巫女レスラー   作:陸 理明

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第30試合 屈折として骨折せし
骨折り損の前触れか


 

 

 気が付くと、別人になっていた。

 この場合、別人としては撫原彩也子(なではらさやこ)という十七歳の女子高生の肉体が変貌して、見たこともない人間になっているというパターンと、まったく別人の身体に魂みたいなものが乗り移っているパターンの二通りがあると考えられる。

 彩也子の場合は後者であった。

 はっと目が覚めると、家具も何もない部屋の壁に寄りかかって、毛布を被ったまま寝ていたようであった。

 薄暗いが、窓から差し込む月の光でなんとか視界を確保できる。

 

(なんだろう、ここ。それに……ちょっと……横向いてよ)

 

 彩也子は身体が自分の意志のままに動かないことに気が付いた。

 それだけでこの身体は彩也子のものではなく、別の人物の支配下にあるものだということがわかる。

 彼女は見ているだけしかできず、まるで本人視点のまま固定されて進んでいくゲームをプレイしているような気分だった。

 もっとも、彩也子の意識そのものは夢の中にいるかのように曖昧なものなので、他人の目を通して見る出来事にもさして苦痛は感じなかった。

 夢だと思ってしまえばいいだけのことだから。

 時折、ザザザザとノイズのような雑音が聞こえ、無音状態になるのはウザったかったが、それ以外は別にどうということもない。

 見慣れぬ室内の光景、外の道路を走る車や暴走族のものらしい爆音……

 映像と音声は臨場感に溢れ、とてもリアルで生々しい。

 彩也子自身の感覚は曖昧であったとしても、見ているものは夢とはいえ希薄ともいえない濃度を保っていた。

 自分が立ち上がり、歩き出した。

 すぐに玄関らしい扉があったので、この部屋は1Kぐらいのワンルームなのだとわかる。

 彩也子は、この肉体のことを〈分身〉ととりあえず考えることにした。

〈分身〉の年齢や性別はわからない。

 視覚における中心はよくわかるのだが、周辺視野と言っていい部分、通常なら見えるはずの身体の一部がまったく見えなかった。

 意識していなければ、自分の手や足をじっくりと見つめたりはしないので、たぶんそういうことなのだろうと想像する。

 見たいものを見る決定権は彩也子にはなく〈分身〉にしかないのだ。

 音は聴こえるので、聴覚は健在らしい。

 臭いは―――よくわからない。

〈分身〉は部屋を出て、階段を降り、道路に出た。

 ごく普通のマンションかアパートのようだ。

 そのまま、何事もないように歩き続ける。

 かなり歩き回った。

 夜なのでこんなに意味もなく歩き回れば警察に職務質問でもされないかと、彩也子がいらぬ心配をしてしまうぐらいだ。

 とはいえ、無意味な徘徊というものほど他人からすればつまらないものはない。

 彩也子は完全に飽きていた。

 この〈分身〉の正体を探ろうという気すらもなくなるぐらいで、「早く終わってくれないかなあ」とあくびをしたくなる気分でもあった。

 もう少し彩也子が注意をしておけば、後の不幸は防げたかもしれないのであるが、それは後の祭りである。

〈分身〉はとあるマンションの一階の一室に辿り着いた。

 今どきの人間らしく表札はない。

 ドアノブを掴み、ガンと一回揺らすと鍵が開いた。

 ロックされていなかったというよりも、無理矢理に壊したという感じであった。

 おかしい、と彩也子は思う。

 この〈分身〉の部屋はさっき目を覚ましたところのはずだ。

 それがどうしてこんな別の部屋に来たのか。

 しかも、鍵を使わずに力で破壊するように入るのか。

〈分身〉は室内に入ると、振り向いて、さっきのドアノブを何事もないように元の位置に戻した。

 こんなに簡単にドアの鍵というのは壊せるものなのか。

 背筋が冷える様な事実である。

 

