「……宮沢賢治って、日本を代表する文学者でもあるんだよ。そんな人が〈
すると、僕の隣でコーヒーを飲んでいたレイさんがぴったりと僕に貼りつきながら言った。
冬なので上半身にフライトジャケットを着こんでいるが、前が開いているので、彼女のなかなかのサイズのおっぱいが気にかかる。
「文学者だからさ」
「えっ」
「うちの国にはな、あまり西洋式の魔術文化は輸入されなかったんだ。ただし、やっぱ中には明治政府以来の西洋追随に従って、積極的に西洋魔術を取り入れようとした連中がいてさ、その筆頭に近いのが当時の文学者だ」
「そうなの?」
「ああ。やつらは、欧羅巴に留学した際に地元の
森鴎外は僕も知っている。
作品だって「舞姫」とか読んだことがあるし。
「森鴎外はな、「ファウスト」の和訳をしたりしていることで知られているが、それだってドイツ留学時代に仕入れた魔術の知識を活かすためのものだったらしいぜ。なにより、あっち時代の彼女を模して、エリスと名前を付けた
「……嘘」
「これだって、オレらみたいな家業していれば伝わってくるが、やっぱり魔術師の存在は秘匿されているし、普通は知らない情報だ。宮沢賢治の話だって同じさ。京一くんたちが知らないだけで、日本の有名人は意外とオカルト汚染されている」
ここ一年で知った知識は色々あるけど、まだこんな闇がこの日本にあるとは知らなかったよ。
うーん、アニメのセロ弾きのゴーシュなんかもうっかり観れなくなりそうだ。
「江戸東京博物館の方は、禰宜の一人が監視カメラの確認をしていてくれている。何かおかしなことがあったら教えてくれる。ボクらはこの近所で〈迷い家〉が発生したらすぐに駆けつけられるようにここで待機している訳だから」
暗くなる前から、この錦糸町から両国に掛けてをぶらついているのは、そういう訳だ。
張り込みに入るということでマイダーツを持参してきた御子内さんにつれてこられたのが、このダーツバーなのであるが……
待機して三時間。
僕らの素っ頓狂な巫女装束のおかげか、それとも人払いの術を軽めに使っているのか、ここには新規のお客さんはほぼやってこないという有様だった。
もう一杯ジュースでも飲もうかと思ったとき、
『カア!!』
流れているBGMを押しのけるような存在感のあるカラスの鳴き声が耳に入ってきた。
八咫烏のものだ。
僕は二人の巫女に倣って席を立つ。
「来たね。張り込み一日目から引っかかるとはよほど腹が空いているらしい」
「岩手の山の中ならともかく、こんな都会の真ん中で結界を張るんだ。ハンパじゃない力を消費するだろう。頻繁に人を食いに走ってもおかしかねえさ」
「ボクの縄張りで勝手をしてくれる。いくぞ、レイ。京一もこれを」
と渡されたのは、ビール瓶ぐらいはある木綿糸がグルグル巻きにされた棒だった。
見た目は明らかにボロい。
「この世とあの世を繋げる糸巻き棒さ。これを辿れば、ボクらはどんな結界の中に入ったあとも戻ってこれる。ミノタウロスの迷宮に入るテセウスにアリアドネが渡したものと似た儀式呪法がかけてあるんだ」
「これをどうするの?」
「先を京一が握っていてくれ。万が一のことが起きたときにボクらが帰ってこられるようにね」
「―――こんなのが必要なぐらい深いの?」
御子内さんは肩をすくめ、
「ボクらが突入するのは結界のさらに奥にある〈迷い家〉そのものになると思う。用心に用心を重ねても越したことはないよ」
僕は糸の巻かれた棒を握りしめ、頷いた。
彼女たちは戦いに行く。
その帰り道を守るのが今回の僕の仕事だ。
いくらなんでも退魔巫女でもない一介の高校生の僕が〈迷い家〉にのこのこと入れば邪魔でしかない。
