巫女レスラー   作:陸 理明

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そして誰も呑めなくなった

 

 

 アルコール度数の高い酒を飲むと、喉が焼けるように熱くなる。

 度数が高くなればなるほど、咽喉での異物感が大きくなり、馴れていないものならばまさに一分以内に秒殺されることもあるのだ。

 ある作家によると、40度以上の酒はすでに安全な飲み物ではなく、人間に原初から備わる危険察知の本能が激しく鳴り響くごときものだという。

 人間にとっての百薬の長どころか、ある意味では毒そのものと言っても過言でない。

 ウォッカ等がカクテルのレシピに使われるのは、薄め液としての役割も兼ねているのだろう。

 音子が持ちだしたテキーラはメキシコを代表する酒である。

 その強さは、平均温度が比較的高いとされるメキシコ人の体温をさらに引き上げ、ただでさえ陽気で激しいラテンの血を臨界点まで爆発させるほどだ。

 メヒコの熱血の素といってもいい。

 かつて、メキシコ流プロレススタイルのルチャ・リブレの使い手である音子は、何度か現地に訪れて地元のプロの指導を受けたことがある。

 その時に、師匠役を勤めてくれた女子レスラーたちに覚えさせられたのが、このテキーラの味であり、クセの強い味を一気に飲み干すための手法―――ショットガンであった。

 メキシコ人たちは互いに譲れない主張についての雌雄を決するときに、この呑み勝負を用いることが多い。

 人生のほとんどすべてをほろ酔いで生きているような人々でさえ、脳が沸騰するようなアルコール度数50近い酒を命さえも顧みずに一気飲みするのだ。

 死ぬことさえある。

 だが、飲み勝負である以上、負けた方が悪い。

 荒くれ者にとっては譲れぬ価値観を背景とした、これこそまさに「杯の戦」である。

 ある意味では、ここで行われている〈闘杯〉に相応しいスタイルであった。

 

 カン!

 

 ジンジャーエールとテキーラが応分に注がれたグラスの底を叩きつける音が鳴った。

 二つの液体が泡によって混ざり合った瞬間、躊躇なく最後の一滴まで飲み干す。

 これがショットガン。

 泡のおかげで咽喉まではすんなりと抜けるが、液体の辿り着いた胃が大変なことになる。

 

『プハーッ!! 効くな、おい!!』

 

〈のた坊主〉は赤ら顔のまま満足そうに、にやついた。

 さすがは酒の妖怪である。

 小気味いい飲みっぷりであった。

 だが、〈のた坊主〉に対する音子も、覆面をつけていたとしても誰にでもわかる無表情な態度ですべてを一気に飲み干していた。

 十代の少女とは思えぬ酒豪ぶりである。

 

『やるじゃねえか。さっきの二人も小娘とは思えねえ』

「アルっちたちを舐めるのは許さない」

『ちぇ、酒の味はわかるだろうが、まだまだてめえらは小娘じゃねえか。偉そうに吹くんじゃねえよ』

「あたしは、あたしの親友たちをバカにするやつを許さない」

『そうかい。じゃあ、〈闘杯〉の続きだ。酒でワシに勝ってから粋がるんだな。よし、二杯目行くぞ』

 

 カン、ぐいっ

 

 ……ショットガンでの一騎打ちは七杯目までは平然と続いた。

 だが、七杯目を流し込んだ後、音子はさすがに眼がくらっと回ったのを感じた。

 ただでさえ一気飲みは負担がかかるというのに、このショットガンに使ったテキーラは55度ある。

 まともな人間ではすぐに潰れてしまう量だ。

 実のところ、これを飲みこなせるのは音子ならではの成果だったのではあるが。

 そして、八杯目、九杯目、十杯目と続き、足もとが覚束なくなってきた。

 視界の端にフライフィッシュが飛び回り、間寛平に似た小さなおじさんが踊りだし、ドス・カラスがビリーズ・ブート・キャンプの軍曹に選ばれていた。

 御子内或子が海賊王のゴム人間になっていたり、レイが広島弁で漫才をしていたり、藍色が鳳翼天翔をぶっ放していたり、すでに脳の神経がおかしくなる寸前であった。

 すなわち、轟沈する一歩手前。

 だが、相手の〈のた坊主〉はまだまだ飲めるというポーズを崩さない。

 量でいったら、すでに二人の巫女を退けているというのに、この妖怪はまさにうわばみのザルなのであろうか。

 十一杯目に手を伸ばしたとき、音子は背中から倒れた。

 受け身などとれもしない、命綱の切れた棒のように。

 頭を床に叩き付ける寸前、誰かに支えてもらったおかげで打撲をうけずに済んだのは幸いだったが、すでに音子はもう立ち上がることさえできなくなっていた。

 わずかに意識だけが残り、さらに絞り滓のような思考もあった。

 それが助けてくれた相手を認識する。

 