(いったい、なんなのよ……)

 

 部屋はバストイレつきの1DK。

 収納として押入れがある。

 六畳間の間取りで大きめのテレビと折り畳み式のマットレスが置いてあり、あとは小さなテーブルとカラーボックスがあるだけだ。

 雰囲気からして女性―――OLあたりの持ち物な気がする。

〈分身〉は室内を見渡すと、押入れを開けた。

 荷物や服が詰まっている。

 その中の旅行ケースを取り出して、中に服などを詰め込むと、そのままガラス戸をあけて外に放り出した。

 他にも大きめの段ボールなどを同じように外に放り出した。

 ベランダにではなく建物の敷地内の庭の部分にである。

〈分身〉が何をしようとしているのかわからないが、彩也子には嫌な予感がする行動であった。

 何度かの往復の後、押入れにはぽっかりと人一人が入れるだけのスペースが出来た。

 

(まさか……)

 

〈分身〉は電気を消すと、その隙間に潜り込み、押入れの中から慎重に戸を閉めた。

 真っ暗になった。

 視界は完全に失われた。

 それでも彩也子は自分がまだ〈分身〉の視界を通して世界を見ていることを理解していた。

 しばらくすると、部屋に電気が点き、誰かが入ってきた。

 

「ただいま~」

 

 若い女性のようだ。

 鼻歌を歌いながら、なにやら動いている。

 彩也子の勘だと、おそらく化粧を落としているのだ。

 それからシャワーを浴びに行き、戻って来てからマットレスの上でピコピコという電子音を立てている。

 メールやラインあたりの返事をしているのだろう。

 欠伸をする声が聞こえた。

 それから、ペラペラと紙をめくる音―――読書だろうか。

 

「おやすみなさーい」

 

 独り暮らしなのに、よく口にする女性だった。

 ただ、のんびりとした口調は非常に好感が持てる。

 電気が消えて、また暗くなった。

 一時間ほどして、彼女の寝息が聞こえてくるようになった時、〈分身〉がゆっくりと静かに押入れから出た。

 

(ちょっと待ってよ! 何をする気なの! いい加減にしろよ、この変態野郎!!)

 

 彩也子の叫びは〈分身〉には届かない。

〈分身〉はカーテンを開いて、室内に月光を取り入れる。

 部屋の主の顔が見えるようになった。

 ゆるふわのカールをしたわりと綺麗な女性だった。

 気分良さそうに眠り込んでいる。

 

(起きて、あんた、起きてよ!!)

 

〈分身〉は毛布の中から女性の手を引っ張りだした。

 

 ぼきっ

 

 音がすると同時に手首の骨を折った。

 とてつもなく簡単な、フライドチキンの腿骨を折るよりも容易く。

 まだ、割り箸を折る方が簡単だろうというぐらいにあっけなく。

 

「ぎゃあ―――」

 

 叫び声を上げようとした女性の口の中に脱ぎ捨ててあった下着類が突っ込まれた。

〈分身〉の仕業だ。

 暴れた拍子にランプがつく。

 手首の部分が内出血のために瘤のように膨らんでいて、しかも関節とは逆に曲がっていた。

 まるでマネキンの腕のように。

 女性の額に油汗が浮かび、幾筋も落ちていった。

 目には信じられないものを見るような驚愕と恐怖で溢れていた。

 涙が零れ落ちている。

〈分身〉が折れてぶらぶらしている手を振り回した。

 女性が激痛のあまりに海老反る。

〈分身〉が彼女の上に乗っかり、俗にいうマウントの姿勢をとった。

 その手が左足に伸び―――

 

 ばきっ

 

 とまたも骨の折れる音がした。

 

「ううううううヴうヴヴ!!」

 

 女性は詰め物をされた状態のまま叫ぶ。

 痙攣していた。

 そこまでの激痛なのだ。

 

「―――頑張って」

 

〈分身〉が何かを言った。

 男の声か、女の声か、それもわからないぐらいの囁きだったが、それを聞いて女性はごほごほと咳をした。

 いや、吐瀉物が逆流しているのだ。

 恐怖のあまりえずいているのだろう。

 

「うううううああああああ!!」

(やめて、やめて、もうやめてよおおお!)

