巫女レスラー   作:陸 理明

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翔んでバニーガール

 

 

 目を覚ますと、なんだか室内にいい香りがしていた。

 鼻をくんくんさせてみると、どうも気のせいではないみたい。

 美味しいご飯のいい匂いというのならよくあることだけど、こういう香水のような芳しいものは初めてだった。

 タオルケットを落として、上半身で起き上がる。

 パジャマが汗で濡れていた。

 エアコンを効かせておいたはずなのにおかしいな。

 枕元にあるコントローラーをとろうとしたら、机の前の椅子に座っている人がいることに気が付いた。

 女性のようだった。

 涼花か、と最初は思った。

 ここは僕の部屋なのだから、もし女性がいるとしたらそれは家族の誰かしかいないはずだ。

 

『あら、お目覚め。グッモーニンね』

 

 話しかけてきたのは、妹でも母さんでもなかった。

 膝を合わせた上品な座り方をする、燕尾服やタキシードにウサギの意匠を取り入れたバニースーツを着ていた。衣装の上から羽織る燕尾服のバニーコートまでまとっていた。

 丸い尻尾の飾りを付けたレオタード、ウサギの耳をかたどったヘアバンド、蝶ネクタイ付きの付け襟、カフス、網タイツ、ハイヒールを履いていた。

 土足じゃないか、と思わず明後日の方向の感想を持ってしまう。

 それぐらい、場違いというか、ありえない光景だったのだ。

 

「寝ぼけてんのかな、僕……」

 

 朝起きたら、部屋にバニーガールがいました。

 そんな妄想っぽいことがあるはずもないので、夢を見ているんだろうな。

 だいぶ外は明るいけれど、もう一度ベッドに横になって目を閉じた。

 

『こーら。無視しちゃダメだぞ』

 

 誰かに鼻を摘ままれた。

 慌てて飛び起きると、ベッドの脇にさっきのバニーガールがかしずくように座って、にこにこと笑っていた。

 びっくりした。

 このバニーガールが妄想の産物でないことと、ついでに物凄い美人さんだったからだ。

 最近の僕の周りにはとても可愛い女の子たちがたくさんいて、一番綺麗な音子さんやカッコいいレイさん、最も僕好みな御子内さんとか、だいぶ見慣れてきたけど、その彼女たちを上回る美人というのを初めて目の当たりにした気がする。

 妖艶たぐいない美貌は、夢か幻か、はっきりと断定できないぐらい。

 視線が合っただけで頬が真っ赤に熱くなってくるほどの玲瓏たる眼差しに、頭がおかしくなりそうな色っぽい唇、柳の葉のような眉はとろんと垂れ、強調され過ぎた胸元は豊満でたわわだった。

 網タイツに対して何の思い入れのない僕でさえ、彼女の長い脚には興味を持たざるを得ないぐらいに抜群のスタイルをしている。

 ……これが妄想でないとしたら、どうして僕の部屋にこんなバニーガールがいるんだ?

 

『起きたかナ?』

「ええ、まあ」

『良かった。あのまま二度寝されちゃうと、とっても困ったことになりそうだったから、イタズラしちゃったよ、テヘ』

 

 軽く舌を出しながら、自分の頭をコツンと叩く仕草をするバニーガール。

 うわ、あざとい。

 

「えっと、とりあえず空気を読んで聞きますけど、あなた、誰ですか?」

『私ぃ? さあ、誰でしょうねぇ』

「そういうのいいですから。まだちょっと妖気みたいなのはわからないけれど、だいたい理論的に考えてみると、あなた、妖魅の類いですよね? 〈社務所〉関連ですか?」

 

 冷たく突き放す言い方をしてみると、バニーガールは頭についているうさ耳のヘアバンドの先を摘まんで、

 

「うんうん、そうだゾ。私は妖怪さんなんですヨ。よろしくね、京ちゃん」

「はあ。わかりました。―――すいません、あまり近寄らないでくれますか。どうもとんでもない美人という前に、あなたが近寄ってくるとベッドに引きずり込みたくなってくる衝動に駆られるんで。……もしかして、そういう能力でもあるんですか?」

 

 そもそもバニーガール姿で外を出歩く人なんて滅多にいないし。

 すると、バニーガールはにやりと悪い笑顔を浮かべて、

 

『へえ、わかるんだア。タヌキなんかに比べると、さすが人間は狡猾だねえ。簡単には引っかからない。……うん、確かに私にはその手の異性を虜にする能力があるんだヨ』

 

 やっぱり。

 しかし、ただでさえこれだけ綺麗だと惚れられやすいというのに、そんなものまで標準装備だとしたら男にとっては天敵以外の何者でもないな。

 さっきからこのバニーガールを押し倒してキスをしたくなる衝動が、じわじわと昂ぶりつつあった。

 どうして耐えていられるのか、自分でもわりと不思議なぐらいだ。

 少なくとも話をしているだけで、ちょっと性的にやばい身体変化が起きそうだし。

 

「すいません、話は聞きますので、もうちょい離れてください。あなたは童貞には刺激が強すぎるんで」

『ふふふ。むしろ、童貞さんの方が結構耐えられるんだゾ。一度、女の味を知っちゃうと私の()()()()にはほとんど抗えなくなるからネ』

 

 ああ、童貞で良かった。

 ってなんか屈辱的だな。

 あと、()()()()って何さ。

 