「京いっちゃん……?」

「えっと、大丈夫、音子さん」

 

 大丈夫だと答えようとしても舌が回らなかった。

 酔いがそこまで達しているのだ。

 だから、男の腕に抱きかかえられている現状を認識することもできなかった。

 あとでこの事を聞いて、死ぬほど悶えることになるのだが、この時点の音子は人形よりはマシ程度の存在でしかなかった。

 そのあとで何が起ころうと止める手立てももたない、ただの置物だった。

 

「そっと横にしますからね。苦しかったら言ってください」

 

 気道を確保できるようにしたまま優しく横たえられた音子は、少年の為すがままの状態であった。

 音子を横たえると、京一は避けて置いておいた料理皿を手にした。

 

『おい、てめえ。まだ、〈闘杯〉は終わっていねえぞ。〈闘杯〉はどっちかが潰れるまでが勝負だ』

「そうですけど、もう音子さんは動けないじゃありませんか。意識があるけれど、とりあえずあなたの勝ちですよ」

『他所の決闘に口を出すとは、てめえ、筋の通し方を知らねえガキのようだな。この世はなあ、筋の通らねえことを認めちゃならねえようにできてんのよ』

 

〈のた坊主〉はちゃんちゃんこの懐から一振りのドスを取り出した。

 陽気な呑兵衛という風貌から、凶暴なヤクザのそれに代わっている。

〈闘杯〉を邪魔されたことで頭に来ているのだろう。

 何か、きっかけさえあればそのまま京一を指し殺してもおかしくない恐ろしい顔つきであった。

 

「―――筋を通せばいいんですね」

『あんだと?』

「僕があなたと〈闘杯〉をします。音子さんの代わりに」

 

 それで手にしていた皿を脇において、さらに一つの段ボールを並べた。

 中に入っていた中瓶を取り出す。

 

「えっと、苦いお酒はのめないので甘いカクテルでいいですよね」

『あ、……甘いの?』

「ええ、甘いやつです。一応、スクリュードライバーとカルーアミルクを用意しました」

 

 二つの既存カクテルの瓶を掲げると、京一は平然とした顔で言った。

 

「〈闘杯〉、受けてもらえますか?」

『……このクソ餓鬼……』

 

〈のた坊主〉としては断る理由がない。

 退魔巫女を相手とするのならば、直接の武力では敵わないから〈闘杯〉を使うのが一番だ。

 だが、この少年は妖怪の力であれば楽々と殺せる程度の普通の人間である。

 しかし、〈闘杯〉を挑まれて力で抗するということは、先ほど自信が口にした「筋」を違えることになる。

〈闘杯〉を挑まれて逃げるなど、酔っ払いの名が廃るというものだ。

 だから、〈のた坊主〉は少年の挑戦を受けるしかなかった。

 それが「筋」だからだ。

 

『いいだろう。のってやるよ。ただし、てめえみてえなクソ餓鬼がワシに飲み勝てるとは思わねえことだ。しかも、そんなジュースでよ』

「そうなんですよ。みんなと違って、僕はあまり飲めないので」

『だったら、〈闘杯〉すんじゃねえ!!』

「甘いのなら行けると思うんです」

 

 そう言って、カクテルの蓋を外して舐める。

 

「結構、苦いですね」

『あたりまえだ!!』

「これはやっぱりおツマミがないときつそうだ。用意しておいてよかった」

 

 京一は脇に避けておいた皿を、目の前に置いた。

 音子と〈のた坊主〉が〈闘杯〉をしているあいだに、こっそりと業務用スーパーの店内で用意しておいた品だった(代金はあとで〈社務所〉から支払われる。或子たちの飲んだ分も含めて)。

 ちぎったキャベツに塩コショウとゴマ油をかけただけのサラダ、ハムにタルタルソースをつけただけのおつまみ、ナイフで雑に切ったフルーツの盛り合わせ。

 そんなものばかりの皿であった。

 

「一応、酒の肴も入れていいんですよね、〈闘杯〉のルールとしては」

『そりゃあ、そうだが……』

「じゃあ、始めましょう。あ、あなたも摘まんでいいですよ。僕一人じゃ食べ切れそうにないし」

『ふざけるなよ。〈闘杯〉の最中に食い物なんてつまめるか……』

「でも、宴でもあるんでしょ。酒呑童子だって、宴の席で〈闘杯〉したらしいじゃないですか。やっぱり肴のない宴会は寂しいですしね」

『―――まあな』

 

 酒飲みにとっての、宴は愉しい理論を振りかざされては〈のた坊主〉は何も言えない。

 目の前の小僧の言い分に従うのは釈だが、これも「筋」は通っている。

 渡世の無宿人のような〈のた坊主〉にとって、それは覆せぬものでもあったのだ。

 

「では、大山祇神(オオヤマズミノカミ)の名にかけて」

 

 いかにも呑気そうに京一は〈闘杯〉の宣言をしたのである。

 

 


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