 

 だが、女性と彩也子の必死の願いは〈分身〉には届かなかった……

 

 

             ◇◆◇

 

 

「BAKU……。聞いたことがあるなあ」

「大和田伸也の弟さんじゃありませんよー」

 

 熊埜御堂てんのいうことは、たまに私にはわからない。

 私がイギリス人であるのをたまに忘れるのだろうか。

 確かに、私は一身上の都合でいつも顔と手に包帯を幾重にも巻いていて、外見で出身がわかるようにはしていないが、もう半年ほどの付き合いになろうというのに、だ。

 もっとも、私の生殺与奪の権利はこの小娘にあるといっても過言ではないので、逆らえるものではないのだが……

 

「夢を食べるモンスターではなかったかな」

「そうですよー。よくご存知ですねー」

「日本の歴史の勉強良くしているからな。箱根もいったし、日光にも行こうと思っている」

「でも、ロバートはもう浜名湖から西にいったらダメですからねー。仏凶徒(ブッキョート)に退治されちゃいますからー」

「わかっている」

 

 実のところ、私は妖精の血を引いており、半分が人外なのだ。

 だから、この国でいうところの妖気を発しているらしく、それを忌むべきものと考える武闘派の宗教的団体に狙われているのである。

 この国に留まる限り、その仏凶徒と互角に渡り合える〈社務所〉という組織の庇護のもとに入るしかない状況だった。

 その代償として、私はこの熊埜御堂てんという少女のために使い走りをしているという次第である。

 とはいえ、それなりに俸給も支払われてはいるので、私としては日本で暮らすための仕事として受け入れることは吝かではなかった。

 ただし、十歳以上年下の少女に馬車馬のごとくこき使われるのは精神的にもくるものがあるのではあるが。

 

「それで、てん。そのBAKU……バクか―――〈(ばく)〉を退治することになったのか?」

「まあ、悪い妖怪を退治するのが〈社務所〉の媛巫女の仕事ですからねー。でも、〈獏〉は別に斃さなくてもいいんですよー。捕まえるだけで」

「いいのか?」

「うん、そうなんですよー。だって、今回の〈獏〉がやったことって、ある人の夢を、他の人の夢に繋げるってだけなんです。夢を食い散らかしたりするのなら、量によっては関節ごと叩き折りますけど、この〈獏〉はふざけて遊んだだけなんですよねー、これが。だから、まあ情状酌量の余地ありで捕まえるだけにしてやる、ってことです」

 

 関節ごと叩き折るとか物騒なことを言っているが、この少女は言動が一致しているので、本当にやりかねない。

 見た目は幼くてあどけないが、実のところ、下手なサイコパスも真っ青の危険人物なのである。

 私もアラサーになるまで色々な人間を見てきたが、この少女ほど躊躇なく敵の骨を折り、関節を砕く凶人はみたことがないほどだ。

 コマンドサンボの使い手というだけでなく、どことなくロシア人を思わせる恐ろしさを秘めている。

 

「―――細かい話はこれからしますが、ロバートは三日以内に〈獏〉の居場所を特定しておいてくださいねー」

「待て。……てんは、何もしないのか?」

 

 すると、〈社務所〉の媛巫女はにっこりと笑って、

 

「てんちゃん、うちの中学の体育祭の準備があるから、〈獏〉が見つかるまでお休みしまーす。てへ♪」

 

 と、無責任なことを言うのであった。

 

(この娘、まだ中学生なんだよな)

 

 将来はどんなサイコパスになるかわからないので、とりあえず早めに改心してほしいと私は神に祈るしかなかった……

 

 

 

 

 

 

 


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