「オーケー、クールに行きましょう。それで、僕に何の用があってきたんですか? 少なくとも僕の部屋に妖魅の類いが押しかけてくるなんて初めてのことなのもので、戸惑っているんですけど……」

 

 これまでにうちにきた妖怪というと〈高女〉ぐらいしか思いつかないけど、あれは僕というよりも妹の涼花を狙ってきたやつだし、少なくともピンポイントで僕のところへ来られたのは初めてだ。

 しかも、このバニーガールは僕の名前を知っていて、親し気に「京ちゃん」などと呼んできた。

 ところが、記憶にある限りでは心当たりはまったくない。

 御子内さんたちと散々妖怪退治をやってきたけど、こういう妖魅に関わったことはないはずだ。

 しかも、僕の家を把握しているってどういうことだろう。

 喋り方一つをとってみても、高い知性と深い人間性のようなものが感じ取れる。

 かなり人間に近い精神の持ち主のようだ。

 僕が知っている妖怪たちの中では、〈オサカベ〉や〈山姥〉、あと江戸前のタヌキたちぐらいしか思いつかない。

 そもそも妖怪というものはそれほど知的ではないから。

 しかも、僕の家をつきとめて侵入し、起きるまで待っているというだけでも尋常ではないけど。

 そういえば、戸締りをしておいたのに勝手に入ってきたのか、このバニーガールは。

 窓が開けっ放しじゃないか。

 せめてカーテンぐらいしておいてよ、もお。

 

『んっとね。私が京ちゃんのところに来たのは、お手伝いをね、頼みたいからなんだゾ』

「手伝い……ですか?」

『そうそう。人間の手を借りないとどうにも話が進みそうもないの。ねえ、お願い。助けると思って手を貸してくれないカナ?』

 

 両手を合わせてお願いをされた。

 しかもウインク付きだ。

 たいていの男ならばこれでイチコロで轟沈だろう。

 僕だって例外じゃない。

 さっきからなんとなく恥ずかしい痛みがあるし。

 でも、聞いておくべきことはある。

 

「どうして、僕なんです? 僕は退魔巫女の助手―――妖怪からすると戦巫女か媛巫女でしたっけ?―――をしていますけど、基本的には普通のコーコーセイですよ」

『紹介してもらったの。あなたはただの高校生だけど、只者じゃないから適任だと、ネ』

「……紹介?」

 

 差し出されたのは、ごく平凡なスマホだった。

 画面が映ると、サッカー選手のブロマイドが出てきた。

 見覚えがある。

 

「これって調布の……」

『タヌキの癖にサッカー好きって変よネ』

「どうして、これを?」

『ああ、誤解しないでね。盗ったわけでも奪った訳でもないの。頼んだら、快く譲ってくれたのよ、タヌキの彼が』

「……まさか」

 

 僕のこのスマホの持ち主のタヌキのことを良く知っている。

 一緒にネットでサッカーゲームをしたり、LINEを送り合ったりする、江戸前の妖狸族の中でも特に仲のいいタヌキだ。

 人間よりもタヌキの友達の多い僕だから言えるけど、ものすごく気のいい奴でダンスなんかもできる最高にクールでイカしたやつ(ガイ)でもある。

 調布のサッカーチームがJリーグ杯で優勝したときに感動してサポーターになったという逸話がある。

 その彼が大事にしているスマホを簡単に他人に譲渡したりすることはありえない。

 

『ホントだから。私、そういうつまんない嘘はつかないんだゾ』

「……嘘とは言ってませんけど」

 

 ただ、嘘は言っていないだけで真実も言っていない可能性はある。

 女の人というのは、自分に都合の悪い事柄をなかったことにする特徴があり、しかも自分にとって都合のいいことだけを取捨選択する傾向があるのだ。

 特に、こういう美人で色っぽい人の言うことは当てにならない。

 男としての本能的な警戒機能が働きだす。

 少なくともサッカー好きのあいつが、自分の情報のたんまり入った携帯端末を何の見返りもなく手放すはずがないのだ。

 つまり、このバニーガールは何かを隠している。

 

「僕の友達のタヌキからの紹介というのはわかりましたけど、いったい僕に何をさせたいんです? とりあえず、そのぐらいは教えてもらわないと」

『うーん、優しい男の子って好きだヨ。あとでお姉さんがイイコト教えて・あ・げ・る』

 

 いちいちエロいことを言おうとする人だよね。

 いや、妖怪か。

 

『実はね……』

 

 そのとき、開けっ放しの窓に人影が飛び込んできた。

 

「京一から離れろ、この牝ウサギめ!!」

 

 飛び込んで来た御子内さんの右の鉄拳が閃いた。

 が、それは完全に力が炸裂するポイントに辿り着く前に受け止められた。

 バニーガールの掌によって。

 そして、反対側の手が動き、報復のフックが唸りをあげる。

 反撃を予期していたわけではないのだが、間一髪のところで、御子内さんはそれを躱しきった。

 髪を数本持っていかれるぐらいにギリギリのところで。

 

『あらあら、なんなの、この巫女さんは。女の子なんだからそんな乱暴をしちゃダメだゾ』

「―――知らなかったよ。カチカチ山のウサギが謀略だけでなくて、ボクの攻撃にカウンターをあてられるほどに強いとはね」

 

 自分のアタックを咄嗟に防がれたとは思えないほど冷静に、御子内さんは呟く。

 御子内さんが口にした単語に驚いた。

 

 カチカチ山って……

 あのお伽噺のか?

 

 だとすると、もしかしてこのバニーガールは……

 

 

 


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