヌキだろ」

「いや、ちょっと落ち着いてレイちゃん」

 

 急遽、熊埜御堂(くまのみどう)てんの代理として呼び出された明王殿(みょうおうでん)レイは不機嫌だった。

 そもそも後輩の不始末の尻拭いというのも腹立たしいが、戦わなければならない相手というのが小物すぎて涙が出そうなぐらいだった。

〈のた坊主〉なんて、〈豆腐小僧〉なみに弱っちい、妖怪の小者界でもさらに小者の妖怪だというのに。

 後輩の敵討ちと勇んでやってきた彼女は拍子抜けしすぎて腹が立ってきた。

 普段は文句を言っても基本的に逆らうことはない、先輩であり上司である不知火こぶしにさえ食って掛かるほどである。

 

「タヌキなんだから、さっさと目白の狸将軍のところに連絡して引き取らせればいいだろ。なんで、オレたち退魔巫女が呼び出されるんだ。この前の団体戦といい、お偉い連中はタヌキと癒着しすぎじゃねえのか!」

「そんなことはないのよ。別に妖狸族を特別扱いしている訳じゃなくて」

「だったら、なんだよ。てんだってまともに戦ったら、たかが〈のた坊主〉ごときにやられるはずがない。しかも、どうして〈闘杯〉なんてことをしたんだ? 〈護摩台〉に引きずり込んで戦えば楽勝だろ? てんの両手両足を縛るような真似をして、それであいつがやられたら代理を立てるだと? 納得できないぜ! そのあたりの納得いく説明がないかぎり、オレはこの退魔は引き受けねえぞ! 」

 

 レイの言い分に理があると判断して、こぶしはすべてを説明することに決めた。

 自分のときもそうだったが、少なくとも命を賭けて退魔の仕事をしている巫女たちをペテンに掛けたり、誤魔化したりすることはできなかったのだ。

 だから、こぶしは重くなっていた口を開いた。

 

「今回の〈のた坊主〉はちょっとばかり酔いが酷くなりすぎて元の姿に戻れないタヌキなのよ。ただ、タヌキとしても有名な血筋なので退治することはできないから、なんとかそれ以外の方法で確保・制圧したいの」

「だったら、術を使えよ。あるだろ、そういう呪法が。オレが虎の穴で習った術にはそういうのがあったはずだ」

「できないのよ。言ったでしょ、有名な血筋だって。最初から持っている妖力が桁外れすぎて、そう簡単に倒すことができないのよ。それに妖力が強いということは、結界を張る力も強いってこと。つまり、〈闘杯〉のための結界を瞬時に張られてしまって、アレ以外では倒す術もないの」

「なんだよ……。その血筋って? オレでも知っているのか?」

 

 レイの視線はこぶしの後ろに控えている、二匹のタヌキに向けられた。

 今回の退魔巫女の出陣の依頼者でもある、江戸前の妖狸族の使者だった。

 彼女も知っている二匹で、信じられないほどの巨漢が〈八ッ山の狸〉、小柄で丸まっこく胴体が茶釜になっているのが〈三代目分福〉である。

 現在の妖狸族のホープともいえる二匹が、なんともバツが悪そうに立っている。

 

『おお、まあ、たぶん』

『シュッポー!!』

「……てめえらの同胞なんだろ? だったら、オレらのような人間に頼まずに自分たちでケツを拭けよ。だいたい、てめえらぐらい強い奴らがいてどうにもならないはずねえだろうが!」

『いや、〈神腕〉の巫女殿……あのだな……我らもだな……』

『シュポー……』

 

 レイの中ではあの対抗戦を戦った江戸前の五尾のタヌキたちに対しての、自然な敬意があった。

 だからこそ、この妖狸族の不始末が許せないのだ。

 しかも、犠牲になったのは可愛い後輩である。

 怒りは何乗にも増していた。

 

『あのだな……我々、タヌキは酒が好きなのは確かなのだが、あまりに飲まれ過ぎると今回の〈のた坊主〉みたいに戻れなくなるんだ』

「ホントかよ?」

『ああ。ぶっちゃけ、我々は畜生の類いではあるし。ただ、まあ、よほどのことがない限りリハビリすればタヌキの姿に戻れるんだが、今回の奴はその限度を遥かに越えていてな。〈闘杯〉を受けると我々もまた〈のた坊主〉になるおそれがあるんだ。ミカン採りがミカンになる訳にはいかないだろう?』

「……それで人間に頼むと? ざけんな。あと、ミイラな」

『巫女の言う通りなのだが、実はあの〈のた坊主〉はただの〈のた坊主〉じゃなくてな、妖力も我らとは比べ物にならんのだ』

『シュポー……』

 

 訝しむレイに、〈三代目分福〉は一つの名前を口にした。

 歴戦の退魔巫女も絶句する名前であった。

 

「―――なるほど、そういうことか。退治をできない、させられない理由もわかった。確かに江戸前のタヌキどもにゃあ荷が重いか」

 

 レイはじろりと、深夜になって閉店しているのに明かりが煌々と照っている業務用スーパーを睨んだ。

 中ではもう例の〈のた坊主〉が売り物を使って酒盛りをしている。

 通報を受けて急いで駆けつけたが、〈のた坊主〉の乱暴狼藉はとうの昔に始まっていた。

 しかし、レイにとってはただの弱小妖怪でしかなく、納得できない事態ではあったのだ。

 説明を受けてようやくわかった。

 どうしても、あいつをやり込める必要と、可愛い後輩の敵討ちをしなければならない、と。

 

「わかった。―――オレがやる。てめえらはここで待っていろ」

 

 レイは拳を鳴らして、業務用スーパーの中へと入っていった。

 その途中でレイは一本の缶を握りしめた。

 

「おい、〈のた坊主〉!!」

 

 店内で焼酎の瓶を片手にのたくっていたちゃんちゃんこのおっさん妖怪が、呼びかけてきた巫女に対してにやりと笑った。

 

『なんじゃ、また巫女かよ? またワシにやられにきたのかよ』

 

 レイは鼻でせせら笑って、

 

「ふざけろ。たかが妖怪ごときに、百戦錬磨の退魔の巫女がそんなにやられるものかよ」

『ほほお』

 

 挑発に挑発で返すと、レイは〈のた坊主〉の前に胡坐をかいて座り込んだ。

 

「勝負だ。てめえとの〈闘杯〉対決を受けてやる。それで、てめえを二日酔いの地獄に叩き込んでやらあ」

『よかろう。―――では、酒の銘柄を指定しろ』

 

 そこでレイは手にしていた缶を見せつけた。

 

「これだ。このアサヒのスーパードライで勝負してやる。マイク・タイソンがCMをやろうがなにをしようが、日本のドライビール―――アルコール度数が今までよりも高く、辛口に仕上げたビールの最高峰は、先駆者にして、最大のコクとキレをもつ、こいつしかいねえ。美味し○ぼで謂れのない風評被害を受けたが、やはりビールといったらアサヒのスーパードライだ!」

 

 巫女の熱い主張を受けて、〈のた坊主〉は不敵に笑った。

 

『いいじゃろう。たった今からただの小娘だとは思わん。貴様の熱いうわばみの心をワシが受け止めて、粉砕してやるぞい』

「ほざけ、妖怪。じゃあ、てめえもドライを持て」

『よし』

 

 そして、一人の巫女と一匹の妖怪は、同じ銘柄のビールのプルトップを開けて、互いに力強く打ち付け合い、

 

「『〈闘杯〉!!』」

 

 と、誓いの言葉を高らかに宣言するのであった……。

 

 

 


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