〈護摩台〉を造るわけでもないのに、御子内さんが僕をここに連れてきたのは、彼女の帰還する場所を守るぐらいはできるという判断をされたからだろう。
だったら、僕のやることは一つだ。
「わかったよ。武運長久を祈るね」
「―――京一、もう十二月だ。寒いのに外で待たせることになってしまうけれど、風邪なんかひかないようにね。ほら、ホッカイロ」
「ありがとう。僕よりも御子内さんとレイさんが無事に帰ってこられるかが心配だ。頑張ってね」
レイさんの眼を見て、
「レイさんも気をつけて」
「お、おぅ……」
ちょっと口をとがらせて照れながらレイさんが応える。
この子もきっと緊張しているのだろう。
奥多摩の〈迷い家〉は常識の通じない土地だった。
あんなところに二人で突っ込もうというのであるから仕方ない。
しかも、その〈迷い家〉の奥には危険な〈魔術師〉が待っているかもしれなかった。
「ついでだし、激励の握手しろよ……」
差し出された白い繊手を握りしめる。
とてつもない力を秘めた〈神腕〉の持ち主とは思えない可愛らしい手だ。
ヤンキーっぽいのは外見だけで、やっぱりレイさんも綺麗な女の子である。
「なんだい、なんだい、レイばっかり」
横から入ってきた御子内さんがなんだか不平そうな顔をする。
たまに彼女はこういう絡み方をしてくるのだ。
「うるせえな、じゃあ行くぞ、或子」
「レイなんか呼ぶんじゃなかったよ!」
「オレを呼んだのは、おまえじゃなくてこぶし先輩だ。嫉妬してんじゃねえよ」
「なんでボクがそんなものをしなくちゃならないのさ!!」
「さてね。爆弾小僧だから着火点が低いんじゃね?」
「ボクは女だよ!! 小僧とか言うな!!」
二人が仲良く言い争っている中、僕は支払いを済ませて、連れ立って外に出た。
青く美しい月が、天にすきっとかかっていた。
彼女の庇護のもとにあるセカイで、人を誘い出す〈迷い家〉なる妖魅が跋扈しているとは認めたくないぐらいに。
空気も実によく透き通り、冬の低温度をさらに強調していた。
「さて、案内役の八咫烏は……」
夜空の一角で、黒い羽根をしたカラスがぼろんと飛んでいた。
こちらを導くように。
いつものようにあいつの後を追っていけば、妖怪か怪奇現象にぶつかることだろう。
僕らは急いで走り出した。
二百メートルもいかない距離にきたとき、物凄い突風がどうと吹いて、僕らを揺らした。
草はざわざわし、木の葉はかさかさ、樹木がごとんごとんと鳴った。
何かおかしい風だった。
まるでこのあたりを舐めるかのような異常な風だった。
「見ろ」
レイさんが指さした先には、立派な煉瓦でつくられた建物があった。
奥の方に看板らしいものがあるので、おそらくは個人の邸宅ではなくてお店の類いだろう。
だが、断言してもいい。
あの風が吹いたと同時に突如として顕現したのである、と。
絶対、こんな瀬戸の煉瓦で組まれた玄関の建物なんてそこにはなかった。
「まさか、自分が山猫軒に招き入れられることになるとは思っていなかったぜ……」
レイさんが感嘆の声をあげる。
僕もその名前には聞き覚えがある。
確かに、突然現れた建物の看板らしいものにはロシア語の表記と黒い猫の絵が描いてあった。
「レストランテ・ディーカヤ・コーシカ……。確かに山猫軒だね。―――つまり」
ここにあるのは〈迷い家〉であると同時に、僕たちにとってもなじみ深いある有名な作品の舞台ということだ。
その西洋料理店は、本名を「山猫軒」といい、またの名を……
「―――注文の多い料理店、だね」
妖気渦巻くガラスの引き戸には、
『
と金字で書かれているのであった……